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葵夜露は素直に好きと伝えたい  作者: 宮下龍美
第3章 近づく心と、離れる心
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第39話 アルバイトデビュー

 葵の母親、小夜子さんにアルバイトの相談を持ちかけた結果、提示された条件は二つだった。

 一つは、ちゃんと親に許可をもらうこと。

 未成年であり学生、つまりは未だ子供である俺を預かるからには、そこはどうしても譲れないと言われてしまった。まあ、それは予想の範疇だ。小夜子さんだって一人の親なのだから、その辺りは徹底していてむしろ安心する。預かられる俺が安心すると言うのも変な話だが。

 というわけで、家に帰宅して晩御飯を食べている最中、早速母親にそのことを切り出してみた。


「なあ母さん」

「なに?」

「俺、アルバイトしようと思うんだけど、いいか?」

「ええ、別にいいわよ」


 即答だった。

 母さんは特に表情を変えることもなく、箸を動かし食事を口に運んでいる。

 え、いや、あの、お母様? それでいいんですか? 今までこういう話したことなかったけど、もうちょっとなんか聞くこととかあるんじゃない?

 とか思っていると、口の中のものを全て呑み込んだあと箸を置き、ニヤリと表情を歪めた。あー嫌な予感してきたぞー!


「もう少しで夏休みだものね?」

「うん、まあ、そうだけど……」

「遊ぶお金、必要だものね?」

「……」


 こ、この親、いろいろと察してやがるな……!

 そして敵は母親だけにあらず。俺の隣でさっきから飯を食うのに集中していたはずの姉ちゃんが口を開く。


「あーそっかー、真矢は彼女さんと夏休みにあんなことやこんなことをしちゃうのかー」

「おいちょっと待て、いつ俺と葵が付き合ったなんて言った?」

「誰も夜露ちゃんのことなんて言ってませんけどー?」

「ぐっ……いや、葵くらいしか相手がいないからだな……」

「ていうか、バレてないとでも思ってるあたり、私の弟は可愛いなぁ」

「は?」


 バレてないってなんだ? は? いや、待て待て、俺はいつ姉ちゃんにそんな話した。してないはずだ。なんなら、ここ最近は葵とも会わせていない。期末テストの勉強会は葵の家で行ったのだから。

 だというのに、なぜ。

 その言葉にしていない問いに答えたのは、姉ちゃんではなく母さん。


「最近真矢の様子がおかしいじゃない? でも悪い変化じゃなかったから、この前朝陽に聞いてみたの」

「あのバカ……」


 まさか情報の出所が朝陽とは。まあ、家は向かいだし母さんと朝陽が出くわす日だってそれなりにあるだろう。俺が分かりやすいのが、そもそもの端を発しているのだけど。


「で、どうなの? もうキスくらいした?」

「いやいやお母さん、真矢にそんな度胸あるわけないじゃん。夜露ちゃんも自分から行くタイプじゃなさそうだし、多分手も繋げてないんじゃないかなー」

「まあそれもそうよねぇ」

「手繋ぐくらいしてるわ!」


 あんまりな言われように、顔を赤くしながらもつい叫んでしまった。二人の笑みが深まった気がするが、そこまでのヘタレだと思われるのも心外だ。


「それで、アルバイトってどこでするの? コンビニとか?」

「私が接客のいろはを教えてあげよっか」

「いらん。てかコンビニじゃない。葵んちの洋食屋で雇ってもらえることになったんだよ」


 この辺りに住んでいる人間なら、葵のとこの洋食屋は存在だけでも知っているだろう。実際に母さんと姉ちゃんも知っていたし、母さんは結構前に一度だけ行ったことがあるとか。

 うちから徒歩で五分くらいだから、逆に近すぎて家族で行く機会はなかった。


「いいじゃない。アルバイトで社会勉強出来てお金ももらえて、おまけに夜露ちゃんとずっと一緒にいれるものね。一石三鳥よ?」

「最後のは本当におまけだけどな……」


 たしかに葵と過ごせる時間が少しでも多くなるのは嬉しいけれど。それでも俺はアルバイトしに行くのだから、メリハリはしっかりつけなければならない。

 葵だってその辺は分かってくれているだろうし、早速明日から頑張ろう。

 ……分かってくれてるよな?






 翌日、学校が終わってからそのまま葵の家に向かい、家から持って来た適当な服に着替えてアルバイト開始となったのだが。


「なあ、本当にこれで仕事すんのか?」

「お母さんからの条件ですから、仕方ないですよ」

「でもなぁ……」


 小夜子さんから提示された条件の二つ目。メガネを外して髪もセットして。つまり、ちゃんと目を出して仕事しろ、とのことだった。

 一応小夜子さんの言い分も理解できなくはない。飲食店で働くにあたって、普段の俺の格好は不衛生と言われても仕方ないし、料理に髪の毛が入りでもしたら大変だ。

 条件のひとつなのだから仕方ないと割り切るしかないか。


「では大神くん、エプロンはこれをどうぞ」

「これ、葵が前に使ってたやつか?」

「はい。私は大神くんからもらったのがあるので。使わずに置いておくのもあれですし、こっちは大神くんにプレゼントです」


 その言葉の通り、葵は誕生日に俺がプレゼントしたエプロンを着用していた。あれから数日が経っているので、そのエプロンを着けているところを見るのは初めてというわけでもないけど。

 我ながら見事なチョイスだったのではと自画自賛してしまう。それくらいに、そのエプロンは葵に似合っていた。しかし自分がプレゼントしたものを着ている様は、見ていて小っ恥ずかしくなる。

 対して俺が渡されたエプロンは、以前まで葵が着用していた黒い無地のエプロン。サイズも特に問題ないし、洗濯もちゃんとしていたのか目立った汚れもないけれど。

 過去に葵が着ていたものだと考えると、たかがエプロンでもちょっと落ち着かなくなってしまう。


「でもプレゼントって、いいのか?」

「はい。是非貰ってください」

「まあ、そういうことなら。ありがとな」


 お礼を言えば、葵は満面の笑みで頷いてくれる。今日は随分ご機嫌なようだ。

 しかし、それにしても浮かれきってるなぁ。その気持ちが分からないでもないけど、こんな調子で仕事はちゃんと出来るんだろうか。

 控え室がわりの家の中から店の方へ移動すると、既にお客さんが二組。厨房では小夜子さんが調理していた。


「来たわね」

「今日からよろしくお願いします」

「そんなにかしこまらないでいいわよ。とりあえず、大神くんは接客メインにお願いするわ。夜露、色々と教えてあげなさい」

「うん!」


 というわけで、葵に教えてもらいつつ、俺の初アルバイトが始まった。

 やることはそう多くない。客から注文を聞いて伝票に書き込み、それを厨房の小夜子さんへ伝え、完成した料理を運ぶ。

 ついでに、客じゃなくてお客様と呼べ、とも指導された。接客業は大変である。

 しばらく仕事はそれだけで、慣れて来たらレジ打ちも教えると言われたけれど、おそらくは明日以降になるだろう。

 まばらにお客様がやって来ては帰り、二時間が過ぎて夜の八時頃になると店内は閑散としていた。


「ふぅ……」

「お疲れ様です、大神くん」

「ん、お疲れ様。結構大変だな」

「慣れるまではそうかもですね」


 仕事もひと段落してカウンター席に腰を落ち着かせると、葵が隣に座って苦笑いを浮かべた。しかしその表情に疲れている様子は見れず。一方の俺は慣れないアルバイトで自分でも分かるくらい顔に疲労が滲んでいる。

 いや、マジで疲れた。労働ってこんなにしんどいのか。やっぱり労働は悪い文明じゃん。働きたくないでござる。

 しかしこの世の中、働かなければ生きてはいけない。将来的にどんな職業に就くかは分からないが、きっと今よりも厳しい労働が待っていることだろう。考えるだけで鬱になって来た。


「はい、大神くん。これ賄いね」

「ありがとうございます」


 カウンター越しに賄いの野菜炒めと満杯の白飯を出してくれた小夜子さん。メニューにはない料理が賄いで出るのも、アルバイトの醍醐味だろうか。

 隣の葵にも同じものが出され、二人揃って頂きます。家で作るような焼肉のたれぶっかけただけのものとは違い、ちゃんとした調理のもと作られた野菜炒め。豚肉を一切れ摘んで口に含み、続いて白飯を掻き込む。

 うん、美味い。


「さて。大神くん、今日一日働いてみた感想ら?」

「とりあえず疲れました……」


 今日はそこまで客が入っていたわけでもなく、満席になることもなかったが、それでもこの時間まで常に客が店内にいた。正直、それだけで変な緊張が込み上げてきたのだ。なにかミスはしていないか、お客様に対して粗相を働いていないか、ていうかめっちゃ見られてたけどもしかしてエプロン似合ってないのだろうか。などなど、とにかく不安に包まれた一日だった。


「でも大神くん、初日とは思えないくらいちゃんと出来てましたよ」

「だったら、お前が色々と助けてくれたお陰だな」

「そ、そうですかね」


 言葉とは裏腹に、えへへと笑みを見せる葵。最近はそういう笑顔をよく見せてくれるようになった。

 その葵の働きぶりは大したもので、俺のサポートをしながら接客、片付け、レジ打ちなどの所謂ホール作業を容易くこなしつつも、たまに厨房に入って調理の手伝いもしてしまう。普段のポンコツぶりからは想像出来ないような働きをしていた。

 だがまあ、葵は基本スペック自体はかなり高いのだ。勉強も運動も料理も出来る。相当要領が良くなければそこまで色々とこなせないだろうし、それが店の仕事でも発揮されているのだろう。

 ただ一つ勘弁して欲しかったのは、俺が葵から色々教わってる最中、客のみんなが妙にニコニコ笑顔でこちらを見ていたことか。

 うちの高校の生徒こそいなかったものの、殆どが近所に住んでる人達だろうし、恐らくは常連さんなんだろう。なら、葵のことも我が子のように可愛がってるはず。


「葵って、やっぱ人気者なんだな……」

「へ? どうしたんですか突然?」

「いや、ちょっとな……」


 看板娘との距離がやけに近い男。変に勘繰られても仕方ないだろうし、事実として俺たちは付き合ってるのだからなにも否定できないのだけれど。

 それでも少しやりづらかったから、出来ればあまり変な目で見ないで欲しい。


「ところで大神くん。今後のシフトだけど、夜露が店の手伝い入る日と同じでいい? 平日は水曜と木曜の二日。休日は土日どっちもだけど」

「はい、俺は大丈夫です」

「了解。もし用事とかで入れなくなったら、事前に連絡するか当日夜露経由で教えてね」


 それだけ言って、小夜子さんは店の奥へと引っ込んだ。家の方に戻ったのだろう。

 残されたのは俺と葵の二人だけ。もしかして、小夜子さんは気を遣ってくれたのだろうか。だとしたら申し訳ない。


「悪いな葵。足手まといが一人増えちまって」

「足手まといなんてそんな! 私は、大神くんと一緒に働けて楽しかったですよ?」

「そっか。ならいいんだけど」


 ミス自体はなかったものの、料理の置き方やテーブルのセットの仕方、メニューの聞き方や言葉遣いなど、その他にも教えてもらったことは多かった。

 それを葵は、自分の仕事もこなしながらだったのだ。普段よりも忙しくなってしまったのは、どう考えても俺のせい。

 けれど、葵の言う通り。こうして一緒になにか作業をする、働くと言うのは、存外楽しいものでもあったから。


「ですから、明日からも頑張りましょうね!」


 グッと両手で拳を作る葵に、笑顔を返す。

 もし叶うなら。葵がこの店を継いだ時、その隣で支えられるくらいには。

 なんて考えるのは、まだ気が早すぎるか。

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