第38話 なんにしてもお金がない
今回から三章スタートです。しばらくは二人のイチャイチャをお楽しみください。
朝から元気に不快な音を奏で合う蝉。夏の風物詩の一つかもしれないが、所詮は睡眠を妨げる騒音でしかなく、おまけにいきなり木から落ちてきたり小便かけられたりするのだからマジでゴキブリと蚊と一緒に消えてくんないかな。
だが一寸の虫にも五分の魂。蝉達だって、成虫になってからたった一週間だけの命を懸命に輝かせているのだ。そう考えれば、目を瞑ってやろうと思えないでもない。でもゴキブリはマジで消えてくれ。あれ好きなやつとかいないだろ。
そんな感じで暑さも本格的になってきた、七月。期末テストも無事に終わり、再び開かれた葵との勉強会のお陰で成績もそれなりのものを収め、あとは夏休みが来るのを待つのみとなった今日この頃。
目下の問題は蝉なんかじゃなく。それよりもっと切実なものだった。
「金がない……」
授業が全て終わった教室の中で、一人小さく呟いた。
そう、金がないのである。無一文、なんてことはないが、これから訪れる夏休みのことを考えると、圧倒的に金が足りない。
この世界に生きる上で、金銭とはどうしても必要になってしまうものだ。衣食住を揃えるだけでも相当な額になるし、そこから遊びや趣味にも使われるから、人が一生のうちに使う金額は果たしていくらになるのやら。
そして俺は現在高校生。受験生ではあるものの、世間一般的には遊びたい盛り。先日彼女が出来たばかりだし。
葵とは朝陽や広瀬も誘って夏休み中に色々遊びに行こうと約束しているのに、現状ではそもそもあいつとのデートすら何回出来るか。
世知辛い現実に打ちのめされ、机に突っ伏する。これはあれか、俺もついにアルバイトを始めなければならないということか。嫌じゃ、働きたくないでござる……。
「おー真矢、どしたんお前?」
声を掛けられ顔を上げれば、これから部活に向かうのであろう朝陽がキョトンとした表情で俺を見ていた。一見間抜けに見えるであろうそんな表情ですらイケメンなのだから、顔面強者はやはりセコい。初期ステータスが違いすぎるもん。
朝陽が俺に話しかけたのを見たからか、別の場所にいた広瀬を始めとする朝陽グループもこちらへぞろぞろやって来る。やめろ、陽の者が近寄ってくるな。お前らは金魚の糞か。
てか君達、さっき「またなー」って挨拶してたじゃんかよ。その後にまたすぐ合流って気まずくないんですか。気まずくないんでしょうね。これがコミュ力強者か……。
とは言っても、その朝陽グループの中でも俺に話しかけてくる奴なんて朝陽含めて四人だけだ。半数以上じゃん。俺ってばいつの間にこんな人気者になっちゃったんだろ。
「なにシケた顔してんのよ。もしかして夜露に嫌われた?」
「んなわけねぇだろ」
「じゃあどうしたのよ。いつにも増して陰気臭い雰囲気なんだけど」
「いつも陰気臭いみたいな言い方やめてくれます?」
「少なくともその格好の時はそうだよねー」
広瀬の言葉に若干凹んだら、柏木から追い打ちをかけられた。ていうか死体蹴りだよそれ。マナー違反ですよ。なんのマナーだよ。
「てか、別になんでもないから。ほれ散った散った」
「なんだ、また面白い話が聞けると思ったんだけどな」
「んなもんねぇよ。お前はさっさと練習行ってこい。せっかくインターハイ行けるんだから」
「へいへい」
しっしっ、と手を振れば、案外素直に朝陽グループの面々は去っていく。朝陽は部活に向かい、広瀬達は元の場所に戻って談笑を再開した。
さて、その朝陽率いるバスケ部だが。なんと先日の県大会を見事制し、全国大会であるインターハイへの切符を手に入れたのだ。
試合は八月の初めに東京で行われるからさすがに見にいけないが、テレビでやるっぽいのでちゃんと応援してやることができる。
そこで優勝するにしても、途中敗退になるにしても、朝陽が部活を引退するのは八月だ。それまでに、なんとかして遊ぶための資金を確保しなければなるまい。
どっかに割りのいいバイト転がってたらいいんだが……。
などと考えていたら、こちらに人が近寄ってくる気配。教室の床を踏んで奏でる足音は、なんとなく上機嫌さを表している気がする。
顔を上げれば、晴れて先月から付き合うことになった俺の彼女。葵夜露が笑顔でそこに立っていた。
「お待たせしました、大神くん」
「ん」
葵の笑顔を見ればつまらない悩みなんて吹き飛んでしまう。いや、つまらなくはないんだけど。それどころか結構重要なまであるけど。
だがまあ、今悩みすぎていても仕方がない。最悪親に頭を下げればいいのだし。絶対やりたくないけど。
葵も来たことだし帰るか。そう思い立ち上がろうとすれば、葵の顔から笑顔が消え、ムムッと眉根を寄せた。急な表情の変化に戸惑っていると、前の席に腰を下ろしてしまう。自然、立ち上がりかけていた俺も再び座り直すことに。
「どうした?」
「大神くん、なにか悩みでもあるんですか?」
こちらの顔を覗き込んでくる葵は、本気で心配そうな表情を浮かべている。
俺はあんまり考えてることが顔に出るタイプではないと思うし、そもそも前髪とメガネのせいでしっかりと顔が見えているわけでもない。
それでも、この子は一目見ただけで。
自分の恋人が、こうも自分のことを理解してくれている。それはとても嬉しくて、ありがたいことなのだろうけど。
この場合の悩みってのがちょっと言い難いものなんですよね……。
「もしよければ、私に聞かせてくれませんか? その、少しでも、大神くんの力になりたいので……」
こちらを見つめる純粋な瞳。対して俺は金のことで悩んでるとかいう、俗物極まりない脳内。いや、別に金について考えること自体は悪いことじゃないはずだ。さっきも言ったが、金とは生きる上で必要不可欠なもの。それをどうやり繰りしようかと悩むのもまた、生きていく中で避けては通れぬ道。
でも、でもなぁ……馬鹿正直に言うわけにもなぁ……。
うぅ、俺の彼女が純粋すぎてつらい……。
「もしかして、私には言えないこと、ですか……?」
「あ、いや、そんなことないぞ。うん。ていうか、葵に助けてもらうほど大層なことでもないんだよ」
シュンと項垂れた葵をフォローするように早口で言う。そうやって落ち込んでるのも可愛いけど、出来れば見ていたくない姿だ。
こうなれば、言うしかないのか……。
「あー、本当に大したことないんだけどな」
「それでもいいです。聞かせてください」
「いや、その、実は、だな。最近ちょっと、お財布の中身が寂しいと言いますか、いい感じのアルバイトないかなーと言いますか……」
金の相談を恋人に持ちかける。
字面だけみたら、まるでダメな男略してマダオ以外の何者でもなくて、言葉は尻すぼみになってしまう。情けなさすぎて涙がちょちょぎれる。
これだけで嫌われるなんてことはないと願いたいが、さすがに少しは幻滅させてしまっただろうか。心の底からそれは嫌だと思ってしまう辺り、俺は随分と葵のことが好きらしい。こんなことで再認識したくなかった。
だが俺の予想と反して、葵は瞳を輝かせる。
「そういうことなら任せてください!」
「葵に?」
「はい! 多分、大神くんならうちでアルバイトさせてもらえると思うので!」
「マジか」
思いつきもしなかった。灯台下暗しとはこのことか。
でも、彼女の実家で働いて稼いだお金で彼女とデートするって、それどうなんだろう。
いや、今は形振り構っている暇はない。デートの資金だけでなく、他にも色々と必要なところはあるのだ。
「お母さんに相談してみないと分からないですけど、色々融通は利くと思います。それに……」
「それに?」
いきなり頬を赤らめた葵は、机の上で指をもじもじとさせている。なにか恥ずかしがるようなことがあっただろうか。それともあれか、スタンド攻撃でも受けてんのか。赤面させるスタンドって使い道なさそうだな。
果たして赤い顔のままで笑顔を作った葵からは、本当に恥ずかしそうにこんな一言が。
「うちで働いてくれたら、私との時間も増えます、よ?」
不意打ちで放たれたその言葉に、俺まで顔が熱くなってくる。恥ずかしければ言わなきゃいいのに。とは思うものの、葵はそれでもどこか嬉しそうな笑顔で。
こんなの、断れるわけがない。
が、しかし。今更ながらに気づいてしまう。
ここが、教室であることを。
感じた視線の先を追えば、そこにはニヤニヤしている広瀬と柏木が。見世物じゃねぇぞあっち向いてろ。
今度は別の羞恥心に煽られて顔が熱くなり、それを誤魔化すために立ち上がった。
「とりあえず、お前の家行くぞ」
「あ、はい! 凪ちゃん達に挨拶してきますね」
「いい、あいつらはほっとけ」
「え、でも」
「いいから行くぞ」
俺に続いて立ち上がった葵の腕を半ば強引に引いて教室を出た。
明日からは廊下で待ち合わせた方がいいかもしれんな……。




