第37話 変化は緩やかで、けれどたしかに
変化は劇的に。
と言うほどのこともなかった。なにせ今までだってそれなりにそれっぽいことをしていた、らしいから。
まあ、冷静に振り返ってみても、毎日二人だけで昼飯食べたり弁当作ってもらったり一緒に帰ったり、恋人同士でもなければしないだろう。一度だけとは言え、膝枕なんかもしちゃってたし。あと忘れてはならないのが、葵の部屋まで上がった時にしっかりハグしちゃったり。
こんな感じで割とそれっぽいことをしていたこれまでの俺たちだが、ではこれからの俺たち。晴れて恋人同士になってしまってからはどうなるのかと言うと。
「お、お待たせしましたっ!」
「おう、おはよう葵」
「はい、おはようございますっ」
あれから数日。今日は金曜日。葵の誕生日当日である朝。店の裏口、家に直接繋がる玄関らしいそこからは、誰がどこからどう見ても明らかに緊張している面持ちの葵が現れた。
ムムム、と眉を寄せて唇は一文字に結んでいる。ちょっと震えているのは小動物みたいで可愛い。ここ最近、あの日からずっと同じだ。まあ、まだ二、三日しか経っていないから、葵も慣れていなくて当然だろうけど。
「んじゃ行くか」
「はいっ!」
手を差し出せば、それを取ってくれる。感触を確かめるためにニギニギしたと思えば、こちらを見上げてえへへ、と微笑む葵。うーん、可愛い。
あんまりにも可愛すぎるもんだから、頬が熱くなってつい視線を前に逸らしてしまう。
「どうしました?」
「なんでもない」
コテン、と首を傾げるその様ですらもう可愛すぎて俺の語彙力は消滅してしまい、穢れきった俺の心が浄化されてしまう。
葵が可愛いなんて、そんなことは付き合う以前どころか、こいつの存在を知った時から、それこそ入学したての時から分かっていたことなのだけれど。それでも、今までこんなにも愛おしく感じたことはなかった。
当たり前だ。こいつのことが好きだと自覚してから、まだ一週間も経っていない。我ながら急ぎすぎてるよなぁ、と思わないでもないが、結果良ければ全て良しだ。
懸念事項も残ってはいるものの、今くらいは幸せに浸らせてもらってもいいだろう。
手を繋いで二人歩く通学路。周りには同じ高校の生徒が何人か歩いていて、こちらを見られている気がするのは自意識過剰だろうか。四月の頃は俺も怨念と共に視線を飛ばす側だったはずなのだが、今や怨念を飛ばされる側だ。存分に妬むがいいよ。なんせ俺には可愛い彼女がいるからな、ガハハ。
「そう言えば大神くん。今日の放課後のことなんですけど」
「十九時集合って話だったよな?」
「はい。伊能くんの部活が終わってからなので。一度帰ってから来ますか?」
「いや、そのまま向かうよ。ちょっとくらい準備の手伝いとかもしたいし」
「別に大丈夫ですよ? 料理の仕込みはお父さんとお母さんが昨日のうちにある程度終わらせてますし、飾り付けとかも私がしておくので」
「いや、むしろお前はなんもしなくていいだろ。葵の誕生日パーティーなんだからさ」
苦笑しながら言うと、葵はどこか納得いかないような表情で頷いた。こう言うところも葵の美点なんだろうが、今日は素直に祝われておけばいい。
朝陽も広瀬も、もちろん俺も。こいつのことを祝ってやりたい気持ちはちゃんとあるのだから。
その後も他愛のない会話を交わしつつ、感じる視線にどこか居心地の悪さを感じつつ歩き、学校に辿り着いた。
さすがに恥ずかしいのか、校門をくぐった辺りで葵の手は離れていってしまったが、まあ仕方ない。俺もあんまり見られすぎるのは恥ずかしいし。
「じゃあ、また昼休みにな」
「はい」
昇降口で靴を履き替え、階段を昇り教室の前で別れた。同じクラスだったら良かったのに、と思いはするものの、それはそれで冷やかしが今よりも酷くなりそうだ。
「よー大神ー!」
「おう、おはよ」
教室に入ろうとした一歩手前、中から出てきた謎に元気な黒田に絡まれた。これからどこかに向かうところなのだろう。朝礼まではまだ時間がある。
「今日も葵と登校かよ! お熱いな!」
「お前のテンションの方が暑いけどな」
むしろ暑苦しいまであるけどな。
「今日はメガネ取らねぇの?」
「この前のあれは朝陽が勝手にやったんだよ……好きで取ってたわけじゃない」
「ふーん。あっちの方がイケメンなんだし、ずっとメガネ取ってたらいいと思うけどな」
ニカッと笑う黒田の表情に、他意は含まれていないように思える。こいつの場合はバカだから、思ったことをそのまま口に出してるだけなのだろう。バカだから。
けれどたしかに。いつまでもしょうもないコンプレックス抱えずに、そろそろ俺も明確な変化とやらを見せた方がいいのだろうか。
「気が向いたらな。それより、お前どっか行くんじゃねぇのかよ」
「おっ、そうだった。数学の課題、再提出食らってんだよなぁ。マジやばいわ……」
開口一番の元気はどこへやら、落ち込んだトーンでそう言って黒田は去っていった。その背中は心なしか小さく見える。あいつ、勉強出来ないタイプのバカだったのか。とりあえず心の中で合掌しておこう。南無。
教室の中に入って自分の席につく。室内を見回してみると、すでに登校していた広瀬と目が合った。柏木と窪田はまだ来ていないらしい。
なにか用かと視線で問いかけてみると、立ち上がってこちらに近づいてくる。え、なになに、怖いんだけど。もしかして俺、知らん間になんかやらかしちゃってる?
「大神、今日のことなんだけど」
「お、おう、今日のことな。放課後のことだよな?」
「そうだけど、なにビビってんの?」
「いや、なんでもないぞ、うん」
自分でも知らない間に葵に対して粗相を働いてしまったのかと思ったが、そうでもなさそうで一安心。でも、仮にこれから先、俺が粗相を働いてしまえば、葵の親友であるこいつが黙っていないだろう。どんな仕打ちが待ってるか、考えただけで怖い。
「で、あんた今日どうすんの?」
「学校終わったらそのまま葵の家向かう予定だよ。手伝いしたいし。お前は?」
「あたしも同じ。朝陽待つにも時間持て余すしね」
朝陽の部活が終わるのが十八時半。学校自体は四時には終わるから、たしかに待つには長すぎる。こいつが図書室で静かに読書でもして待つようなのは想像出来ないし。
それより、と言葉を続けた広瀬は、口角をあげて厭らしい笑みを顔に貼り付けていた。
「今日はちゃんと、夜露の両親にご挨拶しないとダメよね」
「うっ……」
「娘さんとおつきあいさせてもらってます、ってさ。どう? 覚悟はできてる?」
「できてるわけないんだよなぁ……」
その時のことを考えてみて憂鬱になる。小夜子さんと勇人さんは二人ともいい人だし、俺が嫌われてるとも思えないが、果たして娘の彼氏としてやって来た相手にどのような対応をしてくるだろうか。
「ま、精々頑張んなさい。あたしと朝陽もフォローしてあげるしさ」
「助かる……」
まあ、あまり今から考えすぎても仕方がない。その時のことはその時の俺がどうにかしてくれるだろう。
頑張れ、未来の俺。
「夜露、誕生日おめでとー!!」
広瀬の掛け声に合わせて、パンパンパン! とクラッカーが弾ける。遅れて俺と朝陽、小夜子さんと勇人さんも各々が祝いの言葉を口にした。
クラッカーの音に若干驚いて肩を震わせていた葵は、けれど満面の笑みで嬉しさを表している。
「ありがとうございます!」
「誕生日ついでに、真矢とのこともおめでとうだな」
「全く、ずっと見守ってたこっちからしたら、焦ったくてしょうがなかったんだからね?」
「えへへ……」
時刻は十九時ちょい過ぎ。広瀬と二人で飾り付けた店内は、いつもとは少し違う雰囲気を醸し出している。テーブルの配置も変え、その上には小夜子さんと勇人さんが腕をふるって作った数々の料理と、誕生日ケーキが。
どうやら、ケーキも手作りらしい。
でもちょっと朝陽くん? そのことは時間置いて落ち着いた頃に俺から言おうとしてたから待ってくれません?
しかし葵の両親は特になにか言ってくることもなく、ワイングラスを手にニコニコと笑顔で俺たち子供を見守るのみ。
うーん、反応がないのも逆に怖い。
「じゃあ早速プレゼントね! はいこれ、あたしから。夜露がずっと欲しいって言ってたやつね」
「あ、アイアンマンのフィギュアじゃないですか!」
「地味に買うの恥ずかしかったんだからね」
「ありがとうございます!」
え、マジで? 葵さんそういうのも欲しかったの? 俺が聞いた時はそんなこと一言も言ってなかったじゃないですか。
しかし広瀬があのフィギュア買うってのも、なんか絶妙にシュールだな。
「俺はこれ。ハンドクリームな」
「ふふっ、伊能くんらしいチョイスですね」
「それ褒めてんの?」
「褒めてますよ。ありがとうございます」
たしかに、贈っても嫌がられず、形に残ることもなく、異性の友人に対しては最適解とも言える。こういうのに慣れてる朝陽らしいとは、俺も思ったことだ。
さて、続いて俺が渡す番となってしまったわけだが。
「ほれ」
他二人に比べると随分素っ気なく、プレゼントの入った袋を渡してしまった。朝陽と広瀬の二人からも、もっと他に言うことないのか、みたいな目で見られる。
そこは察しろ。なんか照れ臭いんだよ。おまけにこれを買った時はまだ彼氏彼女でもなかったから、他になんかなかったのかとか、柏木に勧められたアクセサリー系の方が良かったかもとか思っちゃってるんだから。
やがて葵は袋の中からプレゼントを取り出し、惚けた表情でそれを見つめる。
俺が買ったのは、濃い紫に星のワンポイントが付いたエプロンだ。
見たところ、ここの店は制服らしきものはないようだし、エプロンも三人とも使ってるものは違う。
柏木に手伝ってもらいながらも、最後はちゃんと自分で悩んで、自分で決めた。葵のイメージに、一番しっくりくるものを。
ジッとエプロンを見つめていた葵はやがてその顔に笑みを浮かべ、フィギュアとハンドクリームも含めてギュッと胸に抱きしめた。
「ありがとうございます、大神くん。とても嬉しいです」
「そうか。なら良かった」
つられて俺も笑顔になり、心の中でホッと一息。どうやら喜んでくれたようでなにより。頑張って選んだ甲斐があるというものだ。
「ちょっと夜露ー。あたしが上げたのより喜んでるじゃん!」
「そ、そんなことないですよ? 凪ちゃんから貰ったフィギュアも、大神くんから貰ったエプロンも、同じくらい嬉しいですから!」
「まあ、俺は所詮ハンドクリームだもんな……」
「も、もちろん伊能くんのプレゼントも嬉しいですよ!」
葵の背後から抱きつく広瀬と、わざと大袈裟に落ち込んでみせる朝陽。そんな二人にアタフタと言葉を返す葵。とても微笑ましい光景だ。
「それより飯食おうぜ! 部活終わったばっかだから、俺腹減ってんだよな」
「朝陽くん、白ごはんはたくさん食べるかな?」
「あ、お願いします勇人さん」
「大神くんはどうする?」
「俺もお願いします」
立ったままだったのでそれぞれ席につき、勇人さんがよそってくれたお椀を受け取ってみんなで揃っていただきますの挨拶。
席順はこれまたちょっと恐ろしいことになっていて、俺の右隣には葵が、左隣には勇人さんが座っていた。気がついたらこの席順だった。横からいきなりフォークで刺されたりしないよね? 大丈夫だよね?
テーブルの上に並んでいるのは大量の唐揚げにシーザーサラダ、ローストビーフやチーズがたんまり乗ったピザ。なんか唐揚げだけ浮いてる気がしないでもないけど、そういえば葵は小夜子さんの作った唐揚げが好物だとか言ってたし、お願いして作ってもらったのだろう。
それに、食べ盛りの男子高校生的にはありがたいオカズだ。
「ちょっと唐揚げ作りすぎちゃったけど、男の子ならこれくらい余裕よね?」
「もちろんっす!」
本当に腹が減っていたのか、元気よく返事した朝陽が唐揚げと一緒に白飯をどんどん胃の中へと収めていく。さすが現役運動部。よく食べますね。
とは言いつつ、俺もそれなりに食べる方だと自覚はある。うちの母親が作ったものの数百倍は美味いんじゃないかと思う唐揚げ。白飯が進む進む。
「どうですか大神くん。お母さんの作った唐揚げ、美味しいですよね?」
「おう、マジで美味いわこれ。やばい。白飯何杯でもいけるかもしれん」
「ですよね!」
なぜ葵がドヤ顔するんだ。可愛いからいいけど。可愛いは正義なので、なにをしても許されてしまう。
もちろん唐揚げ以外の料理も美味しかった。どうやら他は全て勇人さんが作ったらしく、前回たべれなかったからそれなりに楽しみにしていたのだが。これがまた期待のさらに上を行く美味しさだ。たしかに、味だけを比べるとするなら、失礼ながら葵とは月とスッポンの差があると言えるだろう。
そうしてウマウマと料理を楽しみ、葵と朝陽と広瀬の三人が会話しているのを横から聞いていると。
左隣から、つまり勇人さんから、名前を呼ばれた。
「ところで大神くん。夜露と付き合うことになったそうだね?」
「うっ、ぐっ……」
完全な不意打ち。吹き出しそうなのをなんとか堪え、口の中のものを嚥下してから勇人さんに向き直る。
誰に聞いたんだと思ったが、まあ葵本人から聞いたんだろう。
視線の先にある年の割に若く見える顔は、ニコニコ笑顔。逆に怖い。
「えっ、と……まあ、はい。先日からお付き合いさせていただいてます……」
「ははっ、そんなに緊張しないでくれよ」
そう言われましても。むしろこの状況で緊張しないやつがいるなら見てみたい。多分氷の心の持ち主とかだよ。無念無想の境地に至ってるよ。
しかし残念ながら俺の心はガラスで出来てるし、なんなら血潮は鉄だったりするので、当然のように緊張マックス。
ちょいちょいと勇人さんに手招きされたので、恐る恐る椅子をそちらに近づける。
葵達三人がこちらに気づいた様子はない。いや、もしかしたら見て見ぬ振りをしてくれてるのかもしれないけれど。
「僕はむしろね、君に感謝してるんだ。この前も言っただろう? 夜露は割と危なっかしいところがあるからさ。君がそばにいてくれるなら、安心だよ」
勇人さんと会うのは今日で二度目だ。だから俺という人間がどういうやつか、完全に分かっているわけではないだろう。そう簡単に他人の全てを理解できるなら、人間はこんなに面倒な生き物にはならない。
恐らくは、小夜子さんや葵から聞いた話の中で推測したに過ぎないと思う。
だから、どうしてそんな俺に対してそこまで言えるのか、純粋に疑問を感じた。
「あの、俺と勇人さんってまだ会うのも二回目ですよね?」
「なのにどうしてここまで言えるのか、って?」
「まあ、そうです……」
「そうだね……」
少し考えるような素振りを見せる勇人さんの視線は、朝陽と広瀬の二人と楽しげに会話している娘へ向いている。
どうやら今は、葵のオススメ映画について二人に語っているらしい。サメって単語が出てきたからちょっと不安だが、しかしそれでも葵の表情はとても輝いていて、楽しそうだ。
やがて口を開いた勇人さんは、穏やかな笑みを浮かべていて。
ああ、その顔はまさしく、娘とそっくりだ。
「夜露がこんなに誰かを好きになるのは、初めて見たんだよ。君の言葉で、将来のことまで決めたんだ。だから僕は、夜露が信じて好きになった君も、信じることにしただけだよ」
「そう、ですか……」
ありきたりな言葉になってしまうけれど。こういうのを、親子の絆と言うんだろう。
それはとても尊ぶべきもので。
だからこそ、それを根拠に大事な我が子を託された俺は。本当に、この子のことを大切にしなければならない。
「だから、夜露のことを頼んだよ。あの子のこと、大事にしてくれ」
「はい」
もしかしたら、俺たち四人の関係が更に動いてしまう時が来るかもしれない。思ったよりも未だ地雷まみれで、綱渡りしているような状況だけれど。
葵が泣くことだけは。絶対に、あってはならない。
これにて二章終了、それから序盤が終わりってところです! 次回からは三章をお送りします!




