第24話 ありがとう
朝から降り続いている雨は、未だに勢い衰えることなく。それどころか余計に酷くなってるんじゃないかと錯覚する昼休み。
こうも雨が強いと、やはりそこはかとなく気分が落ち込むのは誰でも同じなのか。教室内の喧騒はいつも通りながら、どこかジメッとした空気が流れていた。
朝陽と広瀬のグループは和気藹々と雨に対する愚痴を零しているし、坂上グループの面々は見るからに機嫌悪そうで、誰もそっちに近づこうとはしない。
もちろん俺も、いい加減この雨にうんざりして来たところだ。制服はそろそろ乾いてきたし、靴下も履き替えてはいるものの、帰りにまたこの雨の中歩かないといけないと考えると、どうしても憂鬱になってしまう。
ため息を我慢しながらも席を立ち、教室から出る。
そもそも、大雨警報とかってどういう基準で発令されるんだろうか。今日みたいに明らか警報出てもおかしくないだろって日には出なかったり、寧ろ全然降ってないのに警報出たり、イマイチ基準が分からない。雲の動きがどうやらとか、気圧がどうちゃらとか言われてしまえば、一介の高校生である俺には理解できないけれど。
それでも、ここまで雨が降ってしまえば、なにかしら被害が出てもおかしくないと思うのだが。
窓を叩く雨音をBGMに、廊下を進む。当たり前だが窓は完全に締め切っていて、湿気もかなりあるから蒸し暑い。過ごしやすい気温、とは間違っても言えないだろう。
屋上に繋がる階段を登る。雨の日は外に出ず、屋上の扉の前で昼飯を食べることにしているのだ。だから、登りきった階段の先には、当然のように葵が待ち構えていた。
踊り場で壁に背を預けて、スカートの中が見えないようにペタンと女の子座りで、いつも屋上で使ってるレジャーシートの上に。
「おまたせ」
「いえ、私も今来たところですから」
柔らかな笑顔を浮かべる葵の膝の上には、弁当が入っているであろう巾着が二つ。それから隣には水筒が。
とりあえず隣を失礼して腰を下ろす。いつもと同じ距離。大体拳一つ分くらい開けて。
俺が座ったのを確認した葵は、巾着の中から弁当箱を取り出して、うやうやしくこちらに差し出して来た。
「で、では、こちらをどうぞ……」
「ん、ありがとな」
あまりにも畏まりすぎている態度に、思わず苦笑が漏れる。
俺が渡された弁当箱は、葵がいつも使ってるものよりも大きな二段重ね。早速蓋を開いてみれば、上の段には色とりどりのオカズが。
玉子焼き、一口サイズのハンバーグ、タコさんウィンナー、小松菜の和え物、プチトマト。
しかも冷凍食品は一つも見当たらず、全部が手作り。ハンバーグにかかってるソースは、店でも使ってるデミグラスだろうか。オカズは既に冷めてしまっているはずなのに、それでも空腹が刺激される。
下の段には白ごはんがこれでもかと詰め込んであり、ボリューム的にも十分以上だろう。
「んじゃ、いただきます」
手を合わせて挨拶をし、不安そうにこちらを見つめる葵を尻目に、まずは玉子焼きを一口。
「美味い……」
「ほんとですかっ⁉︎」
思わず漏らした一言に、一転して笑顔の葵が食いついた。そもそも、葵の料理は店で何度も食べているのだし、不安になる必要もないと思うんだが。
「ホントだよ。嘘つくわけないだろ」
苦笑まじりにそう返せば、葵はホッと一息。思わず頭を撫でたくなったが、さすがに我慢。今は飯の途中だし、そもそもそんなことを気安くしていい仲でもないし。
いやまあ、頭撫でたら喜ばれそうではあるけれども。
続いてハンバーグを食べてみれば、やはりソースは覚えのある味。白ごはんがこの上なく進む。可愛らしいタコさんウインナーもいい感じに塩が効いていて、これまた白ごはんを食べる手が進む進む。
俺が弁当を食べるところを、ニコニコ嬉しそうな笑顔で眺めている葵は、ようやく自分の弁当を広げ始めた。
「でも、なんでイキナリ弁当なんか用意してくれたんだ?」
「はい?」
「いや、ありがたいっちゃありがたいんだけどさ、随分急だなと」
先週の金曜や、土日に会った時にそのような話が出て来たわけでもない。そりゃまあ、毎週一度葵のとこの店に夕飯食べにいった時は、いつも美味しい美味しいと伝えてはいるけれど。
もしかして、胃袋から掴む作戦に出たとか、そんなんだろうか。だとしたら残念ながら、俺は既に葵の料理に首ったけなので、効果はあまり望めないが。
「ほら、昨日みんなでバスケしたじゃないですか?」
「そうだな」
「大神くん、あまりにもすぐバテちゃったので、もう少しちゃんとご飯食べて欲しいなって」
「ああ、そういう……」
思ったよりも情けない理由だった。なんかごめんなさいね? 俺が体力なさすぎるもやし野郎で。
いやでも、朝と夜は結構ちゃんと食べてるんだけどな。特に夜、夕飯はそれなりに食べること、葵も知ってるだろうに。
「それだけじゃないんですけど……」
「他にも理由あんのか?」
「あ、いえいえ! こっちの話ですので!」
小さく呟かれた言葉を拾うと、葵は焦ったように取り繕う。他にも理由があるっぽいけど、まあ俺が予想してるのと同じ感じだろう。可愛いこと考えてくれるよな、本当に。
「昨日といえば、お前なんであんなにバスケ上手いわけ? どっかで習ってたのか?」
「いえ、別に習ってたわけじゃないですよ?」
それにしてはかなり上手かった気がする。俺だって一応、小学生の時はミニバスでそれなりにやっていたし、バスケを辞めてからも昨日みたいに、朝陽とちょくちょく1on1をしていたのに。
多少の理由があれ、そんな俺を負かせてしまうとは。実は結構悔しかったんだぞ。
「それにしては上手すぎないか」
「んー、そうでもないと思うんですけど……。私もたまに、伊能くんに呼ばれて昨日みたいにバスケしたりしてましたけど、ちょっと伊能くんの動きを真似てただけですし……」
なるほど、これが天才というやつか。
普通、朝陽くらいの熟練者の動きを、ちょっと真似してみましたーで出来るわけがない。持って生まれたセンス、運動神経がなせる技だ。俺が同じように朝陽の動きを真似たとしても、葵ほどのキレは出ないだろう。
しかも本人は、本当になんでもないことだと認識しているし。これで普段がポンコツじゃなければ、マジで完璧超人だったのに。
「はぁ……」
「ど、どうしましたか?」
「いや、天は二物を与えても、余計な荷物まで与えるんだなぁと」
「……?」
ちょっと上手いこと言ってみたら、心底不思議そうな顔をされた。俺が滑ったみたいじゃねぇか。
ごめんね面白くなくて。
「そ、それより、ですね。明日からのお弁当、なにかリクエストとかありますか?」
「リクエスト?」
「はい。好き嫌いとか、味付けの好みとか、あと食べたいものとか! なにかあったら言ってくださいねっ!」
「つってもなぁ……」
好き嫌いは特にないし、味付けのこだわりもない。食べたいものも、まあその日の気分によってままあるだろうが、そもそも弁当は葵も中身は同じなのだ。俺は作ってもらってる身だから、リクエストくれと言われても、少し遠慮してしまうわけで。
「特にはないぞ。俺は葵の作った料理ならどれも好きだし、お前が食べたいもん作ってこいよ」
「わ、私のなら、どれも好き、ですか?」
「おう。弁当も、店で食うのも、全部美味くて俺は好きだぞ?」
なぜかそこだけ切り取って聞き返してきたので、もう一度同じ答えを返す。すると葵の口元は綻んで、眉尻も嬉しそうに垂れ下がり、ちょっとだらしないとも言える笑顔を浮かべた。
いや、可愛いのには違いないんだけど、それでもやっぱり、だらしないという感想が先に来る。可愛いけどもね。うん。
「えへへ……」
「あ、葵?」
「私、明日からも頑張って作ってきますねっ!」
「お、おう」
「か、隠し味も、沢山入れてきますから!」
「そうか……」
葵の言う隠し味、とやらにすぐさま思い当たってしまい、自然と頬が紅潮してしまう。
それを直接言葉にされたわけではないが、こうも真正面から好意を示されるのは、やはりまだ慣れない。
いっそのこと、その言葉を直接言ってくれればある意味楽ではあるのだけど。
その後も同じ笑顔を絶やさない葵と、なんとなく顔が冷めない俺とで昼飯を食べ進め、十分もしないうちに完食した。
「ご馳走さま。マジで美味かったよ」
「お粗末様です。ありがとうございます」
葵、ニッコニコである。大変可愛らしいので眼福ではあるけれど、割と距離が近いから心臓に悪い。
弁当箱を返して葵が巾着にしまうと、その笑顔が急に歪んで、小さなあくびが漏れた。
「眠いのか?」
「いえ、その、ほんの少しだけ……」
あくびしてるところを見られたからか、少し照れたように頬を赤らめる。
もしかして、弁当を作るのに少し無理をさせたのだろうか。昨日はそれなりに動き回っていたし、肉体的疲労が完全に取れないまま、早起きとかしたんだろうか。
そうだとしたら申し訳ない。別に弁当は俺から頼んだわけでもないけれど、こうして作ってきてもらったのは事実だ。
「時間になったら起こすから、寝ててもいいぞ」
「大丈夫ですよ。本当に、少し早起きしただけなので」
「遠慮すんなって。なんなら膝貸すし」
「い、いいんですかっ⁉︎」
食い気味に聞かれた。実は眠気なんてないんじゃないかってくらい。
「別にいいよ。俺の分の弁当作ってたから、早起きしたんだろ? ならそれくらいはさせてくれ」
「で、では……」
ゴクリ、と喉を鳴らし、葵が横になる。頭は俺の膝の上へ。表情は長い黒髪に隠れてしまい窺えないけど、チラリと見えた耳は真っ赤になっていた。
もしかすると、これじゃ余計に眠れないだろうか。そう思ったのも束の間、数分もしないうちに膝の上からはスヤスヤと寝息が聞こえてきた。
どうやら、本当に疲れていたらしい。
「ありがとな」
自然に笑みを漏らしながら、小さく呟いた。
今日の弁当のことだけじゃなくて。俺に好意を寄せてくれて、俺の瞳を綺麗だと言ってくれて。
その他にも色々と、こいつには礼を言いたいことがある。葵と関わりだしたお陰で、朝陽が言うところの青春とか思い出とか、そういうのが一気に身近に感じるようになった。
でも今は、それを面と向かって言えないから。言うとしたら、多分、こいつの気持ちに応える時だと思うから。
こうやって聞かれていない時に、小さく呟くだけで留める。少し、狡いだろうか。
狡いついでに、左手で葵の髪を撫でてみた。艶やかで長い黒髪。葵夜露の象徴とも言えるそれ。起きている時には決して出来ないだろう真似をするのは、やはり俺にも欲というものがあるから。
「気持ちよさそうに寝てるな」
瞼を閉じたその寝顔は、まるで天使のようだ。整った目鼻立ちに白い肌と泣きぼくろ。改めて考えるまでもなく、葵はとても可愛いし、美人だ。
そんなこいつが、こうやって安心して眠れるほどに、俺を信頼してくれている。
多分葵は、朝陽の気持ちとか、広瀬の悩みとか、俺の葛藤とか、その他諸々のことなんて気づいていない。
それでいい。お前は気づかなくてもいいんだよ。それは俺たち幼馴染の問題で、お前が頭を悩ませて、心を痛めるようなものじゃないから。
でも、三人のうち誰か一人でも動きを見せれば、葵はきっと気づくんだろう。ポンコツだなんだと言ってはいるけど、それでも葵はバカじゃないから。
「せめてそれまでは、笑っていてくれよ」
朝陽も広瀬も、そして俺も。
みんな、お前の笑顔が好きなんだからさ。
葵の寝息と雨音を聞きながら、静かで穏やかな時間が流れていく。
いつまでも、こんな時間が続いていればいいのに。




