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ブラインド・キッチン~忘却砦の小さな秘密~  作者: 津野 栄
忘却砦の極めて平凡な日々
8/47

四、筍ハンバーグで少年を愛でてみましたー虎

「うあああああかわいいいぃぃーー」

「あ、イツキちゃんが壊れた」

「だって、だってさ。あの細っこくて小さな妖精さんが一生懸命足踏ん張って立ち上がってくるんだよ? 相手してやんなかったら、目に涙いっぱい溜めて、そんでも泣くの我慢してちっちゃい口をキュッて、ね、キュッて、くうぅー萌え死ぬっ」

「はいはい」

「男の子だねえ、もうボロボロなのに笑ってカッコつけようとすんだよ? うはぁぁーー美味しすぎるっ」

 賄いのテーブルでじたばたしながら少年のかわいさに悶えていたイツキは、突然ぱったりとそのあやしげな動きを止めた。頭をはね上げるとキッときつい眼差しをこちらに投げかける。

「ローヴ、ヘイワン、いくらボコッてもいいけど、オルたんの可愛い顔に傷一つでもつけたら殺す」

 冷たい汗が背中を伝った。やばい。こいつ、本気マジだ。そっと隣のローヴを窺い見ると、表情こそ普段のままだが、尻尾が椅子の下に丸まってぷるぷるしている。耳もへたってるな。

 ヘイワンは自分の尻尾を震える左手で握りこんだ。

 砦に久々の新入りが来てから、もう一週間になる。ヘムレンは早々にエイキチとイツキに負け、ローヴと相打ち、ヘイワンに勝っておおよその順位を決めた。おそらくウィルマやスケルトニオより強いだろう。ランゴルドはどうかわからないが。

 ヘイワンは別に自分がヘムレンに劣るとは思っていない。勝るとも思わないが、戦場で出会うと厄介な相手であることは間違いない。命のやり取りになると仕合いでは見られなかった力を発揮する者がいる。ヘムレンはそういう男だろう。隠れ棲んでいる獣人に似た雰囲気がある。ローヴやヘイワンが完全獣化しても勝ったり負けたりの相手かもしれない。

 エイキチやイツキは別格だ。正直言って、勝てる気がまったくしない。曾祖父と曾孫ほども年のひらきがある二人が、剣を握ると同じ目つきになる。底冷えのする、人間という生物を超越した光を放つ目で見据えられると自分が子ネズミにでもなったかのように身がすくむ。二人の相手をする時いつも感じるのは、限りない寒さだ。寒い。凍てついた闘気が足下から這い上がって体を固めてしまう。

 ヘムレンと対峙したあの時、イツキは刀を抜かず、柄に手をかけたまま左足をぐいと引いて低く身構えた。彼らの技の一つである「イアイ」というものだ。抜く手も見せず剣を走らせる様は、空間を切り裂くかまいたちが具現化したかと思わせた。

 あの技を使わせるだけの力をヘムレンが持っていたということか。それだけで賞賛に値する。

 打ちひしがれて練達者同士の闘いを見ていたオルコットにあの仕合いの真価がわかっただろうか。

「できたばい。取りに来ちゃらんね」

 ハナののんびりした声が、ヘイワンの思考を断ち切った。気がつくとイツキはさっさとキッチンに回り込んで、飯を盛っているらしい。カウンターの上に皿と茶碗が並べられていく。

「ハーナさーん、今日はなーにー?」

「ローヴがおねだりしとった筍ハンバーグばい。大根おろしに柚子胡椒だれ。付け合わせはアスパラガス。副菜に蕗の煮物。三つ葉の吸い物がついちょるばい」

「わーお! ハナさん愛してるよー」 いつもの軽口にハナもイツキもふふんとよく似た笑いをもらした。

 リクエストした当のローヴはと見れば、その有様たるや。

「ローヴ、おまいさんねえ」

「え? 何?」

 何、じゃねえよ。ヘイワンは素直にツッコむ。

 きらきらした瞳ではふはふ言いながら尻尾を千切れるほどに振っているようすは大好きなご主人を前にした小犬だ「銀の神狼」と謳われた剣闘士時代には、冷たく整った美貌と華麗な剣技をもて囃されていたものだが、何のことはない。中味はただのわんこ。ああ残念だ。まったくもって残念だ。

 手のひら大のハンバーグを三枚、それぞれずっしりした皿をテーブルに持ち帰り、まずは香りを楽しむ。柚子胡椒の爽やかな匂いがこんがり焼けた肉の表面から立ち上ってくる。とろりとしたソースは村の醸造所でできた醤油や味醂を使っているのだろう。いつだったか、ハナから味醂という調味料を使うと料理に旨みと甘味、そして照りが加わると聞いたことがある。てらてらとした照りは絶妙な甘さと塩辛さのバランスを想像させる。今日はそれに青唐辛子の辛みが引き締まったアクセントをつけることだろう。春大根の軟らかい汁気があれば、口の中がさっぱりして、際限なく食べられそうだ。

「いただきます」

 イツキに続いて狼も虎も手を合わせる。「あちら」の作法らしいが、よくわからない。ハナがカウンターから「よう食べり」と応えた。

 さて、どこから攻めるか。

 隣のローヴは相変わらずぶんぶん尻尾を振りながら、ハンバーグにかぶりついている。配分などまったく考えていない。そもそも細かいことは考えず、本能のままに生きている男だ。

 その向かいのイツキはといえば、もう一枚目を平らげていた。大ぶりな茶碗の飯も半減している。優雅な手つきで箸を使っているが、ただ、恐ろしい速度で前の肉の山が減っていく。

「ヘイワン、食べないんなら貰うよ」

 その細い体のどこにそれだけの肉が入っていくのか、イツキの目はヘイワンの皿を狙っていた。まずい。うかうかしているとやられる。

「俺って繊細でお上品だからさぁ、ローヴみたくがっつかないわけよ」

「え? 何?」

「おまいさんはいいから食ってろ」

 きょとんとするローヴの後頭部を掴んで自分の皿に向かわせると、狼はおとなしく食事を再開した。イツキはふーんと流して、もう二枚目をあらかた片付けている。

 虎は大きな口を開けてハンバーグを一枚、丸ごと放り込んだ。肉を噛み締める。じゅわりと広がる肉汁の旨み。予想した甘辛さのあとに鼻に抜ける柚子胡椒の香りと刺激。すかさず山盛りの大根おろしを一口。そうするとまた腹が減る。ぐごるるると喉が鳴った。

 独特の匂いがする翡翠色の蕗を口に運ぶと、唐突にああ春ももう半ばを過ぎちまったんだな、と思った。なにしろヘイワンは繊細で風流を解する虎なのだ。

 残りを五口ぐらいで終わらせて、おかわりを求めにカウンターに突進しようとした時、同時に立ち上がった三人の左手の引き戸が開いた。

「ハナさん、二人分お願いします」

 いつもニコニコしているウィルマが、笑ったままちょっと困り顔という器用な表情で入ってきた。大きな荷物を担いでいる。

「よう来たね。ウィルマ…と誰?」

 ハナは砦内の人々を声ですべて判別できるらしく、間違えたのを見たことはない。もちろん声を出さない者は「いない」と判断されるから、挨拶は大事だ。

「オルたんがここの前で行き倒れてたので運んで来ました」

 あまり体格差はないのに、生真面目なウィルマらしく丁寧な扱いで、オルコットは床に下ろされた。壁に背を凭せかけられたのはウィルマならではだろう。他の者ならそこら辺に転がしておく。

 ハナは肉を焼き始め、イツキが素早く手伝いに入った。こういうところもイツキには敵わないと思う。ヘイワンが迂闊に手を出せば大惨事になるのは目に見えている。

「ここの前ということは、おばばさまですかね?」

 ウィルマが小首をかしげた。おそらくそれは正しい。砦内に老婆は何人もいるが、力尽きた少年を無情にも放置したままなのは、「若様」以外は全部石ころな「おばばさま」ことアンヌマリーだけだ。黒装束の老婆は自分よりも遙かに長い大鎌を死神のようにふるう。「若様」のためでなければ、わざわざ練兵場まで付き合う訳はないから、ここで手短に「すませた」のだろう。

「私とやってから僅か五日でおばばさままで辿り着くとは、可愛い顔して根性ありますね」

「オルたん、誰かに勝てた?」

イツキの問いにウィルマは苦笑して首を横に振った。

「上位から順に挑戦しているようですよ。なかなか元気な子で、育て方によっては化けるかも」

 その口調から、なんとなくウィルマがオルコットを育てたがっているような気がした。それなら適任かもしれない。同じくらいの長さの剣を使うし、とにかく基本がしっかりしている。若いのに戦闘経験も豊富だ。勝機がなくとも粘りに粘ってとにかく負けない。騎士らしい騎士の戦い方を学ぶにはウィルマを師匠にするのが早道だ。

 ウィルマは平民から騎士になった叩き上げだという。男でも難しいのに女の身で、それもけして恵まれた体格ではないのに。どれほどの辛酸を舐めてきたことだろう。

「ウィルマ、できたばい。おかわり組はもちょっと待ちよ」

 ハナに呼ばれてウィルマはやはり笑顔でカウンターに向かった。献立を聞いて小さく歓声をあげる。ハナは二人分の皿を置きながら、すこし気遣わしげに尋ねた。

「オルたん、ズタボロニなっちょるんよね? ハンバーグみたいな重たいもん食べられると? 何か消化にいいもん作ろうか?」

「大丈夫ですよ。吐いても食べさせます。甘やかすと死ぬのが早くなりますからね」

 ウィルマはますます笑みを深くして首を振った。ハナはそれ以上何も言わず残りの肉を焼き始めた。

 あ、こりゃ本気で弟子にするつもりだな。ヘイワンは悟った。さて、オルコットはウィルマの指導についていけるだろうか。

「ウィルマちゃん、オルたんかわいがるならあたしも時々まぜて」

「イツキちゃんはオルたん壊しちゃうから当分お預け」

 ひょこんと顔を出したイツキにウィルマは再び首をふってみせ、今度は声をたてて笑った。ちぇーとふくれたイツキも笑い出した。

「俺もまざりたい」

 ローヴが羨ましそうに呟いた。ヘイワンにはまったく同意できない。

「あんなおっかねえお嬢さんたちによくもまあ…おまいさん勇者だねえ」


 おっかねえとは何だ、とイツキが眉をつり上げたが、ヘイワンの意見は変わらない。

「ではローヴさんに質問です。あなたは夜道でいきなりイツキさん、ウィルマさんに出くわしました。さて、どうしますか?」

「逃げる」

 間髪入れずにローヴは答えた。ヘイワンは腹を抱えて笑う。なんだ、おまえも怖いんじゃないか。

 ハナもつられて笑っていた。

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