三、だんご汁に問う己の存在意義②
「くっそー! 負けたっっ!」
二人目の最上位者、ヘイワンに転がされ、槍の石突きでボコボコに殴られたオルコットは、ゴロリと練兵場の中央に大の字になった。一人目のローヴには既に三回瞬殺された。俊敏さには自信があったのだが、狼の剣筋はまったく見えず、一合も打ち合うことなく剣をはね飛ばされた。立ち合いの前も後もほとんど表情を変えなかったローヴは、ただ一言「遅い」と言って、短槍を携えたヘイワンにその場を譲った。あっさり終わった狼に対して虎はオルコットをいなし、挑発し、まるでどこまで動けるか試しているかのように斬りかかるオルコットの短めの剣を躱しながら「ほらそこ隙あるよん」と槍の柄の方でさんざんにあしらった。痣だらけになった体は、汗と泥と疲労にまみれてもう指一本動かせない。
「まあ、体格差をスピードでカバーしようって発想は間違ってないよねえ。ただ、動きに無駄ありすぎ。狼人や虎人の反射速度舐めてもらっちゃこまる」
「獣人、が騎士に、なって、るなんて」
「思わなかったか? 北の奴らは獣人を頭の足りない生き物だと思ってるからなあ。ま、オルたんは順応早くていいよ」
苦しい息の下でオルコットは実家にいた犬人の雑役奴隷や他の貴族の館で見た猫人や兎人の愛玩奴隷を思い出す。同じ奴隷でも、人間の方が立場は上だった。
「こっち、では、違う、んだろ? きの、う聞いた」
「聞いただけで納得して、対応できるんだからたいしたもんさ。俺らから挑戦始めるなんざ、見所あるねえ」
吠えるように虎は笑い、狼は「うむ」と重々しくうなずいた。
「やっぱ若いと頭柔いなあ。で、どうすんの? まだやる?」
とんとんと短槍で肩を叩くヘイワンにオルコットはうめいた。
「足が立たねえ」
「そか。んじゃちょっと脇に寄せといてやろーな。今からここはじじいの遊び場だ」
ほいさっと虎に片手でつまみ上げられ練兵場の隅に運ばれていくとき、入ってくるヘムレンと小柄な白髪の老人が見えた。
「あちら」の老人はヘムレンよりずっと年嵩のようだ。実際に幾つなのかまったくわからない。にこやかにヘムレンと談笑している姿はまるで久々に息子とお出かけするおじいちゃんのように見える。
最上位者、エイキチ。
オルコットよりさらに小さな体躯は昨日、女騎士ウィルマと「あちら」のふくふくした優しそうなツユコおばさんの膝を交互に枕にしながら、「次はシイタケ食いたい」「はい、あーん」と一口ずつ食べさせてもらっていた。潰れていたはずのヘムレンがむくりと起き上がり、「ずるい」と喚くのを後頭部への手刀一発で黙らせたのはオルコットが来るまで砦の最年少だったイツキという娘だった。
「師匠、肉も食べないとだめだよ」
「イっちゃんが食わせてくれたら食う」
「甘えん坊だねえ」とイツキは笑い、ウィルマの膝で口を開けるエイキチに、丸焼き鶏のパリパリした皮と軟らかくほぐした肉を食わせてやっていた。優しげな手つきと綺麗な横顔が妙に心に引っかかった。
いいなあ…って、そうじゃなくって!
うっかり回想の海に沈みそうになったオルコットはぶんぶんと頭を振って意識を練兵場の中央で向かい合う二人に集中する。
「では、始めますかな」
ヘムレンの声に隣のローヴとヘイワンの耳がピンと立った。
☆
賄いのキッチンには、いつものハナに加え、ヘムレンと立ち合いを終えたばかりのイツキがいる。すらりとした長身はハナより頭一つ高い。
「イツキちゃん、後で筍天ぷらしちゃらんね。ヘイワンが山ほど持って来てくれたと。あく抜きはしとるけん」
「いいよ。ヘイワン、いつもすまないね」
こちらにちらりと笑顔を見せるイツキは、まだ二十になったばかりだという「あちら」特有の絹地のように肌理の細かい白い肌に癖のない真っ直ぐな黒髪。切れ長の目は涼やかだが、とても若い娘とは思えない鋭さがある。ローヴが言うには、「エイキチの1番弟子」だそうだが、エイキチは「あーもー、イっちゃんには敵わん敵わん」とヘムレンとの立ち合いの後、勝負を望んだイツキにひらひらと手を振ってみせた。その上でヘムレンとイツキ、二人の立ち合いを見たいと望んだのだ。
「今日は楽しかったねえ」
太く喉を鳴らしながらヘイワンが言った。ローヴも静かに笑っている。
そりゃあんたたちは楽しかったろうさ。オルコットはテーブルに突っ伏したまま唇を噛んだ。油断していると涙が零れてきそうだ。せめてそれくらい我慢したい。
悔しい悔しい悔しい。俺はどうしてこんなにダメダメなんだ。まともに勝負もしてもらえなかった。
「オルたんの相手してもつまんなそうだし。それならヘムさんともう一回やりたいな」
ヘムレンとの立ち合いの後、よろよろと立ち上がって挑もうとしたオルコットを、イツキはあっさりと断った。屈辱に俯くオルコットの頭をローヴがクシャリとなでた。
「出直せ」
端的かつ正確な助言に、オルコットは再び地面に崩れ落ちた。それからヘイワンやローヴがイツキ、ヘムレンと実に楽しそうに仕合うのを練兵場の柵に寄りかかってぼんやりと見ていた。
俺はどうしたらいいんだろう?
自問するオルコットの顔の前に、コトリと器が置かれる。がばっと身を起こすと、すぐ近くにイツキの顔があって二度驚いた。
「サービスだよ。いっぱい食べて明日もがんばりな」
身を翻すイツキを呆然と見送ったオルコットは、勢いよく目の前の汁物を食べ始める。色々な野菜と豚肉。それに白く幅のある麺。朝食に食べた茶色いスープで煮込まれ、風味のよい、優しい味がする。
「ハナさん、これ何?」
ヘイワンの質問にハナは微笑んだ。
「団子汁ばい。消化がよくていくらでも食べられると。御飯が欲しかったら筍ご飯あるとよ」
「食べる」
そうだ、今は食べよう。食べて力をつけてまた明日からやるぞ。
猛然と筍ご飯をかき込み始めたオルコットを横目で見て、ヘイワンが「若いねえ」と笑った。