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話の64:夢覚めて(+5)

「おいおい、勇魚。こんな奴の肩持つ必要なんてないんだぜ?」


 メルルはエリッ君に聞こえる声で、これみよがしに言ってのける。

 彼へのゾンザイな扱いが、顕著に感じられる言葉だ。でも彼女の顔は悪意に染まっている訳でもないし、八つ当たりで厳しく言っている訳でもない。ただ本当に、自分の専属整備士をどうでもいいと思っているだけ。

 だからこそ大問題なんだけど。


「うぅぅ」


 メルルの気遣い皆無な言い様に、エリッ君は目を伏せてしまう。

 毎日毎日、変わり映えしない同じ扱いを受け続けていても、けして馴れるものじゃない。それが自分をチリ紙程度にしか考えていない物言いなら、尚の事。

 元々のひ弱さも相まって、項垂れる彼は雨曝あまざらしの子犬みたい。なんだ放っておけない気にさせられる。思わず救いの手を差し伸べたくなるわ。


「何言ってるの。年下の子をイジメるなんて、格好悪いわよ」

「弱っちい奴にかまけて、ヘマする方がよっぽどカッコワリィっての」

「あのねぇ……」


 悪びれもしないメルルに注意を促すも、効果の程は薄い。

 何事も勝つか負けるかで判断する彼女にとって、勝利の要素が見られないものは、大概無価値らしいから。彼女にとって重要なのは勝敗の如何いかんで、人としての矜持云々は持ち合わせていない。お陰で道徳的正論を説いても通用しないし。

 結果、エリッ君はメルルとコンビを組んでからずっと、小馬鹿にされ続けるという不当な扱いを受けてきた訳だ。

 流石にこれは私でなくても憐れに思うわよね。


「まぁいいさ。テメェ等はイジメられっこ同士、よろしくやってんだな」


 問答に飽きたとでも言わんばかりに、メルルは嘲りを口許に刻んで歩き出す。

 私の隣を抜けて、私が辿って来た方向へと通路を進み始めた。エリッ君の要請通り、格納庫へ向かうんでしょう。何だかんだ言っても、彼女にとってCODの準備は最優先事項だしね。捨て台詞は気に入らないけど、そこは大目にみましょうか。

 見ればエリッ君も安堵の表情を浮かべている。奔放なメルルの事だから、また何処かに行ってしまうんじゃないかと不安がってたみたい。取り合えず、当所の目的が達成されて良かったわね。


「あの、勇魚さん」


 エレベーターへ向かうメルルを見送っていたら、不意にエリッ君が話しかけてきた。

 声の方へ視線を遣ると、照れ笑いを浮かべる少年整備士と目が合う。私の顔を認めるや、彼は律儀に頭を下げてきた。


「さっきは、その、有り難う御座いました」


 礼儀正しく折られた上体に合わせて、長い黒髪が揺れる。

 男の子のものだとは思えないほど綺麗な髪を優雅に舞わせ、エリッ君は素直な感謝を口にした。曲げた腰を元に戻して再び上げられた顔は、頬が少しだけ赤められ、気恥ずかしそうな笑みが浮かべられている。

 パートナーとは対照的に、彼はとても礼儀正しい。それがまた、2人の対象さを際立たせていた。


「お礼なんていいのよ」


 私も彼へと微笑み返し、顔の前で小さく手を振る。

 言葉通り、わざわざお礼を言われる程の事じゃないし。そもそも目の前でエリッ君みたいなか弱そうな男の子が、メルルみたいなチンピラ風の相手に絡まれてたら、誰だって助けようとするでしょう。放っておいても良心の呵責に苛まれるし、虐めの現場なんて目撃したくないものね。


「えっと、それでも。メルルはあんな性格だから、皆が皆、勇魚さんみたいに意見出来る訳じゃないから」


 少しだけ困ったような顔で、エリッ君は力なく笑う。

 どことなく諦めが見える、溜息が聞こえてきそうな顔だ。

 確かに、メルルの事だから下手な注意をしたら憤慨しそうだけど。でもそれはそれでまた対処すればいいし。私は目の前で喧嘩(一方的な)をされるより、それを止めて当事者から恨み節の1つでも貰う方が気楽だわ。

 皆は違うのかしら?


「そう? メルルだって性根が腐ってる訳でなし、話せば判ってくれる……ことは無いかもしれないけど、状況を変えるぐらいにはなるから。私は見過ごせないな」

「ふわわわ、やっぱり勇魚さんは凄いです。その強さ、憧れちゃいます」

「え、えぇ? ちょっとエリッ君、そんな大袈裟な」


 何を思ったのか、少年は両の瞳を輝かせる。

 その中に明確な尊敬の色が灯され、真っ直ぐ私へ注がれてきた。これには私も驚いてしまう。

 いったい何に感銘を受けたのか。こんな風に見詰められるのは慣れてないから、ちょっと居心地悪いかな。恥ずかしいというか、なんというか。

 意識せずとも、顔の温度が上がってくる気がした。若干、動悸も速まっている。彼の眼差しが、私の心に動揺を呼んだのは間違いない。だからって頭ごなしに止めろとも言えないし……うぅ、やっぱり落ち着かない。


「大袈裟なんて事は無いです。ボク、ずっと勇魚さんは凄いなって思ってたんです」


 尚も瞳を煌かせて、エリッ君は興奮気味に語る。

 先刻メルルに脅されていた時とは対照的に、言葉へは強い熱意が感じられた。急な変化に、私の方が驚いてしまう程だ。

 流石に何に関しても受身なままじゃないのね。やっぱり男の子だ、彼にも熱くなれる物があったみたい。それが私へ向けられるとは、思ってもなかったけど。


「勇魚さんもそうだし、赤巴さんも。ボクにとって2人は目標なんです」

「赤巴君も?」

「はい」


 両の拳を硬く握り、エリッ君はしっかりと頷く。

 少年の瞳が見せる輝きは、本心の吐露を私へ教えた。彼はおべっかで言ってるんじゃなく、本気で私達を目指すべき存在として見ているようだ。面と向かってこう言われると、こそばゆくて仕方ない。


「赤巴さんは整備士として、とっても尊敬してます。あんなに若いのに、CODの知識は誰よりも深い。技術者としても一流だし」


 そう言うエリッ君の顔は、木の陰から先輩を覗き見て、胸ときめかせる女の子のよう。

 正に恋する乙女の目だ。本気さは物凄く伝わってくるんだけど、なんだか行き過ぎちゃってるような……

 やっぱり同じ整備士としての視線で見ても、赤巴君は優秀に映るみたいね。私達パイロットは機体の操縦が出来ても、中身の事はあんまり詳しくないから。漠然と『凄いんだな〜』って風にしか感じないけど。でも同職の人なら、何がどう凄いのかよく判るんでしょう。エリッ君の表情から読み取れるわ。

 幾ら性格が悪くても、人間的に疑問符を大量に浮かべねばならないとしても、才覚とは別問題だものね。


「それに堂々としてて、男らしいし。顔は女の人みたいなのに、それを感じさせないのが、その、素敵です」


 声量が落ち、視線も伏せて、少年の挙動が急に変わる。

 1つに握り合わされた両手が、腰の辺りまで垂れてるし。足の先で通路の床に『の』の字まで書き始めた。時々上目遣いにこっちを見てはすぐに逸らすから、どんな顔をしてるのかと思うけど、俯き加減の顔は前髪に隠れて見え難くなってる。

 非常にモジモジしてる様子だ。恥らう乙女そのままに。

 て、いやいや。それはマズイでしょ。色々とね、ほら。だって彼は、あんな性格だし。メルルと同属性よ? きっとエリッ君の事も虐めるわ。スパナで叩くかもしれない。オイルをわざと掛けくるかも……問題はそういう事じゃないか。


「ボク、ボク……赤巴さんの事、憧れてて、だから……」


 両手十指を絡め合わせて、途切れ途切れに呟く少年。

 色白で華奢な体を丸めるようにして懸命に吐き出される声は、私に向けての憧れ宣告時とは別の意味で熱っぽい。

 エリッ君には悪いんだけど、ちょっとアレな感情を連想してしまう。どう考えても、非真っ当な気がチラホラ。

 男か女か判らないような顔してても、君はれっきとした男の子なのよ。それなのによりによって、同じ男に思慕の念を抱くだなんて。間違ってるわ。君は今、自分の歩むべき道を誤ろうとしてる。まだ間に合うから、そんな想いは捨てなさい。忘れなさい。悪い事は言わない。それが君自身の為なんだから。


「あ! そ、そろそろ行かないと。またメルルに怒られちゃう」


 胸中の思いを結局口に出来ないまま、生温い微妙な視線を注ぐ私に気付いたのだろうか。エリッ君は急に顔を上げて、慌てたような早口で話を進める。

 メルルが格納庫に向かったのは事実だし、彼女の事だから遅くなると絶対にまたエリッ君を虐めるでしょうから、彼の言葉は間違っていない。逃走用の言い訳に聞こえなくも無いけど。


「それじゃ、ボクはこれで」

「あぁ、うん。頑張ってね」


 軽く頭を下げて、エリッ君は足早に歩き出す。

 健気な少年整備士は頬を少し赤く染めながら、私の脇を通り過ぎていった。通廊には彼の足音が響き、徐々に遠退いていくのが判る。

 わざわざ振り返って見送る事もないかな。あの子の心中としては、出来るだけ早く私の視界から逃げたいだろうし。思わず漏らしてしまった本音に、少々バツが悪そうだったものね。

 離れていく足音を耳に受け、私は彼等の反対方向へ向けて歩みを再開した。

 彼の今後に一抹の不安を覚えつつ。

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