話の62:夢覚めて(+3)
格納庫東端に設置されているエレベーターを使い、同フロアを後にする。昇降装置によって2エリア分を越えて、私が辿り着いたのは艦内第2層区。最上層である第1層区の階下部であり、乗組員の居住空間となっている場所だ。
エレベーターを降りると、高い天井に、道幅の広い廊下が出迎える。正面に長く続く通廊は凝った意匠のない質素な造りだけれど、それ故に無駄がなく、極めて機能的な形容を示した。
格納庫に比べれば幾分か光量の落とされた淡いライトに照らされ、所々に置かれた観葉植物が清涼感を優しく付与してくれる。清掃マシンが定期的に巡回しているので、壁や床に傷・汚れ等は見られない。ゴミも1つとして落ちていない清潔な空間であり、通行者の気分を害する要因は皆無。
私はその廊下へと歩を踏み出し、通い慣れた道を目的地目指して進む。ささくれ立った心をそのまま表すような足音は、普段以上の大きさだった。
兵器開発企業として最大手であったクリシナーデエンタープライズ。その最後にして最高の逸品がCosmo Dragoonならば、私達が現在乗っている艦は、最大にして最上の快作と言える。
広大な宇宙空間を単独で渡り行き、敵対勢力の戦闘艦団を撃滅する為の強大な戦闘力を誇る大型先鋭艦。内部には基本居住区を始め、展望台やパークエリア、人工海岸といった各種設備が併設され、500人からなる全乗員の生活空間を形成・維持している。
全長850m、全幅275m、全高397mに及ぶそれが、CODの母艦としても機能する恒星間航行大域攻略機動戦艦エクセリオン。
今やクリシナーデエンタープライズ唯一の拠点であり、残された最後の戦力であり、私達の寄る辺でもあり、住まう世界。
巨大な艦は大きく分けて全5層構造から成っている。
最下層に当たる艦底部へ存在するのは、日夜整備員達が働き続けるCODの格納庫。そしてエクセリオンの全エネルギーを賄う動力炉だ。英知の柩の大規模結晶を核としてエンジン機関に繋ぐ事で、艦の全運行機能を支える膨大なエネルギーを生成する心臓部。
4層目には艦内環境を整える為の再生装置(生ゴミや生活ゴミを分解して新たな素材に変えるリサイクルマシン)、浄化システム、メイン空調設備、重力制御区等、生命維持機構を統括管理する全てが置かれている。酸素や水や食物、多々日用雑貨に趣味その他の娯楽用品まで、文化人の生活に凡そ必要な物々を幅広く生産するプラント工区も此処に在り、エクセリオン乗組員500余名の生命線を司る重要な設備群が連なる要所だ。
3層目と2層目にあるのは居住区。各乗員に割り当てられた個室を始め、公共食堂や銭湯、トレーニングジムからショッピングモール、映画館にアミューズメント施設等、乗組員の為に設けられた娯楽施設の数々が並ぶ。特に2層目には人工海岸に代表されるような大型の保養設備が作られ、皆の憩いの地として人気を博しているわ。
宇宙船の中という閉ざされた空間内では、どうしても閉塞感が付き纏うもの。それが乗組員のストレスとなり、当人も気付かないまま身心を蝕まれていくという事も少なくない。そんな状態では正常な艦の運行にも支障をきたす恐れがある。だからこその対策措置として、各員のフラストレーションを可能な限り軽減する目的から、レジャー設備が充実してるのね。
最後は艦のメインコントロールルームが置かれた最上層。エクセリオンの全てを取り仕切る艦橋区に、艦長や上級オペレーターに宛がわれた高級士官用専用個室、他にも一般開放されている展望台や広々としたパークエリアがある。
長大なエクセリオンは、1つの閉じた世界も同じ。人が生きる為に必要な何物をも備え、必要ならば自ら生み出して、幾百の命を抱えたまま定まらない航路を進む。たった1つの目的に向かい、皆が協力して生きている、此処はそんな世界だ。閉鎖された、艦の中の世界。それは夢の中で視た、延々と続く果てし無い階層構造型の世界と似ている気もする。
変化に乏しい通路を進む私は、胸中穏やかでない。
理由は単純にして明快。専属整備士である赤巴君とのやりとりが尾を引いている為。彼の横柄で自分勝手な態度が物言いが、私の心を散々に掻き乱し、冷静さや落ち着きを奪い去っていた。
優しさの『や』の字もない言い様、自分本位な考え方、最後に見せた不敵な表情、思い出すだけでも腹が立ってくる。
確かに彼は優秀だ。CODに関しては他メカニック以上の知識を持っているし、作業速度も正確さも機能の向上具合も頭1つ飛び抜けている。彼が整備士を務める私のネメシスは、全COD中でも最高の性能を誇っていると言われるし、事実、撃墜数は最も多い。彼は充分過ぎるほど職務を全うし、その成果を確固とした形で残しているわ。誰に後ろ指を指される事もないし、賞賛や尊敬や羨望を集めている。それに関しては反論の余地がない。
でも技能の高さや有能さを別として、彼個人の性格を取り上げれば、言いたい事は山のように出てくるのよ。それこそ、一晩中語り明かせるぐらいにね。勿論、人間は誰だって欠点ばかりじゃない。いい所だってちゃんとある。でも彼の場合、それを帳消しにしてしまうぐらい問題点が多いから。
せめてもう少しだけ、気遣いを持ってくれればいいんだけど。
「なにシケた面してんだよ」
突然、正面から声が掛かった。予期せぬ問い掛けに対して、私は反射的に歩を止める。
また考え事をしていた所為で、人の接近に気付けなかったらしい。内面に没入させていた意識を切り替えて、対面へ焦点を合わす。そこには、銀の髪を短く揃える1人の女性が立っていた。
私よりも背が高い。身長は170と少しぐらいだろう。年齢は20代前半といったところ。
獲物を狙う猛禽類のような鋭い目と、気の強そうな顔、纏う雰囲気は揃って攻撃的な印象を受ける。顔の真ん中へ右目下から左頬まで大きな傷痕が走り、彼女の只者でなさをより強調していた。
服装は赤いチューブトップにデニム地のホットパンツという軽装。その上へ黒の細線で縁取られた白地のハーフコートを着ている。コートの方は前面を開いていて、羽織っているだけという感じだ。ちなみに、あのハーフコートはクリシナーデエンタープライズの正式制服で、右胸部分に同社のエンブレムが刻まれている。エクセリオン乗組員の大多数が着用していて、私も例には漏れない。
袖や裾のない着衣から露出している四肢は引き締まった筋肉を持ち、彼女がどういうタイプの人間かを如実に物語っていた。
「……別に、なんでもないわ」
真正面に立ち、怪訝そうにこちらを見ている相手へ、私は短く応じる。
今の状態で人と話す気にはなれない。そんな思いが表れ出たように、素っ気無い口調となってしまった。
「んだよ、ツれねぇなぁ」
彼女が目が僅かに険しくなる。
私の拒絶姿勢が逆鱗に触れたらしい。見た目を裏切らない気の短さだ。激し易い性格は、彼女の致命的な欠点だと思う。だからといって注意しても、聞き入れるような人じゃないんだけど。
そう、私は彼女の人となりを知っている。隅々まで完璧に、とは到底言えないけれど、それなりに付き合いは長いから大体なら判るつもり。
彼女も私と同じでCODのパイロットだから。名前はメルル・オーコストー。搭乗機体はCosmo Dragoon2番機『ラビュリンス』。翼色は銀で、彼女の性格を反映したような突撃型。
「悪いわね、今はそういう気分じゃないの」
「大方、赤巴の野郎と喧嘩でもしたんだろ」
彼女との会話を断って先へ行こうとする私へ、低まった声がストレートに打ち込まれる。
その一言は、動くつもりだった私の体を硬直させた。意表を突いて核心に触れてきた相手の言葉は、胸中に驚愕の茨を茂らせ、私を固めてしまう。その結果、脚を床面に接させた状態のまま、私は身動きが取れなくなった。
辛うじて自由の利く目だけを向けると、挑むような視線を突き込んでくる相手の顔に、底意地の悪い笑みが見える。
「ビンゴ、みてぇだな」
彼女は満足気な吐息の先で、これ見よがしに唇を歪める。
悪意的な微笑を瞳に映して、私はすぐに返事が出来ない。口の中が急激に乾いていくのを自覚する一方、掌には冷たい汗が滲んできた。
私の抱える爆弾を直接刺激するような指摘が、最初から騒ぎ立てていた心を更に乱す。それに何とか耐えながら、私は相対者を見詰めて喉を微かに震わせた。
「なんで、判ったの?」
「あ? 決まってんだろが。テメェがそんな顔しる時ゃよ、大方あの野郎と一悶着あった後だからな」
こちらの内情を容易く看破してきた相手へ、必死の思いで投げた問い。
胸中を占める驚きの最中、一言を零すのさえ大変な労力を費やす私とは対照的に、彼女は饒舌と言える滑らかさで返してくる。しかも随分と簡単な、お粗末至極な見破り方を。
どうも自分では気付かないまま、私の精神的浮き沈みはパターン化してしまっているらしい。見るからに短絡的な思考回路だろう彼女にさえ、それと判ってしまう程に。
「そ、そんなに判り易い?」
「そりゃーもぉ」
「嘘……」
「マジだっての」
知らぬは己ばかりという現実に、私は項垂れる。
最寄の壁に片手を付けて我が身を支えないと、足元がふらついてしまう程。
つまりは今の今まで私の様子で、私と赤巴君の仲違い状況は皆に知れ渡っていたという事じゃない。どうして誰も言ってくれないの。いや、言い難い事だとは思うけど。でも、だけど……
あの時も、あの時も、あの時だって、私が会った皆には何があったかバレてた? うぅ、そう思うと恥ずかしくなってくる。穴があったら入りたい気分だわ。
「ま、隠すだけ無駄だっての。悩みがあんなら言ってみろや、溜め込まずによぉ。吐き出すだけで、ちったぁ気ぃ晴れるもんだぜ?」
それは思いもかけない申し出だった。
まさか彼女が、自分から誰かの相談事に乗ろうとするなんて。さっき以上の衝撃と驚きが去来して、私は思わずメルルの顔へ見入ってしまう。
「あんだよ」
言葉を失くして茫然と注視する私に、彼女は片眉を上げる。
元来、人に見詰められる事を嫌う彼女は、早くも気分を害した様子で語気を強めた。
なんでも、人の視線は自分をガンつけているようにしか感じないらしい。どれだけ殺伐とした環境で育ったのやら。
「メルルがそんなこと言うなんて思ってなかったから、つい。……なにか、悪い物でも食べた?」
気を取り直して、頭に浮かんだ言葉を直接に口に出す。
推敲委細排除の直球なのに、言ってから気付いた。それぐらいビックリしていたから。
「どういう意味だコラ!」
当然というか何というか、メルルは噴気を露に怒鳴り上げる。
ただでさえ鋭い両眼は目尻が更に吊り上り、より一層の恐相となって私を睨んできた。
言葉を選ばなかった私にも落ち度はあると思うけど、その原因も少しは考えて欲しい。申し訳気持ちと同時に、妥当な意見だったと思う自分がいるし。
「あ、ごめん。でもやっぱり意外だわ」
「オレが他人の心配しちゃ悪ぃってのかよ」
「ううん、そんな事ないけど……なんていうか、キャラが違う?」
またまたうっかり言ってしまった。率直な感想をそのままで。
私の言葉にメルルの瞳が燐光を宿す。しまったと思っても、時既に遅し。吐き出した言葉を回収出来る筈もなく、彼女の耳は一字一句余さず拾い上げしまった様子。
これは再び怒号の1つでも飛んでくるかと、私は内心で覚悟を固めた。けれど。
「チッ。オレだって似合わねぇとは思ってんだよ」
予想に反して、彼女は頭を掻きつつ顔を逸らす。
恫喝紛いの激声を叩き付ける事も無く、舌打ちを鳴らして明後日の方向を見るだけ。そんな彼女の態度は、またしてもこちらの意表を突くものだった。
こうまで意外な事が続くと、正直どう言えばいいのか判らなくなってくる。まさか私に気を遣ってくれているんだろうか? それ程までに私は落ち込んで見えたの? それはそれでショックだわ。
「だがな、もし今、敵を見付けて戦闘になったらどうだ」
「どうって……」
「今のテメェなんざ話にもならねぇ、そうなりゃ撃墜数No.1はオレのモンだ」
急にこちらへ顔を向け直すと、メルルは真剣な目で私を見てくる。
相手の発言に対して言い返そうとしたけれど、彼女の鈍く輝く瞳に当てられた瞬間、私は言うべき言葉を飲み込んだ。半端な反論など許さない、彼女の双眸は言外にそう告げている。強く激しい迫力が、対面者の両瞳には満ちていた。
「でもオレはな、腑抜けたテメェに勝ったってちっとも嬉しかねぇんだよ。オレは万全な状態のテメェを、オレ自身の実力で越えてぇのさ。その為にゃ、テメェにグラついてて貰っちゃ困んだよ」
真っ直ぐに私を見て、私の目を見詰めて、同僚のパイロットは確固とした口調で結ぶ。
虚偽のない本心の発露。自分勝手と言えるけれど、強固な覚悟と決意、成し遂げようとする意志と意地が込められた言葉。それは私の胸へ迷わず届き、強靭な魂の在り様を伝えてくる。
これへ対すべき言葉は、見付からない。
「よぉ勇魚、そんな訳だ。腹ん中に抱えてるモン、全部吐き出しちまいな。他でもねぇ、オレの為に」
口の端を引き上げて、メルルは笑う。
雄々しい気迫と豪胆さ、他に比類なき意志力を秘めた不遜の顔。私を越えんと宣言した、それが誠である事を証明するような。