話の60:夢覚めて(+1)
夢を見た。
『私』の夢を。
夢の中で、私は『私』だった。
見た事もない世界で、『私』は女神を捜しながら長い時間旅していた。アクトレアと何度も戦い、傷付く度に甦って、その都度少しずつ今の自分ではなくなっていた。『私』はそれに恐怖を覚えていたけれど、でも旅を止めようとはしなかった。『私』は女神を捜すという使命感に突き動かされて、延々と歩き続けていた。
そんな『私』は旅の途中で2人の男女に出会い、彼等と行動を共にした。広大な世界を下りる為の装置、誰が作ったとも知れない巨大なエレベーターに乗り合わせたから。私は『私』だけでなく、その男女にもなっていた。彼等の目で耳で世界を感じ、彼等の思考を知って心を知った。あれはまるで彼等の中に私が入り込んで、内側から彼等の在り様を眺めているようだった。
不思議な夢。
何故あんな夢を見たのだろうか。
『起動中に気を抜くな。集中力が乱れてるぞ』
内蔵通信端末から、苛立たしげな声が流れてくる。
それを聞いて、私は我に返った。物思いに耽って、ボーっとしていたらしい。
「ごめん。少し、考え事してた」
不満さを隠さない声へと謝罪をしながら、目を開ける。
網膜に映るのは、人一人収まるので限界という手狭な空間。私の正面や側面に浮かび上がる立体映像式画面から発せられる光が、その全体を淡く照らし出していた。
仄かな光に晒されて全容を現す各種の設備機材達。私は首を巡らして、それら1つずつを改めて視界へ取り入れていく。
柔らかなシートで私を受け止めている座席。両サイドに設けられた肘掛の先、両手を差し込むソケット内へ作られた握搾式操縦桿。座席の周囲を巡るように囲む半円形の環と、その内側で明滅するオペレーティングシステムの起動光。足回りから壁面までを覆う無機的な装置群。それより伸び出て別所へ繋がる、太さも長さもまちまちの多量な配線。
私を包む物達は隙間無く密集し、一個の完結した世界のよう。けれど、不自然な程に圧迫感はない。
このコックピット内に入ると、パイロットの脳波と心拍数は落ち着きを取り戻す、というデータがある。身体を包み込まれる事による安心感が、搭乗者の身心へ影響を与えるのだとか。どの様な状況にあってもパイロットが具える能力を十全に引き出せるよう、この機体は設計されているらしい。
私自身がそれを体感しているのだから、間違いないと思う。
『余計な事を考えるなと何時も言ってるだろ』
刺々しい声が耳朶を打つ。
優しさと柔らかさの欠落したキツイ口調。外で私の状態をチェックしている彼は、専属整備士だから特別に遠慮を欠いている訳じゃない。誰に対してもそうだ。歯に衣着せぬ物言いで、言いたい事を、言いたい時に、言いたい相手へ、言いたいだけ言う。随分といい性格をしている。
相手が何者であれ分け隔てなく胸中の思いを吐き付ける彼は、ある意味で非差別を貫く平等な男だと言えなくもない。尤も、本音を隠さずキッパリと言い過ぎる所為で、他者からの心証を著しく損なっている場合もあるけど。
「判ってるわよ。今のは私が悪かったから」
緩む気配が一向に無い相手の語調に対して、私は反発せずに謝り続ける。
彼の忠告を無視して他事を考えていたのは事実。これが実戦なら、あの数秒は命取りになっていたかもしれない。それぐらい致命的で決定的なミスだから。
彼の厳しさはそれを指摘しての事。ここで『なによ!』なんて激昂するのは御門違い。自分の過ちを素直に認めて、素直に反省するのが妥当にして最善だわ。それに彼と口喧嘩しても勝てる気がしないし。
『悪いで済む問題だと思ってるのか? さっきα波が出てたぞ』
尚も咎めを突き付ける姿無き声。
その様子を探ろうにも私の周囲へ浮かぶモニターには、外部の様子が映されていない。
三次元座標検出システムによって作り出された映像ディスプレイに表示されるのは、現在の機体情報を教えるメッセージだけ。それらは自動的に現れ、随時書き換えられていく。機体の自己管理・運用を任すべく実装されている自己推論型理論機構搭載アシンクロニアス・ニューロコンピューターが、各システムの調整と最適化を行っている為だ。
だから彼の表情や姿を確認出来ない。まぁ、例え見れたとしても、何時もの如くこちらを睨んでいるんだろうけど。
でも1つだけ待って欲しい。そもそもリラックスした時に生じるα波が出るのは、機体の仕様上無理のない事だと言える。確かに気を抜いていた私が悪いんだけど、そこだけは抗議すべき点じゃないかしら。
いいえ、寧ろするべきね。間違いは間違いとして指摘しないと。何だかんだで言われる一方はストレス溜まるし、精神衛生上よろしくないし。ちょっとした仕返しの意味も込めて。
「それは……」
『そっちの事を常にモニタリングしてると知ってるだろ。波形パターンの数値が平時を下回っていた。本来ありえない所までね』
言い返そうとした私の言葉を遮って、我がメカニック殿は反論出来かねる事実を告げてくる。
先んじて打ち込まれた相手の言及は、私の口を噤ませるに充分な効力があった。観測側の物的証拠に基く発言と、私自身の心当たり。以上の合わせ技によって、悲しいかな私の反撃は永久に封じられた訳だ。
彼がわざわざ判りきった状態情報を報せてきたのは、その裏にある問題を暗に示す為らしい。
というか、バレてる?
『で、何か言う事があるんじゃないか』
「え、えぇっと……」
ジト目で睨んでくるような相手の声へ、私は思わず視線を彷徨わせてしまう。
狭苦しいコックピット内を目だけでグルリと見回し、バツの悪さから逃れようと無駄な抵抗を試みてしまう。無論、それで事態が解決する筈も、彼が引き下がる事もありはしないのだけど。
救いの得られぬまま、私の鼓膜を新たな一言が刺激した。
『正直に白状した方がいいと思うけどね。本当に悪いと思ってるなら、だけど』
「う、うぅ……」
痛い所を突いてくる。
踏ん切りのつかない私へ、情け容赦ない追い打ち。こちらの負い目を刺激し的確に自白へと誘導する遣り様は、安易な抗いを許さない強制力を秘めている。
特に最後の部分へアクセントを置き、失われた精神的拮抗を更に揺さぶる手なんかは、正直やられる側にとっては堪らない。いっそ洗い浚い全てを暴露してしまった方が、スッキリしそうな気さえしてきた。
そうは言いながらも、実際それしか選択肢は無いんだけど。
『知ってると思うけど、僕は気が短いぞ』
「お、怒らない?」
『…………』
「そこで黙らないでよ!」
既に激しく不機嫌な彼へ、怒らないか訊ねるのも変な話だけど。
相手の姿は見えないけど、今までの経験上大凡の様子は想像出来る。だから予想するのは思いの他に簡単で。それが余計に私の決心を鈍らせた。
こと機体関連に於いては専属整備士に隠し事は厳禁。パイロットとメカニックは常に互いの状態を理解し合わないと、いざという時に満足な働きが出来ないから。それは判ってる。私には自分の在り様を教え知らせる義務があり、彼にはそれを聞いて知る権利があると。
信頼関係の維持という観点からも、情報の開示は必要だわ。そうよね。
「あのね。実はその……ちょっと、ほんのちょっとだけ、寝てたみたい、なんだ」
『寝てた?』
「うん、まぁ。白昼夢っていうのかな、それを少し、見てたというか」
覚悟を決めて私は話した。
知らない間に見ていた奇妙な夢について。内容までは言わないけど、見ていたという事実を。流石にちょっと気まずい。
時間にしては僅かなもの。夢の中では相当な体感時間があったけれど、実際には数秒程度。特にこれといった操作ミスをした訳でもない。搭載AIのシステムチェック中に起こった夢見で、余所に迷惑を掛けた訳でも、目立った弊害が生じた訳でもない。それは幸いだったと思う。
なんにせよ、専属整備士の彼としては容認出来ないか。私だって反省してる。寝たくて寝た訳じゃないんだけど、簡単な起動試験だから気を抜いてた所為かもしれないし。
『……今日はもう降りろ』
少しの沈黙を挟んで、彼は短く述べる。
それと同時にOSが機能を停止し、座席を取り囲むように設置される環が煌光を失った。正面と側面に複数展開されていた立体映像式画面も順次閉ざされ、何も無かったかのように消滅する。モニターから出ていた光が消えた為に、視界は闇に閉ざされた。
外に繋がっている接続機からメインシステムに干渉したんでしょう。コックピット内の全機能が落ち、純然とした閉鎖空間に私は取り残されてしまった。
そう思った直後、重苦しい稼動音を上げながら目の前にある壁が左右へ動き出す。正確には右上と左下の斜め方へ自動的に滑り行き、その次に現れた壁が左上と右下へと移動した。最後に堅牢な隔壁体が外側上方へと押し上げられ、私の前へ出口を作り出す。
開かれたそこから外の光が入り込み、暗黒を照らし払い散らし。その眩さに目を細めつつ、私はシートから腰を浮かせた。
この光、輝きを見て、思い出されたのは巨大な河。夢の中に出てきた、あの不可思議な大河。