話の58:階層世界、下へ(五)
「ったく、次から次へと」
意識せずとも口から悪態が漏れる。
舌打ちの一つや二つや三つや四つ、打ちたくもなるってもんだ。
原因は勿論、窓からジャンジャカ入ってくる化け物共さ。撃てど倒せど減りゃしねぇ。いったいどれだけ来てるんだか。
「ったく、ドジったぜ」
2度目の悪態が口を突く。
今のは自分に向けて。俺がもっと回りに注意を払い、入念に調べてから引き上げれば良かった。少しばかり連中の姿が見えなかったもんだから、もう居ないと思い込んで帰路に着いちまったのがいけねぇ。迂闊だったぜ。
その挙句がこの体たらく。自分の浅はかさに呆れて物も言えん。まったく、嫌んなるってんだ。
「へっ、ブチブチ文句垂れても仕方ねぇやな」
ああ、そうだ。判ってる。
今更何を言っても始まらねぇ。何も変わりゃしねぇってな。この状況を打開する為には、襲い来る化け物共を皆殺しにする以外方法はない。そんな事は判りきってる。
胸の奥で疼く苛立ちを下らん言葉にして吐き出すよりも、戦う力に変えて奴等へぶつけてやる方が、よっぽど建設的だって事もな。
今はツベコベ言わず、奴等の撃退に尽力する。それが最善。それが最良。それしか道はない。
「上等だ! やぁぁってやるぜぇ!」
視界に入るアクトレア共を睨め付けて、俺は力の限り吼え立てる。
自分を鼓舞し、気合いを入れ直す為に。
目的と決意が固まった所で、意識を向けるのは自身の両手。
右手に握るは全長380mmの50口径、黒一色の大型拳銃ブラックライヤー。
左手に構えるは全長215mmの45口径、銀で設えたスタイリッシュな軽量拳銃シルバーハインド。
俺が手ずから改造し、苦楽を共にしてきた相棒達。その銃口を異形へ定め、トリガーへ掛けた指を引く。
黒と銀の両銃は同時に弾丸を吐き、今正に俺へ襲い掛からんとする化け物へ飛んだ。
正面に立って片腕を突き出してきた第1種。移動最中にあるその腕へ、中心から銀の硬弾が食い込んでいく。それは奴の黒灰色した外殻を砕き、真っ直ぐに腕を貫通する。掌から入った一弾の進行に合わせて無数の筋肉と神経系、流液管の破裂が引き起こされたと、その腕の歪な膨張と屈折具合から判別出来た。
多数の障害物を破壊して尚も速度を落とさぬ弾丸が、第1種の肩を食い破り、外気の中へと躍り出る。瞬間、一撃を受けた奴の腕は内側からの圧力に負けて弾け飛び、肉片と深紅の液体を辺りへと撒き散らした。
一方で、同じに撃ち出された黒弾は腕を失くした敵の下腹部を抉り、内側深くへ潜り込んで、内容器官を食い荒らす。暴力的な臓器破壊の様は、優しさ皆無である事が外から見ても一目瞭然。風穴を穿たれたアクトレアの腹筋が、破壊の弾丸に当てられ目まぐるしく蠢動する。体内に納められた器官が激しくのたうち、それによって平板だった腹部は、袋の中に押し込めた蛇が暴れ回るかのように、滅茶苦茶な凹凸を作った。
だがそれも半瞬の事。次には背腰を破って輝く黒弾が飛び出し、腕同様に腹部は炸裂する。水風船が破裂したかの如く鈍重な音を響かせ、流液で濡れ汚れた体片が床一面にまびかれた。
異形を貫いた黒の500S&Wマグナム鐵鋼連弾と、銀の45APC貫通連弾は、速度と威力を伴ったまま更に飛び、進路の先に在る壁面へ食い込んで動きを止める。それと合わせて、腕を失い腹を壊された異形が、自分の体液と欠片で満ちる床上へと崩れ落ちた。
「次はどいつだ!」
倒した敵から視線を外し、近付く気配へ視点を合わす。
それは前方。撃ち抜いたばかりの、床に伏して動かなくなった化け物を、別の異形が踏み越え向かってきた。棘状の先端を持つ4本脚が体を踏み拉き、倒れる第1種の頭を潰す。
自分の足元にあるモノになんざ目もくれず、次なるアクトレアは床を蹴った。4脚同時に力を解き、異形の体が宙に舞う。
跳び上がったソイツは両肘を曲げて腕を引き、俺の命を奪うべく覆い被さって来た。
「じゃかぁしぃ!」
空中から襲い来る怪物へ怒号を叩き付けつつ、俺は腰を落とす。
殆ど同時に、俺とアクトレアの距離が限界まで縮んだ。奴はそれを見計らい、引いていた両腕を動かす。鋭利な5指が揃い並び、直線状に空を走る。左右共にしての素早い突き込み。落下速度がそれへ加味され、更なる勢いと殺傷力が俺を狙う。
だが俺は身を低めたまま半歩前へ踏み込み、奴の狙う射線から僅かに逃れた。その状態から再び立ち上がらんと腰を浮かす。頭上では怪物の両腕が空気を裂き、既に止める事叶わぬ突撃を敢行。奴の腕が宙を抜けきった正にこの瞬間、俺の上体は済んだ軌道の内側へと伸び出た。
化け物にしては予想外だろうが、俺にとっちゃ狙い通りよ。攻撃行動直後で、しかも空中という不安定な場所にあるアクトレアは、もう満足に動く事は出来ない。奴の一撃を回避した時点で、決定的な好機を俺は掴んだ。無論、こいつを逃すつもりなんぞない。
右腕を上方目掛けて突き出せば、丁度其処へ、異形の頭が流れ来る。握るブラックライヤーを、その銃口を、奴の下顎に打ち付け、瞬間、超至近距離から発砲。
確かな反動が右腕に走る中、撃ち出された弾丸が異形の頭部を襲い、貫いた。顎から減り込んだ鐵鋼連弾は容易く骨を砕き、内部筋肉を引き裂いて、主脳を爆ぜさせ、頭頂から噴き出る。1秒にも及ばぬ短瞬後、直撃を受けた第1種の頭部が、高所から叩き落した西瓜の様に砕け散った。
紅黒い様々な物体が飛散し、奴の命も同時に果てる。
先端を失った異形の細長い首、俺は銃のグリップでそれを殴り付け、力任せに押し退けた。もう動く事の無い体はいとも容易く横倒れ、それっきり。
「さてと……お?」
まじかにあった敵意を敗ったところで、俺は窓辺へ視線を移した。
見ればその一帯は、首を斬り落とされた第1種の屍骸が何体も転がっている。見事な切り口を残して総狩りを遣って退けたのは、勇魚と名乗ったあのネーチャン。
信じ難い事に、奴さんは扇一枚で化け物共の首を落としやがった。しかも俺が2匹仕留めてる間に、エレベーターん中へ入ってきてた残りの連中を全て始末しちまったようだ。
ネーチャンの腕前にはビビった。色が白くて細っこくて、色気があっておまけに美人。そんな女が、こんなにも強いなんぞ誰が想像出来る? 此の世にそんな女が居るなんざ、まったく以って思いもしなかったぜ。
しかも腕が立つだけじゃない。あれだけの怪物共が突然襲ってきたっていうのに、怯えや恐れをおくびにも出さんとは。恐るべき鋼の胆力。その度胸は本当に感服物だ。
ネーチャンの話、俺は信じちゃいなかった。嘘吐いてるとは思えないながらも、真偽を疑ってたからな。だがこれで信じざる負えなくなった訳だ。少なくとも、今まで数々の難関を自分の力で乗り越えてきたっていう話は本当だろうさ。それだけの実力を、こうして示して見せたんだからな。
「で、肝心要のネーチャンは……んん?」
怪物共の死屍累々。それを作った張本人の姿を捜し視線を彷徨わせる。
と、硝子を割られた窓の前に、外を覗く様にして立つ奴さんを見付けた。それとついでに、窓の外に張り付くデカイ化け物の姿も。
第1種より一回り大きく、手足も総じて長い怪物。全身は暗色の外殻で包まれ見るからに堅固。だがそれ以上に目を引くのは、長く突き出た異様な頭部だ。ワニの口みてぇに裂けてて、その奥に眼球が1つ光ってやがる。
アクトレア第2種だな。こんな奴まで居たとはよ。
奴は四肢の先に伸びた長い鉤爪を使ってエレベーターの壁に取り付き、窓からこちらの様子を窺ってるらしい。だが野郎の図体じゃ、あの窓は狭くて通れんぜ。出来てもあのデカイ口を突っ込んでくるぐらいだろう。ま、それだって窓から離れちまえば脅威でもないんだが。
しかし油断は出来ん。奴が強引に窓枠を押し広げて、無理矢理入ってこないとも限らないからな。ここは俺が、愛銃で引導を渡してやるとするか。
「退くのよ」
俺が動くより先に、窓辺に立つネーチャンが口を開く。
開閉された唇から流れ出るのは、大きくも小さくもなく、それでいて聞き取り易い澄んだ声。それが俺の耳にも届いた時だ。よりによってネーチャン、窓外へ右脚を突っ込みやがった。
いや、正確には蹴り込んだという方が正しい。
あの女、何をするかと思えば、恐れるでもなく化け物目掛けて蹴りくれたのさ。シミ1つない滑らかな脚を真っ直ぐに繰り出し、目と鼻の先に居る第2種のドテッ腹へ、思いっきりな。
それで終いだ。
腹を蹴られた衝撃で、アクトレアの爪は壁から外れた。それらしい鈍い音が聞こえてくる。そして支えを失った怪物は、エレベーターから離れて真っ逆さまに落ちていった。
「マジかよ」
俺は思わず呟いちまう。
ネーチャンは蹴り1発で第2種を吹っ飛ばしたんだ。そりゃ我が目も疑いたくなるぜ。
取り合えず、奴がどうなったか気になる。俺は窓に近付いて、何食わぬ顔で佇む女の隣から、外を覗き込んでみた。
「もう敵は居ないみたいね」
「そーかよ」
窓から顔を出す俺へ、ネーチャンが言ってくる。
やや混乱気味というか、信じられん思いでいる俺は、生返事だけ返して下を見た。
依然として移動を続けるエレベーター。その先はまだまだ底が見えない。これといった停止位置らしき物も同様だ。さっきの怪物も既に姿はない。どうやら完璧に落ちていっちまったようだな。
何処まで行ったかは判らんが、この高さから落ちたとなったらまず生きてはいまい。底に辿り着いた日にゃ、熟れたトマトみたいに潰れちまうだろうよ。
ついでなんで上や横を見てみる。もうアクトレアの姿は見られない。
どうやら本当に全て倒しきったみたいだな。これで一息吐けるか。
窓から出していた顔を引っ込めて、エレベーターの中へ視線を戻す。
振り返って見ると、丁度正面の壁際にウエインお嬢さんが居た。
お嬢さんは金の両刃剣でアクトレアの胸を突き刺し、壁へ磔るように押し付けている。返り血で幾らか汚れちゃいるが、お嬢さん自身に怪我は無さそうだ。
そしてそれが、今この中に居る最後のアクトレア。お嬢さんの攻撃でソイツが動きを止めた事で、俺達の戦闘は終了となる。
「はぁ、はぁ……」
壁に第1種を刺し付けたまま、お嬢さんは激しく肩を上下させる。
荒い息を連続して吐き、呼吸を整えようと努めているようだ。本人の意思というより、体が正常な状態へ戻る為にやってるんだろう。
お嬢さんの顔には疲労の色が透けて見えた。額には汗の玉も浮いている。極度の緊張から気を張って、疲れちまってるのか。肉体的な疲弊より、精神的なものだな。
俺との旅の間、アクトレアと戦う事は何度かあった。数度の経験を経てきたとは言え、まだまだ慣れてはいない様子だ。ま、ずっと都市暮らしで争い事とは無縁の生活してたんだから無理もねぇが。今まで安全に、不自由もなく生きてた者が、いきなし命の殺り合いん中へ飛び込んだ訳だからよ、そう簡単にゃ慣れはしめぇ。
だがこれでも、前よりは随分とマシになったんだよな。最初の頃なんざ、アクトレア見ただけで腰抜かして動けなくなっちまってたぐらいだ。それが今じゃ得物を担いで突っ込んで、なんとか戦える程度にはなった。お嬢さんも確実に成長はしてる。この調子でいけば、もうあと数回実戦を経験すれば、一端の賞金稼ぎ(アウェーカー)になれそうだぜ。
そうなりゃもしもの時、例えば俺が死んじまった後も、お嬢さん1人でなんとか生き抜いていけるだろう。そうなってくれれば、俺も余計な気を回さんで済むし御の字だな。……ちっとばかし、寂しいような気はしないでもねぇけど。
「お嬢さん、大丈夫かよ?」
窓の前で隣立つネーチャンではなく、俺は正面のお嬢さんへ声を掛ける。
どう見てもネーチャンは無事だし、あれだけの力量から考えても心配の必要はない。それに今さっき見せつけられたトンデモナイ実力、それによって俺の価値観・常識観を覆された衝撃も抜けきってないんで、何を言っていいのか正直判らん部分もある。だからまずは俺自身、心の安定化を図る必要があんのよ。
つー訳で、被保護者の身を案じ、ペースを取り戻そうって寸法さ。お嬢さんの事が心配ってのが第一の理由だけどな。
「う、うん。……私は、大丈夫」
とっくに生命活動の終わってるアクトレアから、お嬢さんは漸うデカイ剣を引き抜く。
壁に押し付けられた異形の胸部から分厚い刃が離れると、深紅の流液が傷口から噴き出した。弧を描いて床に落ちる液体の何割かを被り、お嬢さんの顔やら服やらが汚れちまう。
だが当人は気にした風でもない。俺達の方に頷きを返し、よろめきながらも前へと進んできた。
割かしテンパっちゃいるが、まぁボチボチ元気ではあるようだ。疲労感やら倦怠感の所為で足取りは覚束無い様子が、少し休めば問題ないレベルまで回復するだろ。昔の俺もアクトレアと一戦交えた後は、同じような感じだったぜ。懐かしいねぇ。
「それより、終わった、んだよね?」
よろよろと歩きながら、お嬢さんは重い息を吐く。
周囲に視線を巡らし、あちこちに倒れるアクトレア共の屍骸を見つつ。
「おうよ」
そんなお嬢さんへ向け、俺は表情を笑みに変えて親指を立てる。
彼女を安心させる意味合いも含め、声調は明るめにした。
しかしなぁ、場所が場所だけに安堵感を与えられそうにないのが、なんともはや。床には怪物共の屍が散乱してるし(しかも大半が首なしだ)、壁や天井まで連中の流液で汚れちまってる。ドロドロした深紅の液体が上の方から滴ってきた日にゃ、俺の笑顔も明度50%引きだぜ。ついでに吹き飛んだ肉片なんかも其処此処に付着してるもんだから、ハッキリ言って気持ち悪い。
これじゃ気を落ち着けるのも無理な話かもな。次にこのエレベーターを使う奴に同情するね。
「安心するのはまだ早いわ。油断しないで」
いきなり差し込まれたネーチャンの声。
相変わらず静かだが、研ぎ澄まされた鋭刃のように無視出来からざる存在感がある。よく通るその一声が、戦勝モードに浸り始めていた俺達の耳朶を打つ。
折角ナイスな笑顔でお嬢さんのハートをクリーンにしてやろうって時に、台無しにするような茶々を入れて貰っちゃ困るんだがな。しかも俺までガックリくるような話とは。
「どういうこった?」
浮かべた笑みを引き攣らせて、俺はネーチャンの方を見る。
あれだけの敵を接近戦で相手したってのに掠り傷1つ負ってない女は、先と同じ立ち位置で天井を見上げていた。
第1種共が降って来た時同様、綺麗な顔に厳しさを混ぜ、剣呑な目付きで視線を上方へ射込む。その顔が、俺の質問に対する答えを物語ってるよ。
「戦いはまだ終わってない、そういう事よ」
天井を睨んだまま、ネーチャンは予想通りの返答をくれる。
的中はしたが嬉しくもないね。これからまた、更に化け物が襲い掛かってくるってんだぜ? 誰が喜べるかよ。冗談はよし子さんだぜ。
なんでそんな事が判るのかは知らんが、ネーチャンはさっきも敵勢の来襲を予見してみせたからな。今回も当たる可能性はある。俺としちゃ、是品とも外れて欲しいところなんだが。
ウエインお嬢さんも同感だと思うぜ。
見ればあっち、歩を止めてネーチャンの方をじっと見てる。不安と困惑が強く浮いた瞳で。縋るような眼差しで。
俺はまだしも、お嬢さんにゃ連戦はキツイだろう。今ではもう、気力が尽きかけちまってる。これ以上の精神的負担は、下手打てば命取りにもなりかねん。そうでなくとも、あんな状態で戦えるとは思えんし。
うぅむ、だがこの中じゃ逃げようがないのも事実。参ったな。二進も三進もいかねぇ。
こうなったら、俺がなんとしてでもお嬢さんを護ってやらんと。可愛いお嬢さんを泣かせるな、ってのが俺の自論だしな。
「新手が、来るの?」
「残念だけど、そのようね」
心配げに顔を曇らせるお嬢さんの問い掛けへ、ネーチャンは目を伏せて小さな溜息を吐く。
向こうさんも、お嬢さんが既に限界近い事を察してるようだ。面上に浮かぶ色合いは、心苦しそうなそれ。
しかしだからといって、どうにもならん事はある。この世界では、そういう事はありすぎる。だから俺達は何も言えん。出来る事が1つだけあるとすれば、それは向かい来る容赦ない現実に、全力で立ち向かう事だけだな。そして自分の力で状況を切り拓く。それ以外にはない。
「……何時?」
「もう、来たわ」
ネーチャンが呟いた瞬間、エレベーターがまた激しく揺れた。
前よりも更に大きい。あまりの震動に俺も立っていられなくなり、よろけて床に倒れちまう。
「キャァァ!」
「お嬢さん!」
相当ヘバってたお嬢さんなんぞは、転倒して床を滑り、第1種の骸と一緒に反対側の壁際まで行っちまった。
俺もなんとか止めようと手を伸ばしはしたんだが、如何せん届かないわ、狙いは定まらないわで。結局、俺の手は何も掴めぬまま空気を掻くだけだった。
「くっ」
そんな中でもネーチャンだけは直立状態を維持している。
幾分辛そうではあったが大揺れに耐え忍び、無様にこけるような真似はしちゃいない。これまた流石とは思うが、それよりも気掛かりな事がありすぎて、拍手1つ送れやしねぇ。
そうかと思えば、またもや耳を劈く異音が響きやがる。
頭が割れちまうんじゃないかと思う程の甲高い、耳障りな音。その出所は今度も天井。無駄だってのに、馬鹿みたくまた同じ事をやってる様子。
この隙に窓の前で迎撃態勢を整えれば、エレベーター内への侵入は防げるんじゃねぇか? だとしたら、とっとと準備だ。
お嬢さんの事は気になるが、今は1秒でも早く防備を固める時。悪いが、助け起こすのは後だぜ。
立ち上がり、窓を目指して1歩を踏む。と、俺の踵が床を打った直後、鈍い音が室内へ轟いた。
見上げた俺の視界に入ってきたのは、天井の一角から突き出た白い爪。真上の外壁を貫いて、移動する箱の内側へ侵入してきた部位。
「あ?」
壊されんという話だった天井から、下向きに生える物体を見て、俺は思わず首を傾げてしまう。
きっと傍目には馬鹿みたいに見えてるだろう俺の前で、天井に亀裂が走った。それが基点から全方位へ広がった後、硬材が一気に砕け、巨大な影がエレベーター内に落ちてくる。
瓦礫と化した天井の欠片と一緒に空間の真ん中、俺の正面へ降って来たのは、第1種とは別型の異形。
全長は2m強、腕も脚もない半球状の躯。全体を構成しているのは、槍のように尖った何百何千という爪状突起物。それが全身を覆い、手足の変わりに床を突いて身体を支えている。
小さなドーム状をする爪の密集体、その中心に怪物の顔があった。無数の爪で隠れ、合間から辛うじて見えるそれは、口も耳も鼻もない、目だけの穴が二つ開いた仮面のようなもの。第1種以上に無機的で、もはや顔とも呼べないような代物だ。
目だけの顔も、全身の爪状突起物も、全てが等しく白一色。気味の悪い異容には不釣合いな色合いで、ソイツはエレベーターの中央に立っている。
「第6種、だと? ……冗談はよし子さんだぜ」
俺の意思とは無関係に、唇が戦慄く。
吐き出した声は緊張に強張って、情けなくも震えていた。
アクトレア第6種。見た目の不気味さもさることながら、恐るべき戦闘力を持った危険な存在。
第1種や第2種なんぞとは、ヤバさのレベルが違う。まさかこんな所で出会っちまうとは!
さっきの連中じゃ壊せもしなかった天井をブチ抜いて落ちてきたんだ。単純な攻撃力だけとっても化け物だぜ。
「クソ、ったれがぁぁ!」
俺の両腕は反射的に動き、ブラックライヤーとシルバーハインドが狙点を定める。
考える暇はない。迷う時間もない。
意識の奥で点滅する警告信号を無視して、眼前の異形に向いた銃の引き金を引く。同時に、聞き慣れた発砲音が連続で響き、黒と銀の愛銃から破壊の強弾が標的へ飛んだ。
空中を短時間で駆け抜けた両弾は一直線に対象へ進み、そして。
次に聞こえたのは硬音。
俺の瞳に映った光景は、俄かに信じられないもの。第6種へ命中した2つの弾丸が、奴の全身そのものである爪状構成体に弾かれたという。
第6種は特に何かした訳じゃない。爪を振るって飛来する攻弾を叩き落した訳でも、華麗に身を捻って逃れた訳でもない。ただ、其処に在っただけ。何もせず、じっと在るだけで、俺の得物が吐き出した必殺弾を弾いちまった。躯のただ単なる硬さのみによって。
「ば、化け物めぇぇ」
俺の口から零れるのは悔しさ。そして拭えない恐怖。非情な現実への怨み節。
それが終わるか終わらないかのうちに、奴が動いた。床を突いていた爪の1本が若干浮き、半瞬後には俺目掛けて繰り出されてくる。
いや、正確に言えば、俺にはその動きがまったく見えなかった。驚くほどの速さと鋭さを兼ね合せた、視覚の感知力を上回る一撃。
第1種の2倍? 3倍? アクトレア最弱の個体が行う突きが止まって見えてしまう。そこまでのスピード。
回避なんぞ、出来る筈もねぇ。
気付いた時、俺の左腕は肘から先が無くなっていた。
千切れ飛んだ前腕は、シルバーハインドを握ったまま床に転がっている。高速で突き破られた肘の断面から鮮血が流れ落ち、俺の左手を赤く染めた。
「う、ぐぅぉおぉぁあおあぉッ!!」
イテェッ!
イテェイテェイテェイテェイテェッ!
うおおおおぉぉぉぉぉ! イテェェェェェッ!
何が起こったのかを頭が認識した瞬間、猛烈な痛みが全身を駆け巡る。
あまりの痛みに、喉を震わすのは獣じみた絶叫だけ。
思考が白く灼け、矜持やプライド、見栄や格好付け、それ以外も含めた全ての感情が一切合切色を消した。
「あああァァ! 畜生、チクショウがぁッ!」
気が狂いそうになる程の激痛に悶えながら、無意識に怒声を吐き出す。
その度にまた痛みが走り、俺は声にならない叫びを上げた。
失くした腕を掻き抱くように、俺は無事な右手で左肘を掴む。そのまま床に膝をつき、腰を折って、床面へ額を擦りつけると、やり場の無い痛みに引き摺られるよう身悶え続けた。