表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/64

話の57:階層世界、下へ(IV)

「ちなみに、兄の名前はレシオスといいます。レシオス・ダートルーナです。綿津御わたつみさん、会った事ありませんか?」


 震動もなく降りていくエレベーターの中で、向かい合う女性に聞いてみる。

 これから旅を同じくしてくれる相手は、既にかなりの時間を世界の渡り歩きに費やしているらしいから。もしかしたら、何処かで兄様に会ってるかもしれない。そんな淡い期待を込めての質問。本当に知っていたら、私の旅は大きな一歩を踏む事になる。


「ごめんなさい、知らないわ」


 けれど、綿津御さんは頭を左右に振って否定を示した。

 本当に心当たりの無さそうな彼女の顔を見た瞬間、私の期待は打ち砕かれた。世の中そんなに甘くないと、判っていたつもりなんだけど。それでも少なからずショックを受けてしまう。


 ううん、駄目よ。こんな所で落ち込んでいる訳にはいかない。早々に気持ちを切り替えて、前を向かなきゃ。兄様を捜す旅が大変だっていう事は、もうずっと前に覚悟していた事なんだもの。例え何度振り出しに戻っても、そんな簡単に俯いてちゃ駄目!


「そうですか……」


 自分で自分に言い聞かせはするけれど、私はつい目を伏せてしまう。

 綿津御さんの顔から外れた視線は、私の心と裏腹に下方へ落ちた。移り変わった視界には、エレベーターの硬い床だけが入っている。


 思った以上に、内的ダメージが大きいみたい。兄様と同じに女神を捜しているという彼女の存在が、無自覚のうち私の中でかなりのウェイトを占めていたよう。

 綿津御さんの旅の理由を聞いた時、私は驚きと同時に巡り合わせの幸運を喜んだ。この世界で旅人出会うこと事態が珍しいのに、その相手が兄様と同じ女神の探求者だなんて。こんな偶然、運命的と思わずにはいられない。

 だから余計に、彼女へ期待を掛けていたのかな。兄様の手掛かりが掴める可能性を、求めてしまっていたのかな。普通に考えたら、そんな都合の良い事ある筈ないのにね。こうして同じ目的を持つ人に出会えた以上の幸運を、私は図々しくも願ってたんだ。

 勝手に期待して、勝手に凹んでるんだもん。綿津御さんの顔を直視出来ないのも無理ないよ。自分の間抜けっぷりが恥ずかしい。


「ま、そう気を落としなさんな。こうして旅してれば、何時か兄貴にも会えるだろうさ」


 隣から声が掛かる。

 軽い調子で慰めてくれたのは、私の護衛を務めてくれる風皇ふおう君だ。特に気を張った言い回しじゃなく気楽な感じだけど、それが逆に心地良い。程好く肩の力も抜けて、お陰で気も楽になったよ。

 私が家を出て、兄様を捜す為に都市も離れようとした時から付き合いだから、彼是かれこれ700時間近くになるのかな。

 その間、風皇君は今みたいに落ち込む私を、それとなく何度も元気付けてくれたっけ。アクトレアとの戦いでも前面に出てくれたり、精神的にも肉体的にも随分と助けてくれてる。彼が居なかったら、きっと私は満足に旅なんて出来なかった。それを思うと、私にとっては大切な仲間であり、大切な友達だね。


「うん、そうだね」


 風皇君の励ましに気力を回復させて、私は顔を上げる。

 少しは表情も晴れやかに近付いたのかな? 綿津御さんも微笑みで迎えてくれた。横を向けば、風皇君が何時ものニヤけ顔で小さく頷く。


 そうなんだ。私の旅はけして悪くなってはいない。風皇君みたいな頼れる協力者が居るし、綿津御さんみたいに共通の目的を持つベテラン冒険者とも出会えたんだから。確かに兄様の手掛かりは得られていないけど、状況は確実に好転していると思う。これで落ち込むなんて、図々しいにも程があるよね。寧ろ喜ばなきゃ。

 さぁ、気分一新で当面の目的を話し合いましょう。


「えぇっと、それじゃ。綿津御さん、悪いんですけど、まずは私達が今拠点にしてる群落まで一緒に来て貰えませんか?」

「拠点にしている群落? この近くにあるかしら?」


 彼女の方を向いて話すと、綿津御さんは首を傾げて聞いてきた。

 何千階層も上から来たって言ってたけど、この辺りには初めてみたい。だったら尚更、説明してあげなきゃだね。


「はい。もう少し下の方に村が在って、私達は其処で御世話になってるんです」

「俺達は当て所も無い旅人だからな。こういう村やら街を見付けては立ち寄って、旅支度を整えつつ英気を養うのさ。ネーチャンも旅人なら、んなこたぁ判りきってるとは思うがよ」


 私の言葉へ風皇君が新たな内容を添える。

 とはいえ、そういう事は私も旅に出てから初めて知ったんだけど。故郷の都市に居た頃は、外の世界について詳しい事は知らなかったから。まさかこの世界で人間の住んでる所が実は全然多くなくて、人の居住空間から居住空間までの間には、アクトレアの徘徊する無人領域が延々と続いてるだなんて。そんな事は考えても見なかった。

 自分の住んでる街だけを見ていたから、そういう場所が沢山あるんだとばっかり。でも実際にはその逆。人の住んでる場所って殆どないんだよね。だから辿り着けた村落なんかで長旅の準備をしっかり整えないといけない。次は何時、必要な物を補充出来るか判らないもん。

 昔はもっと人の住んでる空間は在ったらしいけど。アクトレアに襲われたりして少しずつ減ってきたんだって、以前訪れた集落の廃墟で風皇君が教えてくれた。この世界で人間はどんどん少なくなってる。このままだったら何時か私達の故郷も滅茶苦茶にされて、皆殺されちゃうかも。遠くない未来、人類は絶滅しちゃうかもしれない。

 兄様はその危険性に気付いてたから、救済の女神様を捜そうと思ったんだよ、きっと。兄様を追って都市の外に出て、私は兄様の想いを理解出来た。今は私も、可能ならば伝説の女神と呼ばれる何かを見付けたいと思ってる。皆を救う為に、世界を変える為に。もし本当にそれが出来るなら、絶対に捜し出したい。


「そうね。それが旅人のセオリーだものね」


 綿津御さんは同意の頷きを返してくれたけど、ほんの少しだけ目を細めてる。

 何処か遠くを見るような眼差しだ。もしかしたら、今まで訪れてきた村々の惨状を思い出しているのかもしれない。ずっと遠くから旅してきたんだもん、私達なんかよりもっとずっと、悲しくなるよな光景を見ていたって不思議はないよ。

 彼女が女神を捜すのも、きっと兄様や私と同じ気持ちからだよね。綿津御さんも、今の世界をどうにかしたいと真摯に願ってるんだ。そうでなきゃ、居るかどうかも判らない女神を捜して、1人で苦しい旅を続ける筈なんてないもん。

 私達は出会えて、本当に良かったよ。


「俺達は今の群落に少し前から居座っててな。俺は基本的に賞金稼ぎアウェーカーだから、世話んなる代わりに群落周辺で見掛けたっていうアクトレア共をブッ倒して回ってるのさ」

「風皇君は私の住んでた都市にも賞金を貰う為に立ち寄ってたんです。それで彼が旅立とうとしてた時と私の旅立ちが丁度重なって。どうせだからって私の護衛を買って出てくれたんですよ」

「外の辛さを知らんか弱いお嬢さんを、1人で行かせる訳にもいかねぇからな。どんなに危険か教えても兄貴を捜すの一点張りだ。梃子てこでも動きそうにねぇから、一緒に行ってやるっきゃないだろ。ま、可愛らしいお嬢さんを泣かせないのが俺のポリシーだしな」


 風皇君は笑い顔のまま、大袈裟に肩を竦めて見せる。

 その姿を見て、私は彼と初めて会った頃の頑なな自分を思い出した。ちょっと恥ずかしくなる。

 あの時は外の世界がそんなに危険だとは知らなかったし、兄様を捜す事だけを考えていて、風皇君の忠告を全然聞いてなかったから。きっと彼は凄く呆れてたと思う。それでも聞き分けの無い私を、文句も言わないでずっと護ってきてくれたんだから。本当に感謝しなきゃ。


「つっても、俺の仕事にまで付き合うこたぁ無いんだけどよ。お嬢さんは群落で大人しく待ってりゃ良かったのに」

「だって、風皇君には何時も世話になりっ放しだもん。少しぐらい手伝いたいよ」


 わざとらしい溜息を吐きながら、ボサボサの頭を掻く風皇君。

 そんな彼へ、私はすかさず反論した。大した力にはなれないかもしれないけど、私だってちょっとは腕に覚えがあるんだから。そうでなきゃ、幾らなんでも1人で兄様を捜す旅に出よう なんて、そこまで無謀な事は考えない。

 そりゃ風皇君に比べたら全然だろうけど。だからって足手まといにはなってない筈だよ。


「ま、いいさ。何にせよ仕事は終わったからな。後は帰って報告するだけだ」


 掌を上向けて左右へ振り、風皇君は足元の方を見て笑う。

 邪魔臭そうに言ってはいるけど、そんなに疎んでいる様子はない。私の恩返ししたいって気持ちが、幾らかでも伝わってるのかも。


「この近くにアクトレアが居たの?」


 私達の会話を聞いていた綿津御さんが、少しばかり神妙な顔をして聞いてきた。

 やっぱり人類の敵アクトレアの存在が臭うと、緊張してしまうんだろうか。……尤も、それは誰であってもそうだと思うけど。


「はい。私達がこのエレベーターに乗った場所の近くに、アクトレアが何体か居たんです。群落の人達が怯えていたので、私と風皇君でやっつけてきました」

「そうだったの。アクトレアを相手に戦えるなんて、ウエインちゃんは見掛けによらず強いのね」


 私の返答に対して、綿津御さんは優しい微笑みを投げてくれる。

 言葉の通り、彼女の瞳には賞賛の輝きが見えた。

 裏表のない率直な評価だ。面と向かってこんな風に言われると、なんだか照れちゃうな。顔も熱くなってくるし。


「あの、第1種アインが少しだけだったから。それに、殆ど風皇君がやっつけたんです。私なんて、ホントに大した事なんてしてなくて。だから、そんな」


 優しい目で見詰めてくる綿津御さんを前に、頬が染まっていくのが判る。

 彼女の顔を直視出来なくなって、私は思わず俯いてしまった。

 気恥ずかしさから重ね合わせた両手の指を、不必要に絡めたり離したりと繰り返しちゃう。


「謙遜する事はないわよ。それより、来る時はこのエレベーターを使ったの?」


 相変わらず優しく微笑んでくれる綿津御さん。上目遣いに見る彼女の顔は、綺麗で素敵で。見てるだけでまた緊張が増してくる。

 けれど何時までもカチコチではいられない。綿津御さんが私達の移動法を尋ねてきたから。


「え、あ、いえ。もっと離れた所に別のレールがあって、そっちを使いました。アクトレアをやっつけながら移動してたら、こっちの方まで来ちゃったんです」

「そうだったの」


 仄かに熱くなった顔を上げて、彼女へ面と向かう。

 落ち着きなくざわつく心を何とか抑えて、私は問いに答えた。それを聞いた綿津御さんは1度だけ頷いて、視線を天井に向ける。

 その顔は、なんだか表情が引き締まってるような。さっきより険しくなっているように思う。急に雰囲気が変わってしまった。いったい、なにが?


「あの、どうかしたんですか?」

「エレベーターを使うぐらい離れているなら、今直ぐにその群落がどうこうという事は無さそうね」

「え?」


 綿津御さんは天井を見上げたまま、静かに立ち上がる。

 彼女の動きに、私は少し驚いた。風皇君は眉根を寄せて、彼女へと怪訝な目を向ける。


「どうかしたのかよ、ネーチャン?」

「このエレベーターが群落の傍へ辿り着く前に、決着をつけないとね」

「あん? 何言って……」


 その瞬間、私達を乗せて移動中の箱が揺れた。

 いきなり! それもかなり大きく!


「きゃぁ!?」

「うおおっと!」


 突然の事で私はバランスを崩し、床へ投げ出されてしまう。

 風皇君は辛うじて耐えたけど、背中から壁へぶつかってしまったようだった。

 そんな中で綿津御さんだけは、直立のまま姿勢を保ち、今の震動を意にも介さず天井を睨んでいる。

 睨んでいる? ……そうだ、今の綿津御さんは、とても鋭い目で天井をつと睨みつけている。まるでその向こうに何があるのかを知ってるみたいに。


「2人共、気を付けて」

「言うのが遅ぇっての!」

「いいえ、まだ来るわよ」


 風皇君の怒鳴り声を、綿津御さんが新たな忠告で制した時。彼女の言葉通り、再び強い震動が私達を襲う。

 エレベーターの中が激しく揺れて、私達はまた壁や床に体をぶつけた。

 これは停止位置に近付いたから速度が落ちてるとか、そういう事じゃない。明らかにエレベーターの運航に対して、規格外の要因が働いて起こっている異常だ。どう考えても、自然な動きじゃないもの。


り損ねの仕返しみたいね」


 綿津御さんが誰にとも無く呟いた後、金属を強引に削るような甲高い音が響いてきた。

 出所は天井。それに方々の壁、その向こう側。つまりエレベーターの外。

 私は起き上がり様、背方の窓に映る大量の火花を見た。


「アクトレアか!」


 断続的に繰り返される揺動ようどうの最中、風皇君が天井を仰いで声を荒げる。

 それに対する外側からの返答は、耳障りな高音。聴覚の奥を貫くような激しい上波長の連音が、上方と側方から私達を包んだ。


「エレベーターに取り付いてるの?」


 分厚い硝子窓の外に飛び散る鮮烈な火花を見て程無く、私は2人に遅れて現状を理解した。

 どうやら私達を乗せたまま下降中のエレベーターへ、アクトレアが襲い掛かってきたらしい。連中は移動する大型の箱目掛けて落下してきて、上手くへばり付いたようだった。その状態からエレベーターを破壊すべく、攻撃を始めたのか。

 さっき綿津御さんが言ったとおり、私達が倒し損ねた残党の強襲と思える。風皇君と一緒に倒した連中の他に、まだ潜んでいた奴等が居たのかもしれない。アクトレアは人間の反応に酷く敏感。それで見付かったのかも。

 何にせよ、これは大変な事になってしまった。いったい、どうすれば?


「チィ! 野郎共め、このエレベーターをブッ壊すつもりだな」

「大丈夫よ。この手の移動機械はかなり頑丈に作られてるから、ちょっとやそっとの力じゃ破壊出来ないわ」


 忌々しげに独りごちる風皇君へ、綿津御さんは冷静な声を送る。

 彼女は特に驚くでもなく、四方から響く音の側へと順次視線を走らせていた。その冷静な所作が、突発的な事態を前に混乱をきたし始めていた私に、落ち着きを取り戻させてくれる。


「だけど問題は、このまま目的地に着いてしまう事ね」


 私達の方を一瞥してから、綿津御さんは再び天井を見上げた。

 周囲を敵に囲まれて逃げ場のない状況ながら、彼女は毅然とした姿勢を崩さない。そこから感じられる強い心の在り様へ、私は場違いにも感嘆してしまう。

 そんな精神的余裕が辛うじて取り戻せた事で、綿津御さんの危惧が私にも判った。

 もしエレベーターがこのまま私達の御世話になっている群落付近まで降りたなら、此処に取り付いているアクトレア達がそちらへ向かってしまう。そんな事になったら、被害がどれ程になるか判らないよ。戦う力を持たない人々では、アクトレアの魔の手からは逃げ切れないだろうから。

 それだけは、断固阻止しなくては!


「綿津御さん、風皇君、どうしよう?」

「なんとか、途中で止められればな」


 考えうる最悪の事態に風皇君も思い至ったらしく、私の問いに難しい顔を作る。

 何時も陽気な彼も、今回ばかりは普段の調子を維持出来ないみたい。仕方ないとは思うけど、こんな時こそ彼の明るさにすがりたいという思いが、そんな馬鹿みたいな考えが私の中にはあった。


「……ま、どうしてもってんなら、天井毎あの化け物共を撃ち抜くって手段もあるんだけどな」


 そんな私の思いを察したのか、風皇君が不敵な笑みを私へと向けてくれる。

 この危機的状況下で、弱々しい私の心をんでくれた彼。その優しさと懐の深さが、恐怖に折れそうだった私に立ち向かう勇気をくれた。

 彼の気遣いへ応える為にも、私は決意を新たに立ち上がる。綿津御さんのように堂々とはしていられないけど、2人の足を引っ張るような真似だけはしないように。気持ちだけは強く持って。


 だけど、対策を練ろうとしていた次の瞬間、壁面に設けられていた窓硝子が勢い良く砕け散った。

 外からの圧力で破壊されたのだろう硝子は、幾多の破片となってエレベーター内に投げ出される。分厚い硝子片が床へと降り注ぎ、硬い音を鳴らして動きを止めるのと同時、強制的に開け放たれた窓から異形のモノが躍り出てきた。

 それは素早く床面へと降り立ち、私の視界に見慣れた異容を晒す。

 成人男性程の体長、脊髄状の胴部、そこから伸びる細く長い腕と同じく細長い4本の脚。人と比べてやや長い首の先には能面のような顔があり、喜怒哀楽の欠落した白顔がこちらを見ている。生物というより機械に近い印象の異形。全体を黒と灰とで彩られた怪物は、双腕の先に並ぶ刃物めいた左右十指を蠢かせた。

 間違いない。先程まで私と風皇君が相手していたアクトレア第1種アインだ。


「ど、ドコが頑丈なんだよ!」


 突然、エレベーター内へ侵入してきた異形を前に、風皇君が口の端を引き攣らせながら叫ぶ。

 それが合図であるかのように、第1種アインは背を曲げ、腰を屈めて、右腕を突き出すように駆けて来た。狙いは1番近くに居る風皇君!


「しゃらくせぇ!」


 床を蹴って走る異形の接近が直前、風皇君はコートの内へと右手を差し込み、次には黒光りする拳銃を引き抜く。

 腕が水平になった瞬間狙いが定められ、第1種アインの鋭い5指が繰り出される寸前でトリガーが引かれた。

 鈍い単音が響いたかと思えば、暗い洞穴のような銃口の内側から等しく黒い弾丸が舞う。飛翔する一弾は驚くべき正確さで異形の頭部中心を撃ち抜き、一気に負荷された衝撃から陥没・貫通・粉砕を殆ど一瞬に為した。

 まるでスローモーションの世界。極端に圧縮された時間の中に身を置いたような錯覚と共に、私の目は風皇君とアクトレアの一瞬の邂逅を見ている。

 極度の緊張が私の全神経を研ぎ澄ませてその状況を確認可能としたのか、単に目の錯覚だったのかは判らない。けれど我に返り時間の感覚が戻った時には、頭部を真ん中から撃ち砕かれた怪物が、床の上に崩れ落ちていた。一方の風皇君は無傷で。


「丈夫な周辺構造体じゃなく、もっと強度の低い窓硝子を狙ってきたのね。予想外だったわ」


 床に倒れた第1種アインの残骸を見遣ってから、綿津御さんは状況判断を下す。

 でも予想外と口にする割には動揺が見られない。それどころか平然とした佇まいでさえある。

 これは余裕? それとも達観? どちらにせよ、私達以上の場数をこなしているが故の精神的安定なんだと思う。そんな綿津御さんを見ていると、自分達の置かれている状況は、そんなに悲観する程のものでも無いような気がしてくるから不思議だ。


「アクトレアも馬鹿じゃないってか? っと、また来やがったぜ!」


 風皇君の軽口が終わる前に、先の窓から新たな異形が滑り込んでくる。

 今度の敵も第1種アイン。しかも一体じゃない。今や外界との唯一接点となった開放部から、次々と人型異形体が入り込んでくる。

 それらは床に4脚で床に立つや、皆一様に身を低めて突撃体勢を作った。そのまま1秒にも満たない溜めの間を置いて、私達目掛けて飛び出してくる。


「えぇい、こうなりゃ自棄ヤケだ! 皆まとめて相手してやんよ!」


 風皇君が右目を開けて声を荒げた。

 続いて左手もコートの内側に突っ込み、銀色に輝く拳銃を取り出す。グリップに龍の意匠が施された大型銃が、右手の黒銃と共に異形群へ照準を合わせた。

 躊躇も怖気もない。困惑や気負いも皆無。全くの平心で、風皇君の両人差し指は掛かるトリガーを連続して引く。その度に激しい炸裂音が響き、黒と銀の銃口から発射口と同じ色合いの弾丸が吐き出された。

 撃ち出される2色の強弾は宙空を迅速に駆け、射線上に在る異形の体へと吸い込まれていく。命中箇所に生じたエネルギーが怪物の耐久力を超えた瞬間、至った弾丸は障害物を貫き、進行経路上に存在した異形体を噛み砕いた。

 腕を、脚を、腹を、胴を、そして頭を、舞い飛ぶ弾線が抉り、穿ち、対象の行動力を削ぎ落とす。破壊された部位は貫徹弾丸以上の穴となり、内部器官を修復不能な状態へと追い遣られた。

 異形の内へと減り込む弾丸が薄い外殻を破り、筋繊維を強引に分解して、血流を阻害した後、骨格を割り弾けさす。それを終えた攻弾、威力をそのままに異形の内側を抜け切り、再び外気の中へと巡り出た。撃ち抜かれた欠損部から深紅の流液を噴き出しながら、全身に風穴を作られたアクトレアは床へ伏し、永遠に動きを止める。


「物量で来ても、押し切れるものじゃないわ」


 風皇君とは対照的に、綿津御さんは落ち着いた声音で語る。

 言いながらも彼女が取った行動は、後ろ腰への右手移動。何をするのか目端に見ると、腰で引き結んだ白帯へ、斜めに挿される棒状体を手に。それを掴んで静かに抜き放つ。

 棒体は金の輝きを持ち、長さ50cm程。綿津御さんは右手に持ったこれを己の前面に掲げ、僅かな手の動きだけで瞬時に開ききった。棒の前後が大きく展開し半円系に形を成すと、姿を見せたのは段々の折り目がついた扇面。

 どんな材質で出来ているのかは判らないけど、柔らかそうな扇面は、七色に移り変わる不思議な光沢を持っている。金粉のような煌きが全体にまぶされていて、とても綺麗だ。

 そんな面上には、何か見た事の無い図柄が赤を基調として書き込んである。なんとなく文字のように見えなくもないけど、文字にしては蚯蚓みみずが這いずったような。達筆すぎるというか、難解というか。


「フッ」


 短い呼気を吐き、綿津御さんが動く。

 彼女を狙ったアクトレアの接近に正面から挑み、敵の一手が繰り出されるより早く、右手を、そこに握った金色の扇を一閃。

 それは目にも止まらぬ早業で、彼女の腕が真っ直ぐに伸ばされ、止まった所しか判らなかった。私に見えたのは金の軌跡が辿った道筋と、その過程に在った異形の首が寸断される結果だけ。

 水道管が破裂したかのように第1種アインの首からは流液が散り、凄まじい噴射量のそれが、壁や天井を深紅に染める。しかし流液の勢いが衰えるのも早い。瞬く間に体液の放出が済み、同じタイミングで異形は微動だにしなくなった。その後から、第1種アインの頭部が体よりズリ落ちる。


 信じられない光景だった。

 綿津御さんは手にした扇1枚で、アクトレアの首を叩き斬ったんだから。

 鋭い刃や硬い断面を用いず、手の動きと扇だけで異形の体を裂いてしまう。そんな事の出来る人間が居るなんて話、今までに一度だって聞いた事が無い。この目で見た今でさえ、現実とは思えない程よ。

 彼女が本当の実力者だという事は、これで否が負うにも理解出来たけど。


 討ち取られた異形の頭部が床に落ちた時には、綿津御さんは既に次の相手と面していた。

 彼女へ肉薄した第1種アインの細腕が空気を断つ。その一撃は並々ならぬ速度で空を突き、必殺の間合いから彼女へ迫った。


「遅い」


 異形を見据えたまま、綿津御さんの口が小さく動く。

 零された一言が意味する通り、彼女は敵の初撃を華麗にかわした。右脚に重心を置いたまま左脚を引き、流れるような滑らかさで、ほんの少しだけ体を後ろへ傾ける。たったそれだけの動作。極限まで無駄を省いた、限界級の小動で、彼女はアクトレアの刺突を軽やかに避けていた。

 見惚れてしまう程の美しい動き。微かに揺れる赤い髪が、女性のうなじを柔らかく撫でる。その些細な動きまでが、私の目へ焼きついてしまう程の。一瞬たりとて目を離せなくなる、それだけの鮮やかさ、艶やかさ。


 その中へ走る、彼女の新たな動き。

 攻撃が空振りとなり、瞬間の硬直に陥ったアクトレアへ、綿津御さんは右手を振り下ろした。縦へ垂直一直線。彼女の腕はまたも高速で行き、扇は音も無く空間をはしる。

 金の軌道は真横から異形の首筋を捉え、彼女の手と扇が床方へ振り切られた時。第1種アインの首からは先と同じ流液の、深紅なる噴出が起こった。首の真上と真下へ一気に流液を噴き、天井と床面を同色に汚した後、異形の頭部は再び断面を得る。

 膨大な流出が止んで直ぐ、繋ぎ止める物の無くなった部位が、重力に引かれて自身の血溜りへと落ちた。


「ハッ!」


 短くも鋭い一声が響く。

 強い気迫の込められた声が導いたのは、長く美しい左脚。しなやかで、張りのある、綿津御さんの脚。

 ミニ丈の胴衣下から迫り出した彼女の左脚が宙を滑り、今し方頭部を落とされた異形の胴体を、猛烈な勢いで蹴り飛ばす。予備動作のない現位置からの速撃は、異形の躯体を中心から2つ折りにし、脚部の進行側へ吹き遣った。

 蹴撃の勢いに負けた首なしアクトレアは後方へ飛び、背後に在った別の第1種アインへとそのまま激突する。突然の衝撃に健全体である異形が動作を乱した一瞬、音も無く距離を詰めた綿津御さんの右腕が、目にも止まらぬ速度で再び薙がれた。

 金の扇が空を駆け、眩い燐光の残滓を残す。その最中、このアクトレアも頭部を失い、流液の噴射に見舞われた。続け様、彼女の腕は止まらず動き、更に後ろへ控えていた一体の頭部も、同様に斬り飛ばしてしまう。

 今度の一撃は今までで1番の速さ。微かに届く空気の震動から、感覚的にそれが判った。その為か、扇の一閃を受けた異形の頭は天高く跳ね上がる。上方へ舞った異形の顔が天井にぶつかり、真っ逆さまに床へ落ちるまで数秒。頭部の落着と同時、主要器官を失った首の先から深紅の流液が迸った。


「つ、つえぇ……」


 二挺の拳銃を両手に構えたまま、風皇君が呆けたように呟く。

 今や彼の両目はすっかり開いていて、双眸には綿津御さんの姿が映っていた。

 銃口の向きから察するに、彼が狙っていた標的を綿津御さんが討ち取ってしまったらしい。それで風皇君も彼女の戦いぶりを目の当たりにしたと。そういう事みたい。

 この状況で攻撃の手を止めてまで、風皇君が茫然と綿津御さんを見詰めるのも判る。私だって、彼女の実力を前に開いた口が塞がらない思いだし。

 綿津御さんは強い。問答無用で強い。確かに1人で長年旅をしてきたとは言っていたけど、まさかここまでだとは。風皇君はさっきまで彼女の言葉を信じてないようだったけど、これで完全に信じたと思う。これだけの腕前があれば、この世界を1人で渡り歩いてきたっていう言葉にも充分な説得力があるもの。

 寧ろ、疑う事の方が難しいぐらい。


「ウエインちゃん!」


 思考の世界に没入していた私へ、唐突に綿津御さんの呼び声が届く。

 それを受けて我に返った瞬間、私は、自分の方へ挑みかかって来るアクトレアを見た。


「え? はっ、わっ!?」


 綿津御さんの脇を越え、風皇君の弾線を潜り、私へと迫ってきた第1種アイン

 もう眼前まで来ていたソイツが、鋭利な5指を揃えて腕を引いたかと思えば、瞬く間もなく突き出してきた。

 本当に咄嗟の事で、私には相手の動きを見る以外に出来る事はない。でも次の動きを考えるより先に、私の体は横合いへ飛び出すような形で勝手に転がる。

 異形から繰り出された一撃は私の左頬、その数cm先を貫き、見えざる空気の層を抉った。私はそれを横目で見つつ、反射的に動いた体のお陰で、事なきを得た事に安堵する。

 それもこれも、出会ってからの数百時間で私に戦い方、生き残り方のイロハを教えてくれた風皇君のお陰だ。そしてもっと以前に、私へ体捌きの基礎を叩き込んでくれた家庭教師せんせいのお陰。

 私が今の刺突を辛うじて躱せたのも、2人の教えがあったからこそ。本当に幾ら感謝しても足りないぐらいだよ。


 横転しながら敵の横合いへ逃れた私は、視界の中心に相手を捉える。

 能面のような顔をした生物とも機械ともつかない相手、アクトレア第1種アイン

 風皇君や綿津御さんは簡単に倒していたけど、コイツの機動力と攻撃力は侮れない。あの腕が放つ一撃は、人間の体を容易く切断する程の威力がある。生半可な実力では勝つ事の出来ない難敵だ。つまり今の私にとっては、決して油断出来ない恐るべき強敵という事。

 今のような幸運な反射が何時までも続くとは思えない。余所見などせず、全力で立ち向かわないと敗北は必至。風皇君も綿津御さんも、壊された窓から侵入を続けるアクトレアへの対処に追われ、他に意識を向ける余裕はないみたいだし。2人の助けを期待しちゃ駄目。コイツは私が、私自身の手で倒さないと。


 戦う為の力なら、ある。

 兄様が皆に黙って旅立つ前夜、私にくれた大切なお守り。兄様が都市の外で見付けたという、不思議な力を持つ黄金の腕輪。

 今も私の右手に嵌まっている。際立った意匠は何も無いけれど、仄かに温かなブレスレット。


「私は負けない。こんな所で、負ける訳にはいかない!」


 正面に在るアクトレアを睨んだまま、己の決意を口にする。

 吐き出す息が、何時も以上に熱い。胸の奥で鳴る鼓動。その速度も、大きさも、何時も以上。

 私は緊張しているんだ。情け容赦ない異形の怪物を相手に、これから命の奪い合いをする。戦いの実感が戦慄となって全身を駆け抜け、四肢の筋肉を引き締める。血液の流れが数段増したような気さえする。

 それでも目を逸らさない。顔を背けない。逃げ出したい気持ちは叩き潰す。

 覚悟は決めた。迷いもない。私は兄様を見付けだすまで、歩みを止めないと誓ったんだ。背を向けないと決めたんだ。

 私は戦う。そうだ。戦って勝つ!


 思い描く。

 頭の中に。心の奥に。私の振るう、力のイメージを。

 敵を屠り、道を拓き、困難を砕く為の、私の力を。

 知っているから。思うだけでいいと。強く念じるだけで、兄様から貰った腕輪は、その力を解き放つ。私の手に、私の力を与えてくれる。


 光。

 ブレスレットが輝き、自らの在り様を今、光の内に組み替え始めた。

 確かな形を持っていた腕輪は光と化し、包んでいた手首を離れて1つの球へ至る。けれどすぐに球は大きさを変え、縦に長く伸び上がった。私の背を越える程に拡大すると、今度は幅を広げて別の形を作り出す。

 私の手へ収まる握りが生まれ、その前後に分厚く巨大な刃を形成した。それが成るや、光は風に吹かれた水疱の如く散り消える。その内側から、大振りの両刃を備えた、上下双刀の大剣が現れ出た。

 2本の大刃に挟まれた柄を右手へ握る。そのまま太刀を寝かせ、私は身を沈めた。剣を水平に構え取り、敵との間合いを計る。

 重さは感じない。まるで一枚の羽根を手にしているような軽さ。それでいて確かな質量と、存在と、感触は充分に。

 持ち主にだけ重さを感じさせない武器。その狙いを相手の体へ定め、私は踏み出す。


「ハァァァッ!」


 全ての感情を叫びに乗せて、喉奥から吐き出しての気合い一閃。

 体を捻るようにして、右腕を振り抜く。両脚に全体重を掛け、握る手に全ての力を込め、一気に、必殺の一撃を。

 異形も動く。私を見て、腕を構え、突っ込んできた。それからは一瞬。歩を止めるより早く、奴の腕が、細さ故の速度で走る。

 アクトレアの腕が真っ直ぐに突き込まれて来る刹那、その真下を、私の愛剣センテンツアが駆けた。

 眼前へ見えた5指。その先に在る大剣の刃。握る腕へ伝わってきた手応え。

 私の剣が、黄金の両刃剣センテンツアが、第1種アインの胴体を打つ。そして減り込み、尚も進み、止まらずに、断つ!


「ラァァァァァァッ!」


 更なる気合いを込めて、全力の咆哮を上げて、私は腕を振り抜いた。

 肉厚なる黄金の刃が異形の胴を斬り、上下へと二分して、背面から外へと走り出る。

 壊れた窓から入り込む外部の光を照り返す、分厚い大刃。そこへ万遍に付着する深紅の流液。裂かれた異形の断面からは、同じ液体が溢れ出た。

 私の頭の斜め上を、アクトレアの鋭腕が過ぎっていく。既に力を無くし、狙いの外れた無音の徒手。目的なく宙を行く腕は、それから程無く下降を始めた。胴を断たれた異形の体が、緩やかに、床へと沈む。


「……勝った」


 無意識のうちに、口から一言が零れ出る。

 渾身の力を込めた一振りで、最初の一撃で、私は勝利を得た。第1種アインを倒し、掲げた誓いを見事果たした。

 胸の奥が震えている。小さく弱々しく、それでも止まらず、熱く雄々しく。

 胸中に湧く、この感情は歓喜?

 ……いえ、これは安堵。自らの命を繋げられた事への、生き永らえた事への安心感。

 勝利の余韻は遠く、薄い。全身へ広がった緊張は未だに解けず。でも、確信はある。勝った事への、違えようない確信が。


「勝った、んだ」


 もう一度、今度は意識して口にする。

 勝利の結果を、声に出して自分に聞かせる。

 そうすると、腕と脚が、指先から肩が、腿から踵が、胸から腰が、体の全てが、小刻みに震え始めた。

 これは私にとって何度目かの勝利。だけど戦いの後は何時も、怯えが、恐怖が、戦慄が、後から我が身を襲い遣る。


 まだ全ては終わっていない。安心するのはまだ早い。

 震える体に意識を巡らせ、その全てを抑えてる。大剣を手に、背筋を伸ばし、次なる相手へ、戦いの場へ、視点を向けて。

 私は新たな一歩を踏んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ