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話の52:終わる時代、始まる世界(+1)

「待って!」


 薄らぐ視界を前に、私は反射的に叫んでいた。

 考えるより先に発せられた声は、思った以上に大きく響く。

 それは一瞬後には空気へと溶け込んで、何を為す事も無く緩やかに消えた。

 後に残るのは静寂。


「……あれ? 此処、は?」


 自分の声が霧消して数秒、数度のまばたきを経て、私は初めて気付く。

 今、見えている世界は闇。深い黒。

 青空も、草花も、異形の怪物も、今の今まで見えていた物は何も無い。真璃亜まりあ赤巴せきは君の姿もないし、気配や存在感すら欠片程もありはしない。


「……私の、部屋?」


 両目をしばたかせた後、首を回し周囲を見てみる。

 闇の奥に、見覚えのある調度品が確認出来た。

 西の壁際に置かれたタンス、それに並ぶ鏡台、反対面にある机と椅子、四角い部屋の真ん中に位置付く小さなテーブル。そして部屋の南淵に設けられた、今、私が身を預けているベッド。


 もう一度周囲を見回し、位置関係を確認する。

 家具の意匠や配置を順々に追い、記憶の中のそれと照らし合わせる。

 程無く全てが合致して、此処が何処なのか確信を得られた。

 オーベール領区の大商人、ブロークンハーツ家の邸宅内にある部屋の1つ。屋敷の主であるイスラエルより私に宛がわれた客室だわ。


 私は室内に置かれたベッドの上で、パジャマ姿のまま体を起こしていた。

 大きく捲れたシーツが、足側に投げ出されている。

 暫くそれを見ていて、眠る前に肩まで掛けた物だという事を思い出した。

 叫んだ拍子に体を動かし、跳ね飛ばしてしまったらしい。


 そう、私は此処で眠っていたんだ。

 この屋敷で働いている使用人メイドが用意してくれたパジャマに着替えて、彼女達が整えてくれたベッドに入り、部屋の明かりを消して、瞼を閉じた。

 それから、今後の事をあれこれ考えて、でも結局なにが判るでも決まるでもなく、体の内側でシコリのように固まった不安を残したまま、何時の間にか眠ってしまい……

 気付いたら、今は無いルナ・パレスの中に、行た。


 机の上方、壁に掛けられた時計を見る。

 長針は12、短針が指すのは1。12時5分。

 私が眠ったのは確か12時少し前だったから、10分も経っていない。

 だけどルナ・パレスで過ごした時間は、もっとずっと長いように思う。少なくとも、私はそう感じた。


「……夢?」


 お母さんとお父さんのお墓。その前で出会った真璃亜と赤巴君。彼女達との会話。突然現れた怪物。

 あれは全部、夢だったの?

 でも夢にしては、とてもハッキリと憶えている。ほんの少し前に体験した事のような、そんな感じもする。

 時折視る真っ暗な闇と、そこに響く声。あれよりも余程、現実味があるように。


 けれども此処は私の部屋で、時間も然して経過していない。

 お墓の前でも無ければ、あの場所にあった空気が漂っている訳でもなく、2人の居た痕跡さえもなくて。

 境目が曖昧すぎる。現実なのか夢なのか、どちらだと決め付ける事が難しい。

 唯一確かなのは、胸の奥に残っている幾多の思い。

 1番の友達で大切な親友、真璃亜ともう一度会えた事への驚きと喜び。

 強引で勝手だけど、とても妹思いで真っ直ぐな赤巴君に感じた胸の高鳴り。

 過去にお母さん達がやっていた事を知った時、体を震わせた不安と苦しさ。

 野望の為に災厄を引き起こし、数限りない不幸を振り撒いたティダリテスへの怒り。

 今も心に刻まれて、鮮やかなに輝く感情達だけは信じられる。信じるだけの価値が、そこにはあると思う。


 胸に灯る想いを以って、あれを実体験の事実だと、そう決めたい。それでも頭が完全に認めないのは、明確な証拠がないから?

 夢なのか、現実なのか。

 記憶で漂う白雲のようにアヤフヤで、答えは見えない。見付からない。

 いったい、どっちなの……


「勇魚、起きて!」


 私が思案に耽る事で、室内を満たしていた沈黙。

 その中へ突然に落とされた荒く大きな声。

 闇に閉ざされた空間全体へ、ざわめきの波紋が瞬時に広がる。静かな湖面に投げ込まれた小石を連想させる、そんな始まりの音。

 出所は極めて近い。

 北側の壁、私の丁度真正面にある扉が、簡素で小さな駆動音を上げて左方へスライドした。開かれた内外の隔たりを越えて、外部の明かりが入ってくる。

 それと共に室内へ駆け込んできたのが、大本命たる静寂の破壊者。首筋で緑の髪を切り揃えた、勝気な印象の少女だ。


「ライナ、そんなに慌ててどうしたの?」


 白い羊を万遍まんべんにあしらったパジャマ姿で、予告もなしに遣って来た来訪者。私は驚きを隠さないまま、彼女へと問う。

 その様子から只事でないのは明らかだもの。こちらもベッドから足を下ろして、向かい合う形で立ち上がった。


「起きてたの?」


 ライナもまた驚いた顔をしている。

 私が起きているとは思ってなかったみたい。

 早々に対応した私を見て、少しばかり目を丸くした。

 けどそれも一瞬。次には気を取り直して、こちらへと背を向ける。


「それならいいわ。緊急事態なの、ユイ様の部屋まですぐに来て」


 開いたままの出口を早くも潜ろうと半ば身を乗り出した状態で、ライナは早口に告げてきた。

 どうしたのかは判らないけど、こんなに急いで呼びに来た事を考えると、本当に大変みたい。

 さっきの一時が夢か現実か、それを考えるのは後にして、彼女に従い動いた方が良さそうね。


「判ったわ」


 私は返事も短く、ベッド下に揃えておいたスリッパを突っ掛ける。

 その間にライナは室外へと進み出て、皆の部屋が並ぶ大廊下を歩き始めた。

 勿論、私もすぐさま後を追い、自室を飛び出し彼女へ続く。


 私達が部屋を出ると、センサーで入室者を随時チェックする扉が、通過者を確認して自動的に閉まった。

 更に登録した声紋に反応して開くロックが掛かり、それを知らせる小音が鳴る。

 全自動で開閉と施錠をしてくれる扉を越えて外に出ると、長い廊下は明度の高いライトで煌々(こうこう)と照らされていた。

 今まで暗い部屋の中だったから、ちょっと眩しい。思わず手を翳し、眼の上にひさしを作ってしまう。

 そんな私には目もくれず、ライナは足早に且つ、黙々と通廊を進んでいった。

 けして走ってはいないけど、急いでいる事が充分に判る歩調で遠退く彼女へ、私も遅れじと速度を上げる。


 奥行きのある長い廊下。天井は高く、横幅もあって、あまり閉塞感はない。

 壁には色鮮やかな絵画が並んでいるし、所々に観葉植物も置いてあるから、見た目にも楽しいし。

 それでもこの道を進んでいると、今の時代で初めて目覚めた時、行く先判らず彷徨った研究所を思い出す。

 あの無機的な廊下とは端々から違うのに、そう考えてしまうのは全体的な雰囲気の所為かしら。

 今思えば、あそこが私の未来世界始まりの場所だったのよね。

 あそこで目覚めて、傷付いた男の人に会って、私は死んでるとかいう信じられない話を聞かされて、それからインフィニートに捕まって、ユイに勇者様と呼ばれて……

 あの研究者風の男性が生きていたら、もっと詳しく私の事や状況を教えて貰えたのかな?

 何処でどういう風に私は見付かって、どういう経緯で甦らされたのか。納得するまで、もっとちゃんと、話して貰えた?

 夢とも現実ともつかない場所では、真璃亜が再構成したとか何とか、そんな話もちらりと聞こえてきたけど。

 本当に、私は何なんだろう。勇者というのが私なら、その時の記憶を取り戻せば、全ての答えが出るような気はするんだけど。

 まだまだ、判らない事だらけね。


「ライナ、いったいどうしたの? 何があったのか、教えてよ」


 1度考え出したら際限なく湧き上がる自分への疑問。

 それを振り払う為に、私は前を進むライナへ質問を投げた。

 でも彼女は歩を止めないし、緩めないし、また振り返る事もない。

 ただ前を見たまま左右の脚を忙しなく動かして、先の見えない通廊を歩く。


「インフィニートが動いたの」


 問い掛けから数秒して、ライナは同じ姿勢を維持したまま答えてくれた。

 でもその声は思いの外、固い。

 彼女達、女神代行守護者ミネルヴァガードにとって、インフィニートは長年戦い続けてきた宿敵。ましてや今や、その一翼に故郷を奪われているんですもの。連中に対する思いは並々ならぬものの筈。

 言葉の中に抑えられない感情の一端を覗かせてしまうのも、仕方ない事よね。

 しかもそいつらが大きく動いたとなれば尚の事。平静でいられないのも判るわ。


「動いたって……まさか、此処に向かってきてるの?」

「いいえ。要塞から全兵力が移動を始めたんだけど、向かってる先は別よ」


 ライナは前を見たままで、警戒と憤激の合間にある声を発す。

 彼女の言葉を聞いた瞬間、急に私の鼓動が早まった。

 嫌な予感とでも言えばいいのか……物凄く不吉な胸騒ぎがする。


「それって、もしかして……月の遺跡?」


 喉から出た声は震えていた。

 胸を締め付けられる感覚が更に強まり、呼吸さえ苦しく感じてしまう。

 前へ前へと押し出していた脚は唐突に止まり、私は自分の意思と無関係に歩けなくなった。


「よく判ったわね」


 私の動きが止まったのを察してか、それとも驚きの為か、ライナも歩を止める。

 それから初めて振り返り、私の目を見て頷いた。

 私より年下の女の子は、その顔に危機感と、ある種の焦燥を湛えている。今、私が感じているのと同じ類の不安を抱いているのかもしれない。

 私達はお互いに、正体ない緊張へ全身を包まれていた。


「イスラエルの部下が衛星写真で捉えたのよ。奴等の要塞がもぬけの殻になって、中に居たのは全て遺跡へ行ってしまった。しかも、クリシナーデ領区に居座っていたヤクモ・クリシナーデの部隊までが移動してる」

「つまり、今なら領区を取り戻せるって事?」

「そのチャンスではあるけど……」


 依然として震えの治まらない私の問いに、ライナは表情を曇らせて目を伏せる。

 Yesと答えられないその理由は、私にも判るよ。

 確かにクリシナーデ領区奪還の最難関であるヤクモが居なくなったのは、とても大きな好機だと思う。でも、それ以上にこの状況が問題なんだ。

 インフィニートの全てが、月の遺跡へと大移動を始めた。何故? 連中は何をするつもり?

 不透明な答えは酷く不気味で、またとてつもない危険性を孕んでいる。そのくせ何かが透けて見えるようで、なんとも落ち着かない。


 ……ううん。少なくとも、私には思い当たる事が、ある。

 真璃亜や赤巴君との出会いが現実ならば。

 このインフィニートの動きが、これ以上ない程に明確な答えを私に突き付けてくる。

 認めたくない、最悪の解答を。


「っ!? な、なに!?」

「あぅっ……あたま、が……」


 唐突に、それは起こった。

 痛み。頭の中に、表現のしようもない猛烈な痛みが、走る。

 耳鳴りに似ているようで、でも違う。もっと、奥に深い、脳味噌を直接掻き回される様な、耐え難い、痛み!

 とても、立ってはいられない。全身から力が抜けて、私は、その場に、崩れ落ちる。

 急に始まった異常な頭痛は、私だけを襲っている訳じゃ、ない。

 見れば、ライナも私と同じに、頭を押さえて、床に、膝を付いていた。


「これは……まさか、うっ……本当、に……」


 痛みが、激しすぎて、自分の声さえ、聞き取れない。

 それでも、強引に、脚へと力を、注ぐ。

 踏ん張って、少しだけ、立ち上がり。廊下の、壁、開けられた、窓の1つへ、近付く。


 痛みが、更に、増す!

 もう、ライナはうつ伏せに、倒れ、動かない。

 他の、皆も……多分、同じ。


「くぅっ!? ……あ、ぅ……い、せき……」


 猛烈な痛みと、眩暈の、中……見える……

 窓の外、で、聳える、遺跡……が……

 黄金に、輝き……光……一気に、膨れ……爆ぜる……




 ……巨大な光に全てが呑まれ、消えた……

今回で第2部は終了です。

Interludeを挟んで、次から第3部となります。


今作は全4部構想で、第1部を黎明編、第2部を変動編としており、第3部は統合編と位置付けています。

1部と2部はある意味で序章。3部からが本編の肝となる、そのように考えています。

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