話の51:再会はあの場所で(3)
出所の判らない声だが、誰のものかは容易に理解出来る。
この重く圧し掛かる声調と、間断なく攻勢色を交えた独特の音色。それは1500年以上の時を越えて尚、依然として忘れられない。
聞き間違える筈も無い、アイツの声だ。
奴の声が響いてより数秒後、静江さんの墓石に赤い雷が落ちる。
深紅にそまった雷光が小さな墓石を駆け巡った次の瞬間、無機物である石質が、見るからに弾力のある肉感的な有機体へ組成変化してしまう。
僕等の目の前で硬い墓石が滑り気を帯び、濃い土色に変色するや、外側目掛けて急膨張を開始。今の今まで存在していた石物は、一瞬で原形留めぬ程に形容を変える。大きく膨らんだ脂肪塊の如き物体は、十字に近い形を取り、徐々に硬化を始めた。
左右へ伸びた突出部は質量を有したまま収縮していき、2つの怪腕として形成を整える。中心に立つ特に巨大な部位は、紅雷を纏ったまま随所の彫りを深め、短い時間経過と共に異形の頭胴として作られてきた。
僕等の眼前でそれが取る形態は、子供の胴回り程もあろうかという双腕と、3m近くある筋肉質な巨体、これらを覆う濃茶の外殻で固められた怪物。
頭部には血の色に輝く眼球が2つ並び、縦横に開く口腔が覗く。耳も鼻も無く、硬質な外皮で包まれた顔に表情は皆無。
両脚はなく、代わりに芋虫のような節状腹体が全身を支え、大地を踏み遣っていた。
僕の美的感覚には到底そぐわない醜悪な異容。1度見たら忘れられないそれは、アクトレア第5種だ。
変態を終えた異形から目を離し横方を見ると、顔を青ざめさせて驚愕に固まる勇魚の姿があった。
両親の墓が突然怪物に変わったんだ。絶句するのも無理はない。
まぁ、彼女のショック具合はどうでもいいんだけど。何時までもでも好きなだけ呆けていてくれ。
でも僕の恩人である静江さんの墓石を、化け物の構成基体に利用したのは許せないな。
『ほぉ、誰かと思えば、1500年前に余の邪魔をしてくれた面子ではないか。よもや、こんな形で再会しようとはな』
異形の両眼が僕等を捉える。
血色の瞳に当てられて、真璃亜が緊張から身を硬くしたのが判った。
4方向へ開閉するアクトレア口部より、奴の声が聞こえてくる。
それは本来、ありえる筈のない声。怪物の姿からして声帯の構造は人間と違う。だから人の言葉を話せる訳がない。
だが目前に立つ第5種は、僕達に認知可能な言語を操っている。
考えられる事と言えば、意図的に体構造を変成させてあるという事ぐらいだ。僕達と話す為にわざわざ。
そんな事が出来る、あの声の持ち主を僕は1人しかしらない。
「アンタこそ、随分と愉快な格好になったじゃないか、ティダリテス。何時から人間を止めて、化け物の仲間入りしたんだい?」
対面の異形を睨み、皮肉を込めて言ってやる。
それと共に立ち位置をずらし、真璃亜を護れるようその前へ。
『1000年以上も昔に肉体は消滅してしまったのでね。君達のお陰で、だ。止む無くこうして代行体を使っているのだよ。なに、これも慣れれば使い勝手がいい。なんなら、君にも宛がってやろうか?』
表情の無い顔で、声だけが笑う第5種。
その目は僕達を捉えたまま離さない。
太い腕の先にある歪な五指が、奴の言葉に合わせて不気味な動きを見せた。
「ごめんだね。アンタと同じ次元に堕ちてまで、生きる続けたくはない」
『無論、冗談だ。君の意識を現実世界に復帰させてやるつもりなど最初から無いよ』
対峙する僕と異形は強視線を交差させたまま、温度の低い言葉を交わす。
久方ぶりの再会に対する感慨も喜びも、双方には絶無。互いに相容れぬ感情の断層を挟み、憎悪を越えて剥き出しの敵意をぶつけ合う。
僕も奴も、各々の立場や目的、意思を理解しようとは思わない。その必要もない。僕達は何処まで行っても敵同士。それだけ判れば充分だ。余計な感情も、意識も、差し挟む事はないさ。
『今日は君の相手をする為に来たのではない。余が話したい相手は別だ。……真璃亜君』
異形の眼が動き、僕の肩越しに真璃亜を見る。
それに対するあの子の怯えが、背中を通して伝わってきた。
僕の奴を睨む目に、自然と力が入る。
『さぁ、かくれんぼはもう終わりだ。いい加減、無駄な抵抗を止めて意識を手放し給え』
異形の口部が4方へ動き、威圧的な音調が静かに流れかかる。
この空間全体の空気が、数段階分は重くなったような体感。
その中心に在るアクトレアは、右腕を伸ばして真璃亜を指し示した。
「ど、どうして、此処が判ったの……バレないと思ったのに」
震えている真璃亜の声。
小刻みな震動が伝播した指で、彼女は僕の上着を掴む。
後ろでは我に返った勇魚が、真璃亜を庇うように1歩踏み出す気配があった。
『今の余に、遺跡の中で知れぬ場所はないよ。君が何処に居ようとも、余からは逃げられん。例えそれがネットワールド内に設けられた限定的な隔離空間であっても、遺跡の構造材へ埋設された主幹機構を用いて展開されている以上、見つけ出すのは容易い。多少、侵入にはてこずったがね』
異質で異様な怪物の顔が、無表情のままに薄い笑声を零す。
打ち漏らす鈴色の端声に合わせ、野太い右怪腕が中央から上下へ割れた。更に上段と下段でそれぞれが左右に別れ、計4本の奇怪な細腕を構築する。
『もう充分だろう。実際、君はよくやったよ。この1500年間、余に抗って遺跡への同調を拒絶し続けたのだから。君の精神力と覚悟にはただただ敬意を表すばかりだ。だからこそ、こうして最後通告に来た。大人しく、遺跡と統合してくれまいか』
「いや……嫌だ! そんな事したら、アンタが世界を、皆を滅茶苦茶にしちゃうじゃない!」
ティダリテスの言葉に、真璃亜が悲痛な絶叫を返す。
この瞬間、僕達が出会った場所は幾筋ものノイズに覆われ、全ての景色が不安定に歪み始めた。
青空が、白い雲が、大地を埋める草花が、全ての光景が壊れたテレビ画面を思わせる砂嵐状へ変わり、無音のまま広がっていく。
変容する世界を背景に、真璃亜は僕の後ろから脇腹越しに顔を出して、異形と化した大企業のCEOへ叛意に燃える視線を射込んだ。
『否定はしないがね。だがどちらにしろ、君にはもはや何も出来ん。肉体は既に遺跡の中枢へ取り込まれ、意識の大半も遺跡内側へと吸収された後だ。今残っている君は、微かに残留した自我の欠片でしかない。この空間とて、それほど長く保つまいよ』
姿は異常ながら、声は平静そのもの。
ティダリテスは大いなる余裕を持って、真璃亜へと言葉を送ってきた。
奴が正しいと言わんばかりに、此処は変質を止めない。乱れ続ける天地地平は、大部分が激しいノイズに浸食され、何も映さなくなっている。
真璃亜が僕の上着を握る手に、先以上の力が入ったのはその為なのか。
「真璃亜、どういう事だ?」
事の真偽を確かめたくて、僕は振り返った。
そして妹へ視線を落とし、その顔を覗きこむ。
僕と同じ色の彼女の目を真っ直ぐに見て。
「……お兄ちゃん、ごめんなさい。それに、いさっちも」
「真璃亜?」
僕から顔を背けて俯き、真璃亜は謝罪の言葉を口にする。
意味する所が判らない態の勇魚が、疑問を面上に湛えて我が妹を見た。
「ティダリテスの言う通り、真璃亜はもう、殆ど居なくなっちゃってるの。今の真璃亜は、本当に小さな意識の端っこで、体も心も、遺跡に飲み込まれて存在してないんだよ」
目を伏せて、呟くように真璃亜は告げる。
小さくなってしまった声が、この子の心情を痛切に僕へと伝えてきた。それは勇魚にあっても同じらしく、彼女の顔は酷く悲しげで苦しげだ。
見れば肩も微妙に震えている。言葉に出来ない辛さが、胸の内に拡がり侵していく感覚。その重さへ喘ぐように。
「真璃亜の遺伝子と、それに癒着していた意識が遺跡と一体化する事でね、月の遺跡は本当の機能を取り戻すんだ。真璃亜の体は1500年前に遺跡へ取り込まれちゃたけど、意識だけはずっと抵抗して、頑張ってたんだよ」
『懐かしい話だ。1531年前、真璃亜君が遺跡の力を利用して再構成した勇魚君に、余は肉体を消滅させられた。だが記憶をデータ化し、遺跡の中枢機関に書き込む事で存在の消滅は辛うじて免れたよ。その後、真璃亜君が部分的に起動させた遺跡の機能を逆利用し、新たな肉体を再構成してね。彼女を遺跡に再度埋め込んでやったのだ』
4分割した腕をそれぞれ別運動で動かし、ティダリテスが声だけで笑う。
知らなかった事実に憤激を実らせた僕は、もう一度奴を睨みつけた。
胸の奥で燃える激熱が意識を焼き、妹に手を上げた憎き相手へ殺意の衝動を迸らせる。
何の変化もない醜き顔で正面から受け止める怪物は、腕を揺らして血赤の双眸を光らせた。
それは僕を挑発しているようで、更なる怒りを胸中へ呼び起こすには充分。
『だが彼女は予想以上に強かった。精神的にだ。肉体を失って尚、遺跡に意識を溶け込ませず、それどころか、遺跡の機能を更に引き出し、その場に在った全てを遺跡外まで強制転移したのだ』
異形の指が、唐突に僕を指した。
奴の口が上下左右へ開き、僕を見たまま厳かな声を紡ぎ出す。
『君の屍をも再生させ、遺跡から連なるネットワールドへ霧散した記憶情報を再編成し、脳内にアップロードして甦らせる作業も同時に行ってね。尤も、慣れない遺跡の力を使った所為で記憶の復帰に問題が生じ、転送先にもタイムラグが出来てしまったようだがね』
ティダリテスの言葉を受けて、悔しいが漸く合点がいった。
1500年前、真璃亜を護って戦い、ティダリテスに負けた僕が生き返った理由。やはり真璃亜が遺跡の力で僕を現世に呼び戻してくれたんだ。
ネットワールドと言えば、1500年前より存在している超広域情報領域。人類のあらゆる知識が無限に存在するという高次元電脳空間だ。
昔はUPCSを使って手軽にアクセス出来たけど、大異変以後、ネットワールドにも異変が起こり、誰も情報を引き出せなくなった。人類の科学力後退は、ネットワールドにアクセス出来ず、膨大な情報を知り得る手段が無くなった事も関係しているんだろう。
そんなネットワールドは、僕等が存在する現実空間の対面、表裏一体である虚数領域に構築されていると聞いた。
虚数領域は物質的存在のない、情報のみによって成る非物質世界だという。人も動物も物質も、全ての存在が現実空間に在るのも、『それが其処に在るという情報』が虚数側に存在しているからこそ、なのだとか。
虚数領域に在る情報が、現実空間での存在に繋がる。そんな話を、昔、あの女から聞かされたな。
肉体を失う、物が壊れるというのは、虚数側の情報が、同じ虚数側の別情報によって干渉を受け、書き換えられる結果らしい。
現実空間での死とは、個を認識する為の意識・それを構成する記憶という情報が虚数領域にて分解・霧散し、他に取り込まれ消滅してしまう事。膨大な情報の流れに溶け込み、それまでの形成を失い消える事。
ネットワールドは、そうした虚数領域に構築された情報領域。
月の遺跡へ最初に挑んだ人々が、遺跡の構造材から虚数領域への接触方法を見付け出し、それを研究・解析する事で造り上げた人為的な特殊空間。
虚数領域の内部に存在しているけれど、虚数側の何にも干渉されず受けず、独立している。情報の保管庫みたいな物だ。
所詮、人間ではどう頑張っても虚数領域を弄る事なんて出来ない。電子装備を利用して、知識の書庫を設けるのが精々さ。
だが真璃亜は、虚数領域で分解消滅した僕の記憶情報を拾い集め、もう一度『僕』として再生させてくれた。肉体も修復し、新たに組み上げられた脳へ再統合した記憶情報を書き込み、僕を甦らせてくれたんだ。
それが意味する所は……
「真璃亜、遺跡の力とは、もしかして」
「……虚数領域に干渉して、意のままに情報を組み替える。自分の思い通りに、際限なく、自由自在に、だよ。つまりね、この宇宙を、好きなように出来るの」
僕の問いに、真璃亜は顔を上げて答える。
両の瞳は潤み、頬は赤い。
どうにもならない流れへ翻弄される、無力感に苛まれた顔だ。
夥しい後悔と、悲しみと、自分自身を呪うような。
とてもいたたまれない。絶望色に濡れた、この子の瞳は。
『宇宙改変装置。凡庸な表現だが、遺跡を制す者が、虚数領域と現実空間を統べる神となるのだ。余が何を押しても欲す理由、判って貰えたかな?』
低く高尚な声が、異形から聞こえてくる。
その容姿と掛け離れ、酷く不釣合いな声音は、僕の意識に鑢めいた過雑さを付与してきた。
感情の波が全身に満ちるのを感じながら、僕はそっと、真璃亜の頭を撫でる。
泣きそうな目許を指で触れ、零れ落ちる寸前の涙を拭ってやった。
指先に小さな雫を付けた後、年下の妹へ優しく笑いかける。つられてかもしれないけど、真璃亜もはにかむように笑ってくれた。
「ああ、良く判ったよ」
真璃亜を背にし、僕はもう一度振り返る。
禍々しい異形が、瞳に映った。
「アンタにだけは、遺跡も真璃亜も渡せないって事が」
怪物の全容を視界に収め、強く睨む。
世界の為でも、他の誰かの為でもない。僕の唯一大切な存在、妹の為に。
ただ、真璃亜の為に。
この子が悲しむ事はさせない。この子が望まぬのなら、僕はそれを打ち砕こう。例えどれ程大きな壁でも、必ず。
『異な事を言う。この状況で、君はどうしようというんだ? 真璃亜君は既に消えかけている。今残存している最後の意識片が遺跡へ取り込まれれば、それで終わりだ。彼女という存在を得て、遺跡は真の力を発揮するだろう。同じく遺跡へ融合した余の意思を反映してな』
奇妙に折れ曲がった指を動かし、未分化の腕が空を切る。
ノイズによって一変した空間に、ティダリテスの厳声が高らかに響き渡った。
勝利を確信した者の声が。
『そもそも、君とて既に死者の身だ。今は真璃亜君が君の記憶情報を再編し、この空間に留めているにすぎない。彼女には既に実体を再構成する力はないからね。この空間が消えると同時に、君も虚数領域へ散るは必定。そんな身で、何が出来ると?』
嘲弄の含みを持たせ、巨体の異形が笑う。
負の気を十全に満たした毒性の強い声は、聞いているだけで精神的安定を損なわせる。
そうして浮かび上がるのは、猛烈な憤怒と叛逆の意志。双方共に僕と馴染み深い感情だ。ティダリテスを前に、これほど都合のいいものもない。
しかも僕は既に死んでいる?
そんな事は今更言われるまでもない。逆に言えば、死んでいるからこそ何も恐れる必要が無い訳だ。
この空間が消えるという事は、真璃亜が消えるという事。真璃亜が消えるという事は、僕の生きる意味がなくなるという事。つまり最初から僕に選択肢はない。迷う必要も、そのつもりもね。
真璃亜が消えた時、僕も一緒に消えるならそれで充分。最後の瞬間まで、この子の為に戦おう。
何者にも決して覆せない、それだけが僕の存在意義だ。
「アンタは真璃亜を連れに来たんだろ? だったら、最後までその妨害をしてやるよ。僕の目が黒いうちは、真璃亜に指1本触れさせない」
奴を睨んだまま、呼気と共に言葉を吐く。
1歩前へ歩み出て、上着掴む真璃亜の手を離させた。
これでもういい。
意識を集中し、体に力の流れをイメージする。
それは僕にとって、呼吸するのと同じ事。何の難しさもない。コツも、切っ掛けも必要ない。
ただ思うだけ。それだけで、僕の体は、僕の細胞は、僕の遺伝子は、己が身に宿る力を引き出してくれる。全てを熱し、破壊し尽くす滅びの力を。
僕の全身から噴き上がる、赤き波状の力。揺れ動く流体のように視覚化された、膨大なエネルギー。触れるモノ全てを無条件で消滅させる、絶対の特異能力。
数多くの次世代品種を消し去った『熱破の力』だ。
『余とまた戦り合うつもりかね? どんなに時間を稼いでも、無駄でしかないのだぞ? 真璃亜君が余の妨害をすべく施した遺跡の封印も、既に解除してある。必要な鍵は大凡手に入れたからな。判るかね? もう君達に後などないのだ』
「それで?」
驚きを滲ませたティダリテスの諭し。
だが僕はそれを一蹴した。
アイツが何を言おうと、もうそんな事は僕に関係ないからだ。
真璃亜が居る限り真璃亜を護る。僕にあるのはそれだけ。
無意味? 無価値? 知った事か。
真璃亜を護るのに、理由なんていらない。真璃亜が其処に居る事。それだけあれば、意味も価値も充分だ。
『……つくづく君は愚か者だな。打算的でさえない。ただ1つの命令を何時までも守り続けるロボットだ。人の姿と、思考を持った、君は操り人形だよ』
「アンタに言っても無駄だろうけどね、僕は本心から真璃亜を愛してる。この子を護り抜きたいと思うのは、僕自身の意思だ」
『精神深奥への刷り込みで、そう思い込んでいるだけだよ。君は何時までも、光瑠君の奴隷だ。ふふふ、余に最後まで楯突いた相手が、生き人形というのも一興。だがその前に、真璃亜君の意思を聞いてみようではないか。此処の主役は彼女なのだからね』
異形の容姿でくつくつと笑い、第5種の腕が真璃亜を示す。
赤き炎に見える破壊の力、それを全身に纏わせたまま、僕は真璃亜へ判るよう頷いた。
あの子が何を望むかで、この力の使いようも変わる。今は奴の言葉を聞き入れ、真璃亜に選択を委ねるのも悪くない。
化け物まで堕ちたティダリテスにしては、存外にまともな意見だな。
「真璃亜は……真璃亜は……最後にもう一度、お兄ちゃんと、いさっちに会いたかった。だから意識が消えちゃう前、ネットワールドに電離空間を作って。それで、お兄ちゃんの記憶を集めて、いさっちの意識をリンクさせたの。真璃亜達が最初に逢った場所で、もう一度、3人で会いたかったから」
僕の背方で、真璃亜は切々と語る。
泣きそうな声。悲しげな雰囲気。時折漏らす嗚咽。
それでも懸命に、自分の心を僕達へ伝えようと、真璃亜は言葉を続けた。
「真璃亜の大好きだったお兄ちゃん……同じぐらい大好きだった大切なお友達のいさっち……真璃亜はどうしても、2人に会いたかったんだよ。会って、お話がしたかった、謝りたかった。だから……だから……」
真璃亜の声が空間に響く。
既に最初の姿は微塵も残していない、ノイズに塗れた異常な空間。だが真璃亜の消え入りそうな、それでも必死に絞り出される声が融け込む度、周囲のノイズが少しだけ治まっているように思えた。
ノイズの奥で、映像らしき物が揺れているようにも。
「真璃亜……」
妹の名前を呼んだのは勇魚。
その一言に万感の思いを込めて、彼女の動く気配がある。
異形から視線を転じ僅かに振り向けば、真璃亜を後ろから抱き締める勇魚が見えた。
硝子細工を扱うような慎重さで、しかし愛しい者を手放さないよう力を込めて、真璃亜の肩から両手を回し。痛烈な感情を顔に浮かべた勇魚の下、真璃亜は涙を流して、彼女の手を握っている。
2人の姿を目端に捉え、僕は再び正面を見た。
其処に居るのは、背後の可憐な花々とは一線を画す、醜悪な異形の巨体。
「……真璃亜は、皆好きだよ。お兄ちゃんも、いさっちも、ラウるんも、ウーちゃんも、アッキーも、聖おばあちゃんも、日和おばさんも、皆、皆大好き。皆大切で、護りたくて、絶対に無くしたくない人達だよ」
「うん……うん……」
「だから真璃亜は、皆の為にね、一生懸命頑張ったんだ。ティダリテスの思い通りに遺跡を使わせたら、皆が生きられない世界に変えられちゃう。だから、発動寸前に機能を封印して、邪魔をしたの……でも、完全に妨害は出来なかった」
軽度のしゃくり上げに混じって流れる真璃亜の声。
僕の死後に起こった事実を教えてくれる言葉に、勇魚の押し出すような返声が被る。
遺跡の力を利用して復活したティダリテスは、真璃亜を遺跡の構造材に再度押し込み、強引に遺跡の力を使おうとした。何がしたかったのかは判らないが、恐らく、月を異なる物へ作り変えようとしたんだろう。
当然、そんな事になれば現存している人類は滅ぶ。構成の変異が始まった惑星で、人間程度が激変に耐えられる筈がないからだ。
真璃亜はそれを危惧し、奴が遺跡の力を発動させる前に機能を封印した。意識だけになりながら、皆を護りたい、救いたいという強烈な思い故に、遺跡の力を使って。
だがティダリテスの行動を完全には防げず、奴の行いも何割かは実現してしまう。その結果として起こったのが大異変という訳だ。月の環境を一変させ、地球を滅ぼした災厄。
もしも真璃亜が止めなければ、月はこんな変異では済まなかったのだろう。それでも人間が異変を越えて生き残れたのは、恐らくこれも真璃亜のお陰。彼等の無事を願い、庇護の為に遺跡の力を使った為だと思う。
月聖暦1531年現在の人類文明があるのは、須らく真璃亜の力に因る。この子は本当の意味で、人類を救った『女神』だったんだ。
しかも再生させた僕や、再構成した勇魚を始め、遺跡中枢に居た存在を外界へ転移までさせた。遺跡を完全に封じるべく、封印を設けた際に生じた解除キーを散らすのが目的か。
もしかしたら真璃亜は、僕に遺跡の鍵を守護して欲しかったのかもしれない。でも僕は転移された時に不具合で1500年後に着地し、しかも記憶が消えてしまっていた。再生が不完全だった可能性もある。
僕は真璃亜の為に何も出来なかった。あの子の期待にはまるで副えず、小さな願いさえ叶えられていない。それどころか大切な妹の事まで忘れ、自分の記憶を取り戻す為だけに月を彷徨う始末。
しかもユイが持っていたあのロザリオ、恐らくは鍵の1つをむざむざインフィニートに奪われてしまい、駄目押しに肉体の消滅だ。
今のこの状況は、僕の無能が招いてしまった事も同じ。これは全て、僕の所為だ。僕が真璃亜を苦しめ、悲しませ、消滅に追い込んだ……
己の馬鹿さ加減に嫌気が差し、自分で自分を焼き尽くした衝動に駆られる。自らに罰を科し、限界まで肉体を痛めつけねば気が済まない。そんな気分だ。
けれど、この期に及んでそんな事は無意味。
今更後悔しても仕方が無い。過ぎた時間は戻らないし、嘆いた所で事態が好転する事はありえない。
この状況で過去を悔やむ事ほど無駄な事もないだろう。
今、僕は自分に出来る事を、やらねばならない事を、最後までやり切るだけさ。
「ティダリテスは1500年前と同じ事をしようとしてる。今度こそ、自分の思い通りに全てを進めようと。……真璃亜はもうじき消えちゃうだろうけど、でもやっぱり、皆が好き。人間が好き。だから、今度も出来る限り、最後まで、真璃亜は戦いたい。皆を護る為に。昔いさっちが、真璃亜を護ってくれたみたいに!」
真璃亜の覚悟が、信念が、強い言葉になって響き渡る。
同時に周囲の情景からノイズが取り払われ、青空と草花が世界の中に甦った。
『それが君の答えか。まったく君達兄妹は、悪足掻きを美徳とでも思っているのではないかな? 敗北が見えているのに戦うのは往生際が悪いぞ。未来が決まっているのに抗うのは、醜いだけだ』
失望を含んだティダリテスの声。
第5種は両腕を蠢かせ、左右へ大きく広げた。
肩幅を越えて長く伸びた異形の怪腕。その獰猛な悪意が、僕達の前で爪牙を研ぎ澄ます。
「醜くても、価値を見出せるなら幾らでもやるさ」
異形と正対したまま言い捨て、僕は真璃亜の行動方針に自分の意思を固めた。
正面の化け物を睨んだまま、熱き力を面前へ集約させる。
布のようにも見える『力』が、纏わり付いていた僕の全身から流れ、渦巻きながら赤い壁を作り上げた。
熱波の特異能力から成る盾。全ての物質を、受け止め、焼き壊し、霧消させる滅びの護り。
「真璃亜、アレは作れるか?」
僕は振り返らずに真璃亜へ問う。
アクトレアの体を手に入れたティダリテスは、贔屓目に見ても易い相手ではない。正面から戦うのならば、ましてや負けの許されない戦いならば、万全の状態を期して挑む事が望ましい。
もっと強い力が使えるのなら、それに越した事はないさ。幸い此処は真璃亜が構築した擬似空間だ。僕の記憶情報を再編したように、虚数領域にたゆたう情報を部分的にでも引き寄せ、限定構成出来れるかもしれない。
そうなれば、かなりイイ戦いが、寧ろ勝利が収められるぐらいなんじゃないかと。僕は真剣にそう思っている。
「お兄ちゃん、真璃亜はね、遺跡の機能を封印した時、その鍵も作ったの。正確には作ったっていうより、反作用的に出来ちゃったんだけど……。それでね、生まれた鍵は真璃亜の意識を反映して、真璃亜の見慣れた物に宿ったんだよ」
覚悟を決めた真璃亜の声は、さっきまでの弱々しさを拭い去って、強健な意志の輝きを感じさせる。
耳に心地良い妹の明声は、僕にすぐさま彼女の言わんとする事を理解させた。
「それで、今何処に?」
「最後のアクセスキーは……」
真璃亜の振り返る気配がある。
あの子が見たのは己を抱く勇魚か。
「なに? どうしたの?」
「いさっち、鍵を持ってるよね」
「鍵? ……確かに、そんな事は言われたけど」
背後で交わされる2人の会話。
その最中、アクトレア第5種の巨腕が唸り、左のそれが僕へと襲い掛かってきた。
真正面から繰り出される豪速の拳打。筋肉質な太腕の一撃は、人間を挽肉へ変えるに充分すぎる威力を持っている。
だが生憎と、僕には通用しない。
分厚い外殻にて覆われた腕が、僕の前方空間で砕けた。粉々に散った肉片が瞬時に燃え尽き、塵も残さず消滅する。
僕の前面に張ってある熱壊の障壁が、異形の攻撃を防ぎ、衝突対象を容赦なく破壊したからだ。
砕けた拳は手首まで。焼き消えた関節から毒々しい色合いの流液が溢れ出し、大地の咲く草花を深紅に汚す。
異形は燃え千切れた左腕を引き、赤く瞬く壁越しに僕を見据えてきた。
「お兄ちゃんの傍に行ってあげて。いさっちの力が、どうしても必要なの」
「私の力? ……判ったわ」
背後では真璃亜と勇魚の会話が続く。
前では砕けた異形の腕が、損失部より筋肉を盛り上げ異常な膨張を始めていた。
傷口の内面から押し出されてきた構成筋組織がポップコーンのように膨らみ、恐るべき速度で萎み出す。その後に現れたのは、今損なわれた手だ。
歪な指を備えた怪物の手が、破壊される前と同様の形成で其処に生え出る。
第5種で最も厄介なのは、この再生力。傷付けても傷付けても、ダメージを負わせた先から回復してしまう。
こいつに有効打を与えるには、再生する間をやらず、大威力の攻撃で一気に止めを刺す以外にない。
『この体は倒せんよ。君達程度の力では、どうしようもない。それが現実だ』
開く口から漏れ出る笑い。
異形のティダリテスは修復された左腕を引き、2度目の豪打を撃ち放ってきた。
先刻と同じ様に赤の障壁がこれを破るが、今度は4分割された右腕が大きく薙がれ、側方から迫り来る。
前面に壁面を作ったまま、側面にも同様の炎壁を形成するのはワケも無い。僕の意思に呼応して力の対流が横方へ流れ行き、実体視さえ可能な高濃度のエネルギーによる防波堤を作り出した。
異形の4指が到達するより半瞬早く構築された壁に、勢い良く攻手が突っ込む。直後、目を覆いたくなる赤の閃光が弾け、微かな火の粉を散らして巨大な右腕は爆ぜ消えた。
アクトレアはこれで両腕を失ったが、即座に再生が始まる。失った部位を補うように筋肉が膨張し、続く収縮で損失箇所を同部位にて埋め合わせて。
「赤巴君、私は何をすればいいの?」
僕のすぐ後ろに勇魚が立つ。
多少は魔法の心得があるという彼女は、醜害の象徴とも言える怪物を前に、些か気を張っている様子。
別段彼女に支援や協力を要請するつもりはないんだけど、どうしても1つばかりやらねばならない事がある。戦力として期待はしていないが、今だけは必要だ。
「真璃亜が準備を終えるまで、時間を稼ぐのが僕の仕事だ」
「準備?」
「ティダリテスはもう一度、今度は完全な形で大異変を起こすつもりらしい。真璃亜は最後の瞬間まで、その妨害をしようとしている。遺跡に最後まで干渉し、出来るうる限りの事をしようと。だから僕も、最後まで真璃亜を護って戦うんだよ」
彼女の方は見ずに、異形を睨んだまま返す。
この間にも怪物の双腕は完全復活を遂げ、再び攻勢に転じてきた。
突破不可能だというのに、馬鹿の1つ憶えよろしく攻撃を繰り返してくる。恐らく僕の障壁が消えた時、間髪入れず攻撃を打ち込む為だろう。僕の力が長続きしないと踏んでの事か。
今の僕は実体じゃないとはいえ、本来の肉体から流出した記憶情報を元に構築されている。生前の記憶を忠実に再現しているから、特異能力を使いすぎれば擬似的な体とはいえ疲弊してくる。
意味合いは少し違うけど、幻痛という奴に近い。
まったく、人の頭っていうのは厄介に出来てるものさ。
「それなら私も戦うわ。私が魔導法士って知ってるでしょ? 文句は言わせないわよ」
「ああ、知ってるけど……でもその前に1つ用件がある」
「なに?」
僕の横、赤い障壁の内側で、勇魚は小首を傾げた。
その動作を感じながら、僕は左手を水平に持ち上げる。
「君は鍵を持っているんだろ? それを使わせてもらう」
「え?」
疑問の一言を発す勇魚。
それを無視して、僕は左手を彼女の胸へと当てた。
次の瞬間。
唐突に、予期せぬ痛みが顔を襲う。
それは全くの不意打ち。回避も防御も間に合わず、気付いた時には左頬に灼熱感が生まれていた。正直、何が起こったのか判らない。しかも大した勢いで腕を押し退けられた。
アクトレアが僕の護りを突破して攻撃してきた? いや、未だに防御は破られていないし、僕の体もまだやれる状態だ。
ならばどうして?
謎の正体を追い求めるように、僕は頭を動かして横方を見た。
そこで、顔一面を赤く染めた勇魚と目が合う。
彼女は両肩を激しく上下させて怒りを表し、今まで見た事もないほど強く僕を睨んでいた。
しかも右手が大きく振り抜かれたような形で止まり、開かれた手の形から何をした後なのかが読み取れる。
要はあれだ。勇魚が、僕の頬を思いっきり叩いた訳だ。
……あの女以外で、女性に殴られたのは初めてだけど。
「ど、何処触ってるのよッ!」
「は?」
勇魚は物凄い剣幕で怒鳴りつけてきた。
だがその意図は不明。いきなりだったので、僕は間の抜けた声で応じる他無い。
「ムネ……胸触ったッ!」
「……だから?」
「馬鹿ッ! スケベッ! 変態ッ! 赤巴君がそんな人だとは思わなかったッ!」
「馬鹿はどっちだ! この状況でセクハラなんてするわけないだろ!」
「痴漢は皆そう言うのよッ!」
勇魚は半分涙目になって、猛然と抗議してくる。
なんというか、凄まじい迫力だ。今にも殴りかかってきそうな程。
しかしこの女、何を言い出すかと思えば。勘違いも甚だしい。
こんな時、そんな事へ思考が回るなんてどうかしてるんじゃないか? それとも、女は皆こうなのか?
「誰が痴漢だ。だいたい言っておくけど、僕は大きいより小振りの方が好みなんだよ。生憎と、君のなんか触りたいとも思わないね」
「なによそれッ! しかもいきなりロリコンのカミングアウトとか止めてよッ!」
「ふざけるな! 誰がロリコンだ!」
「自分で言ったじゃないッ!」
こんな下らない事を、この危機的限界級の状況で、2人してギャースカ喚く事になるとは。
勇魚へ反論する最中も力の動きは手放していない。だから障壁は依然として存在しているし、ティダリテスの攻撃も防ぎきってはいるけど……
空気というか、雰囲気というか、調子がすっかり狂ってしまった。
なんなんだろうな、まったく。
『痴話喧嘩などみっともない、止めたまえ』
呆れた、というよりも諭すように、異形が仲裁の声を挟んできた。
敵にまで気を遣われてどうする。
真璃亜の事もあるから、少しは認めてやろうかと思いはしたが。やっぱりこの女、ただの馬鹿だ。とてもじゃないけど、理解は出来そうにない。
こいつが静江さんの娘とは、ちょっと信じられないな。似ているのは顔貌ぐらいさ。……落胆は隠せないね。
「煩い。誰が痴話喧嘩してる」
余計な気を回してきた異形を、憤怒と共に睨みつける。
奴にとやかく言われるのもまた腹立たしい。それもこれも、全部この女の所為だ。
「もういい、黙ってろ。すぐに済む」
これ以上無駄話をしている暇はない。そのつもりも。
だから他の全てを頭の中から切り捨てて、僕はもう一度、勇魚の胸に手を当てた。
「ひゃっ!? ま、またッ!」
小さな悲鳴を上げて、彼女は何か叫ぼうとする。
だがこの際は無視。一切無視。
意識はそこでなく、左手へと集中させる。
僕の身に宿る、遺伝子の奥底に書き込まれた力の流出をイメージ。荒ぶる破壊の息吹に、獄熱の焔を感じて。見えないものを見るべく、精神を研ぎ澄ます。
感覚だけで存在を認めた後、五指を握り込んで、それを掴む。
手に、確かな感触が生まれた。
意識を現実に引き戻し、自らの手を見る。
勇魚の胸部中心で、波紋のように空間が震えていた。掌程度の小さな泉、そう思わせる空間の揺らぎから、真っ直ぐ突き出ているのは長い柄だ。
「え? えぇぇ!?」
勇魚が自分の体から飛び出している物を見て、驚愕の声を上げる。
忙しないそれをBGMに、僕は握った柄をそのまま一気に引き抜いた。
腕の動きに合わせて空間上の波紋は広がり、内側から長大な刃を外へと導く。
現れたのは、僕の身長以上もある巨大な剣。紅く光る刀身に薄い焔を纏わせた、片刃の大太刀。
棟は真っ直ぐ伸びるが刀身は細くなく、若干肉厚で幅もある。鍔の部分は蝙蝠の翼に似た形状をし、握り側へ歪曲。ナックルガードの如き形を取った。
これで間違いない。1500年前、僕が使った業炎を司る神刀だ。
「な、なんで……なんで私の中から御神体がッ!?」
刃を完全に引き抜いた直後、勇魚が裏返った声で悲鳴めいた叫びを上げた。
彼女は自分の体と僕の剣を交互に見て、驚きのまま固まった顔で、口をパクパク動かしている。
どうやら言葉も出ない程の驚天に襲われ、一時的な失語状態らしい。
「鍵の構成体を情報化して分解後、君の遺伝情報に組み込んであったのさ」
引き抜いた巨大剣の柄を両手で握り、例に正面へと振ってみる。
明確な重量を伴って手に馴染むそれは、1500年以上経っても変わらない。
「此処での僕等は記憶情報を元に再現されている。君自身の記憶の何処かに鍵の情報は存在していたんだ。例え君の意識がそれを認識していなくても、体の事は脳が知っている。だからこうして、実体化出来る訳さ」
一振り刃を横へ薙いだ後、刀身を寝かせ下段に構える。
大地すれすれに大刃を下ろし、取った姿勢のまま異形を見た。
「ご、御神体……それ、ウチの神社にあった、御神体よ?」
横合いから上がった声は勇魚のもの。
震える音声が示したのは、僕の握った巨剣のようだ。
先に何故かと聞かれたから答えてやったんだが、僕の話を聞いていたのかどうかは判らない。彼女が指摘してきたのは剣の正体の方だからね。
「そりゃそうだろ。これは1500年前に、僕が聖さんから譲り受けた物だ。確か、ナントカいう神様を象ってるとか言ってたな」
「火之迦具土……綿津御神社に奉ってる神様よ」
「ああ、そういえばそんな名前だったか。興味もないからスッカリ忘れてたよ」
下段からの斬り上げを想定した構えで型を作ったまま、適当に声だけで相槌を打つ。
コレを手に入れた時点で、彼女の役目は終わった。わざわざ顔を見てやる必要もない。
ましてや使う武器の名前や由来なんてものは、御教授願うつもりもないしね。
武器はどこまでいっても所詮は道具。使えるか、使えないか。価値はそこにしかない。名前を知ってようが、それにまつわる背景を知ってようが、有用性が上がる訳でなし。それなら僕は、そんなもの要らないさ。
劉やウエイン、アキさんも武器にいちいち名前なんて付けてたが、それが戦場でなんになる?
無価値だ。自己満足でしかない。全く以って無駄。馬鹿げてるね。武器に、ただ目的の為に使うだけの道具に、御大層な名前を付けたがるなんて、僕にはてんで理解出来ない。
武器や道具なんて物は、利用価値、その一点に於いて突出さえしていればいい。
「赤巴君、さっき、御祖母ちゃんから貰ったって? どういう事?」
投げられた疑問と共に、強い視線を感じる。
説明を求める勇魚が、僕を注視しているらしい。
顔を合わせなくても伝わってくるのだから、その切望ぶりはかなりのものだ。
本当は、説明なんて面倒な事したくはないんだけど……聖さんには世話になったからな。あの人の顔を立てて、教えてやろうか。
「ルナ・パレスにアクトレアが溢れ出した後、僕等は聖さんの神社を拠点に活動していた。その時に、彼女から託されたんだよ。どういう訳か、この剣は僕の特異能力に同調して使い勝手が良かった」
「だから、御祖母ちゃんが?」
「ああ。『どんな宝剣も名刀も、それが神や魔と呼ばれるモノであっても、使う時に使う者が使わねば無用の長物。力あるモノは他に影響を与えぬよう、それを隠す為に力を得ているのではない。力は使う為に与えられている。それを至らぬ万民の為に使うのが、我等人の道なのかもしれない』そう言ってたよ」
話していると思い出される。
えらく肝の据わった、いい根性の老人だった。頑固というか何というか、芯の固さは感服ものさ。おまけに魔法も強い。実際、大した人だったよ。
あの気概は、確かに静江さんの母親だな。真璃亜も懐いてたし。
御神体だかも、僕が上手く扱えると知ったら簡単に手放したしね。
『使えるのだから遠慮なく使え。傷付こうが壊れようが構わないから、有効利用して戦って来い』そんな風に送り出されたぐらいだ。
「……そう、御祖母ちゃんが」
勇魚は感慨深げに呟いた後、言葉を切って黙り込む。
遠い記憶にでも浸っているのか、動きさえ感じない。
まぁ、僕としては黙っててくれた方がいいんだけど。それにどの道、もう終わりだ。
『それが最後のアクセスキーか。よもや彼の剣に宿り込んでいたとは。遺跡と癒着したこの1500年で支配率も高めてきたが、鍵が手に入るならそれに越した事は無い。思わぬ収穫だったな』
何度と無い攻撃を繰り返してきた異形の双腕が、またも臆する事無く突っ込んでくる。
赤熱する対流の障壁が全てを阻むが、再生した端から連撃が壁を打つのは止まらない。
痛みを遮断しているのか、元から痛覚がないのか、アクトレア化したティダリテスに怯む様子は皆無。
「あれ? え?」
耳に届いたのは異形でなく人の声。
それが聞こえたと同時に、勇魚の気配が急速に薄れていく。
何が起こったかは見るまでもない。
「どうなってるの? 体が、消えて……」
「いさっち、こんな風に呼び出したりしてゴメンね。でも、最後に会えて嬉しかったよ」
「真璃亜?」
背後では、勇魚へと語り掛ける真璃亜の声がした。
あの子は僕がティダリテスの相手をしている間に、僅かな意識でありながら懸命に遺跡へ挑んでいる。
そして今、呼び寄せた勇魚の意識とこの空間内の接続を切り、彼女を現実空間へ退避させる作業を始めた。勇魚の存在が希薄になっているのはその為だろう。
今の彼女は徐々に体が半実体化していき、全身が透明に近付いている筈だ。
「この空間が消えた時、一緒に居たらいさっちの意識も消えちゃうから。だから先に帰っててね」
「真璃亜は! 赤巴君は!?」
「真璃亜は、出来るだけの事をしていくから。最後まで、頑張るね」
「僕は真璃亜の為に戦う、それだけだ。……1度死んでる奴にこういうのも変だけど、精々長生きするんだね」
怪物の巨腕が迫る中、僕は敵を見遣って振り返らない。
言葉だけを餞別に、殆ど消えている彼女へ送る。
真璃亜は涙声だが、声調からして笑顔でいるようだ。
以前と違い、今度はちゃんとした別れが出来たからか。満足気でもある。
「いさっち、バイバイ」
「まっ……!」
この瞬間、勇魚の気配が完全に消えた。
真璃亜の作った今空間から排摘され、現実空間へ戻ったようだ。
元々彼女は僕等と違い肉体を持っているし、意識だけが迎え入れられていたからな。送り返すのは簡単だし、それに自然さ。
此処に残って僕等と先行きを同じくする必要はないだろう。
『攻めてこんのは妙だと思っていたが、勇魚君の脱出まで護っていたのか。ふふふ、君らしくもないな。命令対象以外を護るなどと』
アクトレア第5種が攻撃の手を止め、正対したまま笑声を零す。
あからさまな嘲笑だ。
醜い怪物を視界に置いた所為で悪くなる一方の気分が、最悪レベルまで一気に上り詰める。
「真璃亜の友人だ、無碍には扱えない。それに、あんなでも静江さんの娘。多少なりとも恩返しさ」
相手の挑発に乗って激昂してやっても面白くない。
不愉快だが、奴の下らないお喋りに付き合ってやる。
時間稼ぎには丁度いいしね。
『ふむ……昔も思ったが、静江君と良く似ている』
「外見だけだろ。中身は丸っきり違う」
『本当にそう思っているのかね? 彼女は内側も静江君に似ているぞ。あの心根などそっくりではないか』
「人を表層だけで見てるから、そんな化け物になっても抵抗がないんだよ、アンタは」
『ふふふ、それはどうかな。君とて本当は判っているのだろう? 自分の心に嘘をつき、本心を隠して憎まれ口を叩く癖は相変わらずだ。君のそういう所は、光瑠君にそっくりだよ』
「気に入らないな。僕の事を何でも知っているような、その口振り。ましてや、あの女と同じ人種に括られるのは、心底腹に据えかねる」
湧き上がる衝動を胸中で抑えるが、それでも暴れ出しそうな末端感情は眼に宿る。
利いた風な口の化け物だ。奴を射殺す様に、殺意で万遍なく瞳を濡らし、睨みやった。
だが異形の面貌に細波程度の変化もなく、奇怪な口は縦横への移動を繰り返す。
『そう怒るな。事実、余は判っているのだよ。遺跡と繋がるネットワールドから、如何なる時間、如何なる場所の出来事をも見知り得るのだからね。そこには人類の全記録がある。君の誕生から、成長過程、現在に至るまで全てを知るのも造作ない』
「……究極的に性質の悪い覗きだな」
『君は静江君が好きだったのだろう? 身も心も良く似ている勇魚君に、彼女の面影を重ねなかったのかね?』
「馬鹿も休み休み言え。静江さんと勇魚は別人だ。似ていようがいまいが、関係ない」
『ほぉ、個人は個人として尊重かね。立派な心掛けだが、本当に割り切れているのかな?』
「さっきから何なんだ。何が言いたい?」
要領を得ぬ問答に、苛立ちが募る。
どういうつもりなんだ? 次から次へと訳の判らない事ばかり言って。
真璃亜の準備が整うまでの時間を設ける為とはいえ、流石にこれでは僕の方が我慢出来ないぞ。
『ふふふ、今度は余らしくなかったな。なにね、余は君の事をこれでも買っているのだ。君の実力も心の強さも、余は随分と気に入っている』
「反吐で出るね」
『その歯に衣着せぬ物言いもだよ。さっきはああ言ったが、この状況でも尚諦めぬその姿勢を見て、考えを改めよ。君の強さは本物だ。その強靭な意思と魂が欲しい』
「なんだと?」
異形の両腕が外側へと広がる。
その姿は大仰な演説家のようで、怪物の容姿には酷く不釣合いだ。
加えて奴の言葉。僕が欲しいだと?
ふざけた物言いに、睨む目は怪訝さ以上に鋭さを増した。
『余は、ある目的の為に強き者を欲している。だが余が求めるは半端な強者ではない。本物の強さを持つ、魂の勇者、至高の英雄こそを』
「どうやら脳髄まで化け物風に歪んでしまったらしいじゃないか。さっさと帰って、自前の医者にでも看て貰ったらどうだ?」
『余は本気だよ。だからこそ、こうして君と語らう道を選んだのだ。赤巴君、余の許へ来い。余の部下となり、余の悲願が為に、その力を使うのだ』
「アンタ、本当にどうかしてるね。僕がアンタの言う通りに動く訳ないだろ」
何かと思えば、実に下らない。
あまりの馬鹿さ加減に、怒る気も失せてしまった。
ティダイリテスめ、僕の事を判ってる風な態度を見せておいて、何も判ってないじゃないか。力を貸せと言われて、僕がホイホイ協力すると思ってるのか?
僕の事をどれだけ軽く見ているんだか。……それともこれは、奴なりの心理作戦か?
それにしては真璃亜を自由にさせる時間なんか与えたりして、意味があるようにも思えないけど。
『勿論、ただ単に余へ与しろと言っている訳ではない。君が余に仕えるのなら、遺跡の力を使い、静江君を甦らせてやろう。今の勇魚君と同じぐらいに、若々しい姿でね』
「……それで、僕を誘惑してるつもりか?」
『存外に冷めた反応だな。もう少し動揺してくれてもいいと思うが』
「ふざけろ! 僕はアンタに味方する気なんて、塵芥程もない!」
一切の迷いも、悩みもない。それは至極、僕の本心だ。
だからこそキッパリと、奴の申し出を拒絶する。
遺跡の力を使えば、ティダリテスの言う通り静江さんを甦らせる事は出来るのかもしれない。だが、そんな事をしてどうする? 僕にどうしろという?
再会した静江さんに『人類の敵へ寝返った報酬に、貴女を甦らせてもらいました』とでも言えと?
例え記憶を操作して都合のいいものへ改変しようが、それが何の意味を持つ?
馬鹿げてる。全く馬鹿げてる。そんなものは無意味だ。
想い人である死者を甦らせて、一緒に生きるなんて……僕は幸福とも何とも思わないね。
自己満足にすら及ばない。そんな事を受け入れられる奴は、本格的に脳味噌が腐ってる。誇りも矜持も失って、心が死色に蝕まれてるんだよ。
倫理観がどうこうじゃない。僕の心が、意思が、認めない。断じて!
死者である生者との共存? 笑えないよ。
どうせなら真璃亜みたいに、目的の為に生き返らせろ。
達成すべき明確な目的の為に、それを成すべく存在として生を与えろ。
意味と価値を付与して呼び戻してやれ。自分の記憶と心の穴埋めなんて馬鹿な理由じゃなく、確固とした意義の下に。
己の惰弱な心を救う為に甦らせるなんて、僕は認めないさ。
やれやれ、本当に無駄以外の何物でもない話だったな。
でもお陰で、真璃亜は目的を充分果たせそうだからいいけど。
『そうかね。……では、真璃亜君を再構成してやると言ったら、どうかな?』
「なに?」
真璃亜の名前に、思わず反応してしまった。
そんな僕を見る異形が微かに笑った、ように感じたのは錯覚だろうか。
『遺跡に取り込まれた後で、余が意識を回収して肉体を新たに作ってやろう。そうすれば最愛の妹と、また共に暮らす事が出来る。どうだね? 悪い話ではあるまい』
ティダリテスの言葉は僕の主義に反する。
しかしある意味では甘言だ。それは否定出来ない。
これを持ちかける奴の顔が悪魔に見えるな。事実、悪魔ばりに気色の悪い顔だけど。
でもね……
「確かに僕は真璃亜が大事だ。あの子が無事に生きられるなら、何だってするつもりだよ」
『ふふふ、そうか。そうだろう。君はそういう男だ』
僕の言い様に、異形が嬉々とした笑いを滲ます。
期待から確信へ移った、喜びの勇む音。
「ああ、それは認めるよ。だけどな、僕が本当に大事に思ってるのは、あの子の心だ。あの子がそれを望むか、どうかだ」
『ほぉ、つまり?』
しかし次に下した僕の宣言には、面白くなさそうな声で問うてくる。
僕は真っ直ぐ正面を見据え、敵対者から注がれる深紅の眼光を迎え撃った。
「僕は誰よりも、あの子の心を知っている。その自負がある。あの子が何を望み、何を拒むのか。それぐらいは判るよ」
『人の心を読める特異能力でもなし、それは傲慢というものだよ』
「さてね、そう思いたいなら思うがいい。だけど僕は確信している。真璃亜はね、僕や、あの女に似ず気持ちの優しい子だ。ちょっとは我侭だけど、人の事を1番に考えられる素直ないい子さ。あの子が笑うのは、何時も誰かが喜んでいる時だ。あの子が悲しむのは、誰かが苦しんでいる時だ。あの子にとって大事なのは、内より外。己より他人だよ」
『だから、なんだというのかね』
異形から漏れ出る声が重く沈む。
見えざる圧力を宿し、否定的な思念をふんだんに盛り込んだ苦音。
奴の顔の凶悪さは、尚増しているようで。正直、愉快だ。
「簡単な話だ。あの子は自分の再生なんて望まない。それよりも皆の無事を願う。……それとも、アンタが皆を纏めて生かしてくれるのか?」
『赤巴君、君は愚かな選択をした。新たな種として生きられる栄誉と機会を、下らん意地で永遠に失ったのだからな』
「交渉、決裂だ!」
僕は赤の障壁を前面と側面に湛えたまま、正面へ駆ける。
異形が両腕を挙げ、標的への狙いを定めた。
それを目端で見ながら、奴との距離を詰める最後の1歩を。
踏み込みと同時に両腕を下面から上方へと打ち流し、握る大剣を逆袈裟懸けに斬り上げる。
振り下ろされる怪腕。狙いは僕の頭部。一気に叩き潰すつもりで、遠慮の無い全力殴打だ。
それが届くより早く、僕の一撃は異形を斬る。
紅の刀身が怪物の右腕、その上腕からを捉えるや、外殻へ減り込みそのまま寸断。奴の腕を抵抗許さず斬り裂いた。
勢いに押されて舞い上がる腕。その下を素通り、巨刃は左腕をも襲う。
殆ど差のない第2撃目は、怪物の肘にぶつかって衝撃を返し、一呼吸未満で両断。
アクトレアの両腕は僕の太刀で討ち取られ、双方一拍の後に地へ落ちた。
だが、まだだ。
異形の間合い、その内側で右脚を踏み締め、振り抜いた刃を返す。そこから上半身を捻り、両腕を共に振るって横薙ぎへ。
目指すのは異形の頭部。横方から滑らす巨剣で、アクトレアの顔を中央から上下へ二分。斬れた頭はグラついて、両目を含む上頭部が草の中へと落ちた。
走り終えた刃を下ろす最中、柄から左手を離し拳を握る。ここに力を集中し、流れる破熱を一点に。
赤を宿した拳を突き出し、異形の腹部へ叩き込む。
感触も何も無い。僕の手がそれを感じる前に、奴の殻も肉類も、纏めて崩れ燃え尽きたから。
『相変わらずの腕前だな。記憶を喪失していなければ、肉体を失う事とて無かったろうに』
両腕を失い、腹に大穴を開け、頭部の上半分を失いながら、第5種の口は動いていた。
これだけのダメージを受けて尚、ティダリテスは話す余裕を失ってはいない。
相手の持つ規格外なしぶとさに、我知らず舌打ちが漏れる。
『解せんな。こんな事をしても、君には何の得もないのだぞ? 待っているのは完全な消滅だ。君は、死が、無への回帰が、怖くはないのか?』
僕の目の前で、アクトレアの欠損部が修復を開始した。
全箇所が同時に筋組織を膨張させ、次には収まらせながら再生を遂げる。
「ふん、つまらない質問だな。怖くなんてないさ」
巨剣を再度両手で握り、形を整え出した腹部へ突き込む。
成長途上の腹体には、ろくな抵抗もなく刃を沈ませる事が出来た。
肉を掻き、内奥へ至った刃を、そのまま真横へ払う。
内側から剣が駆け、怪物の胴部を半分以上断ち斬った。
『何を言うか?』
打ち抜かれた胴体から巨剣が抜け出し、横腹を破って外へ。
一緒に幾つもの肉片が草地にまびかれ、溢れ出る流液が飛び散った。
「僕が本当に怖いのは、兄としてあの子にしてやれる事も出来ず、朽ち果てる事だ!」
振り切った刃を引き戻そうとした瞬間、再び生え出た異形の腕が側方から僕を打つ。
けれど、ダメージになどさせない。
生じさせたままの障壁がこれを受け止め、腕をまたも破壊した。
衝撃も痛手も届きはしない。無論、僕の動きを抑える効果もない。
だからこそ更に1歩を踏み込み、両腕を、巨剣と共に振り上げる。
正面に怪物を見て、狙いを定め、息を吐き、力を込めて、全力で。各種は1秒未満の中、呼気と合わせて、振り下ろす。