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話の48:閉ざされた記憶の中で(−壱)

『アタシの深層意識に潜るつもりね』


 貴様に教える必要はあるまい。黙っていろ。


『必要は大アリよ!』


 喚くな。貴様の声は主電脳に響く。


『だったら……』


 ガードシステムはザルだな。

 こんな低劣なプログラム仕様では、本気になるまでもない。

 既にアクセス権は得た。これより潜行を開始する。

 どの道、貴様に止める手立てなど無いのだ。大人しく全てを私にさらけ出せ。




………………

…………

……


 青い空、か。

 天には明るく輝く太陽、そして緩やかに流れる白い雲。

 足元に広がるのは緑豊かな青草達。

 吹き抜ける風は清涼そのもの。


「草原」


 そうだ。私が立っているのは草原。

 どれを取っても月には無い物だ。

 これは遠き過去に在った地球の姿か?

 何故、コヤツの記憶に地球の光景がある?

 いや。これは別の何者かが、記憶の奥底に付与した映像。そう考えるのが妥当だろう。

 可能性として最も高いのは、コヤツの記憶を弄った者だ。此処にその手掛かりが、或いは本人へ直結する何かがある筈。

 過去の記憶を掘り返すつもりが、こんな所に来てしまったのは予想外だったが。

 フッ、だが焦る事もない。電脳内の加速された主観時間と、現実空間に流れる実時間の間には大きな差異がある。ここでどれだけ時間を浪費しようが、現実に戻れば全ては一瞬の事。

 余裕は充分にあるのだから、ゆっくりと探るとしよう。


「さて、まずは……む?」


 なんだ?

 強烈な闘気を感じる。

 しかし妙だな。なんとも虚ろな気配だ。まるで燃え滓のような不安定さ、今にも消えてしまいそうな。

 だというのに、異様な程はっきりと感じられる。

 電脳内で感覚機を刺激するなど、本来ならありえない。にも関わらず。

 ……いや、違うな。これはより鮮明化された情報の波だろう。

 あまりに濃厚で膨大な情報を圧縮空間上に大量放出している所為で、外機官が働いているかのような錯覚を覚えるにすぎん。


「だとしても、私の処理速度を上回り、一瞬とて認識を誤らせるとは」


 コヤツの電脳内は、私が思っていた以上に底が知れぬ様子。

 これは油断出来ないか。


「言っている傍から落ち着きのないことだ」


 空間が変わる。

 私の足元を中心にして、円形に変異が拡大化していく。

 青々とした草原が、もっと異質な金属、いや、有機物か? 何か判然としない物質に。

 急激な変化が創り出した光景は、不可思議な灰褐色体が床を、壁を、天井を構築する空間。

 今度は何処か上下四方が閉ざされた閉鎖域らしい。天井は高く、壁も遠い、かなりの広さがある。

 この場を形作るのは硬質感を伴いながら、生物特有の空気さえ感じる物体。其処彼処そこかしこに立ち並ぶ太い柱も、全て同じ材質だ。

 うぅむ、これではまるで。


「件の遺跡ではないか」


 見れば微かに動いている。流動しつつ、脈打ってさえある。

 ますますもって彼の遺跡と同素材に思えてならない。

 私は遺跡の中へ入った事がない故に、内部構造までは知らぬが……仮に遺跡の中として、此処はどの辺りになるのだ?

 見た限りでは、そうだな、かつて資料室で見かけた古代構造物の城。その大広間という感じか。まぁ、あれよりも相当美麗さを欠いて、グロテスクな内装ではあるが。

 それにしても、ますますもって判らん。コヤツはまさか、あの遺跡に入った事があるのか?

 いや、少なくともコヤツに何がしかの影響を与えた存在が、遺跡内を知っているような、そんな具合だな。

 ……少し、面白くなってきたぞ。


「先刻の気配、強くなっている」


 出所は何処だ?


「……後ろか」


 電脳内で私に直接何か出来るとは思わないが、用心に越した事はあるまい。

 注意して振り向くとしよう。


「む?」


 振り返った先に在ったのは、巨大な蒼い鎧。

 深紅の篭手、具足。白いマントと豪奢なおおとりの意匠が成されたフルフェイスメット。そして漆黒の長剣。

 それらを身に付けた存在。

 これは、この姿は……。


「CEO」


 いや、此処にCEOの居られる筈がない。此処はあのガラクタが意識の内部、記憶の深層部。

 これはコヤツの記憶映像に他ならない。

 それが証拠に、私が正面に居るというにCEOは気付いている風でないのだから。

 現実のCEOは別所に居られるのだ。


 しかしこうなるとコヤツか、その調整者が過去にCEOと面識を持っていた可能性は高いか。

 それにしたとてCEOの有様はどうした事か。鎧を始めとした各種の武装は方々が傷み、十全な機能を損なっている様子よ。

 まるで激戦の後だな。いや、この場合、渦中なのか。


 急激に密度を増してきた情報流と共に、あの闘気も膨れ上がっている。

 この総量からかんがみても、今はまだ戦いの最中だろう。

 CEO自らが武装を固め、直接戦いに赴くなどと。それも月の遺跡の中で。これはもしやすると、大異変が起こる直前の情況なのか?

 だとしたら、この記憶の保持者とはいったい。


「……つまるところ、このCEOが戦っている相手。可能性としても、悪くない数字だと思うが」


 寧ろ最も自然ではあるまいか。

 これだけの感覚を直に触れて知っている者だからこそ、ここまで再現出来ていると考えるのが妥当だ。

 ふむ。では捜してみるとしよう。この状況から見て、敵対者もそう遠くない所に居る筈だが。


「反対方向か」


 CEOの視線を追えば、見つけ出すのは容易だな。

 私の後方、CEOの正面部に目標は在った。

 蒼い髪、赤い瞳の……女か? まだ若干若く見えるが、アレが相手?

 白いワイシャツに黒のジーンズ、CEOと比べれば随分と軽装ではないか。自信の表れか、他意があるのか。

 立派なのは、両手で握り構える巨剣だけ。なのだが、あの剣は立派な業物よ。

 小娘の身の丈を超える巨大さ。無骨ながら威圧感の溢れる長刃。しかも刀身は紅く光り、炎が如き力が取巻いている。

 炎を宿した巨剣とは、私もはじめて見た。魔法補助具マジックアイテムの一種か?


 だがどんなに得物が立派でも、小娘には使い切れぬのではないかな。既にかなりのダメージを負っているようだ。

 傷口は全身のあちこちにあり、頭からも出血している。流れ落ちる血が、頬を汚しているぞ。

 それでも闘志だけは健在と見える。特に瞳は、負傷など物ともせぬ気迫と戦意、覚悟と決意で爛々と輝いているではないか。

 確かに小娘だ。さりとて、1人の戦士ではある。あの娘から放じられる気概だけは、認めぬ訳にいくまい。


「この小娘と、CEOが戦闘とはな」


 ん?

 小娘の後ろ、何かあるな。

 方々の柱とは違う。もっと巨大で、何か色々と繋がっている。

 あれは、人間?


 他を圧するそれは、恐ろしく巨大な支柱。

 その下方部、床からやや上程度の場所に、有無混成物質へ減り込むようになっている者。

 間違いない、人間だ。それもかなり若い。子供だな。

 下半身は完全に柱へ埋まり、上半身も胸部より上部分だけがそれを免れている状態。両腕ははりつけられたかのようにそれぞれの方向へ伸ばされ、手首より先が柱の中。

 意識を失っているのか、頭を項垂れさせたまま動かない。或いは、既に死んでいるのか。その可能性の方が高いかもな。

 なにせあの子供、背中、肩、首、頭部に至るまで、柱に飲まれていない健全な部位にはおびただしい数のコード類が減り込んでいるのだ。此処からでも容易に相当数だと判別出来る。

 私のようなアンドロイドボディならいざしらず、もし生身の人間だったなら、あれだけの異物を外部より強制接続・内部注入されれば、まず生きてはいられまい。

 仮に生きていられたとしても、まともな思考など到底出来ぬて。それはただ「肉体が最低限の生命活動を続けている」というだけの話。自我を持ち、思考する、人としての機能は皆無だ。

 それ程の数、コード類は巨大支柱の周辺から殺到している様子。まるで人間に群がる怪物共アクトレアだな。

 どういう経緯でああなったかは知らんが、あの幼さで耐えられる苦痛では無かったろう。見ず知らずの、それもAIメモリ内の相手ながら、多少は同情するよ。


 ふむ、しかし髪の色はあっちの小娘と同じ蒼。もしかすると瞳の色も同じかもしれない。

 立ち位置の構図からすると、柱に埋め込まれた子供を、あの小娘が護ろうとしているようにも見える。

 そう考えれば、彼奴きゃつの戦意滾る瞳の理由も判らなくは無い。あれは何かを護ろうとする者特有の強さ。不屈の信念が表れ。

 CEOをして苦戦させしめるのも頷ける。


『君はまた、余の邪魔をするのだな』


 CEOが御言葉を!

 ……あの小娘に向かってだな。やはりこの2人は戦っていたか。

 だが少し気になる科白セリフがあったな。「また」と。

 つまり、以前にも両者は戦った事が? そうでなかったとしても、双方はこの状況となる前にも遭遇しているとみえる。


『別に邪魔をしているつもりはない』


 ん?

 あの小娘、声が少し低いな。戦闘中に喉を痛めたか?


『ほぉ。では、何をしているのだね?』

『僕はただ、真璃亜まりあを護りたいだけだ』


 ふむ、マリアというのはもしや、あの柱に埋め込まれた子供の事か。

 髪の長い男も居る。だがマリアという名の男はそう居るまい。あの子供は娘子だな。

 それに僕か。男のような口調の娘も居る。珍しくは無いが、男勝りに近しい性格だからこそ、CEOとタイマン勝負をしていられるのかもしれん。


『護る、か。……ふふふ、君も難儀な男だな』

『なんだと?』


 CEOも小娘も、互いに距離を開けたまま睨み合っている。相手から一瞬も視線を逸らさず、構えも解かず、言葉を投げ合っているな。

 ……いや、待て。今、CEOはあの小娘の事を男と言ったぞ?

 あの小娘、女のように見えるが男なのか。

 む、そういう男も居るらしいからな。不思議ではないが。記憶相手ではセンサーが使えん。何やら騙された気分だ。


『余が敢えて言わずとも君ならば気付いているだろうがな』

『……』

『余の口から聞きたいのならば言ってやろう。君の意志は確かに固い。とてつもなく強固だ。それは認めよう。余の側近をたった1人で全滅させてしまったのだからな』


 なんと、あの小僧めが単騎でCEOの側近を?

 これが大異変前とすれば大凡1500年前の映像。1500年前といえば、現在よりも完全な形でインフィニートの技術力が生きていた言わば最盛期。その技術が結集されているだろうCEOの側近集、今でいう我等四鳳絢将フォースジェネラルと同等か、それ以上の実力を持つだろう者達を。

 あの小僧はたった単身討ち破ったというのか。信じられん。いや、CEOが言うのだから間違いは無いのだろうが。それにしても……うぅむ……

 小僧め、いったい何者だ?


『それに、余自身ともここまで戦っている。とっくに体は限界の筈だ。それでも尚立ち続け、余に挑み続けるは強健な精神、意志の力故よ。違うかな?』

『さてね』

『ふふふ、だが残念ながら君のその意志は、君自身の思いではない』

『何が言いたい』

『簡単な事さ。君が真璃亜君を必死に護ろうとしているのは、彼女が君の妹だからでもなく、それが君の母上、光瑠ひかる君から受けた命令だからだ。君は与えられた命令を忠実に実行しているにすぎない』


 CEOはあの小僧の事をかなり詳しく知っているようだ。

 母親の名まで知っているとは思わなかった。

 CEOと小僧の家族にどんな関係があったのか? それとAIの記憶を操作した者と何の関係があるの? そもそもこの映像の意味は?

 今は何も判らんままか。


『君は誰かの命令を聞いてしか生きられない兵器だ』

『それが……』

『細胞の一欠けらから、骨の髄まで、悲しいまでに優秀な生体兵器。自律行動も許されない、憐れな存在だな』

『どうした!』


 小僧が動いた。

 裂帛れっぱくの気合いから駆け出し、4歩目で床を蹴って跳躍。

 あの巨剣を握ったままでだ。まるで重さを感じていないかのような軽やかさ。見た目に反して相当な膂力りょりょくと脚力を備えているらしい。

 一気に舞い上がり、上空で剣を大下段打ちに振り下ろし。刃の動きと合わせて加速を付け、そのままCEOに迫ってくる。

 頭上からの急降下一閃で、決着ケリをつけるつもりか。

 しかしCEOは動かない。避けようと思えば回避は間に合う距離だというのに。

 確かにあの大太刀の有効範囲から逃げ切る事は難しい。だが狙点をずらして威力を殺すぐらいならば……。

 いや、この場合は半端に逃げて下手な所にダメージを負うより、真正面から受け止める方が最終的な被害は抑えられるか。

 2人のダメージ度合いから、既に何度か打ち合っているのだろう。そのり合いで、相手の力具合を把握しているからこその判断と思われる。

 やはりCEOよ。


『どうもせんよ。あまりの馬鹿らしさに、失笑してしまうぐらいさ』


 小僧の落下が、巨剣と共にCEOへ。

 だがCEO、自前の黒長剣で巨刃を受け止めた。

 剣の重量、小僧の体重、剣戟の威力、落下速度、幾つもの要素が組み合わさった強力な一撃だった筈。それでもCEOは耐えた。防いだ。

 流石に床面が幾らか砕け、深紅の具足が幾許か沈み込んでいるものの、大した問題ではあるまい。

 黒と紅の刃がぶつかり合い、擦れ合う最中、刀身越しに2人は再び睨み合う。


『君の方こそ何とも思わんのかね? 人間の身勝手で造り出された次世代品種セカンド。利用価値が無くなれば、今度はその処分が始まる』


 次世代品種セカンド

 聞かぬ名だな。


『そして今度は次世代品種セカンドを殺す為に、次世代品種セカンドを狩る次世代品種セカンドが造られた』


 2人の刃が激しく火花を散らす。

 押し切ろうとする小僧の力と、押し返そうとするCEOの力が激突しているのか。

 どちらも並外れたパワーだ。信じたくはないが、もしやすると私以上かも知れん。

 恐るべきかな1500年前の戦い。


『だがそれとても、用が無くなれば抹殺されるが定め。誰に知られる事も無く、歴史の表舞台に立つ事すらなく、生まれた時同様、静かに消されていく。抵抗も、反論も許されずにな』


 おお、少しずつだがCEOが押し戻している!

 ふむ、やはりインフィニートの頂点に君臨するだけはある。この程度の小僧に押し負けていては、1500年の栄華を誇れはしないのだ。

 小僧めも旗色が悪くなって来たことを自覚しているのではないか?

 相変わらず挑戦的な瞳をしてはいるがな。


『全く以って人間とは低劣で、傲慢で、非生産的で、排他的だ。欲望は底知れず、享楽には容易くふける。陰惨で残忍、狡猾、冷酷、冷徹、冷厳。友愛や平和を説きながら平然と他者を苦しめる。何処までも度し難く、救い様がない程に醜い!』


 CEOの勢いは尚増している。

 最早、小僧に斬り込むだけの力はあるまいよ。


『そんな人間共に利用され、馬鹿正直に従い続ける。随分と愉快な話しじゃないか。そうは思わんかね? 狩猟型次世代品種ネガ・セカンド最後の1人、No0624、霧江きりえ赤巴せきは君!』


 黒の長剣が振り切られた。

 小僧を押し返す勢いを更に増し、小僧諸共弾き飛ばしたのだ。

 奴はといえば、自分が乗せた分の衝撃まで返されて、背中から床面へ急接している。

 が、直撃まじかで脚を床につけ、反動を殺す為に体勢を整え直した。尤も、あれだけの衝撃をすぐに霧消出来る筈もない。そのままかなりの距離を滑っていく。


『笑いたければ笑えばいい』


 小僧め、あの巨剣を床に突き立て、強制的に自らを止めたか。

 だがあれだけの衝撃だ、そう簡単に全てを逃がしきれるものではない。恐らくは腕と脚にかなりの負担が掛かった筈。

 体の負傷具合から見ても、消耗は激しいだろう。

 今畳み掛ければ、CEOにこそ勝機が。


『他人がどう思おうが、世間がどんな目をしようが、僕には関係ない』


 剣を床から抜く。

 その切っ先をCEOに向け、全身をたわめる。同時に大刃を己が側方に寝かし構え、前傾姿勢へ。

 小僧、諦めるつもりは無いらしい。命尽きるまで戦うつもりか。

 対するCEOは黒刃を起こし、長剣を正面で構えている。

 こちらは迎え撃つつもり。


『僕はただ、ありのまま』


 小僧が右脚をひく。左脚に体重を掛けているぞ。

 最初の1歩から全力で行く気だな。

 視線は先刻から同じ、CEOより離れていない。


『在り続けるだけだ!』


 動いた。

 引き絞った矢が放たれるような、迅速にして無駄の無い飛び出し。

 あれだけのダメージを負っているとは思えん。なんという軽快な動きか。

 それに先よりも速い!

 あの細身には、信じられん程のエネルギーが眠っているようだな。

 しかしあれは、その全てを燃やし尽くす戦い方だ。一切セーブしていない。

 後先考えぬ全力行動よ。

 若さ故の無謀、か?


『僕としてな!』


 小僧め、瞬く程の間にCEOとの距離を詰めおった。

 そこから巨剣を振るう。

 剣の巨大さ、重さを苦ともしない素早い横薙ぎ。未熟な者が下手に受けようとすれば、守り毎胴体を寸断されるような重撃だぞ。しかもそれでいて鋭さを失っていない。

 あんな小僧が、達人級の太刀筋を使うだと?


『本当に大したものだよ、君は』


 CEOは回避せず、自らの剣による防御を取られたか。

 横に寝る紅刃へ黒刃を縦に打ち込み、一点に力を掛ける事で全体を止める。

 中間よりもやや柄方を狙い抑え付ける事で、武器全体の威力と進行を過剰な力は用いず制限したのだな。

 一瞬で要点の見極めを終え、臆する事無く其処へ一撃を見舞う。

 それでこそCEO、並外れた観察眼と胆力だ。常人にはそうそう出来るものではないぞ。


『流石は僅か50名で、世界中の次世代品種セカンドを殺し回った者の生き残りだ』


 小僧の剣は完全に止まった。

 またしてもCEOは奴の攻撃を受けきってしまわれたぞ。

 フッ、やはり小僧の剣ではCEOを斬る事は出来まい。CEOはまだ余裕を残しておいでのようだからな。


『君達のポテンシャルは、精神力に強く影響を受けると聞く。その病的なまでの自己信念こそが、最大の武器という訳か』

『僕にはアンタの方が、よっぽど病気に見えるけどね』

『ふふふ、昔、光瑠君にも同じ事を言われたよ』


 刃を挟んで再度の睨み合い。

 だがそれは数秒だけ。

 CEOの黒長刃へ紅大刃をぶつけたまま、小僧は剣を引き始めた。それと合わせて、左方面からハイキックを繰り出す。

 ろくな予備動作もない蹴撃。しかし速さと鋭さは剣以上だ。狙いはCEOの半身か。


『油断も隙もならんところまで良く似ている。困った母子おやこだ』


 CEOの反応も速い。

 右手で剣を掴んだまま、左手を肘から曲げて蹴りの軌道上へ割り込ませる。

 小僧の右脚を前腕の篭手で受け止め、肉体への直撃を防がれた。

 ただ脚と腕が激突した瞬間、強い衝撃が発生して両者の間にあった床へ亀裂を生じさす。

 果たしてあの蹴り、どれ程の威力があったのだ? 奴の脚は擬似躯体サイバーウェアか?


『生憎と、僕はあの女を1度として母親だなんて思った事は無い』


 蹴りを止められると同時に小僧が跳ぶ。

 CEOの左腕に密着させた右脚を更に押し込み、左脚だけで床を蹴った。

 即座に重心を右脚へ移したのか。一定空間に固定されている脚を軸に、空中で体を半転させる。その回転力を乗せて、今度は素早く左脚で踵落とし。

 防御されるや、それを即攻撃に転化利用するとは。大した柔軟性とバトルセンスだな。


『そしてこれからも、思う事は永遠に無い!』


 今度は決まってしまった。

 左腕を封じられていた所為で、小僧の急撃がCEOの左肩に叩き込まれてしまう。

 こちらの威力も大きい。直撃を受けた時、CEOの足元が砕け、足首付近までが床に没してしまった。

 今の一撃には相当な重さが加わっていたか。


『あの女は、僕を造った科学者の1人。他の連中と違うのは、僕の素体という事だけだ』


 CEOの肩に踵落としを決めおったら、小僧め、早々に身を翻し距離を取りおる。

 跳ぶように後方へ退くと、着地と同時に巨剣を真正面に構えた。そうかと思えば太刀を寝かせ、突き出しの形にする。


『僕に母は居ない! 必要も無い!』


 巨剣を正面へ伸ばし、小僧が駆けた。

 長大な刃を真っ直ぐに突き込み、CEOへの刺突を狙う。

 小僧が走る度に刃は進路を伸び、目標点へ接近を。

 されとてCEOは動じない。小僧を見据え、定位置にて不動を守る。


『母の必要ない子供など居ない。君達に必要だったのは絶対の命令でも、狩るべき敵でも、ましてや戦場でも無かったな』


 紅刃が御自身へ迫られるや、CEOが黒の長剣を繰り出した。向かい来た剣先を弾き、巨刃の刀身に黒刃をぶつけて軌道を逸らす。

 鎧の腹部を狙っただろう突撃は長剣に阻まれ、側方へと抜けた。小僧の攻撃は失敗だ。

 尤もそれが判ったとて、あの突進力を今更止める事は出来まい。

 案の定、CEOの脇を抜けたまま剣へ更に進み、小僧の脚も前へ前へと動き続けている。黒剣と紅剣が擦れ合い、またも激しく火花を散り走らす中、両者の間隔が狭まってきた。


『一握りの人間の身勝手で、随分と割を食ってきたか。次世代品種かれらも、狩猟型次世代品種きみたちも!』


 小僧が懐に踏み込んできた瞬間、CEOが左拳を打ち出される。

 握り固めた篭手付きの拳打。その速撃が不可避の一打となり、小僧の顔面を捉えた。

 直撃!

 今度はCEOの攻撃が小僧に命中したぞ。

 拳が頬に減り込んで、小僧の顔を勢いのまま捻じ曲げる。

 先のキックに勝るとも劣らない破壊力。凡百の人間など、この1発で首が吹き飛ぶか骨格が粉砕するだろうな。


『だったら、どうした!』


 小僧、あの拳を直で受けて尚、踏ん張りおったか。

 突進力は失せ、進行は止まった。だが左脚を1歩退かせただけで、CEOの拳撃を堪えてみせるとは。

 どこまで頑丈に出来ている?

 否、真に驚くべきはその気力、精神力よ。

 殴られた拳の先から睨み返し、右脚を蹴り上げる。

 CEOの拳が届く距離、それ即ち、小僧の攻撃もまたCEOに届く距離。カウンターで繰り出した右脚は正面から一直線に駆け上り、CEOのフルフェイスを顎先から蹴り打った。

 CEOの頭が揺れ、巨体が僅かに後ろへ仰け反る。

 かなり効いてしまったのか?


『どうもせんよ。結局、全ては済んだ事だ』


 CEOは意識を手放してはいない!

 こちらも踏ん張って体勢を整えざま、自らを蹴り遣った小僧の脚を、素早く左手で掴まれる。


『何かも、暗愚で低劣な人間の所業。ただ、それだけの話だ!』


 CEOの腕が動き、小僧の細身を一気に振り上げられた。

 左腕での小僧一本釣り!

 やはり先程の拳打が効いていたな。小僧めはろくな抵抗も出来ず、簡単に抱え上げられおったわ。

 バランスを崩され、しかも宙空に投げ出されてはマトモな身動きも取れまい。


『余は同情などせんよ。生きている以上、己が在り方に関すあらゆる責任は、自己が負うべきだからな!』


 空中に振り上げた小僧を、CEOは力任せに後方の床面へ叩き付ける。

 遠慮も躊躇もない、加減も無用の全力一投。

 凄まじい力で床に激突せしめられた小僧によって、無機有機混成物質で出来た床が罅割れ砕けた。その破砕ぶりは周囲にまで伝播していき、一帯の床面が一斉に割れ崩れる。


『それが君達の在り方ならば、好きなだけ、そういたまえ!』


 CEOは小僧の脚を掴んだままだ。

 砕けた床に深く減り込んだ小僧を強引に引き剥がし、今度は前方の床に叩き付ける。

 床と小僧の衝突で、今出来た破壊箇所が更に崩壊。辺りの床面が次々と隆起し、或いは陥没した。


『気の済むまでな!』


 だがCEOは止まらない。

 またも小僧を引っ張り上げ、今度は横方へ放り投げる。

 CEOの御手から投げ出された小僧は宙を滑り、幾らか離れた位置に立つ柱の根元付近に激突した。

 その衝撃で多少空間が揺れるも、CEOは意にも介さず。

 小僧のぶつかった柱は打ち壊れ、有無機的な残片となって衝突主へと降り注いだ。

 小僧め、瓦礫となった柱に埋もれてしまったぞ。


『さて、真璃亜君。君のナイト殿は処分した。余の目的が為、その力を使わせて貰おう』


 放った小僧の行方には目も暮れず、CEOが見るのは一際巨大な支柱。其処へ埋め込まれた真璃亜と呼ばれる子供だ。

 あの娘っ子にどんな力があるかは知らんが、見た限りでは遺跡と関係がありそうだな。でなければ、あんなに内部機関へ取り込まれはすまい。

 CEOにしても随分と執着している様子。この御方の目的に必要不可欠な存在である事だけは確かか。

 あんな子供に、新たな時代の開く力があるとも思えんが。


『長かった。あまりに長かった。この時が来るのを、どれ程までに待ち望んだ事か』


 CEOは支柱へと近付いていく。

 先刻から小僧との戦闘で受けたダメージの為だろうか。少々ふらついている。

 多少危なっかしくはあるが、それでも真っ直ぐ進んでいるのだ。

 流石はCEO、あんな小僧に遅れを取る筈がないな。


「む?」


 何かが飛んでくるぞ。

 投石?

 いや、先に崩れた柱の欠片か!


「CEO!」


 と、此処は記憶情報の世界。私の声など届くはずもない。

 CEO御自身が気付き、対処される事を信じる他無い。されど今の状態では、果たして外へ意識を向ける余裕がおありかどうか。


『フン』


 おお、気付かれていたか。

 瓦礫片が最接近した瞬間に動き、黒長剣で両断なされた。

 真っ二つに裂かれた残塊は方々で床にぶつかり、震動を伝えて動きを止める。


『君もしつこいな』


 CEOが歩を止めて見遣るのは、破片の飛んできた方向。

 あんな物が勝手に飛来するなどありえん。CEOを狙って投擲されたのだ。そんな事をするのは、あの小僧以外に今存在しない。

 しぶとくも、まだ生きていたか。


『真璃亜には、指1本触れさせん』


 乱雑に積み重なる瓦礫の中に、あの小僧が立っている。

 既に着衣は襤褸雑巾ボロぞうきんの如く。全身に負った傷は度合いを増し、流血も多所から止まらない。

 それなのに双眸のギラつきだけは尚激しく、剣を握ったまま手放していないとは。

 たった1つの意志にのみ全てを注ぎ、己を顧みず戦い続ける。ふむ、CEOの仰るとおり、これは病的だ。


『あのまま寝ていれば、もう君に構うつもりなど無かったのだがな』


 CEOが黒剣を構えられた。

 正眼に取り、フルフェイスメットの下から完全に小僧を捉えている。


『僕は僕の命より、真璃亜が大事だ』

『ふふふ、シスコンが』

『真璃亜の敵はァ、皆殺すッ!』


 小僧がはしる。

 手傷も痛みも無視した疾走。

 速いが、1歩毎に床へ鮮血がまびかれているぞ。あれでは長くたんな。本人は判っているのか?

 感情が肉体を突き動かしているのかもしれん。

 そういえば先程、CEOはあの小僧を生体兵器と言っていたな。

 最優先目的の為に全てを捨てて挑むよう、深層意識に命令プログラムでも組み込まれているのやも。そうした状況を想定して遺伝子調整されているなら、異常なしぶとさや活動力も判らんではない。

 どちらにせよ、あの状態ではCEOに勝てなどせんだろうがな。


『やってみたまえよ!』


 2人の接触は思いの外早い。

 CEOが剣を振り込み、小僧が走り斬る。双刃が等しい移動距離の間で衝突し、互いの進行力を相殺した。

 だがもう睨み合いはない。

 小僧が体毎横方へ抜け、CEOの側面を取らんとする。

 流れるような脚捌き。あれだけの出血ながら淀み無い。


『終われ!』


 小僧の巨剣が勢い良く振られ、紅刃が横合いからCEOへ迫る。

 しかし届くものか。

 すかさず動かれたCEOの黒剣が軌道を制し、巨剣の横薙ぎを縦一打で受け止められた。


『いい腕だが、まだまだだ』


 CEOは更に1歩踏み込み、剣を押し遣る。

 全身での移動は体重を剣に掛けての事。小僧側のバランスを若干に崩し、その隙を突いて紅剣を弾き返す。

 CEOに打たれて剣が攻撃箇所を外れた小僧は、当然大きな空隙を生じさせた。其処へ、今度はCEOが黒剣を斬り下ろす。


『君では余に勝てん。以前のように、逃げるべきだったな』


 CEOの一撃が入った。

 振り下ろされた剣は小僧の右胸に切っ先を触れさせ、そのまま走る。

 だが浅い。

 寸でで、小僧自身が半歩退いた為か。


『真璃亜を置いて、逃げられるか!』


 CEOは攻撃後の僅かな硬直。

 対する小僧は痛みに顔も歪めず、握り直した剣を振り返す。

 巨大な刃がCEOの左肩に接した!

 いかん、このままでは。


『ならば、此処で死ぬしかないよ』


 斬り込みが始まる刹那、CEOが脚を動かす。

 小僧の腹部を具足で固めた右脚で蹴り飛ばし、剣撃に力を入れさせない。

 今の蹴りは効いた筈。事実、小僧の体は後方へ滑り、CEOの肩に面した刃は小さな火花だけを放って離れていく。

 完全に小僧は攻撃の機を逸したな。


『安らかに、とはいかんだろうがね』


 CEOが更に動く。

 素早く踏み込み、小僧との間合いを自ら詰め、接近と同時に黒剣を突き出した。

 黒の長剣が迅速に伸び行き、小僧の左肩を貫く。


『真璃亜を残して、死ねるかァッ!』


 こ、小僧、肩を穿った刃はそのままに、そこから一気にCEO目掛けて踏み行くとは。

 自分から刃を更に深く突き込ませ、傷口を広げながらもCEOに肉薄する。

 リーチは小僧の方が上だというのに、わざわざ相手の懐へ潜りおった。


『僕が死ぬのは、あの子の敵を排除してからだ!』


 右手だけで巨剣を振り上げ、かなりの近距離から叩き下ろす。

 巨刃がCEOの左肩へ命中し、蒼いショルダーアーマーを破壊した。それでも動きは止まらず、更に先へと減り込んでいく。

 CEOの御身体に直接傷を負わせたようだぞ。なんという事か。


『ぬぅぅ、これ程とは』


 CEOが数歩退かれる。

 小僧の肩から刃を引き抜き、血に濡れた黒剣を振るって、自らを傷付けた紅剣を弾き飛ばす。

 むぅ、CEOの左肩はざっくりと斬り裂かれてしまっているだな。幸い傷口は肩全体の半分にも達していないが。

 けれども、あれでは左腕は満足に使えないのでは? いや、それは小僧も同じか。


『僕は負けない。負ける訳にはいかない!』


 小僧め、更に斬り攻めるか。

 怯えも恐れもない。すぐさまCEOへと詰め寄り、巨刃を上段で横に薙ぐ。

 CEOはそれ以上下がらず、迫る刃を黒剣で受け止めた。


『余とて、負けるつもりもはない』


 弾き返す!

 小僧の剣を片手で追い払い、こちらも1歩を踏んで斬り下ろし。

 今度は小僧が腕を引き戻し、横寝かせにした刃でCEOの剣を受けた。


『関係ない!』


 これまた弾く。

 互いの剣が反発し合い、2人は1歩右脚を退いた。

 だが直ぐに刃を振り合う。

 両者の正面で激突した刃が、盛大な火花を周囲へ散らした。


『負けんよ!』


 3度目の弾き合い。

 双方の刃は大きく後ろが逸れる。が、2人は殆ど同時に持ち直させ、再々度の打ち合いに導いた。

 ぶつかる度に刃が軋み、壊れた床面が更に砕けていく。


『ふん!』

『はァ!』


 黒と紅の剣は、衝突と反発を何度も繰り返した。

 CEOと小僧、2人の呼気に合わせてぶつかり、押し合い、弾かれては、また激突。

 同じ事を数度となく連続で実行中だ。

 小僧の負傷具合から長続きしないかとも思ったが、中々どうして。小僧めは一向に力尽きる気配を見せん。

 CEOと互角に攻め合い、その攻撃をいなしてはまた打ち合う。何度やっても決着がつく様子はないが。


『いい加減、余の邪魔をするのは止めて貰いたいな。余はなにも、真璃亜君を傷付けるつもりなどないのだから』


 10回以上になる剣戟。その初波を弾き、即座にCEOが黒剣を打ち下ろす。

 小僧は斜めに傾斜を付けて構え直した巨剣でこれを受け、落差を強めて黒剣の軌道を逸らした。


『だが、何もしないつもりじゃないんだろう!』


 そこから体を捻転させ、自身の動きに合わせて巨剣を振るう。

 回転エネルギーを加えられた紅刃は宙を駆け、側面からCEOへ襲い掛かった。

 しかしやらせない。

 CEOは持ち剣で紅の斬撃を防ぎ、逆に刃同士を密着させた状態から小僧の側へ。


『それはそうだが、どちらかと言えば真璃亜君の為にもなるのだぞ』


 小僧の剣は動かせない。CEOが黒剣で動きを止め、今以上の進行を妨げている故に。

 この間にCEOは小僧へ急接し、奴が次行動に出る前、先んじて右腕を伸ばす。

 篭手へ護られた腕が掴んだのは、小僧の首だ。


『ぐっ!』

『あの状態でも、彼女にはまだ意識がある。遺跡の力が、真璃亜君の肉体と精神を激しく蝕んでいるのだ。想像を絶する苦痛だよ。君は、彼女をその苦しみから解き放ってあげたくはないかい?』


 CEOは小僧の首を五指で絞める。

 それだけでなく右腕を徐々に浮かせ、小僧の細身を持ち上げ始めているぞ。

 フッ、さしもの小僧も今度ばかりは苦しそうだな。


『なに、を……!』

『余に任せ給え。真璃亜君の肉体から意識を分離させ、遺跡の中へ融け込ませる。そうすれば彼女は遺跡と一体となり、余によっての操作も可能となる』


 小僧の細首を締め上げる力は緩めない。寧ろもっと強め、気管の破壊に努めている。

 そんなCEOの腕に引き摺り上げられた小僧は、既に床面から脚の離れた状態。

 上手く酸素を吸入出来ぬ為に、思うように力も入らないようだ。


『これで真璃亜君も辛い苦しみから解放されるのだよ。余は目的を達成出来、真璃亜君も救われる。皆が幸福になれる選択だろう?』

『ふ、ざけ……』

『尤も、君に決定権は無いがね』


 CEOの腕が更に締まる。遂にトドメを刺しにいかれたか。

 このまま咽喉部を砕くおつもりだな。小僧も終わりだ。


「……ん?」


 死への道行きが始まっている筈の小僧だが、妙だぞ。

 小僧の周囲に、赤い何かが見える。

 アレは何だ? 奇妙に揺れているようだが……


『これは、ぬぉっ!』


 な、なんと!

 CEOの右手が、小僧の首を押さえていた五指が消し飛んだぞ!?

 あの赤い波のような物が、今は小僧の首に集中している。まるで膜か何かのように、その全体を覆っているではないか。

 アレか? アレでCEOは指を奪われたのか?


『まだ特異能力サイキックが使えたとは』


 五指の全てを失ってしまわれたCEO。小僧を護った赤い何かに、覚えがあるらしい。

 だが問題は小僧の方だ。奴め、CEOから解放されて床へ降りてしまったか。

 それだけではない。自由になった途端、刃を構え直している。

 腰を落とし、柄を握る右手を引いて、左手を刀身に添えた。その狙いは、CEOの御身体!


『真璃亜は、僕が、護るッ!』


 小僧めが巨剣を突き出す。

 なんという事か、CEOは右手で剣を持てん。左手は先の裂傷で動きが極めて鈍い。これは後退も間に合わないぞ。


『おおおおォォォッ!』

『ぐぬゥッ!』


 小僧の剣が、CEOの胴を貫いた。

 巨大な刃が中心部から突き込まれ、CEOの胸部を一直線に刺し通す。

 狙い済まされた一撃は重厚な鎧を砕き、最良の護りを破壊してCEO御自身を破ってしまったのだ。

 まさかこんな小僧が、CEOにこれ程の手傷を負わせようとは。


『ふ、ぅぅ……これで、気が済んだだろぉ!』


 いや、まだだ!

 CEOは倒れぬ。それどころか左腕を振り上げ、握ったままの黒剣を一気に打ち下ろす。

 標的は無論小僧。こっちは攻撃が成功して一瞬気を抜いたのか、CEOによる即座の斬り返しを予想出来なかったらしい。即ち、今は最大の好機。

 CEOの剣が、逆襲とばかりに小僧を打つ。そしてその右腕を、肩から纏めて斬り落とした。


『あがァッ!?』


 CEOの剣が振り切られる。

 小僧の右肩は完全に切断され、肉体から離された右腕が宙を舞った。

 切断面から大量の血が飛沫を上げて溢れ出し、辺り一帯を急速に赤色で満たしていく。

 これは決定打だな。今度こそ勝負あった。

 さしもの小僧も最早反撃の余力はあるまい。それが証拠に、床へと横倒れ、立ち上がれなくなっているのだから。


『ふぅ、ふぅ……余は、必ず、目的を、果たす』


 鮮やか血を傷口からまびき散らす小僧を一瞥し、CEOは黒剣を手放された。

 CEOの御手から落ちた刃は、小僧から流れ出た血溜りに落ちる。

 剣を捨て、自由となった左手を今度は御自身の胸へ。鎧を穿って胴部へ突き刺さっている巨剣を、自ら引き抜いていかれる。

 紅の大刃には赤い血が付着していた。刃は確実にCEOを貫かれ、甚大なダメージを負わせているようだ。


『最後まで、余の邪魔を……本当に、困った母子おやこだ、な』


 巨剣を完全に抜き、それも床へと放る。

 この紅剣も先の黒剣同様、血の海に沈み、より赤く汚れた。

 CEOは放った剣に興味を示さず、傷の手当もしないで進み始める。

 向かう先は、例の支柱。其処に埋まった真璃亜という娘の所。

 邪魔者である小僧が倒れた今、CEOの歩を妨げるモノはない。この方は着実に、あの娘へ近付いていく。

 これからCEOが何をするか、果たして最後まで見られるのだろうか?

 もし見られるものなら……どうやら、それはもう少しだけ後になるらしい。戦いはまだ、終結を迎えてはいない。


「小僧、まだやるつもりか?」


 私の声など届いていないだろう事は判っているがな。

 小僧め、右腕を失って尚、立ち上がるか。

 だが流石に意識は朦朧としているな。体はよろめいているし、瞳も前のような強い輝きがない。

 殆ど無意識に近い状態だろう。それでもまだ、あの娘を護ろうという一念のみで動き出すなどと。

 コヤツは何処まで……

 ふむ、CEOはまだ気付いていないか。いや、気付いてはいても、もう小僧に戦う力が無い事を察し、無視しておられる可能性が高い。

 確かに今の小僧など、立ち上がる以外には何も出来そうにないからな。この出血だ、どうそ放っておいても長くは生きられまい。

 無理に動けば、より早く命を縮めるだろうて。


『ぁ……ぇ……』


 まともに声も出んか。いよいよ御終いだな。

 大人しく寝ていれば、余計な苦しみを味わう事もなかろうに。

 まぁ、あの娘を護らんとする意志の固さと強さだけは認めてやろう。それにCEOへあれだけの手傷を負わせた事も評価してやる。1500年前には、これだけの実力を持った人間が居たのだな。

 現在であれば、四鳳絢将フォースジェネラルに加えてやってもいいぐらいよ。


『ま、て』


 む?

 小僧がCEOの背に呼びかけるか。だがCEOはそんなものに応えはしない。

 半死人の戯言などには耳を貸さず、巨大支柱へと歩を進めている。


『待て!』


 小僧め、明確な意識を取り戻しただと?

 右腕を失い、出血も多量、戦う力など毛程も残っていまい。それなのに、まだ諦めんのか。


『真璃亜には、触れさせない』


 なんだ?

 床に落ちている巨剣が、赤く輝いているぞ。

 剣の全体が光り、その赤さが増していく。しかも、少しずつ分解されていっていないか?

 先刻、小僧の首を覆った赤い波のような……そうだ、アレと同じモノに変わっていっている。

 どんどん剣としての形を失い、赤い波の如く何かとなって、小僧の左拳へ集まっていく。

 CEOはサイキックと呼んでいたな。

 まさか、あの巨剣、最初から小僧のサイキックなる力が密集し、形を成していた武器なのでは?

 だとしたら今のコレこそが、本来の姿?


『待て! ティダリテスッ!』


 小僧が、あの状態で走り出した。

 巨剣が分解して変じた赤い何かが、今は小僧の左拳に密集している。まるで小僧の拳が赤く燃え上がっているようだぞ。

 何かは判らぬが危険。アレは相当な危険なモノだという事だけは感じる。

 小僧はCEOの背へ尚も迫る最中。このままいくと。


『ティダリテェェェェスッ!!』

『大人しく、死んでいたまえよ!』


 小僧が床を蹴る。跳び上がり、CEOへ迫る。

 一方のCEOも歩を止めて振り返られた。

 その瞬間だ。

 小僧の左拳が、赤い何かを纏った拳が、CEOの顔面へ叩き込まれてしまう。


『ぬおおおああああァァァアオォアアッ!!』


 赤い拳がフルフェイスメットを打ち破り、CEOの御顔へ直接命中した。

 眩い閃光が弾け、次にはCEOの御顔が……と、溶け始めている!?

 あの拳に宿っていたのは、熱だったか。それでCEOは。


『オオオオォォォァァアアアアアッ!!』


 CEOの絶叫が木霊する。

 その中にあり、CEOは左腕を突き出された。

 深紅の篭手と手首の間から、黒い刃が伸び出る。

 隠し武器! 或いは予備の剣だな。

 新たに現れた黒い長刃の攻撃点は1つ。CEOの腕が進み、あれよと言う間に力を使い果たした小僧へ。

 白く細い首へ、刃は一気に突き刺さった。


『ごぼッ』


 小僧の口が血が溢れ出す。

 黒剣は刀身の中間部から2つに折れてしまった。

 だが既に役目は終えている。小僧の喉を貫いたまま、奴が背中から床へ倒れると共に。

 けれどCEOも、溶けいく御顔を押さえたまま、仰向けに倒れてしまわれた。

 なんという事。この勝負は、小僧とCEOの相打ち。共倒れではないか。

 だが私は知っている。CEOは此処で死にはしない。何故なら1500年後も尚、我々の君主としてインフィニートに君臨しておられるのだからな。


「フン、どうやらまたのようだな」


 周囲の空間全てにノイズが走り始めた。

 それに合わせて風景が乱れ、次第にブレていく。どうも場面が入れ替わるらしい。

 この後でCEOがどう復活されるのか見てみたいが、そう都合良くはいかないか。

 果たして次は、何が見られるやら。

 その間にも全ての情景がノイズに取って変わられ、マトモな景色は何も見えなくなる。

 だが長続きはしない。

 程無く、ノイズが小さくなっていき、乱れた全世界が安定した形へと修正されていく。


「……どうこう事だ?」


 完全に変異が治まると、其処に現れた空間は今と同じ遺跡の中だ。

 別の領域かとも思ったが、先の場所と全ての配置が同じ。どうやら場面移動をしなかった見える。

 ふむ、妙なものだな。


「いや、少し変化があるか」


 見れば、あの巨大支柱に娘っ子が埋まっていない。

 大量のコード類は天井にぶら下がっていたり、床に散りばめられていたり。肝心の接続対象が消失しているぞ。

 どうも先より前の情景らしいな。真璃亜とかいう娘が繋がれる前の時間か。


「……違うな」


 ふむ、前かと思ったが実は後の時間よ。

 私の後方にはCEOが倒れておられる。あの小僧との戦いで、床に伏したままの状態だ。

 という事は、支柱に埋まっていた娘、どうやったかあそこから抜け出したようだな。何処へ行った?


『お兄ちゃん、ごめんね』


 娘の声が聞こえる。遠くない。


『真璃亜の所為で、ごめんね』


 最寄の柱か。

 もっと近付いてみるべきだな。


『また真璃亜は、大切な人に助けられたよ。でも、その人を助けてあげられなかった』


 居た。

 傍近くに立つ柱の陰に、あの娘だ。それから小僧も。

 尤も、既に小僧は死んでいるようだがな。CEOがくれてやった黒剣は喉から抜かれているが、剣で出来た傷痕は生々しく残ったまま。右腕もスッパリ斬り落とされた状態よ。

 恐らくはこの娘が遺骸を移動させたのだろう。柱へもたせ掛けるようにして座らせてある。

 娘の全身が血で汚れているのも証拠。娘自身に傷はない。小僧の血で汚れたのだろう。

 ……これまた妙な話だ。あれだけのコードが繋がっていたというのに、その後がまったく無いのだからな。

 そもそも、どうやって抜け出た?


『お兄ちゃん、真璃亜はどうして何時も……お兄ちゃん』


 女々しい娘だ。死んだ小僧の亡骸にすがりつきおる。

 これが現実なら蹴り飛ばしてやりたい所だがな。私は軟弱者が一等好かん。

 死者に何を言おうが返事など返ってこんわ。屍骸に泣き付いてどうなる? まったく、小僧は大した気骨を持つというのに、妹がこれか。小僧も浮かばれぬて。


『まだだ……まだ、終わらんぞ……』


 おお、CEO!

 やはり生きておられた。震えながらも、ゆっくりと立ち上がっておられる。

 しかもこちらへ1歩ずつ、確かに近付いているな。この娘っ子を目指しておられたのだ。今こそが正にその瞬間よ。


『ティダリテス・フォルド・インフィニトス……そんな、まだ生きてるなんて』


 この娘も気付いたようだな。

 だがどうする事も出来まい。CEOからは逃げられんぞ。それに護ってくれる小僧はもう居らん。

 大人しく、CEOの為に働くがいい。


『ふ、ふふ、ふふふ……待ったのだ。余は、この時を、悠久の時間、待ち望んだのだ』

『ひっ!』


 僅かながらも近付いてくるCEO。その御顔は酷く融解が進み、もはや素顔とは呼べぬもの。

 皮膚が溶け、筋肉や神経や血管、場所によっては骨までが露出し、しかも全てが不規則に混ぜ合わさってさながら溶岩流だ。

 左目は垂れ落ちた組織が塞いでしまい、右目は周辺の筋肉系が全て削がれているので、半ば眼球が剥き出し。

 あの娘が恐怖に顔を引き攣らせるのも無理はないが。


『逃がさん……逃がすものか、この好機』


 CEOの歩は遅い。あれだけ手傷を負われているのだから仕方ないものの。

 願っても無い事に、あの娘は腰を抜かして動けんようだからな。問題は然してないか。


『うぅぅ、気持ち悪い、怖いよぉ……』


 フン、とことん情けのない奴よ。

 CEOの御姿にすっかり気圧され、震えるばかりぞ。

 まったく面白くも無い。貴様のように惰弱な小娘は、早々にCEOの御役に立つ以外価値などない。


『お兄ちゃん……』


 この期に及んで小僧頼みか?

 触れても何もならんというに。学習能力のない奴だ。本当にイライラする。

 これが現実なら髪を掴んで小僧の亡骸から引き剥がし、CEOの前に引き摺って行ってやるところだ。


『……お兄ちゃんは、真璃亜を護ってくれたんだよね。その所為で、こんな姿になっちゃったんだよね』


 娘は小僧を見詰めたまま。

 動かぬ相手に何を期待している?


『それなのに真璃亜は……』


 娘は俯いてしまった。

 現実の辛さに負けたか。まぁ、これは記憶なのだが。

 なんにせよ、諦めの1つでもついたのだろう。己の為に戦って果てた兄へ対して、申し無さ以外に感じる事もあるまい。


『て、ティダリテス!』


 む?

 顔を上げてCEOを睨みおった。先よりは少しばかり見られるをしているな。

 固めた決意は別であったか。

 だが現状は変わらん。今更粋がった所で、小娘の未来に変化などない。


『真璃亜は、あ、アンタなんかの思い通りには、なってやらないんだから! 真璃亜にだって、出来る事はあるもん!』


 小娘、何をするつもりだ?

 なんだ? 床に手を突いただと? 土下座して許しでも請うつもりか。

 ……先の口振りからして、そんな筈もあるまいな。


『さっき少しだけ判ったんだから。真璃亜だけは、遺跡の力が使える。全部は無理だし、遺跡の力って何かよく判んないけど……でも1つ知ってるぞ。強い思いイメージを、現実に出来ちゃうんだ!』


 何?

 この小娘、遺跡を利用出来るのか? だからCEOはこの小娘を求めていたのだな。

 娘を利用し、遺跡の機能を掌握なさるおつもりだったという訳だ。

 しかも娘の言葉が本当なら、強烈な思いなら実現化出来ると。もしそれが事実なら、全ては思いのまま……成る程、CEOが欲する理由も頷ける。

 それに遺跡の機能は他にもあるらしいからな。

 さて、あの娘はいったい何をやってみせてくれるのか。


『止めろ……』

『真璃亜のイメージ、イメージ……真璃亜を助けてくれる強い人……お兄ちゃん……それ以外だと、もう1人しか居ない。でも、今は……御願い、助けて、助けて……』


 フン、娘の言葉は出任せで無かったか。

 目を瞑り、一心に念じ始めた途端、娘の全身が輝き始めた。

 しかも娘の体にプラズマ流のような物が迸っている。それは娘の触れている床にも伝わり、そこから周囲の柱にまで伝わっていくぞ。

 遺跡の機能が動いているのか? 先より妙な鳴動が響いているような。


『ここまできて、余の邪魔を、するな……余は、今まで、待ったのだぞ』


 CEOの声も聞こえていないらしい。完全に集中してしまっている。

 娘の全身を巡る電雷の走りは尚も続き、同じ物が少し離れた位置にある床へ集まってきた。

 生まれるのか? 娘のイメージした救世主が。


『助けて……御願い、助けにきて。もう一度、御願い』

『……年だ……余は……3……年待ったのだ。今更、こんな、ところで』


 娘から生じる稲光が、遂に娘自身から、あの床へ跳び始めた。

 光っている。床の一部分が、眩く光り輝いている。

 来る。これは来るぞ。なにかが、あの娘に願われて、現れ出る。


『御願い、御願い、御願い、助けて……』

『駄目だ、止めるのだ……余は、33億年待ったのだ! おおお、止めろ、止めよォ!』


 光が、激しい。

 この光が、娘の願いを実体化させるのか!

 むぅ、何かがあの奥に、光の中心に、見える。


『御願い、もう一度助けて! いさっち!』


 小娘の声に合わせて、巨大な光が膨れ上がる。

 とてつもない光量だ。これでは直視出来ん。

 記憶映像だというのに、顔を覆わずにはいられない。私のバイザーが意味を成していないか。



 …………

 どうやら、大分と光も落ち着いたようだな。

 そろそろ顔を上げても問題ないか。


「……目を伏せている間に、また移動したのか」


 全く気付かなかったが、知らぬ間に場面がまた変わっている。

 最初の草原に戻ってきてしまったな。

 コロコロとよく変わりよるわ。忙しい事だ。

 さて、次は何が出るやら。


「ザッツ・ミラクルシアター、謎の美少年VS悪の大社長! は、楽しんで貰えたかしら?」

「何者だ」


 突如聞こえた声を追い、振り返る。

 見えるのは、変わり映えのしない緑の原野だ。ただその中に、異質な存在が1つ。


「女?」


 視線の先、私の背後にあった草原で佇んでいる。

 はたして何時現れたのか。場面の変化同様に気付かなかったな。

 もしかしたら最初から居たのかもしれない。


 この女、長い紫の髪をしている。肌は褐色だ。

 背も高い。170以上あるな。

 全体の様子からして40代といったところか。白衣姿というのが、草原という場所柄、異彩を放っている。

 見知らぬ顔よ。……その筈だが、何か引っ掛かる。記憶の何処かに、微かな覚えがあるような……何だ?


「人の領域に土足で踏み込んどいて、挨拶もなし? 随分と礼儀知らずなAIね」


 女は私を見て、挑むような笑みを作る。

 どうやら先刻までの記録映像とは違うらしい。私を対象として認知しているのだから。

 それにしても相手の態度、不敵の領分ながら軽さが見える。フランクというか何というか。

 私がAIという事は見抜いていた。頭の中が緩んでいる訳ではあるまい。警戒は解けんな。

 尤も、電脳内に侵入してくるモノなど早々居ないのだから、正体を見抜くなど造作もなかろうが。


「ま、いいわ。寛大なあたしは些細な無礼を許してあげる」


 この女、随分と上から目線ではないか。物言いは高圧的というか、挑戦的だ。

 私が侵入者であり、招かれざる客であるのは事実なのだがな。


「で、名前は?」

「名のる必要など……」

「大アリでしょ」


 女は人差し指を立て、私の方へ突き出してくる。

 互いの間には距離があるので、当然届く筈もなく。しかしたしなめられている感は拭えない。

 あまりいい気分ではないよ。


「カーラ・カロルタグナ」


 相手のペースに乗せられているようで嫌なのだが、ここは奴の領域である可能性が高い。下らん事で抵抗せず、取り合えず簡単な質問には答えておくか。

 奴は感情の起伏が激しそうだ。話を合わせて様子を見よう。


「カーラね、な〜るほど。じゃ、次はあたしの番ね。聞いて驚きなさい、あたしは世紀の大天才にして最高の美人科学者、日和ひより・クリシナーデ大々先生様よ!!」


 腰に手を当てり返り、恥ずかしげもなく大声で叫びよる。

 しかも背後で意味不明の爆発が起こり、七色に輝く爆炎が盛大に立ち昇ったぞ。

 もう間違いないな。此処は奴のテリトリーだ。空間情報を操作して、自分の紹介に不必要なまでの演出を施すのだからな。

 ついでに言えば、これで奴のセンスというか性格も大凡判明したわ。典型的な自信家の目立ちたがり。恥じも外聞も気にせず、自分をアピールする事には過剰な熱意を燃やす。精神年齢は相当低そうだ。


「……なによ、ノーリアクションなワケ? ちぇー、これっだから面白味のないAIは駄目なのよ」


 今度は急に憮然として、足元の小石を蹴り始めた。

 草ばかりで石などないが、今し方出現させおったからな。

 全身で『つまらん』を主張している。これ見よがしに。

 何なのやらな、この女は。


 ……ん? 待てよ。

 この女、今、クリシナーデと言ったか? ではコヤツ。


「クリシナーデ領区の関係者か」

「ピンポンピンポン、だーいせーかーい!」


 女の周囲から炎が上がる。

 またいらん操作をしたな。

 今の今までいじける風だったのに、今度は満面の笑みで拍手。

 おまけに指を咥えて口笛まで吹いてくる始末。

 どういう変わり身の早さだ。先のショックを受けたような姿勢は嘘か。


 だがこれで胸中の引っ掛かりが解消された。頭につかえていた物の正体が判ったぞ。

 この女、データにあるクリシナーデ領区の今代宗主ユイ・クリシナーデに似ているのだ。どことなくだが、保存情報との接点を感じる。

 見覚えのある筈だな。ヤクモにも似ているのだから。


「しかも関係者なんて余所余所しいモンじゃないわよ。なんとあたしは、クリシナーデ領区創設に関わった重要メンバーの1人なんだから!」


 女の宣言と同時に、彼奴の背後で再びの爆発が起こった。

 しかも先よりカラフルだ。12色もの複合着色煙が濛々(もうもう)と立っている。

 イチイチ、こんな事をせんと話も出来んのか。


「何を言うと思えば。領区創設と言えば1500年以上も昔ではないか。もし本当にそれほど以前の存在だとしたら、粉微塵に消えていようが」

「あら、別にオカシクなんて無いんじゃない? 貴女達のボス、ティダリテスと同じよ」


 この女、CEOの事を詳しく知っているのか?

 先の記録映像から考えて、何も知らぬ訳はないと思うが。逆に深くまで認知しているのだとしたら……。

 やはり油断出来んな。


「そりゃ肉体の方はとっくの昔に消滅してるけど。でも問題は無いの。記憶をデータ化して、SOLシステム上で意識を再現したのよ。人の自我なんていうのは結局、脳細胞を往来する電気信号でしかない。膨大な演算能力と処理能力を保持する大容量の量子コンピューターがあれば、代用は可能なんだから」


 コヤツ、この躯体に実装されている主電脳を利用して、内奥に人格を再構成していたのか。

 確かに我々クラスのAIが用いる躯体には、人間の頭脳形態をモデルとした主電脳が組み込んである。

 こいつは蛋白質を主成分として形成され、構造そのものも人間の脳髄と極めて似通っているからな。違いなど在って無い様なものだ。

 それを使い、自意識を保管し続けていたという訳か。媒体こそ違えど、CEOと同じ様な手法で1500年もの長き時間を生き永らえてきたとは。

 しかし驚きだな。あの御方以外に、そんな真似の出来る者が居たとは。それも、こんな軽そうな女が。


「では先の映像、アレも貴様が見聞きした物なのか。何故、私にあんな物を見せた?」

「ブッブー! ふせーかーい!」


 女が顔の前で両手を交差させ、大々的に×印を作ってみせる。

 それと同時に周囲の明度が急激に落ち、薄暗くなってきた。これでもかと、私の間違いを指摘しているようだ。

 この女、本格的に私をナメているな。

 此処が電脳内でさえ無ければ、我が愛鎌リーンカーネーシスで両断してやるところぞ。


「さっきの映像を見たのは、あたしじゃないわ。この子自身よ」

「この躯体がか?」

「そ」


 私の問いに頷く女。

 それと共に、奴の隣へ新たな映像が浮かび上がる。

 出て来たのは、ウェーブの掛かった金の髪を伸ばし、年齢を読ませぬ不敵な面立ちの小娘。

 遭遇する以前の健全な状態であるコヤツだ。私が見た時のような半壊状態ではなく、本来の完成された形をした姿。


「あたしがAIの基礎人格を作ってあげた、タレス・ルーネンメビュラ君でーす」


 現れた映像の横で、女は1人拍手をする。

 だというのに、何十人もが一斉に拍手かしわでを打つような音が響き渡る。奴がまたこの空間内で情報操作をした為だろう。

 何につけてもじっとしていられんらしい。


「だがこの躯体はインフィニートの物だ。何故、貴様がこれを」

「あら、今の貴女……ああ、現在起動してるAIの方よ。で、その貴女は比較的最近になって作られたみたいね」

「だったら何だというのだ」


 奴の言う通り、私としての人格が構築されたのは4年8ヶ月と21日11時間36分前だ。

 それ以前の事は、後からダウンロードされた情報以外では知らん。


「貴女とこのタレス君の躯体カラダはね、同時期に製造された物よ。時間にして約1500年前。月の環境を一変させた大異変の発生まじかにして、まだインフィニートが偽りの仮面を被り、人類に協力していた頃」


 1500年前? 私の躯体とアイツは、そんな昔に造られていたのか。

 当時はまた違ったAIが搭載され、今の私のように機能していたのだろう。かつての記憶が私に無いのは当然だな。

 CEOが私にかつての情報を与えなかったのは、それが不必要と判断なされたからよ。CEOがそう思われたのならば、それが正しいのだ。


「女神と呼ばれる女の子が頑張ってた時代ね。あの頃のインフィニートはまだ人間の味方を装っていて、人々を助ける為の兵器なんかを色々と提供してた。その中に、完全自律型AIを備えた貴女達が居たの」


 フン、全てはCEOが遺跡を掌握する為の下準備だろうて。

 あの御方が下劣な人間に手を貸す理由など他にある筈もない。いいように人間共を騙し、信用を勝ち得たのだな。

 流石はCEOよ。


「で、色々あって、女神ちゃん達が遺跡に攻め入る時が来たワケ。当時のタレス君は、まぁ名前もAIも違ったけど、彼は女神ちゃん達と一緒に遺跡へ潜っていった。一方の貴女は外に残って他の連中と行動を共にしたわ」

「成る程な。遺跡の深奥に辿り着いた所で、CEOが下卑た人間相手に掌を返し、本来の目的へ移られたのだろう」

「はい、せーかい」


 今度は今までと違った。

 女はまたも拍手をするが、やる気は到底感じられない適当ぶり。しかも溜息混じりで、如何にも嫌そうに顔をしかめよる。

 インフィニートへの嫌悪を前面に押し出した対応だ。兄弟機の表情まで陰鬱気なのが、余計にイラだたしいが。


「女神ちゃん達に襲い掛かったインフィニートの手勢は全滅。タレス君も動けないぐらい破壊されたみたいね。それでもまだAI機能は生きてて、其処で起こった事を記録してたのよ」

「それが先の映像か」

「そーいう事。アレは見せようと思って見せたんじゃないわ。タレス君の電脳内に貴女っていう異分子が入り込んできた所為で、電脳中枢が混乱して内在データがぶちまけたって所かしら」


 記憶が乱反射でもしたか。

 人間が視るという夢に近いものがあるかもしれん。

 AIの視る夢か。笑えるぞ。


「それで、貴様がその躯体を回収したのか」

「まね。でも直接じゃなく、間接的にって感じ? みたいな」

「どういう事だ?」

「あたしは遺跡の中に入らなかったから、タレス君を外まで引っ張ってきたワケじゃないのよね。どうやら女神ちゃんが何かやって、その影響でタレス君達は遺跡外へ転送されたようなの」


 もしや、先刻の映像内に出ていた小娘が女神なのか?

 あんな娘っ子が女神呼ばわりされるとはな。フッ、人間とは低俗すぎて、本当に理解出来ん。


「で、異変の治まった後に外を調査してたあたしは、打ち捨てられてるタレス君を発見。持って帰って修理したわけ」


 私はインフィニート側に回収されたと考えるのが妥当だな。

 その後、様々なAIがこの躯体カラダを動かしてきた事だろう。そして4年前からは私が動かしている。

 あっちの躯体はクリシナーデに奪われ、弄り回された末、連中の尖兵へと仕立て上げられたか。ある意味で同情するな。


「流石にインフィニートへ関係するデータは、自動削除されてて何も残ってなかったけど」

「当然だ。それぐらいの処置は事前に済まされている。愚劣極まる貴様等に、我々の情報を毛程もくれてやるものか」

「そーいう事みたいね。結局、確認出来たのは最後に見ていた記憶映像だけ」


 フン、大体こんな所だろう。聞きたい事は大凡聞けたな。

 インフィニート製アンドロイドの主電脳を操作したのは、現代人ではなく1500年前の科学者だと判った。

 当時はまだアクトレアの猛勢に脅かされる前であり、技術力も非常に高いレベルで保持されていた時代だ。AIに手を加えられる技術者も多く居ただろう。

 そしてその1人が、自ら手掛けた電脳に潜み、今もまだ執拗に生き続けていると。私の中にくすぶっていた謎は解けた訳だ。

 もうこれ以上、此処に居る必要はあるまい。


「あの頃はさぁ、こんなにまで生きようと思って無かったのよね。まだ」


 昔を懐かしむように、女はしみじみと漏らしている。

 だが悪いな、私は貴様の世間話に付き合うつもりはもうない。用は済んだのだ。昔話がしたければ、そこの映像へ向かって勝手に話しているがいい。


「転機は急に訪れたのよ。1人の女の子がね、あたし達が作った領区に遣って来たの。それが始まり」


 ……なんだ?

 妙だな。接続が切れん。

 タレスなるAIの自我パターンは解析済みだ。私との同調率が高すぎて、離脱出来んという事もあるまい。

 電脳内へ潜っている間に、微妙な変化でも起きたか。この手のAIへ潜行ダイヴするのは始めてだからな、知らぬ間に変調をきたしたのかもしれん。

 再検索して、必要な部分を即時修復するとしよう。


「その子ったら皆のピンチを救っちゃったもんだから、勇者だなんだって呼ばれちゃってね。でも1番ビックリしたのは、他ならぬあたしよ。だってその子、友達の娘さんだったから」


 ……何故だ? 変異箇所など見付からない。

 全て正常だぞ。にも拘らず、何故抜け出せん。

 このAI、どうなっている? 侵入自体は拍子抜けするほど簡単だったというのに。


「しかもタレス君の記録映像で、女神ちゃんが呼び出した正にその人! いや〜、ホントにタマゲタわね。しかもその子がさ、言うのよ」


 これは違う。事故やシステムの不調ではない。

 意図的に行われている事だ。何者かが、私の脱出を妨げている。

 何者か? ……そんな輩は、1人しか居まいよ。


「1500年後にまた来るって。またまたビックリ。『どうしちゃったのよ、勇魚いさなちゃん』なんて言ってる間に、さっさと出てっちゃってね。後にはあの子が置いていった物だけがポツーンて」


 この女、私を逃がさんつもりか。

 此処に閉じ込めおったな。

 まさか話が終わるまで、強引に私を引き止める気なのか?

 おのれ、ナメおってからに。


「それが切っ掛けだったわね。親友の娘さんが、何か判んないけど大変な事に関わってるのよ。無視は出来ないじゃない? だからあたしは決めたの。1500年後、もう一度彼女に会おうって。それまで待っていようってね」


 此処は電脳内で、しかも奴のテリトリーだ。

 何時の間にか行動権も大きく制限されている。

 口惜しいが、今の私では奴に抗う事が出来ん。どうにかして、此処から離脱しない事にはな。


「ティダリテスの腹黒さを見抜けなかった所為で、世界が滅茶苦茶になっちゃったワケで。その事への責任感じてたのも理由なんだけどね〜」


 フン、何食わぬ顔で話を進めよって。

 私が接続を切れなくなっている事、当然知っている筈だ。だというのに、くだらん話を何時までも。


「ま、そんなこんなでタレス君の電脳を改造してさ、あたしの脳内情報をデータ化して保存しといたの。ついでに、アキマリナ君っていう子の精神パターンをモデルにAI組んだのよ。あの子とあたし気が合ってさ〜」


 知るかっ!


「アキ君をモデルに作ったのが今のAI、タレス君なのよ。この子には1500年間動いてて貰わないといけないんだけど……なにぶんアクトレアの攻撃が激しいじゃない? なまじ性能がいいもんだから前線配備の要請が多くって」


 わざとか? わざとなのか?

 敢えて私をイラつかせようとしているのか? そして楽しんでいるのではあるまいな。


「結局、皆の為とか言われたら断れなくてさぁ。激戦の最中に故障したりすると、その都度修理する必要があってね。なんだかんだやってる内に、記憶は何度か初期化しちゃうわ、10年動いたら50年はエネルギーの充填だわと、色々あったもんだ」


 腕を組み、1人感慨にふけりながら頷いている。

 奴は完全に私の存在を忘れているようだ。でなければ無視しているのか。

 私が相槌の1つでも打たない限り、終わりそうにないのだが。


「だけどそんな苦労も、ようやく報われる時が来たのよ。待ちに待った彼女が、遂にあたし達の前に現れたんだから」


 今度は胸の前で両手を合わせ、瞳を輝かせて謳うように述べる。

 隣立つ躯体の映像も同じ様なポーズを取りおった。

 こんな女の1人芝居を見ていても仕方ないというに。


「でも運命とは残酷なモノ! 彼女は昔の事をぜーんぶ忘れているみたいなのよ。ついでにあたしは、タレス君の電脳が100年ぐらい前から調子悪い所為で表に出る事も出来ず、折角会えたあの子と対話も出来ないときた。いや〜、参ったわぁ」


 またも腕を組むと、次は頭を捻りながら唸り始めた。

 例の映像も一緒にな。

 ……よもやその腹いせで、私を此処に閉じ込めた訳ではあるまいな?

 うぅむ、この女ならやりかねんぞ。


「しかーし、天はあたしを見放してはいなかったのです。千載一遇の好機を与えてくれたのだから」


 腕組みを解き、空いた両手を頭上に掲げる。

 落ち着きのない女の挙動は、もはや私の理解を超えているよ。

 もお何でもいい。好きにしろ。


「その代償は大きかったわ。長年連れ添った愛すべき体、タレス君の破壊。そして1500年の時を越えて再会出来た息子と呼べなくもない美少年の死。数々の試練を経て、そのチャンスが遣って来たのよ」


 大仰な立ち振る舞いで、女が白衣の裾を翻す。

 それが終わると、奴の動きをトレースしていた躯体の映像が消えた。

 心なしか、空間全体に満ちる空気が1本の糸をそうするように、引き伸ばされたような。先とは違った感覚が生じたように思う。

 何か始まりそうだが……


「正に今、この瞬間からね」


 女が指を伸ばし、人差し指で私を指し示す。

 その時だ。突如、足元の草むらから鈍色にびいろの鎖が飛び出し、私の手足に絡み付いてきた。

 瞬く間に腕や脚を走り上り、螺旋を描いて固く結ばれる。それで私の五体は自由を完全に奪われたのだ。

 抵抗は出来なかった。する暇さえない。


「これは何だ? 貴様、何の真似だ」


 四肢の自由を奪った鎖を見遣ってから、私は正面の女を睨む。

 だが奴は口笛でも吹きそうな軽妙たる表情で、口唇を上弦の形に裂くばかり。

 逆にその態度が、奴の思惑をこちらに理解せしめた。


「タレス君はもうボロボロ。残念だけどとても使える状態じゃないわ。だからあたしには、彼に代わる新しい躯体カラダが必要なの。でもあたしを保存出来る優れた電脳は、今の時代じゃ殆ど残ってないのよね」


 女は嘆息しながら1歩踏み出す。

 頬に手を当て、溜息を吐きながら近付いてくる。

 私は動けない。体を束縛して離さない鎖は、更に拘束力を強めているようで。身動みじろぎさえ許さない程。


「貴女がハッキングしてきてくれて、本当に助かったわ。これぞ運命ってヤツよね」

「接続面から私の思考システムを伝い、こちらの電脳にデータを転送するつもりか。記憶を焼き付け、私の躯体を乗っ取ろうとはな」


 フン、簡単に侵入出来た筈だ。入り込むつもりが、奴に招き入れられたのだから。

 これが凡百の相手なら、私への逆ハックやデータの書き換えなどさせはしない。だが奴は1500年前の技術最盛期から存続しているモノ。さしもの私も、抗い切る事は出来ぬやもしれぬ。

 ぬかったな。これでは奴の思う壷だ。どうにかして逃げ出さねば。

 ……しかし退路は全て断たれてしまった。この空間内で私は無力。


「貴女には悪いけど、こっちにも色々と都合があるの。理解してくれると助かるわ」

「誰が理解などするか」

「あら、残念。でもま、仕方ないか」


 女は私の眼前に立ち、大袈裟に肩を竦めてみせる。

 しかも科白セリフとは裏腹に、顔は全く残念そうではない。寧ろ、笑みにさえ近い。


「さて、あたしは随分情報を提供してあげたから、今度は貴女の情報を貰おうかしら。インフィニートの事、この際だから全部教えて貰うわよ」

「自分からペラペラと喋り放っただけではないか。最初からアンフェアだぞ」


 奴は私に侵入し、主電脳からインフィニートへ関係する情報を根こそぎ作出するつもりだ。

 プロテクトは掛かっているが、果たして奴に通用するか?

 最悪の場合はセーフティが働く。現在稼動しているAI、即ち私は消えてしまうが、それと一緒に全情報も同時に消去デリートするのだ。奴にインフィニートの機密を知られる事だけは防げると思うが。


「ふむふむ、成る程。現在のインフィニートは大部分が非生体の組織なのね。ティダリテスの人間嫌いは相当根深いわねぇ。それでも側近の内2人は、まだ人間としての部分が多く残ってると。ほぉほぉ、ヨシア君とヤクモ君かぁ……って、ヤクモはあたしの子孫じゃない!」


 莫迦な、コヤツ、私から情報を抽出しているのか?

 プロテクトはどうした? やはり突破された? いや、それならばセーフティ機能が動く筈……まさか、それすらも解除しただと?


「はぁ、少し電脳の奥に閉じ篭ってたら、子孫が非行に走ってるなんて。けっこうショックね。こうなったら他のも見てやる」


 女は私の正面に立ったまま。

 難しい顔をしては驚いてみたり、納得の頷きをしてみたりと、表情も仕草も忙しなく変わっている。

 私は依然として動けず、鎖に囚われた一切の挙動を封じられた状態だ。

 この間にも、私の電脳からは多量の情報が抜き取られている様子。それを思うと、怒りと悔しさに頭が狂いそうよ。


「貴女の指揮する部隊、冥鬼血薔薇衆ブラッディヘルローズは、自律型AIを搭載した機動兵器で組まれてるのか。中枢制御系の電脳は優良品の劣化モデルなのね」

「くっ、もう止めろ」

「まだまだ、これからが本番よ。インフィニートの目的を教えてもらうわ。いったい何をしようとしてるのかしら?」


 これ以上はマズイ。何とかせねば。

 しかしどうすればいい? 私ではこの女に勝てん。せめて電脳の外にさえ出られれば、幾らでも抵抗する手段はあるのだが。

 おのれ。


「遺跡を再起動する為に、機能へ掛かったロックを解除したい。だから必要なパーツを探してきた、か。……でも随分前に求める要素は揃っていたみたいね。足りないのは何?」

「いい加減に……」

「接続因子? その持ち主を殺すのがインフィニートの目的? 貴女がロシェティック領区に来たのも、接続因子を排除する為。領区跡に出向してきた比島の戦闘部隊に、因子の保有者が居たのね。だから処分しに」

「これ以上は……」

「今までも長い間、インフィニートは接続因子の保有者を殺してきていた。何故?」


 奴は問うているが、私の答えを期待などしていない。

 黙っていても私の中から欲する情報をむしり取り、勝手に解答を得るのだからな。


「なんだ?」


 予期せぬ事態は、何時も突然巻き起こる。

 今回もそうだ。私の手足を拘束していた鎖が、何の前触れもなく砕け散った。

 急に自由が戻り、力を込めていた四肢が脱力する。その所為で、私は足元の草むらに膝を突いてしまった。


「誰? あたしの領域に干渉してきたのは」


 顔を上げて見れば、女の目が細まっている。

 奴の発した声は空間に響き、音も無く破壊された鎖と共に消え果てた。

 その直後、天から赤紫をする雷が一閃、私と女の傍に落ちる。

 突発的な落雷が後、そこから立ち上がるようにして1つの影が現れ出た。


「余の部下を虐める止めてもらおう」


 威厳ある絶対者の資質を乗せた声。

 その発し主は纏う雰囲気さえも荘厳で、立ち居振る舞いには王者の品格が薫る。

 其処に居られるのは紛う事なき我等が主。唯一無二の支配者だ。


「CEO!」


 私は無意識にかしずき、あの御方の眼前に平伏す。

 CEOの御姿は暗色の影。人型をした黒のシルエットのみ。何時もインフィニート要塞の内部に現れる時と同様、実体を伴わない映像的な容態であらせられるが、それでもこの威圧感は健在だ。


「ティダリテス、どうやって此処へ?」


 あの女は無礼にも、CEOへ面と向かって問いを打った。

 恐れを知らぬとは正にこの事。あの御方を前に平然と立ちはだかり、挨拶もなしに睨みつけるなどと。


「余の手掛けたAI主電脳は、ネットワールドと直結している。本来は閉ざされているが、ネットワールドは深部で遺跡とも繋がっていてね。ネットワールドのハードウェアは遺跡の主要構造体に内蔵されているからな」

「アンタが自我データを復元する際に用いたのは、AIの電脳じゃなく遺跡の内部機関だったのね。遺跡の中で肉体を失ったアンタは、遺跡のシステムに記憶を移し1500年間生き続けてきた」

「御名答だよ、日和君。相変わらず聡明だ。しか残念だよ。折角1500年ぶりに再会出来たのだが、君との歓談はじきに終わる」


 CEOの御発言が虚空に吸い込まれる。

 それを待っていたように、あの女に異変が起こり始めた。

 両手の指先が先端から渦巻き、紐状に分解され消え出したのだ。

 目に見える消滅は徐々に指を下り、手首へと進んでいく。


「こちらに来る際、ウィルスプログラムを注入した。ネットを介して感染し、既に電脳全体を蝕んでいる。然程時間を要さず、この電脳は機能を完全に停止するだろう。無論、此処に依存する君は消えてなくなる」

「やってくれるわね」


 分解消滅する自らの腕を見ながら、女は苦々しげな表情を覗かせた。

 散々私を弄んでくれた奴も、これで終わりか。流石はCEO、見事なる御手並みだ。


「君の専門はナノマシンだったな。あの時、余の申し出を受けインフィニートに加わっていれば、こんな最期を送る事は無かったのだがね」

「冗談。あたしは自分の信念にのみ従って生きる事にしてるのよ」

「君といい光瑠ひかる君といい、高潔な精神を持つ者は嫌いではないのだが。そういう者に限って余の邪魔に回る。これも運命か」


 CEOの御姿を投射した影が微かに揺れる。

 落胆の為だろうか? それとも笑っておられるのか。

 その間にも女の分解は進み、今、肘を越えた。奴の両腕は殆ど無くなっている。

 元々意識だけの存在なのだ、苦痛は最初から感じまい。だからこその余裕ある態度。

 しかし自らの消滅を突き付けられても尚、落ち着いていられる精神的豪胆さだけは認めよう。


「折角だ、君の疑問に幾つか答えてあげよう」

「今更って感じだけどね。……ま、いいわ。接続因子って何?」

「大異変以後、遺跡へ感応出来る素養を秘めた人間が生まれ始めた。これは遺跡の中枢機関に設けられた封印が原因で、閉ざされたシステムを解放する為の鍵が無数に分離し、外界へ流出した為に起こっている」

「遺跡の封印、それを解く鍵が砕けて人間の遺伝子に融け込んだの?」

「そういう事だ。君達の言う女神が、余計な真似をしてくれた結果さ。こうして人の中に発現するのが接続因子だ。彼等の肉体が死を迎えると、因子は囲みを失い体から離れ、遺跡へと流れ込む」


 大異変によって遺跡は月へと深く侵食してきた。

 アクトレアが月面上に現れたのも、遺跡と月が同一化していた所為でもある。月はもはや遺跡の一部なのだ。

 月の上で接続因子の保持者が命を落とせば、因子は月へ、遺跡へと還り、結果として封印の解除へ貢献していくのよ。

 だからこそ我等インフィニートはこの1500年をかけ、接続因子保持者を抹殺してきた。


「随分時間が掛かってしまったが、1番厄介な封印の鍵は漸く打ち壊す事が出来たよ。先にカーラが殺した比島領区の戦士、彼が最後の因子保持者だったからな」


 フッ、つまり私はミッションを完遂出来た訳だ。

 これでCEOの邪魔をする障害は全て排除した。


「他の鍵も既に揃っている。クリシナーデ領区をとしたヤクモから、最後の1つが届けられた事でな。余の部下達は、水面下でよく働いてくれたよ」

「まだ全部じゃないわ。最終的なアクセクキーが無い筈だもの」


 肩が消え、消滅域が上半身と首へ及ぶ最中にあって、女は瞳から希望の光を失わない。

 気概だけなら凄まじいものがある。あの記録映像に出て来た小僧を、一瞬だが思い出したぞ。

 だが現実は常に強き者へ軍配を上げるのだ。それをこの女は知る事となろう。


「そんな物はもはや不要」

「なんですって?」

「女神だよ。彼女を遺跡へ同調させ、意識を完全に溶け込ませる。余はそれに尽力してきた。この1500年、彼女はしぶとく抵抗していたが、それもついさっき終わった。女神が遺跡と一体化した今、余の意思を反映させるなど造作もない。今更アクセスキー等、何の価値もない」


 お、おお!

 やはりか。CEOの、我等インフィニートの積年の悲願が、遂に達成される日が来たと。

 CEOがこちらに現れた時に、私は察していたぞ。最後の邪魔者を下し、詰めの一手を決められたのだとな。


「全ての準備は整った。これで本当に、余の覇道を妨げる者はない」

「そんな……じゃあ……」


 女の表情が暗転する。

 先までの期待は急速に失せ、変わりに打ちのめされた者特有の敗色が全身を包む。

 いい気味だ。実に清々しい気分よ。

 しかも女の体は分解を止めず、完全消滅への道を突き進んでいる。

 後残っているのは脚と顔の上半分だけだ。


「君が1500年待った結果は、絶望への旅立ちだったな。長い間、無駄な努力を御苦労。そしてさらばだ、日和君」


 女はもう何も言えない。

 最後に眼だけが口惜しさと反意に爛と輝いたが、それもすぐに消えた。

 そう、女は最後の一欠片までもが今、遂に霧消して果てたのだ。これで此処から脱出する事も出来よう。

 其処に奴の居た痕跡さえ残っていない。尤も、何かあっても直ぐに此処も壊れて無くなるのだがな。


「カーラよ」

「はい」


 女の消滅を確認してから発せられたCEOの御言葉。

 我等が主上から直々に与えられたそれへ、私は深く頭を下げる。

 草むらに片膝を沈め、掌を仮想の大地へ置いて。


「インフィニートの全員に、遺跡へ参るよう伝えるのだ。入り口は開けておく」

「はっ」

「遺跡を再び動かし、今度こそ、真なる世界を再創造するのだ」


 始まるのだ。我々の世界が、我々の時代が。

 これから、遂に。CEOが、遣って下さる。


「行くぞ、新人類よ」

「ははっ!」


 私は更に深く頭を下げる。

 胸に湧く歓喜を声に乗せ、この御方への忠誠を新たにし。

 遠き悲願の成就に、私はAIながら昂ぶりを抑えられない。

 全ては、これからなのだから。

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