話の46:廃墟にて(1)
曇天の空。厚い雲から降り注ぐ酸の雨。
土砂降りという程には勢い無く、小雨というまでも弱く無い。
仄かに視界を閉ざす雨粒の群体が、若干の霧を誘発して足元を漂う。
進む度、差した防酸傘に溶解力の雫が弾け、不規則な自然の旋律を作り出す。
意図せぬ音階の協和音を聞きながら、僕達は滅びた街を奥へ進んだ。
数週間前までは絢爛豪華な大都市として、煌びやかな明光を掲げ賑わっていたロシェティック。
しかし今や、かつての喧噪は欠片もない。
絶えぬ雨音が消えたなら、此処に走る音色はないだろう。そう思う事が自然な程に、この領区跡は荒廃している。
僕達が進むのは舗装された道路であるが、薄汚れ、所々が罅割れ、或いは陥没し、とても往来の主要道だったとは思えない。
オーベール領区から乗ってきた領外移動用軽車両も、瓦礫山で塞がれた道までは通れず、公道の片隅に置いてくる他無かった。
その所為で、広大な領区の徒歩移動を余儀なくされている。
両脇へ視線を流せば、探さずとも見え連なるは巨塔の如きビル群だ。けれどこちらも、隆盛時の原形を留めている物は見付からない。
どれもこれもが中途から折れ砕け、無数の瓦礫に分解された残骸を散らしている。
硝子も悉くが割れ散り、かつて窓として機能していた箇所は暗い洞穴のように見受けられた。
立ち並ぶ商店や民家も同様の憂き目を見、健全なる造築物は何処にも無い。
屋根の消失した家、壁面が粉砕された店、全面積の半分程が吹き飛んでいるホール、硬材片の散雨に見舞われて押し潰されたアパート、元が何だったのか確認出来ない程に崩れた跡地……
徹底的に破壊し尽くされた街並みは、無惨の一言に尽きる。果たしてどれ程の住人がインフィニートとの『戦争』に巻き込まれ、命を落としたのか。
力無い者が、より強い存在に蹂躙されるのは道理。牙を磨かぬ者が暴力に屈服され、あらゆる権利と尊厳を踏み躙られるのも当然。それが正常な自然の流れ。
だから僕は力及ばず死に瀕した者になど同情はしない。
でも、利用価値のある都市を破壊し、アクトレア共へくれてやるのは同意しかねる。奴等にわざわざ繁殖の場を提供してやる必要など無いだろうに。
目に付く範囲に死体らしい物が何も無いのは、壊滅後の領区に入り込んだアクトレア達の所為だろう。傭兵時代、連中が人の屍骸を喰らう光景を何度か見た事がある。
……しかし妙だ。
「それにしても変ねぇ」
隣を歩くタレスが、防酸傘の下から疑念の符を零す。
不審感も露に周囲を見回す様は、理知的な観測者の態。だがしかし、黒いハイソックスにゴシック系のドレス姿(しかもスカートがかなり短い)なのだから、いまいち格好がつかないというか。
タレスは男であるのに、少女趣味の衣装ばかりを好んで着用する。それで僕に迷惑が掛かる訳じゃないから、特に気にはしていないけど。それに今ではすっかり慣れてしまった。
「やっぱり、そう思うか?」
「ええ」
隣人と同じ歩調で進みながら問うと、彼は短な肯定と共に頷く。
どうやら僕が抱いていた物と、同様の違和感を得ているようだ。
「所々にアクトレアを臭わすものが在るのに、当の怪物ちゃん達が全然見当たらないわ。幾らなんでもオカシイわよ」
自分の金髪に右の人差し指を絡めつつ、タレスは疑問の正体を口にする。
やはり同じだ。僕もそれが気になっていた。
確かにアクトレアが存在しただろう事を示す証拠は散乱している。
失われた遺骸、随所に見受けられる異形の爪痕、不自然に変形した構造物の残骸、視野の方々に付着する体液、究めつけは化け物共の名残と言うべき空気の澱みだ。独特の瘴気と言い換える事も出来るが、アクトレアと戦い続けてきた者なら、自ら体感してきた故に理解は容易い。本能的に察知出切る。
問題はこれだけの痕跡を残しているにも関わらず、肝心の本体達が何処にも居ない事だ。
領区跡へ来るまでの間には何度も襲撃を受けた。その都度、全て撃退してきた訳だけど。街では更に大量の異形群と戦うだろうと、僕達は予想していた。が、見事に外れている。
物陰か何かに隠れてこちらの様子を窺っているのか? 仮にそうだとしても、これは静かすぎる。そもそも気配がしない。
奴等の存在を認知する材料、あの瘴気にしても残り粕のような物でしかないし。
どうにも変だ。
「まるで、事前に駆除でもされちゃったみたいね」
タレスは道路に出来た水溜りを上手く避けながら、感じるままを言葉に変える。
こちらもまた僕と同意見。
今までの経験上、アクトレア達が人類の被造物跡地へ入り込んだ後、自らの意思で離れ去る事は無かった。何故かは知らないが、連中は人間から奪った場所等に巣食う習性があるらしい。
傍から見ていると、もう1度其処に人間が戻ってきて、打ち壊した物を再構築した後、勢力再興するのを妨害しているかのようだ。
人類が力を付けるのへ反応し、それを妨げようとしている。そんな風に感じる事もある。
だからこそ連中が、これ程の廃棄街区を放っておくとは考え難い。それを選択肢に入れるぐらいなら、街跡に侵入したアクトレア勢を何者かが撃退した。と考える方が無理なく自然だ。
「もしそうだとしたら、此処に残ってるらしいロシェティック残党が最有力候補だな」
「あらぁ、でもそれって変じゃない? インフィニートにこーんなボロンボロンにされちゃったのに、アクトレアを追い出す余力が残ってるなんてねぇ〜」
「……それもそうか」
僕の予想へ異議を唱えるタレス。
穿いているソックスが汚れないよう気にしつつ、声だけを僕へと投げてくる。
彼の言う事は尤もだ。戦いに負けた領区の残党達に、街中を荒らし回るアクトレアを排除出来るかは疑問。
しかしそうなると、いったい誰が怪物達を追い遣ったのか?
「現時点で結論を出すのは早計かもしれない。もう少しあちこち見て回ろう」
周囲への警戒を怠らず告げる僕に、タレスが返してきたのは同意のウィンク。
僕等は互いに行動方針を定め、くず折れたビルで死角化している交差点を、左へ曲がった。