話の44:女神の伝説(+3)
一通りの話を終えたのだろう。ユイは目を閉じて、黙っている。
声を止め、静かに在るその姿は、私の言葉を待っているように見えた。
「大体の話は判ったわ。でもそれと、私が勇者呼ばわりされる事に何の関係があるの?」
ユイの顔を見て、率直な疑問を放る。
今の話しからして、勇者と呼ばれた者と私との共通点は『女』である事と『魔導法士』の2つだけだ。まさかそれだけで私を勇者と決め付けている訳でもないでしょう。
もっと詳しい話を知りたくて、私はユイに問うた。
彼女は私の声に反応して、閉じていた瞼を改めて開いていく。
私を映す左だけの単眼が、期待に似た輝きを灯しているのは何故だろうか。
「1500年の時を越え、再び現れた勇者様が貴女なのです」
さも当然というように、ユイは微笑みと共に返してくる。
あまりに直球な応答に対して、私は目を瞬かせる事しか出来ない。
もう少し違う、具体的な解説を述べてくれればと思っていたから。
「あ、あのね。だから、どうして私が勇者になるの? 言っておくけど、私には全然心当たりがないから。昔のクリシナーデ領区に来た憶えもないし」
「そうですか。ならば、今は忘れておられるのでしょう。何せ1000年以上も前の事ですものね」
私の抗議は、ユイに届かないみたいだ。
何を言っても彼女は受け入れず、全て一定方向で話を進めてしまう。
私が勇者であると断定して、それ以外の選択肢を最初から切り捨てているとしか思えない。
何故?
どうして、そこまで私=勇者と考えるの?
確かに私は月の大異変が起きる前の人間よ。今から数えて1500年以上も前のね。
しかも本当は死んでいて、今の体は元の体から培養されたクローンらしい。その上、得体の知れない鍵とやらを埋め込まれている状態。その所為なのか、変な夢まで見るし。
そして極め付けはタイムスリップ。そのまま生きていれば直面しただろう月の激変を飛び越えて、様変わりした未来世界へ遣って来たと。
……自分でも充分にオカシイと思うわよ。どう考えたって、何一つとったって、マトモじゃない。言うなれば異常。この一言に尽きる。
はっきり言って、私が1番自分の置かれている状況を判ってないわ。賭けてもいい。
何が起こっているのか、どうなっているのか、私はどうすべきなのか? その全てが判らない、暗中模索の極限状態よ。
落ち着いて考えても答えは見えてこないし、今は流れに身を任せるしかないと思ってるけど。だからって理由も判らず勇者って呼ばれる事を、疑問なく受け入れる事は出来ない。
だって勇者と呼ばれるって事は、私にその呼び名へ相応しい活躍を期待してるって事でしょ? 今は自分の事だけで手一杯だし、余計な問題事は背負い込みたくないの。
そんな訳で、勇者の称号は丁重に御断りしたいわね。
「そもそも私がクリシナーデに来たのは自分の意思じゃない。ライナやタレスちゃんに連れて来られたからよ。その前はインフィニートに捕まってたんだから」
「ええ、存じております。勇者様の御再臨が判ったので、彼女達に出迎えを命じたのですから」
「再臨って……私の事を知ってたの?」
新たな疑問に驚きを隠せず、私はユイの顔を凝視する。
食い入る様に見遣る私の視線に不快感を表す事も無く、彼女は微笑を湛えたまま頷いた。
「はい。存じ上げておりました」
どうやらこの世界は、私自身が与り知らぬ所で私の情報が飛び交っているらしい。
ますます以って判らなくなる。一体全体、何がどうなっているというの?
話を聞けば聞くほど、混乱に拍車が掛かっていく。理想的な解答が得られない思考のドツボに嵌まって、抜けられなくなりそうよ。
「何で、どうやって知ったの?」
「先に御話しましたよね。私の先祖は勇者様から鍵と、武装を預かったと」
「そうね。でもそれがどうしたの」
「件の武装はクリシナーデ領区の最深奥にて保管されておりました。それが先日、突然に反応を示したのです。この1500年間、ただの1度として起こらなかった事でした。ですから、私は確信したのです。勇者様が伝説通りに帰ってこられたのだと」
まるで憧れのヒーローに出会える事を喜ぶ子供のように、ユイは片方だけの瞳を輝かせて語る。
僅かに頬を上気させ、表情もどこか嬉々として。
少し視線を落とせば、右手は膝の上で拳状に握り締められていた。
皆の前で見せる威厳とカリスマを秘めた姿から掛け離れた、1人の少女然とした有様だ。意外というか、何というか。ユイ・クリシナーデの地肌を覗き見た気がする。
「その後は武装の導きによって、貴女が何処に居るかは直ぐ判りました。折しもインフィニートの活動を追っていた時でしたので、彼等の妨害も兼ね、ライナとタレスを向かわせたのです」
勇者の武装が反応? しかも私の居所を教えたですって?
そんなの、私には判らないし。勿論、身に憶えはない。いったいどういう事よ?
「ライナとタレスを出迎えに遣ったのは、私なりの気遣いですわ。あの子達は双方とも女神代行守護者の創設者、女神の騎士の末裔ですから。勇者様とも面識のある血筋ですので、適任かと思いまして」
「そ、そうなの。あの2人がね……」
とは言うものの、私の心は他事の考えで埋まっている。
私が居たのは今から1500年前。勇者とやらが現れたのも1500年前。
気付いたら私が居たのは1500年後。そして勇者も、1500年後に再び来る事を告げたという。
これだけならまだ、偶然の一致で片付けられるんじゃない? 少なくとも、私は片付けてしまう。
でも勇者が残したという武装が反応して、それが彼女達を私に導いたと聞かされたら……
それにもう1つ気になる事がある。
ユイの話の中に出て来た勇者は『鍵』を彼女の先祖に託したとか。私にも恐らく同様だろう代物が、知らぬ間に埋め込まれている訳で。
あの研究員風な男性も、遺跡に関係する物だと言っていたし。
これだけの符号が揃ってしまうと、自分が本当に無関係とは言えない気がしてくる。
もしかしたらユイの言う通り、記憶を失くしているだけなのかも。意識の途切れている間に、私は勇者として動いていたんじゃないか?
そんな疑念が湧いてくるのを、残念ながら止める事は出来ない。
可能性は、0じゃないのよね。
「ねぇ、ユイ」
「何でしょうか?」
私は今、どんな表情をしているのだろう。きっと困惑顔をしているんだと思う。
そんな私の呼び掛けに、ユイはにこやかな微笑を消さずに、少しだけ首を傾げた。
「その武装って、見せて貰えるわよね」
もしそれが本当に私の知っている物だったら、見れば、或いは手に取れば、何か思い出すかもしれない。
忘れてしまっている重要な事柄を。私が何故、1500年も後の世界に居るのかも。全ての謎を解く答えに、辿り着けるんじゃないだろうか。
そう思うと、私の心では期待と、予期せぬ真実に直面するのではないかという僅かな恐れが、並行して大きくなっていく。
「残念なのですが、今は不可能です」
しかしユイの口から出たのは、これまた私の予想を裏切る言葉だった。
当の本人は先までの煌きを面上から消し、申し訳なさそうに目を伏せている。
きっと私が、かなりショックを受けた顔でも作ってしまった所為だろう。
確かに残念で、無念で、悔しいけど。でも彼女の表情を見ていると、私の方が悪い事をしたような気になってしまう。
だから笑顔を作り直し、努めて何でもないように手を振ってみせた。
「ああ、えっと、少し気になっただけだから。無理なら別にいいのよ。ただ……理由を教えてくれるわよね?」
自分の笑顔に陰が差すのを自覚しながら、私は問わずにいられなかった。
どんなに口で不必要だと述べても、心底に欲する思いまでは偽れない。元々、私はあまり嘘が得意な性質じゃないから。
「はい。私の先祖が勇者様から預かった武装は、領区の最深奥に置いてあると先に言いましたね。それは昔から変わらずに今も、其処にあるのです」
ユイは神妙な面持ちになって返答をくれる。
それは現段階で、最も触れ難い場所にあるという事。
大事な物となれば、それだけ厳重に保管していて然るべきだ。ナノマシンと戦士達に護られた都市の最奥なら、それは1番の隠し場所でしょう。冷静に考えれば簡単に判る事だわ。
しかし状況が一変すれば、これ程に厄介な所もそう無いわよね。
「襲い来たアクトレアの問題が解決したら、貴女を武装の所まで御連れするつもりでした。けれどその前に、領区をヤクモに奪われてしまった」
ユイが口惜しそうに唇を噛む。
こんな表情の彼女は、私が知る限りでは初めてだ。実際に会って話した時間がそんなに無いから、当然と言えば当然か。
その短い中で私が得たユイへの印象は、何時も優しく微笑んでるって感じだから、意外な気がする。
皆には厳しい顔も冷たい顔も見せているようだし、抱いている印象は違うかもしれないけど。
「勇魚様に武装を御返ししようとも、それが叶わぬ事は誠に心苦しいのですが。本当に、申し訳御座いません」
「それは仕方ないわよ。もういいから、ほら、頭を上げて」
謝罪の言葉を口にして、深々と頭を下げるユイ。
沈痛な表情を見せられては、それ以上、詰め寄る事も出来ない。
私の胸中で燻るあらゆる謎を氷解せしえる好機だったけれど、無い物を強請っても仕方ないわよね。
「せめてもの救いは、武装の保管されている最下層隔離障壁を開くのに、宗主へのみ伝わるパスコードが必要な事です。これが無ければ、あの扉は絶対に開きません。ヤクモが如何にナノマシンの力を駆使しようとも」
顔を上げたユイは声に確信を込め、出撃前に見せた凛々しい面貌で宣言して見せる。
私の匿われていた屋敷の下にクリシナーデの街があるのも驚きだけど、その更に奥へ不可侵的な場所があるのはもっと驚きよ。
でも今は嬉しい驚きといったところかしら。
断固とした自信の窺えるその姿は、私に安心感を与えるには充分な迫力と説得力があった。
「そうと判れば何としてでもユイを治療して、ヤクモからクリシナーデ領区を奪い返さないとね。私だって一肌脱いでやるんだから」
「はい。勇魚様の為にも、皆の為にも、必ず領区を取り戻しましょう」
私達は互いの顔を見詰め、同時に頷き合う。
心に描いた目的は同じ。手を取り合い、目指す結果へ行き付く為に。相互に映る瞳へ同意を宿して。
ヤクモはユイの兄らしいけど、彼女は奴を倒すつもりでいる。しかも本気でだ。相対したならば、本当に躊躇無く攻撃を加えるだろう。
ユイとはまだ短い付き合いだけど、彼女が自分の心より他者の心を重んじる人間だという事は判ってるわ。
敵対するのが実の兄だろうと、相手にどんな理由があろうと、彼女は奴の手に掛けられた人々の無念を晴らすべく、また自分達が受けた借りを返すべく、全力で撃退しようとするでしょうね。決して手心を加えず、冷厳に、冷徹に、確実に。
それは彼女の本心でないかもしれない。人の上に立つ者としての責務であり、在るべき姿として取らねばならないポーズなのかも。けれどそうだとして、ユイは必ずそれを果たす。自分の意思を押し込めて、仲間の為に、皆の為に。
だからこそ女神代行守護者の面々は彼女に忠義を尽くし、命を懸けて付いて来るんだ。
私の所属していた月都防衛軍には、そこまでの忠誠心を軍全体や上官に捧げる人は居なかったっけ。私を含めてね。
だから女神代行守護者の皆は、純粋に凄いと思う。きっと1つに纏まった強靭な意識が、彼女達を強くしているんじゃないかな。
それだけの心を集め、率いるのもユイならばこそ。彼女のリーダーとしての在り方が、そうしているんだね。
「ところで、昔に勇者が持ってきた鍵っていうのは、どうなったの?」
行動方針の再確認を終えると、薄れていた記憶が1つ、頭の中に浮かび上がる。
勇者の武装に焦点が合っていたので、今まで失念してしまっていた訳だけど。改めて思い直してみると、そちらの方が気掛かりになってくる。
「それでしたら、残念ながらヤクモに奪われてしまいました。こちらは特別な保管法を取っていなかったので、既に彼奴の手中に収まっております」
「それって、マズイんじゃない?」
いともあっさり返してくるユイに、私は思わず微妙な顔を向けてしまった。
さっきの話からして、勇者の武装なんかより、鍵の方が断然大事みたいに思えるんだけど。
「そうですわね。鍵は遺跡を封じる要だという話なので。かつて遺跡を動かしたインフィニートの手に、それが渡ってしまうのは由々しき事態です」
「その割には、随分と余裕があるみたいだけど」
事実、ユイは言葉の重さに反して平然としたものだ。
私へ勇者の武装を引き渡せないという時に見せた表情は、今度に限って微塵もない。
これはいったい、どういう事だろう?
「今更ジタバタしても仕方ありませんし。そもそも鍵は、アレ1つだけではありませんもの」
真面目な顔で語るユイの発言に、しかし私は意外さなど感じなかった。
鍵が複数あるというのは、既に知っているもの。恐らくその1つと思しき物は、今も私の中。
「かつてクリシナーデ領区に訪れた勇者様は、先祖に渡したのとは別に幾つかの鍵を持っていたそうです。彼女が領区を去ったのも、他の鍵を別の何処かで誰かに託す為だったのでしょう」
「つまり、まだ鍵が全部揃ってないから問題なしって事?」
「その通りです」
ユイは静かに肯定する。焦りや不安は皆無の態だ。
相当自信があるみたいだけど、その考えは楽観的すぎない?
確かに私が1つ持ってるから、連中にまた攫われない限り、全部が揃う事はないと思うけど。
だからって、こうまで余裕を持っていられるものかしら。少しぐらい危機感を持った方が自然な気がする。
そもそも私が鍵を持ってる事、ユイには話してないんだけど。匝雲先生に治療された時、見付けられたのかな。
「確かな事は判りませんが、幾つかあった鍵はガレナック、ロシェティック、比島、オーベール、クリシナーデ、各領区に預けられたのではないかと」
「あ、成る程ね。それぞれの領区に分散してあるなら、そう簡単には集まらないって訳だ」
「はい。あくまで憶測の域を出ないのですけれど」
ユイはか細く微笑むも、そういうにしては自信有り気に見える。
彼女の予想通りなら各領区にある鍵のうち、襲われたガレナック、ロシェティック、クリシナーデの3つが、インフィニートの手へ落ちた事になるけど。
それでも今私達が居るオーベール領区は安泰だから大丈夫だと、そう思ってるのかしら?
何だかんだ言っても、結局は予想でしかないのよね。彼女自身認めてるぐらいだし。どう考えても確実性に欠けてるわ。
なのに、この落ち着きよう。何が彼女を安心させているの?
「貴女達はずっとインフィニートと戦ってきたんでしょ? その連中が何かしらの野望を達成するのへ、着々と近付いている。それなのに、貴女は確証もない空論で納得してるなんて変じゃない」
私は胸の内の考えを、黙ってしまっておく事が出来なかった。
椅子に座したまま彼女の目を見て、思った内容そのままに送りつける。
納得がいかなかった。それに、何かまだ秘密を隠しているような気がして。
きっとそれを聞き出したくて、私は突っ掛かってしまったんだと思う。
「そうですわね。仰るとおり、おかしく見えてしまうのでしょう」
でもユイは、見えない答えを欲す私の追及に、ささやかな微笑で応じてくれる。
特に気分を害した様子もなく、それが私に僅かばかりの安堵を与えてくれた。
「私が今の状況へ、危機感を抱いていないように見えるなら、理由は1つだけ」
「それは?」
「信じているからです」
「信じているから?」
「ええ」
彼女の言葉を、私は趣向なく鸚鵡返してしまう。
どのような理由が飛び出すのか、半ば身構えていた私にとって、それだけ意外な発言だった。
「信じているって、何を?」
「例え全ての鍵が奪われたとて、必ずそれを取り戻し、大災を未然に防いで下さると」
「取り戻すって、誰が?」
「勇者様が」
こちらの問いへ短く答え、ユイは真剣な目で私を見てくる。
真っ直ぐに、瞬きもせず。
「勇者様って……え? もしかして、私?」
「はい」
注がれる視線の意図に気付いた時、私は自分自身を指差していた。
それへ対してユイは笑みを浮かべて、肯定の形へ首を振る。
彼女の顔を正面から見詰めた状態で、私は数秒間動けなかった。
頭の中ではユイの声がリフレインしている。けれど、その意味を理解出来ず、未消化のまま同一単語が巡るばかり。
ユイは信じていると言った。例え鍵が奪われても、それを取り返して貰える筈だからと。
―――私がだ。
私が鍵を取り返すから大丈夫だと、彼女はそう言った。
ユイがあんなに安心しきっているのは、私が居るからで。私が彼女達の期待通りに働いて、万事丸く収めてくれると信じているから。……らしい。
確かにクリシナーデ領区を取り返す為、協力するとは言ったけど。でもそこまで期待を持たれるなんて。
いや、これは私個人、綿津御勇魚に期待している訳じゃないか。彼女が信じて止まないのは、勇者としての私なんだろう。
かつてクリシナーデ領区に来た勇者の再来として、それに相応しい活躍を私がするものだと、ユイは信じきっている様子。
本当に私が勇者かどうかも判らないのに。人違いの可能性だって高いのに。それなのに、彼女は私を勇者と
断定して、ついでに勇者的働きまで期待してる。
困ったどころか、私が最も恐れていた事態だわ。なんとか誤解を解かないと。少なくとも、私に出来る事なんて、たかが知れてるって事を判ってもらわなきゃ。
「あのね、さっきも言ったけど、勇者とか言われても私には自覚もないし、何も判らないから。だからね、そんな風に期待されても、大した事は出来ないと思うのよ」
「大丈夫です、判っておりますから」
相手を傷付けるかもしれない覚悟を胸に、選び送ったこちらの文句。
でも返ってきたのは、予想に反して静かな微笑と頷きだった。
「勇魚様を勇者様と思い、その御活躍に思いを馳せているのは、全て私の勝手ですもの。勇魚様に何かを強要したりはしませんわ」
落胆の色もなく、穏やかな声調で答えるユイ。
その顔を見れば、言っている事が嘘か本当かは容易に判別がつく。私の観察眼が確かなら、彼女は心中に抱く事実のみを口にした筈よ。
つまり本当に期待だけを私に向けて、自分の理想とする在り方を押し付けるつもりは無いみたい。それでもプレッシャーはあるけど。
何より疑問が強くなるわね。
「それならいいんだけど、って、本当にいいのか判んないけどさ。……ねぇ、ユイ」
「なんでしょうか?」
「どうしてそこまで私を、と言うより勇者を信頼してるの? 見た事も無い伝承だけの存在でしょ。それなのに随分と信じきってるみたいだけど」
私の呼び掛けに小首を傾げるユイへ、視線を逸らさず問い掛ける。
勇者という存在へ向けるユイの信用信頼は相当深い。何が彼女の心を、話だけの相手へ傾かせるのか。
こればっかりは直接聞いてみないと判らないわよね。
「理由、ですか。……そうですね、勇魚様には御話しておきましょう」
質問を撥ね退けず、彼女はまたも瞼を閉じる。
ベッドに起こした上体は最初から変わらず真っ直ぐ伸び、そのままゆっくりと口を開き始めた。
「知っての通り、私はクリシナーデ領区を治めるべき宗主の血筋に生まれました。それ故に幼い頃から父には、宗主たる者の心構えや在り方を厳しく躾けられております」
「逃げられない家柄の問題ね。私も実家が代々続いてるものだから、判らないでもないわ」
「そうですね、家の責務を負えるよう育てられました。五つの時、兄が行方知れずとなってから、父の厳しさは増したのです。自分の持っている全てを、余す事無く私へ伝えようとするが如く」
ユイは目を閉じたまま。
兄の件は特に何も触れずに流したわね。ヤクモの事だから、あんまり話したくないのかな。
ま、ここで聞いて話の腰を折るのも悪いし。嫌な事を思い出させる必要もないか。
「私が14歳の時、父は死病に侵され此の世を去りました。既に母は他界していたので、私は父の跡を継いで領区の宗主となり。若輩ながら皆に助けられつつ、政務を執り行う事になります」
「14歳で? そっか、それは大変ね」
「ええ。まだ若く多くを知らない私は、常に気を張って生きていたのを憶えています。取り分け、父の教えを実践し他者に弱味を見せず、自ら強く在り続ける事へ力を注いでおりました」
ユイの生き方は父親仕込みなのか。
それにしたって親父さんも、実の娘にそんな苦しい姿勢を教え込まなくったっていいじゃない。そりゃ、領区全体を纏め上げる為には必要だったかもしれないけど。
でも、ちょっと酷過ぎるわよ。
「民を不安がらせぬ為、導く為に取った姿は皆の期待を集めました。かつての父のように。そして1度イメージが固まると、それを裏切ることは出来なくなります」
「それでそのまま進んで、今のユイになった。と?」
「はい」
ユイは返事と共に、小さく首を縦へ振る。
そして目を開き、私の方へと隻眼の輝きを向けてきた。
「私はずっと人に頼られ生きてきました。自ら望んでその在り方を取ったと言えど、決して楽なものではありませんでした。私は立場上、心から頼り、全てを任せられる存在が居ませんでしたので」
過去の自分を思い出すようにして、ユイは微笑む。
けれどその顔は完全な笑みにはならず、ぎこちない固さを残していた。
彼女が長年溜め込んできた辛さ苦しさ、その根深さを伝えてくるようで、いたたまれない。
「けれど、そんな私にも1つだけ心の拠り所がありました。幼い頃、母によく話し聞かされた御伽話です」
「それが、勇者の伝説?」
私の質問に彼女が返してきたのは、1度きりの頷き。
「その昔、人々を救い再来を告げた勇者様。彼女は孤高であり、何者にも従わぬ者。何者にも依存せぬ強き存在。遺した御言葉から既に1500の時が経ち、御再臨の日が傍に在ると知って、私は期待に胸を膨らませました」
「本当にずっと、信じてたのね」
「はい。父も母も流石に勇者様の帰還は信じてはおりませんでしたけれど、私は信じました。何者にも依らぬ者ならば、私が縋る事も出来る筈ですもの。民衆や臣下に本当の意味で頼られない私でも、勇者様にならば頼れるのです」
ユイの目は、勇者の話をしたさっきのように煌いている。
心からの信奉を注ぐ、そんな顔。本当にヒーローへ憧れる子供みたい。
彼女にとって勇者は、文字通り勇者なんだ。自分を救ってくれる存在、頼りに出来る存在、期待の持てる存在。
小さい頃から自分の心を殺して、皆の為に偽って生きてきた彼女が、唯一全てを委ねられる存在。
だからユイは、勇者にそこまで強い思いを持ってるんだ。
私を勇者と信じて疑わないのも、凄く期待してくるのも、それなら判るよ。
でも。
「今の話を聞いて、ユイの気持ち、幾らか判った今、こんな事を言いたくはないんだけど」
「構いませんわ。どうぞ、仰って下さい」
「やっぱり私は、自分が勇者かどうかは判らないし、ユイの期待に応えられるとも、断言は出来ない」
ユイには悪いと思う。けどね、やっぱり無理。嘘でも『大丈夫、任せておいて。全部上手くやってあげる』なんて、とても言えない。
私の胸にあるのは罪悪感。見詰めてくるユイの顔は寂しげ。
「そう、ですよね。……いいのです。先には言いましたが、全て私の思い込みですから」
悲しそうに、それでも無理して微笑んでくれる。
ユイの姿が、胸に痛い。私まで悲しくなってきそう。
……でもね、これで終わりじゃないから。
こんな事で、こんな所で、早々に俯いてはいられないよ。
「聞いてユイ」
「はい?」
「確かに私は、貴女の期待する勇者様にはなれないと思う。なれるように努力はしてみるつもりだけど、やっぱりどうかな? って感じ。だけど、一緒になら頑張ってあげられるよ」
「一緒に?」
少し呆気な風で、ユイが呟く。
私は彼女の目を見たまま、ちょっと前のめりに体を押し出した。
「そう。私1人でジャンジャンバリバリした活躍は出来ないだろうけど、ユイと皆と、一緒には走れる。ユイが辛かったり苦しかったりしたら、私を頼ってくれればいいから。物凄い事は出来ないけど、協力して解決していくからさ。どうかな?」
「……頼って……一緒に……」
「最初にも言ったけど、私には全然気を遣わなくていいからね。貴女らしくしてくれれば」
笑顔を作って、私は右手を差し出す。
ユイは何も言わない。ただ暫くの間、私の手を凝っと見詰めるだけ。
急かす気はないよ。彼女だって気持ちの整理が必要だろうし。
これで彼女がどうするかは、全部ユイ次第。私は黙って待つだけから。
「……勇魚様」
10秒ぐらい経った後、ユイは私の名前を呼びながら顔を上げた。
そこで合った彼女の目。そこには、今までとまた違う輝きが覗く。
あれは、信頼の光?
「なに?」
「私、決めました」
「うん」
「喜んで御受けさせて頂きます。これよりも、何卒宜しく御願い申し上げますわ」
ユイの右手が、差し出したままの私の手を握ってくれる。
頭が深々と下げられる前、そこに嬉しそうな顔が見えた。
だから私も、強く彼女の手を握り返すよ。
「うん!」
私の言葉を受け入れてくれたユイ。これからは貴女の重荷、少しでも私が背負うから。
そういう事なら大丈夫、任せておいて。
だからこれからは一緒に。ね!