話の39:ザンス復活(−1)
『レベル38、投入。戦闘を開始して下さい』
天井高く、壁は遠く、白一色で纏められた空間。幾つもの遮蔽物が林立する広大なホールに、機械的音声が響く。
女性に近しい合成音の後へ続き、模擬戦闘体感訓練領域の中央で、巨大な殺意が嘶くのを感じた。
大気を震わす咆声が轟くと、その震動は直接私にまで届いてくる。計り知れない声量に乗る負の感情が、それだけで相手の実力が並大抵でない事を教えた。
迫り上がった白の四角柱から離れ、真正面に気配の出所を捉える。
1度、じっくりと相手の姿を確認しておきたかった。これから戦うモノの姿、生命を奪い合う仇敵の姿を。
旧時代のコロセウスを模して作られた円形ホールの中心点には、4m級の異形が立つ。
インフィニートが実験用に捕えているアクトレアの1匹。
樹幹の如き四肢と肉厚の体躯を黒色の外殻で覆い、両肩が大きく盛り上がった特徴的な形状。頭部は前後に長く、裂け開いた咥内には鋭利な牙が整然と並ぶ。
数あるアクトレアの中でも、第4種と呼ばれるタイプだ。
数は1。先に戦った第3種5体と第2種7体、第1種10体の組み合わせより、奴1体の方が戦闘能力は上と判断されているらしい。
それならそれで構わない。目の前に立つ敵は討ち倒すまで。
私の力がどれだけ高まっているのか、調べる為にも。
「行くザンス」
前方の怪物が、こちらの言葉を理解しているとは思わない。この宣告は自分に対するものだ。
相手の出方が判らない以上、私の場合は先手を打つ。攻撃の有効範囲に奴を捕えるべく、まずはある程度の距離を詰めねば。
目視で計る互いの間は大凡20m強。これを更に縮めるべく、私は走る。
前へ。アクトレアを正面にして、その異容を目指し。
だが、私の動きと同時に、第4種の口部が上下に広く開かれた。
開閉された喉の奥に真紅の粒子が集い、それは見る間に燃え盛る火球へと変じる。
怪物の口内で私の頭部程に急成長した炎の球体は、若干の待機時間を経て、勢い良く撃ち出された。
口腔から飛び出した火球は、この時を待ち望んでいたかのように、急激な速度へ私へと迫り来る。
直撃はおろか、掠る事さえ危険だと本能レベルで察し、私はすぐさま横方へ飛んだ。
その刹那、私の進行経路を炎熱の球が走り抜ける。強烈な余波を軌跡に残し、舞い飛ぶ火球は後方部の床へ激突。其処で小規模ながら高熱・高破壊力の爆発を起こし、極めて頑丈である筈の床部を幾許か吹き飛ばしてしまう。
もしも当たっていれば、私の五体は消し炭と化し、原形が判らぬ程に崩れ果てていたろう。
しかし、そうはならなかった。私は寸で彼奴の初撃を回避し、己の攻撃軌道を尚も得ている。
当初の位置から見て左側へ離れているが、それは然したる問題ではない。何故なら既に我が攻撃圏内に敵を収め、こちらの初手が可能な間合いへ入っているから。
「ハッ!」
短かな呼気と共に右腕を振るう。
右に握るは可変双剣一方『戦獄』。黒き両刃の直剣は私の腕運に従って、中心に通る柔硬性特殊ワイヤーを伸ばし、数十の分割節を作る。
そのまま勢いを持ってうねり伸び、漆黒の蛇が行進を体現して異形へと向かった。
火球を吐いた直後、アクトレア第4種には僅かばかりの事後硬直が発生するらしい。
それは本当に短時間的な、1、2秒あるかないかという差分。だが命懸けの限界戦に於いては、その些細な間が致命的な差を生むものだ。
彼の異形に、それを教えてやろう。
「捕えたザンス」
右手首を僅かに返し、戦獄の刀身へ動きを伝わす。
それを受けた我が愛剣は、こちらの意思通りにアクトレアの右腕に絡みついた。
大蛇が獲物へと全身を巻きつけ、命の灯を消すべく締め上げるように、私の剣も長く伸びた黒い刃が、異形の腕を強く押さえ込む。
怪物に表情はない。故に苦鳴の態は明らかに非ず。
知る術の無い事を探る気もなし。私がやるのは更なる攻撃。それ1つ。
「もう一手、行かせて貰うザンス」
相手の醜悪なフォルムを正面に睨み据え、私は左腕を振る。
左に握るは可変双剣一方『煉哭』。こちらも私の考えを正確に反映し、長く伸びるや黒き鞭となって獲物へ迫った。
我が半身にも等しき愛剣は敵へと瞬時に達し、私の腕に連動して大きく撓る。
手加減など無用。手心など加えぬ。
全力で腕を打ち下ろし、大きく反り返った鞭剣が異形の甲殻を叩き付けた。
撃音が響き、刃と外殻の接触面から火花が散る。我が手には確かな手応えが伝わり、一撃の重さと威力を疑うべくもない。
生身の人間ならば、確実に胴体を分断出来た程の攻撃だった。それで決着がつくだけの。
が、奴は違う。
私の剣戟は確実に命中し、彼のモノの胸部へ強打撃を与えた。にも関わらず、 黒き外殻には目立った傷はなく、異形もその場で不動を保っている。
攻撃の効いた気配がない。
「流石にこのクラスとなると、簡単には討てんザンスか」
口の中で舌打ちを1つ。
私と奴しか居ない空間に、その音が妙に響いた。
怪物の口からは規則的な呼吸音が零れている。その頭部は私へと向けられ、広くではないがある程度開かれた口から、赤黒い舌が覗いた。
奴の狙いは間違いなく私。私もまた奴を狙っている。互いが互いの命を、己が手で握り潰す事を目的として、私達は対峙しているのだから。
「む!」
何の予備動作もなく、異形が右腕を引いた。
戦獄が絡まる腕を、何の障害も感じさせぬ軽やかさ、力強さで、己の側へと一気に動かす。
私は両脚に力を込めて、その場に留まろうと踏ん張った。けれど、相手の圧倒的な力を前に抵抗は意味を成さず、引かれるままに脚が床面を滑っていく。
腱や靭帯、血管から骨から筋繊維の1つ1つを、先鋭医療の遺伝子操作技術で、常人の数倍に強化している私を、奴は事も無げに引き寄せているのだ。
信じ難い力。これがアクトレア第4種のレベルか。
私とて全力で右腕を引き、異形へ抗わんとするものの、それが何がしかの役に立っているとは思えない。
力比べでは不利。ここは1度、攻勢を解き。
「大した力ザンスね」
私が奴の腕に絡みつく剣身の捕縛を解こうとした時だ。
見計らった様に、異形は外側へ向けて腕を振り払い、凄まじい力で私を引き寄せた。
「くぬぅ!」
あまりの勢いに私の脚はとうとう床を離れ、空中へと投げ出される。
摩擦面を失った体はアクトレアの腕が進む方へ強引に引かれ、浮き上がった私の体は苦も無く虚空を走らされた。
奴の狙いは明らかだ。私をこのまま手許まで連れ込み、あの恐るべき豪腕で止めを刺すつもりなのだろう。
今の状態では彼奴の思惑通りに進むは必至。だからと言って、向こうの計算に乗ってやるつもりもない。
並び立つ遮蔽物が、進行路の途中には1基。私はそれを見逃さない。
振られ行く我が身を捻り、白い四角柱の側面に脚を触れさす。両脚を付けていられる時間は一瞬。しかしそれで充分。
その一瞬で脚部へ力を注ぎ込み、足裏で即座に蹴り立つ。私自身へ新たに加えた進行力が、相手の引き寄せる動きと合わさって加速度を生み、結果としてこちらの動きを助ける事となった。
全身のバネを揮って蹴り出した体は、正面から異形の肩上を通り過ぎる。
握ったままの戦獄がブレーキの役割を果たし、我が身に宿った勢いを殺して速度を削ぎ、床部に両脚を降り立たせた。
第4種の右腕に絡みつく戦獄の刀身は、右肩を越え後背へ至り、奴の腕を引き上げる形に留めている。
とは言え、これでアクトレアの動きを封じた事にはならない。こんなものはまた直ぐに、腕動1つで覆されてしまうだろう。
故に、即時の次撃へ移るのだ。
「互いに、休む間はないザンスよ」
言葉混じりの吐息を口外へ吹き出すと共に、左腕を振るう。
煉哭の長刃が真横から空間を駆け滑り、異形の左腕がやや下を抜けた。堅牢な外殻で覆われた脇腹へ狙ったまま刃が減り込み、先と同程度の衝撃が腕へ伝い来る。
手応えはあった。だが効果は薄い。
相手に怯む様子はなく、ダメージとして感じているかさえ疑問だ。
「ならばもう1度」
左手の煉哭を握り直し、再度腕を振るおうと構え取る。
これと同時に、奴もまた次の動きを始めた。未だ私と繋がっている右腕を再度引き、またしても傍近くへ呼び込もうという。
これを察すや、私は右手で戦獄へ動きを伝え、アクトレアに絡みつく刃を解き放った。
自由になった刀身を直ぐに引き、己が元へ呼び寄せる。
拘束を解かれた異形の腕は空を切るばかりで、それ以上の被害を与えてこない。
この隙を逃さず、敵勢体の体を裂くつもりで右腕を振り下ろす。腕の働きに順じて戦獄が舞い、豪速の域に及びて異形の左肩を抉り叩いた。
硬質の刃と甲殻が激突し、衝撃と破音を迸らせる。前手より更に強く、更に重い痛烈な一撃。
こちらも完全な命中による壊打撃であったのだが、奴の外殻を砕くまではいっていない。やはりダメージは皆無に近しいか。
「しかし、これで終わりにはさせんザンス」
己に述べて気合を入れ直し、煉哭と戦極を動かし続ける。
双剣の鞭刃が交互に、交差し、時に同時に、または連続で、様々な角度より猛スピードでアクトレアへ襲い掛かり、手加減も容赦も情けも無しに全身を打ち付けた。
何度となく繰り返される鞭撃は異形の体を何度と無く打ち据え、その都度、痺れる程の反動を我が手へと送ってくる。
だというのに、奴自身はまるで痛みを感じている風でない。頑強すぎる外殻が全ての衝撃を弾き返し、本体へ微々たるダメージすら与えていない様だ。
しかも外殻自体が殆ど傷付いていないという。これでは一向に埒が明かない。力任せに突破しようとするのではなく、何処か急所を見付け出して其処を攻めねば。
「なんだと?」
力押しから弱点探索に戦法を切り替えようという直前、奴は私に先んじて動きを見せた。
太く肉厚の両膝を折り曲げ、巨脚に瞬発的な力を込める。屈伸運動の要領で脚を戻すと、溜めた力を1踏みの間で解放。強大な力で床を蹴り遣り、上空へと飛び上がった。
第4種の巨体が軽々と浮き上がり、高き天井付近まで伸び上がったのだ。どれ程の力が脚と床の狭間で爆ぜたのか、容易には想像も出来ない。
その証明として、奴が今まで立っていた床部は圧し掛かったエネルギーに耐えかね、砕け散って陥没している。
「チッ!」
2度目の舌打ちを零し、私はすぐさま後退した。
上空高くへ跳んだアクトレアが、緩やかな放物線を描いて降下してきたからだ。
奴の落下地点は概予想に副う形。私を狙い、その真上から襲い掛かろうと。
巨躯の跳躍に度肝を抜かれ、呆然と見上げていたなら回避出来なかったろう。異形は宙空から私との距離を正確に詰め、開いた差分を可能な限り零へと修正してきた。
瞬く間に迫る怪物の躯体は、息つく前に私の真正面に墜落下する。
まるで砲弾が着弾したような破壊力を伴って、それこそ目と鼻の先、数十cm前方に降ってきた。
着地の力響は震動を生み、波形の衝撃を私の全身へと叩き付け、巨体を受け止めた床面に多大な損壊を及ぼす。
脚、腕、体、全てに力を込めて吹き荒れる破衝の余波を遣り過ごす最中、私はまじかにアクトレア第4種の異容を見た。
眼前にすると彼のモノの巨大さと不気味さはより明確に視認出来、とうの昔に忘れたと思っていた恐怖心を、潜在的なレベルで揺り動かしてくる。
半開きになった口からは白い吐息が規則的に漏れ出し、言い得ぬ悪臭を放つ。
双の愛剣で滅多打ちにしたというのに、外殻は初期の健全さを殆どそのまま残しており、薄い艶で私の顔を俄かに映し返した。
其処に在るのは圧倒的な質量と、力と、闘争本能の塊。出会った以上、戦って勝つか、逃げ惑って去るか、生き残るには2つに1つしか選択肢の与えられないモノ。
意思の交感など不可能。奴等は破壊の力で以って語り、我等を屈服させるべく襲い来るのだ。ならば全力で迎え撃ち、叩き潰す他にあるまい。
「化け物め。我等がCEOは必ず貴様等を……」
挑戦的な私の目が気に入らなかったのか、挑発そのものな発言が癇に障ったか、或いは何の考えにも因らずか。
面前に仁王立つ異形の巨腕が、強烈な動きとなって横薙ぎに振り払われる。
我が一太刀を凌駕する速度と、備えているだろう威力の一撃を、私は咄嗟に身を屈めて遣り過ごした。
低めた頭の僅かばかり上を通過する鋭爪と怪腕。空気を掻き裂く風圧だけで、受ける肌は若干の痛みを伴う。加えて、頭上で発生した大気の断層が耳鳴りを誘発する。
だが細事。こんな物はまだ、意識を傾けるには値しない。
奥歯を噛み締め、些末な身体異常は思考の内より切り捨てる。
見るのは前、敵の動き。考えるのは次の一手、反撃の糸口。
自らの活動が継続不可能となる瞬間まで、それへ繋がる事以外は己から締め出すのだ。そうでなくては、本当の戦いなど出来はしない。
私は剣でいい。一振りの太刀と同じ。戦う事だけを考え、勝利の為だけに動く。敵を斬って伏せるまで止まらない、それだけの存在。
剣になろう。そうすれば何処までも戦える。只戦う為に生きられる。それでいい。私はあの方の、CEOの剣でさえあれば。いられれば。
「近付く手間が省けたザンス」
左腕を繰り、煉哭を呼ぶ。必要な時間は一瞬余り。
伸び行った長刃が即座に巻き戻り、分断された節は上下に連なる。刃同士が触れ合わさり、最初の姿、1本の剣として再編を終えた。
長く通った鋭き両刃、それを一気に突き上げる。
狙うは私の斜め上方。眼前に立つアクトレアが、傍近くへ覗くその首だ。
剣先は直進し、思う通りに奴の喉下へ命中する。人間で見るなら確実な急所。力のままに突き込めば、勝利を我が手にするも可能と思しき、必殺の手。
アクトレアとて、それは例外でないかもしれない。しかし調べる事は出来ない。何故なら私の一剣は目標点に到達しただけで、それ以上先へは進まないのだから
「こんな所まで硬いザンスか」
我が目の細まる事を自覚出来る。
常の目形を更に厳しくし、私は異形を睨み上げた。
喉にまで達した剣は首周りの頑健な装殻に阻まれ、進行が許されない。
怪物の喉を一突きにしてやろうという私の目論見は、呆気なく止められてしまった。
口惜しく思う間に、奴の反撃が来る。
先とは逆の腕部が唸りを上げ、腰溜めから振り上げられてきたのだ。
下面から迫るはギラつく5爪。私がやった上方突きを真似して、同じ手段による意趣返しという訳か。
互いの距離、攻撃速度から鑑みて、回避は不可能。されども直撃ならば、絶命に近しい凶撃。
故に取る手は防御の他には非ず。思考は反射の域で纏まり止み、行動は念じるより先に体を動かした。
5指で転瞬、右手内のみにて戦獄を逆手へ持ち変え、左に握る煉哭を自身の胸部目掛けて引き戻す。
左右の腕が2本の剣を交じり合わせ、戦獄、煉哭の刀身にて十字を組む。我が身の前で作られた守りの型は、面前を激しく走る異腕とぶつかり。
アクトレアの攻撃は私でなく、双剣の接点に激突して天方へ抜けた。
致死の腕撃を刃に受けて、弾けた力で私は押される。規格外の反動衝撃が両腕を骨格から震わせ、刃を軋ませ、脚の踏ん張りを破って、私を後方へ吹き飛ばした。
「くっ」
敵の攻撃力は予想以上だ。防御して尚、溢れんばかりの攻勢力を殺しきれない。
我等の接触面に掛かった膨大な力は、交えた双剣の守りを越えて私を屠る。流され続ける体を止められず、私は無意識の内に歯軋りした。
己の力が及ばぬ強大な力によって、自らの意を捻じ曲げられる感覚。その折に胸中へ湧き立つ悔しさ。
似ている。今この瞬間は、あの時と。
だからなのか、脳裏に過ぎった。忌まわしい過去の記憶が。目を背けたくなる場景が。
流れる金の髪と、花開く笑顔。
白皙の肌をした細身の女が、歌いながら踊るように回る。
穏やかで安らかな時間。幸福の世界。その中心に居るのは、我が生涯唯一にして無二なる最愛の女性。
しかしそれは儚き夢の如く。私の手から全ては零れ落ちてしまったのだ。
赤い波が何もかもを飲み込んで、欠片も残さず消していく。私は無力で、何も出来ず、壊れいく幸せを茫然と見守るばかり。
最後に何時もの笑顔を見せて、彼女は塵と化した。
全てを焼き尽くされた私の前には、あの男が1人佇む。
私の世界を奪った炎と同じ赤、真紅の眼。左にのみそれを有す隻眼の男。
私は背面から、伸び立つ四角柱の1つへ突っ込んだ。
全身を駆け抜ける激痛に神経が奮え、脳内に生まれ出た回想映像は霧散する。
そのお陰で自由にならない強制進行は終わりを迎え、我が両脚は再び床を踏み締められた。
柱に深く減り込んだ体を動かし、私を受け止めてくれた純白の障害物から身を放す。
両手は今も剣を握ったままだ。この程度で戦う意志を手放す程、私は軟弱ではない。
背中で疼く痛みは、既に随分小さくなっている。常人ならば臓器損壊、脊髄損傷、筋肉崩壊、粉砕骨折、それら全てに見舞われているだろう衝撃だったが、私には然したるダメージともならない。
度重なる生体改造の成果だろう。この力も、耐久力も、反射神経も、全てはたった1つの目的が為に。
「つまらん事を思い出したザンス」
正面を、離れた前方部に立つ異形の姿を、私は一言と合わせて睨み見た。
私の胸には暗色の感情がのたうち、狂おしいまでに暴れ回っている。
湧き出たあの記憶が、私に獰猛な牙を剥けさせるのだ。
「化け物め、この借りは高くつくザンスよ」
両手の双剣を握り直す。短く息を吐き、正対する相手を更に強く睨み据える。
僅かに体を前傾させ、全身のバネを撓める。
見遣る前方では、異形の口部がまたも上下に開いた。赤の粒子が集い合い、1つの火球を形成する。
今度は、先のように逃げるつもりはない。真正面から受けてやろうと、そういう気分だ。
アクトレアの熱砲が放たれた。燃え盛る球体が、大気を焦がし近付いて来る。
火球だけを見、意識を集中しよう。不必要な思念は捨てて、思うべき事だけを頭と心に強く描く。
迫りつつある炎。熱を感じた。肌を炙るエネルギーを、目の前に見ている。
赤。炎の色。灼熱の業火。焼き尽くさん波動。触れるものを、人も物も無関係に滅する。熱し、壊す、滅びの顕現。純粋にして無遠慮な破壊。それそのもの力。
あの男の力。
炎は眼前。最早、回避は不可能。
だが関係ない。最初から、する気はない。
そうだ。私は逃げぬ。逃げる訳にはいかない。私はこれを超えねば、打ち破らねばならん! あの男の力を!
「オオオオォォォォッ!」
両腕と共に双剣を振り上げ、同時に振り下ろす。
全力。今、己の持てる全ての力を込めて。
これはアクトレアの炎。判っている。奴ではない。しかし、私にとっては同じだ。
黒き刃が揃って下り、赤熱する球体へ触れた。質量は感じない。実体もない。力の集合なのだから。
それでも、断つ。
私は力を、断ってみせる!
「きぃぃりぃぃえぇぇぇっ!」
喉を震わせ溢れる豪声。
腹の底から吐き出す怒号。
私の目に映るのはあの男。我が憎悪の象徴にして、嫌悪の宿敵。
煉哭と戦獄が疾る。我が前に立ち塞がる奴の力を、私に宿る魔の力と共に、今断ち切る。
「セェェェキィィィハァァァッ!」
全身を戦慄かせた私の咆轟は、視界を、大気を、空間を、世界を揺する。
完全に振り下ろされた双剣。
漆黒の剣閃が果て、赤き熱球は両断された。
中央から縦一文字に寸断された業火の塊、燃え立つ焔を宿したままに左右へ分裂。
真正面から私の両脇を通り抜け、流れ去った後方で何かにぶつかり爆発する。
背後で業気が拡散し、私の背中を撫で付けた。されど不快な思いなし。
振り返る必要などない。見るのはただ、我が前に立ち誇る異形の姿。
己が攻撃を破られた事に憤りを感じてか、アクトレア第4種が咆哮を上げた。
前後に長い頭部を上向け、大口を開けて暴声を吐き出す。
振動を与えられた空気が私を揺するが、大した事もない。荒ぶる雄叫びに力を感じるも、それは我が身に何がしかの危害を加えるものでなし。あくまでも声だ。
威嚇のつもりなのか、はたまた私を怯えさせようとしてなのか。何にせよ、脅威には成り得ぬだろう。
故に、攻め手へ転ずる。
「行くザンスよ」
煉哭と戦獄の刃を下向け、床面へ接させる。
そのまま正対する異形目掛けて、歩を踏み駆ける。
漆黒の双剣が硬床と擦れ、私の移動と共に火花を散らした。同時に上がる甲高い音は、アクトレアの咆声と重なりこれを打ち消す。
私の行動と異音の侵入を前にして、怪物が僅かに身を屈めた。両脚を膝から折り、力を跳躍力として蓄える姿勢だ。
しかし先刻のように上方への飛び上がりを狙ってではない。幾許か前傾気味で、その体勢から何処を標的と定めているのが判る。
「フン、来るがいいザンス」
私が鼻を鳴らした直後、低めた異形の双脚が床を蹴った。
堅牢な外殻に包まれた重厚の野獣は、真正面からこちらへと突っ込んでくる。それはまるで黒い弾丸。異形そのものが1つの凶弾と化し、恐るべき速度で襲い掛かってくる。
回避など到底出来そうにない。奴を直接受け止めるような真似も同様。
しかして怯む事も無し。活路は己が前に切り拓くものなり。
「ハッ!」
私は双剣を水平に寝かせ、床面から浮き離す。
それと合わせて自ら腰を限界まで落とし、体を仰向けに近い状態まで曲げる。歩は止めず、走力を保ったまま体は床面を滑らせ、スライディングスタイルで異形へ向かった。
獰猛な怪物と私の距離が縮まり、同じ箇所で交わる瞬間。
第4種の左右両脚が真ん中、股下を私は潜る。
人を軽く倍する巨躯だからこそ、体躯の周りには隙が多い。それがこの怪物が持つ最大の弱点だ。
「下がガラ空きザンス」
腰と脚と背面を床に擦り付け、異形の真下を滑り抜ける。
図体のデカさが仇となり、小回りの利かない奴には私を止める手立てが無い。だからこそ簡単に、奴の下を通って背後へ回る事が出来た。
異形の後背に抜けると同時、私は双剣を床に突き立て、即席の頸木とし移動中の自分を止める。
進行力を強制的に殺すや即座に立ち上がり、態勢を立て直しつつ異形の背部へ体を向けた。
床に突き刺した戦獄、煉哭を引き抜き、交差するよう横薙ぎに振るう。
黒い刀身は双方共に長剣状から分解伸行し、中心ワイヤーに御された鞭刃へと速やかに変化。長く伸び、私の目標物目指して一気に走り寄った。
正面に居た私を認識範囲から喪失した異形は、急遽床部へ脚を落とす。自身の体重を以って動きを止めようとしているのだ。
だが、奴が目的通りに動きを止めるより先に、黒の双刃が後方から両脚へと絡みつく。
外殻に覆われた躯を締め付けて破壊する事は出来ないが、まがりなりにも奴の自由は奪った。
尤も、こんなものは歓喜にも安堵にも及ばない。あくまで一時的なものに過ぎず、奴が力任せに動きを振るえば、私は簡単に引き摺られてしまうだろう。
単純な腕力では、如何に生体改造を施した私とて、アクトレア第4種には勝てない。
だからこそ迅速に動くのだ。奴が行動を起こす前に。
「うおおおぉぉぉっ!」
両腕に可能な限りの力を込める。両脚は床を強く踏み拉き、腰を据え、全身を捻る。
力だ。今現在、私が持つ全ての力を動員し、双剣を引くのだ。
アクトレアの重量と私の力。そのどちらが優れているか、勝負に出る。
奴が態勢を整えていない今こそがチャンス。これを逃せば、次の一手がまた取り難くなろう。
失敗などさせはしない。私の全力で、この場を優勢に取ってみせる。
「おおおおぉぉぉぉっ!」
喉を裂かんとする激号が、我が力の象徴か。
腕にも脚にも血管が浮き上がり、力を込める筋肉は普段よりも膨張している。
自らの内から力を汲み出す。全身の細胞からエネルギーを抽出し、事を成す原動力して宛がう。
まだ足りない。まだだ、もっと多く。
「らあああああぁぁぁぁぁっ!」
筋肉の下で、血管の中で、骨の髄で、神経の1本1本に至るまで、全身のあらゆる場所で力が爆ぜる。
私の意志に従って目まぐるしく巡り回り、火山の噴火に等しい勢いで溢れ出す。
並々ならぬ力が体中に溜まり、皮膚の内側で暴風の如く蠢動している。
踏み込み続ける床が軋んだ。引き続ける剣が唸った。私を包み込む空気が、仄かな熱量を帯びて離れていく。
煉哭と戦獄が絡み付く異形の脚が、私の腕運に呼応してジリジリと。
奴の巨体が、私の手で、私の意に副い。
動き出した。
「シャアァァァッ!」
口から吐き飛ぶ最後の呼咆。
脚で床を叩き踏み、それを軸とし体を捻り、両腕はスウィング風に横振り回す。
前から横へ、そして後方へ、一気に流れ行った我が両腕。そこに握られる双剣が、それへ連なる異形を同じ様に引っ張り上げた。
アクトレアが床から浮き、私の動きに合わせて宙を走る。
「フンッ!」
異形の体を2度程振り回し、充分な勢いが付いたところで、私は剣の縛を解く。
瞬時に引き戻される漆黒の双刃は、素早く正しく直剣となり、支えを失くした魔性は飛んだ。
空中に放り出された第4種は、進路上の四角柱へと激突。その柱を粉砕し、崩れ落ちる瓦礫に降り注がれる。
さぁ、最後の詰めだ。
私は走る。愛剣を両手に、化け物目掛けて。
数歩目でトップスピードに乗り、更に数歩で床を蹴る。
奴のように高くは無くも跳躍を果たし、破壊された障害物へと弧状に降下。
純白の粉埃を被って白く変色した歪な装殻へ脚から下り、怪物の背面に取り付いた。
私の右脚は奴の右肩、左脚は左肩の上。アクトレアの頭部は直ぐ前にある。
「決着をつけるザンス」
私が呟くと、異形が体を揺すって暴れ始めた。
私を振り落とそうというのだろう。
だが、そうはいかん。脚に力を込め、強く踏み込み耐えるのだ。
両手を奴の肩上から頭部の横へ突き出し、左の煉哭、右の戦獄を示し合わせ。
双方の両刃を首の前で交差させ、クロスの形を作る。
心に描くのは、炎を斬った時の思い。あの呼吸をもう1度呼び戻し、魔の力を剣へと注ぐ。
「死ね」
時間を掛ける必要はない。
両手の剣を手前へ引き、合わさる刃を異形の外殻に触れさせた。
後は何も考えず、双剣を素早く我が方へと抜き離す。
違和感は無かった。何かに妨げられる感覚も無い。
驚くほど簡単に、拍子抜けするほど呆気なく、豆腐でも斬るような手応えの無さを残し、剣は動いた。
私の攻撃を全て防ぎきり、或いは弾き返した怪物の装甲は、今この瞬間、霞にも等しい無力さを見せる。
振り払った煉哭と戦獄が私の肩と同じ高さへ達した時、アクトレアの首は床上へと落ちた。
頭部を失った胴体の切断面から生臭い悪臭と共に、深紅の流液が飛沫を上げて噴出する。
止め処なく溢れ立つ異形の体液は、さながら噴水のよう。
深紅の血流が失くした首から天へと飛び、重力に引かれて雨の如く降り注いだ。
赤い雨粒に叩かれる私の全身は、生臭い同色に染められていく。
その最中、アクトレアの巨体が傾き始めた。
首を落とされ、命を断たれ、怪物の体は自重を支えられなくなったのだろう。
徐々に前のめりに倒れ出す骸の後方へ、盛り上がった肩部を蹴って私は飛び降りた。
深紅に汚れ、多量の液体で濡れた床に降り立つのと同時に、第4種の巨躯が床面へ倒れ伏す。死しても重量は残ったまま故、盛大な震動が床全体、如いてはホール内をも揺り動かした。
『いやぁ、実にお見事ぉ』
ホールを襲った鳴動が収まると、何処からともなく男の声が聞こえてくる。
異形の出現直前に響いた女の合成音声ではない。
楽しそうな笑いの成分を忍ばせた、私をおちょくるような声調だ。
「マリス、ザンスか」
聞き慣れた声の発声主を呼ぶ。
周囲を見回すが、白い外套に包まれ、ピエロの仮面を被った奇怪な者の姿は、何処にも無い。
ただ声だけがホール内に響いており、私の耳へ可笑しそうな笑い声のみを届けてきた。
別の場所で、こちらの様子を見ているのだろう。
「姿を見せず高みの見物とは、いい御身分ザンスね。話をする時ぐらい、下りてきたらどうザンス」
『そぉしたいのはやまやまなんだけどねぇ。ワタシも色々と忙しい身だぁ。声だけの無礼を許してくれたまえぇ』
謝罪にしては含んだ笑いが多分に混ざる。
本心から言葉で無いのは明らかだが、特に不快と思う事もない。
マリスという男は、常に薄ら笑いを浮かべる不気味な奴だ。仮面を付けているので本当の表情は判らないが、声は何時も笑っている感じがする。
この2年近くずっとそれを見聞きしてきた為か、慣らされてしまった。
何せ奴はCEOの前ですら同じ態度なのだ。私達にふざけた姿勢を晒すのは、咎める気も失せる。
『さぁてぇ、調子の方はどうかなぁ、ヨシア君』
「悪くはないザンス」
聞こえてくる問いに、私は煉哭と戦獄を振るいつつ返す。
両剣を同時に払い、付着したアクトレアの体液を飛ばし。
『そうかいそうかい、それなら良かったぁ』
相変わらず楽しそうな声は続く。
何がそんなに面白いのか。マリスの頭の中は皆目検討も付かない。
奴は我々と異なる脳内構造をしているとしか思えん。どっちみち考えるだけ無駄だな。
『以前までの君はぁ、レベル29までが限界だったからねぇ。大幅なパワーアップが出来た訳だぁ』
「そのようザンスね。一応、感謝はしておこう」
そう、所詮は一応に過ぎない。
私の身体を好き放題弄くってくれた奴に、本心からの謝辞など到底述べられん。
だが命を永らえさせ、CEOの為に働ける更なる力を与えてくれた事に関してだけは、礼を言っておくべきか。
『ん〜、ワタシと君の仲じゃないかぁ。気にする事はないさぁ』
今まで以上に可笑しそうな声が降ってくる。
私とマリスの関係、か。
それはインフィニートに属す同じ四鳳絢将としてだけでなく、モルモットと弄ぶ科学者の関係だ。
私は自らの目的が為に我が身を捧げ、戦う為の、勝利する為の力を求めてきた。
マリスはそんな私を使い、思うままに実験を繰り返す。
確かに望んでやった事だ。自分の選択が間違いだったとは思わないし、後悔などしていない。
しかし、私が欲してもいない奇妙な力を、奴は必要以上に与えてくる。頼んでもいない改造にまで執心されては敵うまいよ。余計な事を毎度繰り返すマリスには、やはり感謝の念はない。
『今回はねぇ、様々な実験を行いぃ、強靭な生命力や身体能力を得た実験体のぉ、各所部位を移殖縫合してみましたぁ』
「……貴様に玩具扱いされた憐れな人間達、その成れの果てが、私の体に使われているザンスか」
『酷いなぁ。科学の発展を目的としたぁ、尊い犠牲と言って欲しいねぇ。まぁ、ワタシ個人の知的探究心を満たす部分もぉ、少なからず有るには有るんだけどねぇ』
心底愉しそうに笑うマリスの声を聞きながら、私は自分の手を見る。
何の変哲もない私自身の手だ。だがこの何割かは、異なる存在から切り取られてきた物。
奴の研究室、その内部を思い出す。
数々の器具と、幾つもの手術台が置かれた部屋。ずらりと並べられた培養槽には薬品漬けの生物が浮かび、別のスペースでは人間を含む元動物達が杭や鎖で繋ぎ止められる。
数多の実験によって体を弄り回され、生きる事も死ぬ事も許されないまま切り刻まれるモノ共。元の形が何であったのかも判別出来ないような肉塊連中が、今の私を形作っているのか。
『最大の目玉はぁ、この前捕まえた魔導法士の男から摘出したぁ、新鮮な脳細胞の一部だねぇ。魔法ってのは中々解明が難しいけどねぇ、ワタシなりに手を加えてぇ、君に与えてみたのだよぉ』
「その男、ロシェティック領区の領王ではないザンスか?」
『その通りさぁ。クリシナーデ領区攻略に一役買ってくれてぇ、用が無くなったからねぇ。彼の能力には興味があったしぃ、CEOは不要と言ったのでぇ、ワタシの研究室に貰ったのさぁ』
「フッ、それでザンスか。今まで使えなかった力が、剣に宿るのを感じたザンス」
我が身に宿る魔の力を刃へ這わせる事で、私の剣は凄まじい力を得た。
あれは、あの男に近い力だ。触れるものを垣根なく破壊する、絶対的な滅びの力。
炎を断つのも、アクトレアの外殻を裂いたのも、その力故か。
この力を意のままに扱えるようになれば、私に斬れぬ物はなくなる。
……面白い。あの男を憎む私が、同等の力を得たのだからな。
『いやぁ、それにしても大したものだぁ。ワタシ自身ねぇ、まさか君がこんなに強くなるとは思わなかったよぉ。生命の神秘とはぁ、本当に奥が深いぃ。これはもっとぉ、調べたくなってきたよぉ』
大いに震え笑うマリスの声。それへ異なる音が加わる。
機械の駆動音だ。此処で何度も聞いた、新たな敵を招き込む音。
『そういう訳でぇ、ヨシア君よぉ。もう少しぃ、君の力を見せてくれまたえぇ』
ホールの中央部で床が開き、下から何かが迫り上がってくる。
昇降式の床に乗って現れたのは、今し方倒したばかりの第4種と同タイプのアクトレアが3体。更に方々の壁面が押し開き、第3種、第2種、第1種の各自複数体が次々入り込んできた。
「貴様、これは何の真似ザンス?」
『トレーニングだよぉ。レベル40ぐらいじゃ物足りないだろぉ? だから60行ってみようじゃないかぁ』
マリスめ、訓練プログラムを書き換えたか。
これだけの数を、私1人で相手しろと? 随分と無茶を言ってくれる。
「……フン、いいザンス。やってやろう」
全方位から注ぎ込まれる敵意の視線。立ち昇り響く殺意の咆哮。
だが、これでいい。
新たに得た力を自分の物とする。その為なら、この程度の地獄は潜り抜けてみせよう。
この怪物共を駆逐出来ずして、あの男には勝てまいて。
より強くなる為に、戦おうではないか。
「掛かってくるがいいザンス。纏めて、相手をしてやる」
右手には戦獄。左手には煉哭。
2振りの剣のみを共として、私は駆ける。
まずは正面。第4種共からだ!