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話の37:苦い味、敗北の味(3)

「しっかし、まさかお前が宮仕みやづかえを選ぶとはな」


 黒檀のテーブルに肩肘を突いたイスラが、紅茶の入ったカップを傾けつつ笑う。

 湯気立つ紅茶をすすりながらも、好奇の光宿した瞳を僕から逸らさない。


「そんなに驚くことじゃないだろう」


 彼の視線に対して苦笑を返し、僕もれたての紅茶を口へ運ぶ。

 カップを顔に近づけると、甘さを伴う芳醇ほうじゅん香気こうきが鼻腔へと染み入ってきた。

 かなり上等な物のようだ。

 カップに口を付け一口含むと、予想を裏切らない豊かな味わいが口内へ広がる。

 仄かな渋味が前面に立つ甘さを引き立て、コクのある深い味を与えてくれた。


「美味しいな。アブミールか」

「はは、覚えてたな」


 感じた味から導き出した紅茶の名。それを口にすると、彼は得意気な顔になる。

 口の端を吊り上げて僕を見る表情は、『ニヤリ』という擬音が聞こえてきそうな笑み。


「ま、当然だがね。なにせウチの大人気商品だ。1度飲んだら、この味は簡単にゃ忘れられんさ」


 イスラは波打つ前髪をき上げて、並びのいい白い歯を覗かせる。

 その眼差しに邪気や打算はなく、輝き立つのは純粋な光のみ。自分の持ち物を自慢する子供そのもので、呆れるやら可笑しいやら。

 イスラ――イスラエル・ブロークンハーツは、32歳の若さでオーベール領区でも随一の大商家ブロークンハーツ家の当主を務める男だ。

 190cmに及ぶ長身の持ち主で、波打つ髪を無造作に垂らし、無精髭を生やした無頼漢ぶらいかん

 商魂逞しく計算高く、抜け目もなければ口も上手い。しかし陽気で気さくで愛嬌のある奇妙な奴で、これが不思議と憎めない。


「さてと。話を戻そうか」


 まだ紅茶の残るカップを卓状のソーサーへ置き、イスラは目に真剣な光を混ぜた。

 変わらず僕を映す黒い両瞳は、先までの明るくダラケた青年のものでなく、厳格な尋問官のそれだ。

 僕の持ち得る情報を一切合切引き出そうという意思が、容易に透けて見える。


「はて、何かあったかな」

「とぼけるなよ、赤巴せきは。俺とお前の仲じゃないか、隠し事は無しだぜ」

傭兵アウェーカーと元雇用主の関係だ。僕等の間に交わされた契約は、とっくに切れてるけど?」

「おいおい、俺はお前の事を友人ダチだと思って話してるんだ。そこに仕事云々を持ち込むなんざ、野暮やぼの極みってもんさ」


 久しぶりに飲んだオーベールの特産品、高級紅茶アブミールの豊かな味わいを楽しむ僕の前で、イスラは大袈裟おおげさに肩をすくめる。

 彼が動く度に大量の毛髪が揺れ動き、伸ばし放題にしている前髪が目元まで隠してしまう。その都度つどイスラは前髪を掻き上げて、視界の確保を怠らない。


「君はその友人から、根掘り葉掘り話を聞き出そうって言うのか?」

「勿論。そういう性分しょうぶんだからな」


 僅かに非難を込めて睨んでやったが、イスラに堪える様子はない。それどころか、胸を張って堂々と肯定さえしてみせた。

 当人が述べる通り、彼の性格を考えれば、この返答は充分に予想出来た事だ。彼にとっての友人とは、『無料で情報を提供してくれる情報屋』などという認識であろう。

 真偽の程は判らないが、そう思わざる負えない。


「だろうね」


 諦めと共に溜息を1つ吐く。

 反論する気は、それこそとっくの昔に失くしているよ。

 何を言っても無駄だと判っているから、何も言わない。彼は自分の好奇心を満たすまでは、是が非でも止まらない人種だからな。


「それで、何だって?」


 膝上に乗せていたソーサーを手に持ち、其処へ飲み終えたカップを添え、最寄のテーブルへ置いてから、僕はイスラの顔を正面より見る。

 昔馴染だとかを抜きにしても、今の僕には彼へ逆らえない理由があるから。

 このぐらいの事は、応じて然るべきだと。


「どうして趣旨変えしたんだ?」

「別に、何か変わったとは思わないけど」

「よく言うぜ。お前は他人より自分を優先する男だった。何処で誰が苦しんでいようが無関係を決め込んで、自分の目的の為だけに邁進まいしんする。そういう奴だろうが」


 僕の言葉に対し、イスラは首を振りながら意地悪く笑う。

 けれど僕に異議を唱えるつもりは一切ない。というか、言い返す言葉がない。彼の言っている事は、まったく正しいからだ。

 僕は今まで『誰かより自分を』というスタンスで生きてきた。逐一他人に構っていられる暇も余裕も人の良さも、欠片1つ持ち合わせてないんでね。


「そのお前が、今はどうだ? 月1番の御節介集団、女神代行守護者ミネルヴァガードの一員だぞ。最もお前と縁遠い連中じゃないか。いったいどうしちまったってんだよ?」


 イスラは僕が女神代行守護者ミネルヴァガードに加わった事が、余程納得いかないらしい。

 好奇心より不満の方が大きいようで、僕を見る目に言い知れぬ力が込もっている。


「まさか、正義の血に目覚めましたー、なんて素で引く事を言うんじゃあるまいな?そいつは勘弁して欲しいね」


 首をゆっくりと左右へ振るイスラの姿に、明確な落胆の色が見えた。

 さもありなん。彼は、僕を同類だと思っているようだからな。

 自分の為なら他者を平然と見捨て、時には蹴り倒し、何物もかえりみないで自分の道だけを突き進む。それがイスラの人生行路というものだ。

 だが、彼の予想は間違っていない。僕も同じ様な考え方で、かなり近しい生き方をしてきたから。

 イスラが矢鱈やたらと僕に馴れ馴れしいのは、性格的な部分もあるだろう。それに加えて、両者へ共通する臭いを感じ、親近感を得ているからなのかもしれない。


「安心するといい。そんな世迷言を口走るほど、追い詰められちゃいないさ」

「だったらどうしてだよ? 自分の生き道をたがえてまで従う価値が女神代行守護者ミネルヴァガードには……いや、ユイ・クリシナーデにはあるのか?」


 僕の目を真っ直ぐ見詰めて、イスラは声に重さを乗せて問うてくる。

 先までのニヤケは一切消え失せ、表情は真剣。正偽せいぎを見抜かんとする商人イスラエルの顔だ。

 イスラの視線を正面より受けたまま、僕はテーブルに置いたカップへと再び手を伸ばす。

 上品な作りをした白い陶製のカップを口へ運び、中でたゆたう紅茶を一口飲む。

 温かな液体が口腔こうこうから喉を下り落ちて行った後、カップをテーブルに戻して、僕はもう一度彼を見た。

 言うべき事は1つ。求められているのだから、返答を送ろう。


「ある」


 僕の一言を聞いた瞬間、イスラの片眉が動いた。

 斜めに吊り上り、反対の目が半眼となり、いぶかしむ表情が浮かべられる。

 しかしそれ以上は何も言ってこない。無言、すなわち先の促し。そういう事だ。


「僕がずっと探していたもの。その手掛かりが、彼女のもとにあった。だから、ユイ・クリシナーデの下に付いた」

赤巴せきはの探し物、か」


 イスラは顎に手を当てて、思索の顔をする。

 彼は僕が求めて止まないものを知っているから、それについて考えを巡らしているのだろう。

 尤も、どれだけ考えても答えには行き着けないだろうが。


「つまり、お前はクリシナーデ領区の関係者だったのか?」

「いや、そうじゃないみたいだ。現に、僕の事を知っている者は誰も居なかったからね。僕自身、あそこには何も感じなかった」

「ふぅむ、そいつは妙な話だな。……本当に、手掛かりなのか?」


 前髪をき上げるイスラが、疑いの眼差しをする。

 そう思われても仕方ないだろう。僕だってどういう事なのか判らないんだ。

 それでも確かな事は変わらない。


「間違いないよ。今まで見覚えのある物なんて何一つ無かった。その中で唯一、見た事のある感じがした。あれは錯覚じゃない。それは断言出来る」


 疑心をぬぐわぬイスラの目へ視線を定め、僕は自分でも判る程はっきりと言い切る。

 その言葉に嘘はない。僕は絶対にアレを知っている。

 この感じ、イスラには判らないだろうけど。


「ほほぉ、そこまで言うか。だったら本物なんだろうな。その手掛かりとやらは」

「ああ、それだけは確かさ。でなければ、女神代行守護者ミネルヴァガードになど入るものか」


 アレは僕の探し求めるものと関係がある筈だ。

 その確信めいた予感があるからこそ、誰かの為に戦い続ける女神代行守護者ミネルヴァガードに、僕は自らの意思を殺してくみしている。ユイ様……ユイ・クリシナーデに従っている。

 全ては僕自身の為に。


「それで、いったいどういう代物なんだ? お前が言う手掛かりってのは」

「ユイ・クリシナーデが、首からげていたロザリオだ」

「ロザリオぉ?」


 イスラは意外そうな顔で、語尾上がりに声を吐き出す。

 僕の話を信じ始めていたようだが、また不審げに目が細められてしまった。

 だがそれは、僕の構うことじゃない。


「クリシナーデ領区の宗主、つまりクリシナーデが始祖直系の血脈に、代々受け継がれている品らしい」


 そうだ。ユイが先代より受け取り、今は自分が身に着けている……着けていた物。

 金のロザリオ。僕はアレに確かな見覚えがある。

 アレこそが、僕の失くした記憶さがしものに繋がる今唯一の手掛かり。


 僕には記憶がない。

 両親の事、子供の頃の事、昔何処に居て、何をやっていたか。僕の記憶は2年より前の全てが、一切欠如してしまっている。


 2年前、僕は酸水が溜まったクレーターの近くで目を覚ました。

 何故、其処に居たのか。どうやって来たのか。何をしようとしていたのか。その時には既に、何も判らない状態で。

 着ていたのは今と同じ同じ様な、黒いジーンズと白いワイシャツ。それ以外には何も身に着けていなかったし、靴さえ穿いていなかった。

 今居る場所が何処で、自分が誰なのか、思い出せた事は何も無い。

 だから取り合えず歩いた。

 何も知らないのだから当然だけど、今思うと随分無用心で、怖いもの知らずな行動だったな。


 月面上にはアクトレアがうじゃうじゃいる。だから当然、僕は直ぐに襲われた。

 そして右目を失ってしまう。

 だがそのショックで、自分の名前と力を思い出せた。結果オーライと言うべきか。

 全てを熱し破壊する、それが僕の力。何故、そんな力を持っているのかは判らなかったが、使える以上は存分に使わないとね。

 お陰でアクトレアを退ける事は出来、何も知らぬまま死ぬ事は避けられた。


 その後で辿り着いたのが此処、オーベール領区だ。

 街を見て回っても記憶は戻らず、見知った人物にも出会えず。

 しかし色々と新たな情報を得る事は出来た。僕を襲った異形がアクトレアと呼ばれる人類の敵である事や、その猛威に人々が苦しめられている事も。

 そこで決めた。僕は自分の力を使い、アクトレアと戦う傭兵アウェーカーになろうと。

 アクトレアと戦える者は、誰もが求めているし受け入れる。だから様々な情報を手に入れ易い。

 傭兵アウェーカーとして方々の街を巡り、多くを見聞きしていけば、何時か失くした記憶を取り戻せると思って。


 イスラとの出会いもその時だ。

 僕は彼に雇われ、商品を他の領区へ運ぶ輸送者団に加わって、多くのアクトレアと戦った。

 イスラとの契約が終わった後もあちこちを点々とし、数限りない戦いの中で2年を過ごしたな。

 けれど、失くした記憶に関係する物は何も無かった。1月程前、クリシナーデ領区でユイ・クリシナーデの着けているロザリオを見るまでは。


 それまで一切手掛かりに成り得る物が無かったというのに、彼女が持っているロザリオには確かな見覚えがあった。

 それが何なのか、僕とどういう関係があるのか、何故僕は知っているのか。湧いて然るべき疑問の数々。

 僕はその答えを求め、自らの力を武器として女神代行守護者ミネルヴァガードに加わった。

 クリシナーデ領区の宗主、ユイへ少しでも近付く為に。


「宗主しか知らない秘密を聞き出すには、ユイ・クリシナーデへ取り入るのが1番早い。個人的にも調べてはみたものの、結局判ったのは大まかな歴史や、領区が有す装置程度だったからね」

「拉致って尋問、なんて手段もあったと思うがな」


 前髪をき上げ様、イスラが物騒な事を言う。

 自らの利益に繋がるなら、時に非常手段もさない豪商らしい意見だ。

 当然、僕は彼の過激な発言に反感など覚えない。それで目的が達成されるなら、有用な手段として利用する候補として検討さえする。本当に効果があると思うなら、実行だってね。

 やはり僕とイスラは似た者同士か。

 尤も、この場に女神代行守護者ミネルヴァガードのメンバーが居ようものなら、僕等を決して許さないだろうけど。


「拷問して吐く様なら、最初からしているさ。だが彼女は、どれだけ痛めつけられても絶対に口を割らないだろうね」

「そいつは凄い。随分と根性があるじゃないか」


 ユイの評価を聞いたイスラは、口笛を吹いて感嘆の声を上げた。

 商人として多くの人々を出会ってきた彼は、それだけ多様なタイプの人間を知っている。

 ついでに、僕が目的の為なら誰が相手でも手心を加えない事も。

 それらを踏まえて考えた末、僕が本気で拷問を加えても情報を喋らないという人物は、彼の知る限り居ないらしい。

 だからこその反応だろう。


「意志力の強さは1級品だ。喋るぐらいなら、舌を噛み切って死のうとさえするだろう。彼女がそういう女だからこそ、地道に信頼を得ていくしか方法が無かった」

「成る程な。……しかしユイ・クリシナーデ、今はボロボロだが信じられん程の美人だ。外見だけじゃなく気骨まで備わっているとはね。ふふん、イイ女じゃないか」


 イスラの両目が欲望色の光を宿す。

 欲しい物を我が手に収めんとする収集家の輝きだ。

 僕の知る限りでは、彼に目を付けられた存在は例外なくコレクトされている。珍品や高級品、機能的な物から優秀な人材まで。

 彼の経営する商会は、イスラエルという男のコレクションによって彩られているようなものか。

 ユイも彼の眼鏡に適ってしまったのだろうが、はっきり言って僕には関係ないな。

 僕の必要とする情報さえ吐き出してくれればね。


「お前の理由は大体判った。性格が変わっちまってなくて安心したぜ」

「それはどうも」

「だが、大した女の下で働いてきたんだろう? よもや、惚れちまったなんて事は……」


 何を言うかと思えば。

 僕の事を探るような彼の様子を見ていると、馬鹿馬鹿しさに溜息さえ出てくる。


「確かに、魅力的な人だとは思うよ」


 僕がそう言った瞬間、イスラは片手を顔に当てて天井をあおいだ。

 下らないオーバーアクションで、ショックの大きさを表しているらしい。


「おお、なんてこった! あの赤巴せきはが人生の目的を忘れ、女にうつつを抜かすとは! こうなった諸悪の根源を幽閉し、お前の未練を断ち切ってやらねば!」

「単に君が、自分のものとしたいだけだろうに」


 わざとらしく胸の前で十字など組むイスラに、つくづく呆れてしまう。

 けれど、ふざけた仕草の奥に、彼なりの悩みが見えなくもないが。

 僕が彼女に好意を抱いているとしたら、彼女を手に入れたいと願うイスラとは、当然ながら折り合いは取れない。そうなればどちらかが諦めるまで、戦う事になるだろう。

 別にそれは直接的な力のぶつけ合いと決まってはいないが、どのような駆け引きにせよ、彼は僕と事を構えたくないらしい。

 友人だと思っているから、なのかな?

 まぁ、それは全て取り越し苦労なんだけどね。このまま困らせてやるのもいいけど、色々と面倒だし、その事を教えてやろうか。


「何か勘違いしているな。彼女の事を魅力的だと思うけど、それは指導者として、組織のトップに立つ者としてだ。女性としての彼女には何の興味もないよ」


 僕が言ってやると、イスラはピタリと動きを止めた。

 しかし面上に浮かぶのは安堵ではない。一瞬、無表情となり、それから真剣な顔となる。

 どうするのかと思っていると、祈るように両手を組んだまま、僕を見据えて口を開いた。


「あれ程の美人にもなびかんとは。……赤巴、もしかしてお前、ホモか?」


 ……困らせたままにしておけば良かったと、心底から思う。

 まさかこんな返しを受けるとは。

 僕は拳を固め、健全な左目だけで睨み返した。


「殴るぞ。割と全力で」

「じ、冗談だって。そんなに怒るなよ」


 イスラは急ぎ両手を振って、ぎこちない笑みを浮かべる。

 だが生憎と、僕の胸中に湧き起こった怒りというかむしろ殺意は、そんな作り笑いでは溶かせない。

 険しくなったままの目で彼を射抜き、無言を以って圧力を叩き付ける。


「う、ぐ……わ、悪かったって。いや、マジで。許してくれよ、親友マブだろ?」

「…………」


 こと商売事に関しては百戦錬磨の大商人も、僕の強視線には耐えられないようで。

 頬に冷たい汗を垂らしつつ、友人ランクを引き上げ、ウィンクしてくる。

 だが僕に許してやる気はない。

 今までも、男好きなんじゃないかと言われた事は何度もある。主な原因は、女みたいな容姿の所為だが。

 違うって言うのに、何度も何度も何度も何度も、同じ事を繰り返されれば、いい加減ウンザリだ。どうしようもなく頭に来る。

 そういう趣味の人達を否定するつもりもない。それも嗜好だろう、そういう道だろう。それはそれで問題無いと思う。

 ただ毎度毎度、お前もそうだろうと指摘されるのが嫌いなんだよ。


「…………」

「うぅぅ、た、頼むよ、ホント」

「…………」

「その、な、本当に、すまんかったから」

「…………」

「いや、あれだ、俺も悪ふざけが過ぎたというか」

「…………」

「ご、ごめんなさいぃ〜」


 とうとうイスラは半泣きになってしまった。

 僕に睨まれて続けて、相当肝が冷えたらしい。顔色がすっかり悪くなっている。

 まぁ、大分反省したようだし、この辺で許してやろうか。


「今度同じ事を言ったら、本気で殴るからな」

「や、やっと機嫌を直してくれたか。しばらく見ない間で短気になりやがって」

「何か言ったか?」

「NOデース」


 ほっと息を吐きながら、ブツクサ呟くイスラを一睨み。

 彼はすぐに背筋を伸ばして首を振る。

 ……僕は今、彼に世話となっている身。普通だったらこんな真似は出来ないんだけどな。

 この気安さも、僕等の関係が賜物たまものか。


「でだ、話は変わるんだが」

「なんだい」

「お前の言うロザリオ、見てみたいね。クリシナーデの領主に代々受け継がれてる程の品だ。興味があって当然だろ?」


 気を取り直すように前髪をき上げて、イスラが白い歯を零れさせる。

 ユイのみならず、くだんのロザリオまで手中にせんという野心が見え見えだ。

 彼女は兎も角、ロザリオをくれてやる訳にはいかない。アレを僕が求めているぐらい、彼だって判るだろうに。

 商人として、男として、収集家としてのさがが、彼の欲望を抑えてはくれないようだな。

 しかし今は、取り立てて警戒する事も無いさ。何故なら……


「残念だが、それは無理だ」

「あん、何だって?」

「だから、無理だと言ったんだよ」

「そいつはどうしてだ? 言っておくが、俺は別にお前の欲しがってる物を奪うつもりはだな……」


 イスラは眉間に皺を寄せて、聞いてもいないのに嘘くさい言い訳を垂れ流し始める。

 どうやら、僕が彼を警戒して隠しているとでも思っているらしい。

 仮にもしそうなら、最初から話したりはしないさ。


「もう此処には無いから無理なんだよ」

「無い? 無いって、ロザリオがか?」

「ああ、そうだ」

「ど、何処に行っちまったんだ? お前にとっても大切な物なんだろ? 行方ぐらい知ってるんだよな?」


 僕の答えを受けた途端、イスラは急に慌て始める。

 彼の動揺が僕の為ではなく、自分の欲求に根差す物だという事は、あまりにも明らかだ。

 だから何思う事もない。あるとすれば精々『ざまあみろ』ぐらいかな。


「奪われたんだよ」

「奪われたぁ!? だ、誰に!」

「彼女の兄に」

「アニィィ!?」


 イスラの声が裏返る。表情も無念と驚愕が入り乱れた複雑なもの。

 欲しい物が手に入らない現実を突き付けられた時、彼はこんな風に取り乱すのか。

 見ている分には結構面白いんだけどね。


「確か、ヤクモとか呼ばれてたな。ヤクモ・クリシナーデ。ユイの双子の兄らしい」

「双子の兄貴……そいつが、何でまたロザリオなんかを?」

「奪われたのは、それだけじゃないさ。クリシナーデ領区を丸々全てと、其処に暮らす数万の民。それから1000人に及ぶ女神代行守護者ミネルヴァガード構成員、ほぼ全員の命だ」

「な、に?」


 イスラの表情が硬くなり、顔から感情の色が消えていく。

 先までの愉快なパニくり様もなりを潜め、真面目な雰囲気が舞い戻ってきた。


「しかも彼は、インフィニートの幹部らしいよ。何があって、そうなったかは判らないけどね」

「クリシナーデ領区の宗主、その双子の兄がインフィニートの幹部だと? ……つまり、クリシナーデ領区はインフィニートにとされたって事か」

「ああ、そうなる」


 僕が頷くと、彼は難しい顔を作る。

 無精髭の生えた顎に手を当てて、瞼を閉じて沈思を始めた。


 ヤクモ・クリシナーデ。ユイと同じ褐色の肌と紫の長髪をした、彼女と同じ様な姿の男。

 どういう経緯でインフィニートの側となったかは知らないが、彼は決してマトモな人間ではないだろう。

 眼鏡の奥にあった瞳に宿る輝き、あれは狂気の光だ。

 憎悪、害意、怨念、妄執、嫌悪、殺意、無数の黒くくらい感情が溶け合い、1つとなった負の混沌。

 ユイとは正反対の、限り無い闇を纏う男。

 同じインフィニートの幹部、ヨシア・ベラヒオと似た感じがした。いや、あれよりも更に濃い闇だったな。


 アクトレアとの戦闘を終えて領区へ戻ってきた僕達を、ヤクモは只1人で出迎えた。

 ナノマシンの群体が形作る堅床けんしょうの上に立ち、他には誰も連れておらず。

 彼が求めてきたのは、鍵の譲渡じょうと

 鍵が何なのかは僕も知らない。ユイからはまだ、何も聞かされていなかった。けれどジョヴィニエル卿は知っている風だったか。

 そういえば、ヤクモを見た時、ユイよりもジョヴィニエル卿の方が驚いていたな。平板な顔が僅かに揺り崩れただけだったが、普段から表情を変えない彼にしては大きな変化だ。

 それだけ意外だったのだろう。

 逆にユイの方は、双子であるが故に何かを感じていたのか、あまり驚いていなかった。インフィニートの幹部だという話には、流石にひるんだようだけど。


「しかし信じられん。インフィニートの幹部が出張ってきたとはいえ、女神代行守護者ミネルヴァガードを壊滅に追い込むとは。お前等はそれなりに強いと評判だったんだがな」


 目を開けて思考を解き、イスラは額を押さえて首を振る。

 予想外の事実を前に、今も幾許いくばくか混乱気味のようだ。

 僕だって自分が体験した事でなければ、たちの悪い冗談だと思うぐらいだからね。


「お前達が傷だらけで転がり込んで来た時は、確かに驚いたが。しかしまさか、インフィニートの手勢に叩き潰された後だったとは」

「詳しい事を説明する前に、僕は気を失ったしまったからね」


 3日前、僕達の前に立ちはだかったヤクモによって、仲間の殆ど全員が殺された。

 敵はたった1人だったが、クリシナーデの始祖が直系だ。つまりユイと同じ様に、クリシナーデの遺産であるナノマシン群を自在に操れる。

 主の命を受けて変幻自在に形を変え、悲しいほど無慈悲に襲い掛かるナノマシンの群体。その苛烈極まる猛攻はアクトレアの非ではない。一同の退路を断ちつつ、常勝無敗の戦士達をことごとく打ち倒していった。

 ジークは屋敷に残ったライナや勇者殿達を助け出そうとして。ジョヴィニエル卿はユイを庇い、また皆を逃がす為に動き。双方共、女神代行守護者ミネルヴァガードでは最上位の実力者に数えられる有能な戦士であったものの、その命を散らされた。


 ヤクモの支配下に落ちたナノマシン領域からからくも逃げ出せたのは、僕にユイとタレス、ライナ、エリック、メルル、それから勇者殿と匝雲そううん先生。僅かに8人のみ。しかもその内半分は半死半生。

 昔の伝手つてを頼り、オーベール領区へ、其処に居る筈のイスラの元へ逃げてはきたが。

 彼の屋敷へ辿り着き、身を置かせてくれるよう頼んだ後で、僕は意識を失ってしまった。道中、襲い来るアクトレアを討ち破っての強行軍だったから、肉体も精神も疲弊していたんだろう。

 何にせよ、僕は少し前までずっと眠っていた訳だ。

 匝雲先生やタレス、それに勇者殿は傷付いた僕達の治療に忙しくて、イスラと大して話が出来ていなかったみたいだし。


「それにしてもだ。こいつはドエライ事になってきたな」


 イスラは両腕を組んで、眉間に深い縦皺を刻む。

 相当思い悩み、困っている時でないと見せない表情だ。

 状況は悪い方向へ加速度的に進んでいると思われるので、彼の苦渋も当然と言えるか。


女神代行守護者ミネルヴァガードの敗北と瓦解がかい。反インフィニートを掲げるクリシナーデ領区の陥落。これはつまり、インフィニートの行動を阻害する者が無くなったという事だ」

「抵抗勢力の消滅により、これからインフィニートがどう動くか。それは僕にも判らない。ただ今までの活動から考えるに、どう贔屓目ひいきめに見ても、残された領区と友好的な関係を結ぶとは思えないな」

「それどころか、オーベール・比島ひしまの両領区を攻撃する可能性は極めて高いぞ。何が目的かは知らんが」


 腕を組んだまま、イスラは重い溜息を吐く。

 その表情は、かつて見たどんな顔よりも険しい。

 我が身に災厄が降り掛かろうとしているのに、平静で居られる人間は少ないだろう。


「まったく困ったもんだぜ。アクトレア共の対処ですら参ってるってのに、インフィニートにまで気を回さないといけないんだからなぁ」


 盛大な溜息と共に、イスラは肩をすくめて見せる。

 オーベール領区は彼が本拠を置く市場だ。この街がインフィニートに襲われれば、彼も多大な損害をこうむってしまう。

 商人としても、オーベールの住民としても、それは断じて許せまい。

 なまじトップに近い立場なので、その気持ちは人一倍強いと思う。


「こうなってみると、クリシナーデ領区ってのは偉大だったと思えてくる」

「へぇ、そうなのかい?」

「まぁな。考えてみれば、クリシナーデが突っ掛かってたお陰で、連中の行動は抑えられてたんだ。俺達が『物好きだ』『御節介だ』と笑ってられたのも、クリシナーデがインフィニートを叩いてたからなんだよな」


 遠くを見るような目で語り、イスラは微苦笑を浮かべる。

 彼にしては殊勝しゅしょうな態度だ。

 1度定めた認識を改めるというのも珍しい。クリシナーデ領区には、女神代行守護者ミネルヴァガードには、それだけの影響力があったという事か。

 人はえてして、くしてから失った物の大切さに気付いてしまう。

 愚かと言えばそれまでだけど、それが人間というものなのかもしれないな。


「ところで赤巴せきは、お前はこれからどうするんだ?」


 色々な思考を頭の中に残したままなのか、僕へ問うイスラの表情は複雑なものだ。

 これは僕の返答も、彼が脳内で構築する今後の計画に組み込まれるかもしれない。

 だからといって、わざわざ嘘を吐くつもりはないけど。


「僕はユイが目を覚ますまで待つよ。ロザリオは奪われたけど、アレが何なのか知っている筈だからね」


 その答えは、僕の記憶と大きな関係を持っている筈だから。

 そもそも彼女を連れて逃げてきたのは、それを聞き出す為だ。

 ユイが殺されてはかなわない。ジョヴィニエル卿に言われるまでもなく、彼女を引きってでもあの場から離れるつもりだったさ。

 まぁ、文字通り命を懸けて退路を確保してくれた事には、素直に感謝するけど。


 ちなみに、ユイの治療に必要だった匝雲そううん先生以外、女神代行守護者ミネルヴァガードの連中はどうでも良かった。メルル達が死のうが生きようが、僕には関係のない話だし興味もない。

 それでも生き残った数人と一緒に逃げたのは、多少なりとも利用価値があると思ったからだ。

 オーベール領区までの道程みちのりにはアクトレアという障害がある。それを乗り越えるには、幾らかの戦力が必要だからね。

 流石に戦える者が僕1人ではキツイ。だから彼女達も連れて来た。

 記憶を取り戻す為に、使えるものは何でも使わないと。


「意外だよ」

「何が?」

「そのヤクモとやら、クリシナーデの血脈なんだろ? つまりロザリオがどういう物なのか知っている可能性は高い。何か秘密があるからこそ、奪ったんだろうからな」


 イスラは口唇こうしんを歪めて、得意の意地悪い笑みを覗かせる。

 濃い毒々しさはないけれど、皮肉っぽさをフンダンに交えたいじめっ子の顔だ。


「回りくどいな。言いたい事があるなら、はっきり言うといい」

「それじゃ遠慮なく言わせて貰うぜ。お前の事だから、欲しい情報の為にヤクモって奴へ寝返ると思ったんだがな」


 イスラが僕へ向けるのは、他人ひとの胸中にうずくまる暗部をあばき立ててやったという達成感により、不健全な方向へ花開いた満足顔。

 いい齢をした大人が、何をくだらない事で喜んでいるんだか。呆れて物も言えない。

 これで天下に名立たる大商人というんだから、人っていうのは判らないものだ。


「確かにまともな会話が出来れば、そうしたかもしれない。でも生憎と、彼は話の通じる相手じゃなかったよ」


 悪童じみた愉悦を面上に張り付けるイスラ。彼を前に、僕の口からは溜息が漏れる。

 だが彼はそんな事にお構いなし。話の先を聞きたいらしく、期待の眼差しを突き込んできた。


「それはどういう事だ? 詳しく教えろよ」

「君も相当物好きだと思うよ。まぁいいけど……ヤクモは理屈で動くタイプじゃない。自分の感情が全てに優先し、それ以外は何もかもが選択の範囲外。気分屋の脊髄せきずい反射主義者、そんな感じだ」


 ついでに言うなら、その思考は常軌じょうきいっし、狂気一色。

 例えユイを手土産に近付いても、話合おうとはしないね。彼女も、それを連れてきた僕も、皆まとめてり尽くす。彼はそういう思考で動いているようだった。

 とても彼女の双子とは思えない。

 そんなキレた奴を相手になんてしていられないからね。やっぱりユイから聞き出すしかない訳だ。


「そりゃまた厄介極まるな。しかしそんな危ない野郎まで抱え込んでるとは、インフィニートめ、恐ろしく懐の深い組織だぜ」


 苦みを浮かべた顔へ薄い戦慄をきながら、イスラは感嘆の声を上げる。

 人をまとめる立場にある彼からすれば、使い難い人材を手許に置き続ける姿勢というのは、純粋な賞賛へあたいするようだ。

 僕にはよく判らない次元の話だけど。


「っと、話がれちまった。本題へ戻すが、お前はクリシナーデのお姫様が目を覚ますまで暇って事だな」

「そうなるね」

「しかも女神代行守護者ミネルヴァガードは事実上壊滅してる。そうなると、お前は無所属フリーだよな」

「……僕に何をさせるつもりだ」

「はっは〜、話が早くて助かるぜ」


 僕の問いが正鵠せいこくを射ていた事は、イスラの嬉しそうな顔を見れば一目瞭然。

 目論見が成功した時と同じ種類のニンマリ顔で、彼は両手を軽く打ち合わせる。

 あの前振りから考えれば、彼が僕に何がしかの仕事をさせようとしていた事は、誰だって判るだろうさ。


「どの道、僕に拒否権は無いんだろ」

「当然。俺は慈善事業やってる訳じゃないんだ。お前達を助け、世話してやった分、それなりに働いて貰わないとな」


 親しき仲にもギブアンドテイク。イスラらしい考え方だ。

 僕は彼の性情せいじょうをよく知っている。だから此処へ来ると決めた時から、使われる事は覚悟していたよ。

 イスラエル・ブロークンハーツという男に、無償の愛を求める事こそが間違いなんだ。

 勿論、僕はそんな無駄な事はしない。


「なーに、そんな難しい仕事じゃないさ。お前の実力ならチョチョイのチョイだ」


 イスラが向けてくるのは満面の笑み。

 しかし、それが嘘くさい。


「どうだか。君がそう言う時は、決まって大変だからな」


 疑いの眼差しで突き返し、僕は自らの体験にもとづく率直な感想を投げ付けてやる。

 彼の笑顔と言葉に騙された事、果たして何回に及ぶか。

 僕が傭兵として雇われていた頃、彼がする仕事の説明と実際の難度は常に反比例だった。お陰でいらない苦労をした事も少なくない。

 最初から難しい仕事だと言ってくれれば、こちらとしても心構えが出来るというのに。


「そうか? ま、いいじゃないか」

「……良くは無い。断じてね」

「細かい事は気にするな。禿はげちまうぞ」


 まったく気にした素振りを見せず、イスラは笑って流してしまう。

 何度言ってもこの調子だ。いい加減、僕も諦めているけど。


「それで、肝心の仕事っていうのは?」

「それなんだがな、ちょっとロシェティック領区跡まで使いを頼みたい」

「ロシェティック領区? インフィニートに潰された所じゃないか」

「そうだ」


 目的の意図が判らず首をかしげる僕の前で、イスラは懐からうるしで塗られたUPCSを取り出す。

 独特の光沢放つ高性能多目的端末機を起動させ、浮き出るディスプレイを軽く操作した後、彼はその画面を僕へ見せた。

 三次元空間上に出力された立体映像式画面ホログラフィックモニターには、月の上空を周回軌道する人工衛星を使い撮っただろう街の俯瞰図ふかんずが映し出されている。

 目視でもそれと判る程の巨大な塀でぐるりと囲まれた、高層建築物の密集都市。これは正しくロシェティック領区。

 しかし違和感がある。

 本当なら都市上空は分厚い天蓋てんがいで覆われており、領区全体がドーム構造をしている筈だが。

 今は完全に空が開き、酸性の風雨に対する守りがない。どうやら、インフィニートによって打ち砕かれた後らしい。

 傭兵アウェーカー時代、僕はこの街にも訪れた事がある。その時には無数のネオンが溢れ返り、人々がせわしなく行き交う、活気に満ち満ちた大都市だったんだけど。

 今では当時の絢爛豪華けんらんごうかな輝きが、悲しい程に残っていない。

 高く突き立っていたビル群は幾つもが崩れ落ち、灯の消えた街並みは荒れるに任せている。

 人気ひとけも生活感もまるで感じられず、もう何年も放置されているような荒廃ぶり。まるで街全体が巨大なひつぎだ。

 寒々しくも痛ましい。文字通りの廃墟。

 これが現在のロシェティック領区なのか。


「酷いもんだろ」

「そうだね」


 イスラの問い掛けに、僕は小さく頷き返す。


 まさかこれ程になっていようとは、想像だにしなかった。

 ガレナック領区も同じ様な有様なのだろうか。クリシナーデ領区も。


「インフィニートに襲われた折、ロシェティックは助けを呼ばなかった。いや、呼べなかった、か。ウチとも取引があったからな、呼ぼうと思えばオーベールから兵を送らせる事は充分可能だ」

「インフィニートが通信妨害なりして、救援要請を握り潰してたんだろう」

「恐らくはな。準備万端用意して、奇襲で一気に叩き潰した。そんなところだろうよ」


 他の領区に気付かれず事を終えたとするなら、数時間程度で勝負を決めた筈。

 かといって大量の兵員・兵器を送り込めば、行動を悟られるのは必至。

 誰にも気付かれず、且つ速やかに目的を達成したという事は、少数で動いたという事だろう。それもかなりの戦力を持つ精鋭で攻めたと見える。

 漆翼黒葬鋼狼軍ブラックフェンリル冥鬼血薔薇衆ブラッディヘルローズ哭離蒼鎧蛇蝋隊ヨルムンガンド無常白滅光竜団ホワイテッドニーズホグ。インフィニートが誇る4大実行部隊が動いたと、そう考えるのが妥当だな。

 この4軍は全兵合わせても100名に足らない数ながら、戦闘力は鬼神の如しと聞く。これらが攻略に乗り出したとしたら、領区の陥落も充分在り得る。


「街の様子が随分とボロボロだがな、こいつは戦闘だけでなった訳じゃない。護り手が居なくなったのをいい事に、アクトレア共が雪崩れ込んで好き放題暴れ回った後なんだ」

「連中は何故だか人間を目のかたきにしてるからな。少しでも異変を感じたら、躊躇ちゅうちょ無く突っ込んでくる」

「そして、インフィニートとの戦いで防衛力をぎ落とされていたロシェティック領区は、満足な抵抗も出来ぬまま蹂躙じゅうりんされると。ふん、悲劇じゃないか」


 苦い顔をして、イスラは前髪をき上げる。

 領区の運営に幾らかでも関係している彼にとって、ロシェティック領区の惨状は他人事と思えないものなのか。


 何にせよ住民は残らず食い殺されてしまったろう。例え逃げても、他領区へ辿り着く前にアクトレアの餌食となってしまうからな。

 戦う力を持たない一般人は、領区の外をオイソレと出歩けない。

 月面上をアクトレアが我が物顔で跋扈ばっこしている今の御時勢ごじせい、別の領区へ移動するのも命懸けだ。

 だからこそ、僕みたいに傭兵アウェーカーで身を立てる事が可能なんだけど。護衛も付けずに外に出向こうものなら、怪物に襲われても文句は言えない。


「無論、インフィニートは自分達が領区を襲った後どうなるか知っていた筈だ。にも関わらず、攻撃を実行した。アクトレアという人類共通の敵が居るってのに、人間同士で馬鹿やってる場合じゃないだろうに」

「インフィニートの考えは読めない、か」

「そう、それが問題だ」


 僕へ人差し指を向けて、イスラは首を縦に振る。

 どうやら互いに抱く疑問は同じようだな。


 インフィニートの動きで気になる事は少なくない。連中の思考や、何に向かって突き進んでいるのか? それらは最たる物。

 その1つとして、わざわざ他領区を襲っていながら、とした都市を占領するでもなく放置したままという事実もある。

 物資のみを奪っていったのか、あるいはもっと別の何かを回収したのか。少なくとも勢力拡大が行動目的とは思えない。

 狙いさえ判れば、それを交渉の道具として話し合う事も可能だろう。争いを未然に防ぐ事だって。

 けれど肝心の目的が判らない事には何ともしようが……


「もしかして、僕にそれを探って来いと言うのか?」

「ザーッツ・ライト」


 頭に浮かんだ命令予想を口にすると、イスラは笑顔で親指を立てた。


「ロシェティック跡地は無人じゃない。インフィニートとの戦闘、アクトレアの襲撃後にも、辛抱強く潜んでくすぶり続けてるやからがいるのさ」

「インフィニートの軍門に降った連中か?」


 もしそうなら、インフィニートによるクリシナーデ領区襲撃のカラクリが明らかになる。

 ロシェティック領区の残党は保身か何かの為、インフィニートへ寝返った。

 忠誠の証でも求められた末に暴走企業の言いなりと化し、アクトレアへ関する偽情報をクリシナーデ領区に送る。

 事前に得ていた情報を元に準備をしていた女神代行守護者ミネルヴァガードは、実際の敵勢力を前に急遽きゅうきょ作戦変更を余儀なくされ、目前の敵を討つべく全軍出撃。

 慌しく出て行ったお陰で手薄となった領区へ、インフィニートの大幹部は悠々と馳せ参じたと。

 後は戦闘で疲弊したクリシナーデの主力を迎え撃ち、欲する物を総浚そうざらい。

 自分達は僅かな労力で、美味しい所だけを丸々奪っていく。そういう作戦だ。

 これに関わっている者達が、今もロシェティック跡地に潜伏しているのだろうか。


「さて、そこまでは判らん。だから直接行って調べてきて欲しいのさ。少なくとも、インフィニートが何を奪っていったかぐらいは知ってる筈だ。それだけでも判れば、色々と対策を立てられるだろ」

「確かにそうだろうけど。連中がインフィニートの下僕であったなら、簡単には口を開かないだろうね。それに街中がアクトレアの巣と化している可能性だってある」


 どう転んでも、何かとは戦う必要が出てくるな。

 絶対に楽な仕事じゃないぞ、これは。

 やっぱりイスラの言う事はアテに出来ない。今回もそれは不動の事実だったと。

 やれやれだ。


「大丈夫大丈夫、お前なら簡単だよ。うん。任せたからな」


 イスラは満面の笑みで、磨き上げられた白い歯を見せる。

 その右手を僕の肩に乗せ、左手でサムズアップして。

 勿論、僕は逆らう事など出来ない。残念ながら。

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