正義
二年前くらいに書いてあった短編が見つかったので投下
母親が入院した。
重度のノイローゼで、通常生活が困難と判断された。
親父が仕事を辞めた。
正確には辞めざるを得ない状況に追い込まれた、なのだろう。
今後の生活はどうするのか、母の入院費はどう捻出するのか、家族会議が行われた。
とは言っても親父と俺の二人だけの会議だが。
結論は出なかった。
そりゃあそうだ、手立てはない。
唯一の稼ぎは強引に断たれ、むしろ母と同じ顛末に至らなかった事を褒めたいぐらいだ。
本人にそう言うと「まだお前がいるじゃないか」と疲れ切った顔で笑った。
少しばかり目頭が熱くなった。
親父が死んだ。
俺の目は乾ききっていた。
それは件のセリフの翌日の事だった。
目覚めから幾分も経たぬ脳は天井にぶら下がる親父を正確に認識しなかった。
半ば押し付けられるように俺を引き取った親戚は、一度も俺の目を見なかった。
雨風が凌げる場所があるだけマシだろう。
正義とは何だろうか、今はそればかり考えている。
[正義] 正しい道理。人間行為の正しさ。
調べて出てくるのはこんな答えばかり…ふざけるな。
俺は謹慎をくらった。
別段特別な事じゃない、暴力沙汰だ。
最後に見た教師の目は、カラスに食い散らかされたゴミを見る様だった。
俺が友人と思っていた奴も、実はそうでなかったらしい。
「正義のヒーローは悪を退治するんだ!」
「僕は正義、だからお前は悪なんだ!」
眼下の道を行く真新しいランドセルを背負った少年達が、一人の少年を元気に追い回す。
一体どんな理屈なのだろうか。
親戚の家の近くに止まるワンボックスカー、フロントガラスから車内にカメラ等の機材が見える。
マスコミだろう。
たいそうお暇なようで、何時まで経っても飽きもせず。
もうどれだけ前の事だろうか。
「被害者の家族についてどう思われますか?」
「あなたは今回の事件についてどう思われますか?」
「被害者の家族とお話しされたそうですが、今のお気持ちは?」
…思い出すだけで虫唾が走る。
俺は動物園のパンダか?
いや、現実はそんな優しくない。
連日連夜、24時間止まる事無く鳴り響く電話。
数日で電話線を切った。
毎日毎日玄関前に押し寄せるマスコミ。
シャッターの光で目がやられた。
ポストは大量の投書で溢れていた。
いつからだったか、回収するのを止めたのは。
いつからだったか、上履きを持ち帰るようになったのは。
いつからだったか、誰より早く教室に着くようになったのは。
いつからだったか、休み時間も荷物をすべて持ち歩くようになったのは。
いつからだったか………。
一体どこから情報を仕入れてくるのか、どこから家の電話番号が漏れたのか。
『これがあの家の電話番号だ!04×-××××―××××』などと言う書き込みがネット上のいたるところで見受けられた。
俺のクラスメイトか、親父の同僚か。
これを行っているものは皆一様にこんな事を言う。
「あいつらは悪だ」
だから攻撃して良い、裏に秘めた意味は人を狂わせる。
悪を倒すのは正義の味方。
今俺は悪を攻撃してる。
だから俺は正義だ。
…狂ってる。
それが一人二人じゃない、数百か、数万か。
今の日本はそんな所。
「お前のせいで皆学校が怖いんだよ!!」
今朝言われた言葉だ。
俺が何をした?
皆と言うがそれはいったいどんな括りの皆なんだ?
俺の方が怖い。
体育は背後からの何かに怯えながら受けなきゃならない。
昼食は毎日場所を変えて一定の場所では取らない。
トイレも人が少ないタイミングを見計らう。
個室なんて決して使えない。
言ってやったさ、「お前の正義はうすっぺらいな」って。
顔を真っ赤に染めて殴りかかって来た。
数か月前までは毎日一緒に昼食を取っていた気がしたんだが、記憶違いの様だ。
別に喧嘩は弱くないが、殴り返さなかった。
殴りかかって来たのは相手だし、何十発も殴られた。
野次馬は煽るだけだった。
顔がぼこぼこに腫れてきたころ、教師がやって来た。
教師は俺の言葉を信じない。
「こいつが喧嘩を売って来た」という相手の言葉を鵜呑みにし、また野次馬の俺が最初に手を出したなどと言う嘘に踊らされて、結果俺一人が自宅謹慎となった。
観念して家の門に向かい手をかけたところで案の定マイクを持ったおばさんがカメラを引き連れて近寄って来た。
矢継ぎ早に色々聞かれたが要約したら「お兄さんの事件以来大人しくしてましたが顔を見る限りとうとう本性を現しましたね?いったい何人病院に送ったんですか?」と言ったところか。
どう答えようと記者にとって都合の良い言葉しか使われないし、答えるだけ無駄だ。
犯罪者の家族は犯罪者、絶対に許すな。
そういう捻じ曲がった正義感の表れかなんかだろう。
無視したら無視したである事無いこと報じられるのだろうが。
問題なのは俺の暴力事件がマスコミに漏れてる事。
野次馬の誰かが漏らしたんだろうか。
部屋のベッドにあおむけに寝る。
歪んだ正義感、捻じ曲がった事実。
今の日本はそんな事ばかりだ。
マスコミに捻じ曲げられた事実、それを鵜呑みにする愚かな大衆。
勘違いの正義感に塗り固められたアホ面でかざす正義。
兄が殺人を犯した。
俺は知っている、彼がそんな事をする人間じゃない事を。
だが殺人を犯したのは事実だ、現場には俺もいた。
兄は彼女の事を愛していた。
しかし彼女は兄の事をATMとでも思っていたのか。
彼女は他の彼氏と共に兄を嵌めた。
詐欺にかかったと気が付いた兄は彼女を言及した。
そんな兄が彼女に呼び出されたのは廃墟の一角。
彼女の彼氏の一人は裏に精通した、そういう人種の様で。
つまるところ、銃をちらつかせる黒づくめが複数人いた。
ふくろにされそうになった兄はキレた。
何に対してキレたのか、今となっては分からない。
ただ分かるのは、兄が奪った銃で彼女を撃ったことと、今ここに一丁の銃があるという事。
今回の原因はなんだ?誰が親父を殺し、母を病院送りにし、兄を獄中へと放り込んだ?
被害者の家族に何を思うか?
ざまあ見ろだ。
むしろ足りないくらいだ。
何故兄が捕まらなければならない。
両親を潰したのは間違えなくこの国の曲がった正義だ。
兄を潰したのはあの女にその家族、彼氏だ。
弾は3発。
素人の俺に確実に当てれる保証はない。
それに、誰かを殺した所で…だ。
やっぱ犯罪者の家族か。
そう言われて終わるだけ。
本当の闇は何だ?
正義の皮を被った獣は誰だ?
…なぁ?
匿名という安全地域から悪を攻撃した気になっているお前。
悪を攻撃してると思い込み、自分は正義だと思いこんでるお前。
ふざけるな、お前等のやってることは犯罪そのものだ。
どこの法が悪は人間じゃないと決めた。
どこの法が悪は攻撃して良いと決めた。
どこの法が悪は殺していいと決めた。
最低限のプライバシー、最低限の人としての尊厳、それすら奪ったのはどこの誰だ?
なあ皆、事実から目を背けるのは大概にしろよ。
あんたらのやってる事はただの偽善、ネズミも尻尾まいて逃げ出すさ。
手元の画面のデータを見下ろす。
書くべきことは書いた。
捻じ曲がった正義は偽善に隠れ、それを認める事は無いだろう。
だが、少なからず存在するだろう、やりすぎじゃないか?と言うまた別のベクトルの偽善者が。
そいつらは別に本気で俺等の事を助けたいと思ってるわけじゃない。
ただ、「弱者の味方してる俺カッコイイ」ってとこだろう。
だがそれでいい、そんな馬鹿が今はありがたい。
俺があがいたところで何にもならない、分かっている。
でも、波紋くらいは残したいだろう?
キーを叩き、日本語、英語、中国語、ドイツ語、フランス語、複数の言語に変換された文章が数百を超える掲示板、報道関係の会社、に向けて送られる。
ちょっとした文章、ただの日本の現状、そして一つのURL。
部屋の片隅に置いてあるカメラに向かってベッドに座りなおす。
どのくらいのタイミングが丁度いいのか分からない。
言葉は…必要かもしれない。
でも、もういいや。
ニヒルに笑い、銃口をこめかみに向ける。
「じゃあな、偽善の皮を被った殺人鬼ども」
最期の言葉と言い放ち引き金を引く。
こうすれば、外れない。
願わくは、この映像を見た偽善者どもの心に、俺の笑みが残りますように。