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言ノ花庭園  作者: シイナ ユー
プロローグ
2/5

始まり

 真昼の日差しが、大きなテラス戸から差し込む。二十畳近くはあるだろう広い部屋の壁は、太陽の光を反射させるほど白く、床は白と黒のタイルを交互に組んだパレスだった。部屋の隅にはダブルサイズのベッド、その横には壁面本棚。本棚と同じ大きさのクローゼットは、テラス戸の壁沿いにスペースを取っていた。部屋の中央にはガラス張りのローテーブルが置かれ、この白い部屋を眩しく映し出している。

 整然とまとめられた生活感のない空間とは打って変わり、ちょうどテラス戸からの光が入り込まない部屋のもう半分のスペースには、床を覆い隠す黒いシートが敷かれていた。その上には絵を描くための画材が乱雑に置かれている。

 大小長短、細いものから太いものまで、何十本という筆が種類ごとに、筆立てに詰め入れられていた。新品なものなど一本もなく、すべてが使い込まれたために汚れ、しかし、そのすべてが大事に手入れされていた。何個もバケツが重ねられ、絵具が色ごとに、用途ごとに箱に入れられている。汚れ、折れ、いくつもの紙が挟まっているスケッチブックも何十冊と積まれて壁に寄せられていた。その近くには大小様々なキャンバスが、何十枚も重なり合って壁に立てかけられている。ペンキや絵の具が飛び散った跡のあるイーゼルの上には、まだ染まっていない白いキャンバスが一枚置かれた。

どうやら、この部屋は寝室兼アトリエらしい。


 テラス戸を出ると、中庭になっていた。芝生は綺麗に手入れされ、庭の中央には三人用のシックなガーデンテーブルとガーデンチェアが設置されていた。その空間だけ隔絶したように周りを灌木かんぼくと雑木が取り囲んでいる。日が当たれば緑が艶を帯び、家の庭とは思えないほど幻想的な景色を作り出した。

 そんな庭の芝生の上で、ミディアムヘアの黒髪を風に揺らした青年が、小さな少女を膝に跨らせて座っていた。少女と向き合い、亜麻色の、空気を含んだように柔らかい長髪を撫でる。少女は首を傾げ、桃色の目は表情もなく青年を見つめた。その小さな手に握られているニゲラの花を見せ、今度は反対側に首を傾げる。青年は儚さを隠しきれない目を細め、その様子に思わず笑うと、髪を撫でるのをやめ、今度は少女の頬を撫でる。


「何でもないよ。ただ、ひなは変わらず愛らしいなって」


 耳に心地よい柔らかで、それでいて愁いを帯びた声で囁かれた。頬を撫でられ、くすぐったそうに片目を瞑った花乃は未だに不思議なものを見る目をしながらニゲラの花を握り続け、首を傾げる。ニゲラの花言葉は「当惑」。どうやら、花乃はニゲラの花を見せながら首を傾げることで「どうしたの?」と伝えていたらしい。

 青年は耐え切れなくなり、花乃を強く抱きしめ、頭に顔を埋める。


「可愛いよ、ひな……可愛い……」


 花乃は少し苦しそうに青年の胸を押すが、青年は構わず花乃を抱きしめ続け、においを嗅ぐように息を吸う。


「良いにおい……日向と花とひなの香い……」


「傍から見ると変態よ、


 女性のような言葉遣いにも関わらず、声は低い男性のもの。泉光と呼ばれた青年は横目で声がしたほうを見る。そこにいたのは、長身の男性。健康的な肌、生まれつきのパーマで自然なうねりを作る黒髪には一部だけ紫のメッシュを入れていた。


「あとひなちゃんが苦しそう。離してあげなさい?」


「……何しに来たの、いつさん」


「何しにって失礼ね。あなたたちのお昼作って持ってきてやったんじゃない」


 樹季と呼ばれた男は両手に持っていた皿を見せる。載っているのはツナマヨとたまごのサンドウィッチだ。泉光はそれを一瞥し、すぐにまた花乃のにおいを嗅ぐことに戻る。


「ひな、可愛い……」


 その様子に樹季は呆れてため息を吐き、サンドウィッチの載った二枚の皿をガーデンテーブルの上に置く。それから、腰に手を当てた。


「いつまでやってるの? せっかく作ったんだから、早くお昼食べちゃいなさいよ」


「お昼についてはありがとう。でも、見てわかる通り僕は今忙しいからね」


「どこが忙しいのよ、全く……。ひなちゃんはお腹すいたわよねー」


 話の通じない泉光に好きにさせていた花乃は樹季に目を向ける。樹季に対して細い腕を伸ばそうとした瞬間、泉光に抱きすくめられた。


「花乃も僕と過ごすのに忙しいから」


 笑顔で言い切られ、花乃はまた困惑した表情を浮かべた。動くこともできずにじっとしていたその時。


ぐぅー


 お腹の音が鳴った。泉光の抱きしめる力が弱まり、花乃は恥ずかしそうにお腹を押さえる。


「あら、ひなちゃん、やっぱりお腹すいていたのね」


 樹季に笑顔で言われれば、花乃はオイランソウの花を見せて頷く。

花言葉はいくつかあるが、その中には「あなたに同意する」という言葉がある。


「ほら見なさい。あなたに抱きしめられて動けなかったから、言い出せなかったんじゃない」


「お腹すいたね、ひな。食べようか」


 泉光は樹季の言葉を無視して何事もなかったように言えば、花乃は目を輝かせ、大きく頷く。二人はガーデンチェアに向かい合って座ると、手を合わせる。


「いただきます」


 花乃もお辞儀すると、樹季を見上げた。泉光の変わりように呆れていたが、花乃の視線に気が付くと優しい笑みを浮かべた。


「どうぞ。いっぱい食べてね」


 満面の笑みで頷いた花乃は早速、たまごがたっぷり挟まったサンドウィッチを手に取ると、小さな口で頬張る。細かくされたゆで卵が負けないように、かといって卵の味を邪魔することないちょうどよいバランスのマヨネーズ加減と、パンのしっとりした食感と甘みが口で混ざり合い、花乃は満足そうな顔をしてじっくりと味わっている。


「ひなちゃんに気に入ってもらえてよかったわ。泉光の分はマヨネーズ少し多めにしてあるから……って」


 泉光は未だに自分の分には手を付けておらず、じっと花乃が食べる様子を、口元を緩ませて見守っていた。樹季はそんな泉光を冷めた目で見る。


「さっさと食べてもらえるとありがたいんだけど?」


「それではひなの食べている様子が見れないだろう?」


「見てないで食えって言ってんのよ」


 言われても泉光は花乃を見つめ続ける。さすがに視線に気が付いた花乃は泉光に目を向けると、食べかけのサンドウィッチを差し出し、首を傾げた。「食べる?」と聞かれていると分かった途端、泉光は目を見開き、次の瞬間には顔を覆った。


「ひなの……食べかけ……僕に……」


 よく聞いてみると涙声で、どうやら感極まって泣いているらしいと分かった。樹季は諦めて笑う。


「もういいわよ。ひなちゃん、そこのバカ放っておいて、あとで一緒に買い物にでも行きましょう?」


 泉光が泣き出したことに慌てふためいた花乃だが、樹季に言われると目を輝かせ、何度も頷いた。しかし、それに泉光も反応し、ようやく顔を上げると樹季を睨んだ。


「僕から花乃を引き離してどうするの?」


「泣き止むの相変わらず早いわね。あんたがいつまで経っても食べ終わらないのが悪いのよ」


「外の世界は危険が多すぎる。ひなに何かあったらどうする気?」


「家の中でも常に泉光っていう危険に晒されてるんだから、変わりないわ」


「僕はひなを愛しているだけだよ。とにかく、僕の目の届かないところへ連れ出すなんて許さない」


「ならあんたも来ればいいのに」


「人間がうじゃうじゃいるんだろう? 断るよ」


「あんた本当に人間嫌いねぇ、外に出なきゃ治るもんも治らないわよ? ロリコン」


「人間を好きになる気はないし僕はロリコンじゃない。人間の中でも子どもは一番嫌いだ。あ、ひなは特別だよ」


 泉光は、目の前で黙々と食べ進めている花乃の頭を優しく撫でてやりながら付け足す。


「とにかく、いい加減部屋から出ないと新しい刺激もないわよ?」


「人ごみに入るくらいなら刺激がないほうがマシさ」


 頑なに外へ出ることを拒む泉光にとうとう樹季も困り果ててしまった。泉光も考えを変える気はないらしく、そっぽを向いている。そんな泉光の手に、温かで柔らかな感触が伝わり、目を向けた。お昼を食べ終わった花乃が口の端にパン屑を付けたまま、泉光の手を両手で握り、潤んだ目で見上げていた。その目からは「一緒に行こう?」という思いがひしひしと伝わってきて、さすがに泉光も揺らいでしまう。


「でも……」


 ついに花乃は泉光から手を離し、その手にはキンセンカの花を握る。キンセンカの花言葉の中の一つ、「失望」を表すように花乃は明らかに落ち込んだ様子を見せた。泉光はそれを見て焦り、慌てて言った。


「分かったよ、僕も行くから……だから、もうそんなに悲しい顔をしないで?」


 顔を上げた花乃は笑顔になり、椅子から立ち上がると喜びを表すようにその場で小さく跳んだ。そんな花乃に泉光も安心し、笑顔を見せる。花乃は座っている泉光に抱きつき、頬にキスをして離れると、食べ終わった皿を持って台所の流し台へ持っていくために部屋を出た。

 樹季ははしゃいでいた花乃を笑って見送ると、泉光に目を向ける。泉光は頬にキスをされたことによるショックで顔を赤くし、目を覆っていた。


「早くしなさいね。あの子、待ってるんだから」


「……そうするよ」


 泉光は素直に返事をし、皿に載っていたサンドウィッチを平らげた。



 身支度を済ませると、久々の外出でオシャレに身を包んだ花乃を真ん中に、三人で手を繋いで街へ出たのだった。

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