思い
朝日が昇ると、潮風とともに生温い風が体中に纏わりつく。
多英子は、汗で首筋に張り付く髪を一つに束ねると、女将に託された買い出しに出かけた。
海沿いを自転車で走りながら、大きく息を吸い込む。
立ち漕ぎで坂を上ると、目の前には朝日を映す海が広がる。
少しの間その景色を見つめた後、なだらかに続く坂道を下っていく。
ペダルから両足を離し、自転車に身を任せて坂道を下る時、まるで自分が鳥になって、海の上を飛んでいるように思えた。
多英子は、この瞬間が好きだった。
坂道を下り終えるくらいのところで、ブレーキを強く握った。
油の効いていないブレーキは静かな商店街に音を響かせた。
その音と同時に、日に焼けた肌が顔を出した。
「おう、多英ちゃん。今日も元気やね。」
「おはよう、健次さん。」
多英子は、女将に託された紙を健次に渡した。
健次は、了解と左手で合図して、店の奥で紙に書かれた野菜を袋に詰め始めた。
その間、多英子は、店の前に置かれた古びた木製のベンチに腰かけて、海を眺めていた。
しばらくそのまま待っていると、袋いっぱいに野菜を詰め終わった健次が店の奥から出てきた。
「はい、これ。重かけん、気をつけて。」
「立派な野菜。本当重かね。」
多英子は、自転車の籠に袋を乗せながら、健次にお代を渡した。
「暇が出来たら、食堂にも顔出してね。女将さんも待ってるから。」
多英子は自転車に跨り、笑顔で去ろうとした。
「わかった。あ、多英ちゃん。」
健次に呼び止められ、
ペダルを漕ぎかけた足を止めて、多英子は顔だけ振り返った。
「ん?」
「あのさ、今度3年ぶりにおいたちの中学校の同窓会があるんやけど。」
「そう、、、それは楽しみやね。
、、それで?」
多英子の表情が少しだけ曇ったのを、健次は見ていたが、そのまま続けた。
「多分、優も来ると思うんやけど、多英ちゃんのこと、、」
「言わんでいい。」
健次の言葉を遮るように、多英子は言い放った。その言葉の強さが、自分でもわかったため、多英子は柔らかく言い直した。
「言わんでよかよ。あの人、今、幸せやろうけん、私のことは何も言わんでいい。それに、もう私のことは忘れとるよ。」
「そうか。わかった。ゴメンね、変なかことば言うて。」
「ううん、大丈夫。これ、ありがとうね。」
多英子は、袋を指差し、微笑むと店を後にした。
そして、食堂に帰る途中、自転車を漕ぎながら、この島に来た時のことを思い出していた。