平穏な日々は眠りを誘う
ユリアと婚約というハプニングを経て、俺はユリアとの絆が更に深まったように思う。そのうち他に好きな人ができたらどうしようとか見捨てられないかなとか不安に思うことがたくさんあるが気にしても仕方ないと忘れることにした。世の中なるようにしかならないのだ。
そんな開き直りにも似た思いを抱きながら俺は日々を過ごし、五歳になっていた。村の外に出られる歳になっても俺は外に出ないで引きこもっている。別に人と話すのが苦手だとかそういうことではない。ただ単にハマっているものがあるからだ。
「火の玉よ飛び弾けろ、ファイアーボール」
魔力が掌を通じて流れ出て現象が火の玉という形で現れる。ユリアはそのまま三センチ程の小さな火の玉を打ち出した。的立てにしていた大きな石に当たり、ぼんと音を立てたかと思うと消えてしまった。ユリアはこちらを見ると少し残念そうにガクッと頭を下げた。
俺達が何をしているのかというと魔術の訓練だ。魔術とは魔力を詠唱という形で使い、現象を再現することの総称だ。元々は神々の使っていた魔法を真似て人が使えるようにしたのが魔術だと今では伝わっている。魔法の劣化版が魔術らしい。
そんな魔術の練習をしたいが為に俺達は外に出ることもなく、こうして魔術の練習をしている。
「ユリアはイメージが足りないんだろうな」
「そうなのでしょうか?」
「いいか。火というのは酸素と水素があって初めて燃えるんだ。空気中に漂っているからそれを火の玉に集める感じでやってみろ」
「はい、火の玉よ、飛び弾けろ、ファイアーボール」
ユリアが唱えた魔術が発動し、今度は十センチ程の大きさの火の玉が完成した。石の方へ放つと石は跡形もなく消し飛んでしまった。
科学知識を備えたユリアはより鮮明にイメージを思い浮かべることができるはずだ。何より俺の言うことを信じるというのが大きい。そういうものなのだと思い込むことができる。魔術というのはイメージで補完が効くものなのでイメージさえちゃんとしていれば大概思い通りに詠唱破棄でも魔術は発動する。俺は敢えてユリアに詠唱をするように言ってはいるがいずれは詠唱破棄で魔術を使わせることになるだろう。最終的には無詠唱を目指したいが何となく無理な気がしているのは何故なのだろうか。根拠がないがはっきりと無理だと感じている理由は分からない。
こちらに寄って来るユリアに笑みを向けてから俺は呆れた顔をした。
「うへぇ、マジか。流石天才だな」
「ありがとうございます」
「この調子ならイメージを教えるだけで使えそうだな」
俺は無詠唱でアクアボールを放ち、続いてロックバレットを発動させる。アクアボールが前へと進む中、ロックバレットが高速でアクアボールを貫通していくとアクアボールの水が周りに飛び散った。
既に俺は魔術を無詠唱で発動する事ができる。無詠唱とは詠唱破棄、いわゆる魔術名だけを唱える方法より上位の詠唱法だ。感覚的には念じれば発動するというのに近いものだ。これのお蔭で魔術は飛躍的に上達した。元々詠唱して発動する方が苦手みたいな俺だったのだが詠唱破棄か無詠唱でやると通常より強い魔術を放つことができる。無詠唱がすごいというイメージはないがユリアは目を輝かせて凄いというので得意気に魔術を披露している。
これだけ魔術が使えるとはいえ、適性のせいで魔術の幅が狭くなるのが残念でならない。まさに生まれながらの才能であり、生まれた瞬間に決まるみたいだ。こればっかりは覆しようがないので俺は諦めている。ちなみに、俺の適性は水、風、土だ。そしてユリアは火、水、風、土の四つ。天はユリアに一物も二物も与えるらしい。本当にこの子は天才だ。将来が楽しみで仕方ない。
「さて、中に入らないとサラミナに怒られそうだな。お前ばっかり怒られるのは可哀想だからな」
「そんなことは気にしなくてもいいのですよユーフェ様。私の注意不足ばかりなのですから」
「俺がいい気分じゃなくなるから却下だ。さあいこうかユリアお姉さん?」
「ユーフェ様がそう言うのであれば文句はありませんが。はい、ユーフェ様」
俺はユリアに手を差し出して五歳児の小さな手を握ってもらう。たまにこうやって俺はユリアに手を引いて貰っている。何故かと言うとまぁユリアの要望だ。大人びているとはいえ、まだ四歳上の9歳。お姉さんぶりたい年頃だからか物欲しそうに俺を見ていたので試しに言ってみたら嬉しそうに笑ってくれたのでそれ以来そうしている。俺はユリアに手を握られながら屋敷へと入っていく。
二歳になって歩けるようになってから俺は文字を教えてもらったり、逆に日本語を教えてやったりしながら過ごしていた。日本語を教えたのは気まぐれからだったが今ではひらがなで会話ができるようになっている。俺とユリアだけの暗号分として使えそうなので教えたのでいずれ役に立つことを願おう。離れ離れになることを考えたくもないが。そこからゆったりと過ごして四歳と半年の時から魔術に手を出し始めたのだ。
その時に練習にハマりすぎてつい、夜までやっているとサラミナにきつく怒られてしまったのだ。それもユリアだけ長めのお説教をくらっているのを見て、俺はこれからユリアが関わっている約束は絶対守ろうと誓ったのだ。俺が理由でユリアが怒られるのは流石に可哀想だとその時思ったからだ。
ちょうど昼ご飯な時間だったのでサラミナが料理を運んでいる途中に出くわした。
「ユーフェリウス様、用意ができましたよ」
「ありがとう、サラミナ。父様と母様は?」
「今日はお二人で領内の視察ですよ。ついでに魔物を狩りに行くそうですから夜には戻られるかと」
「そっか。じゃあ先に頂くか。サラミナも一緒にどう?」
「わたしはまだ洗濯が残っていますから」
「まぁまぁ、偶には母娘揃って食事もいいだろ?」
「……ですが。いえ、やはり洗濯してから致しますよ」
それから俺の部屋の机に食事を置くとそそくさと出て行ってしまった。俺はそれを溜め息を吐きながら見送っていた。ユリアの方は何ともないのだが最近、妙にサラミナがぎくしゃくしているのだ。俺の側にユリアがいるのが気に入らないのか、それともどう接していいか分からないのか。どうも気になるが無理やりというのもあまり好きではないので置いておくことにしている。時間をかけて解決を図るべきだろう。
「いただきます」
「いただきます」
二人で手を合わせてからご飯を食べる。日本と比べると明らかに質素だがもうこの薄いスープにも慣れたものだ。野菜を幾つか浮かべたスープとパンを口にしてよく噛む。腹一杯食べられる程の量ではないが仕方ない。この世界での田舎では朝と夜の二色しか食べない。学園や王都の方になると三食取っているようだがこのオイスター領はそれほど豊かではないのだ。俺は日本での暮らしに慣れていたので三食食べたいとサラミナに無理を言って用意をしてもらっている。もちろん、ユリアも一緒だ。
そんなユリアは先程のやり取りも気にしていないのか俺の方見てにこっと笑っている。何が楽しいのかは知らないが楽しそうで何よりだ。
「楽しそうだな」
「はい。ユーフェ様と共にいるだけで楽しいですよ。新しい物をたくさん知ることができますから」
「そうか。そりゃよかった。それよりサラミナの様子がどこか変だったが心当たりはないか?」
「いえ、特にはないですが。大方、私と話せていないからではないのでしょうか」
「それだけ?」
「はい、その、いつもユーフェ様のお話ばかりしているものですからユーフェ様に疑いを持っているのだと思います」
「疑い?何の疑いだ?」
そういえば、サラミナと会った時、ユリアと手を繋ぎっぱなしだったなと思い出した。もしかしたらたらしこんだと思われたのか? それならそれで何か言ってきてもいいものだがよく分からない。俺とユリアが婚約しているというのは知っているはずなんだかどうしてだろうか。
「私が側にいるように強要しているだとか洗脳だとかでしょうね。お母さんからすると私がいつも一緒にいるのが不審に思えるのでしょう」
「何とも言えないものだよ。当たらずとも遠からず、だな」
「え、私に何かしていたんですか?」
「状況がそうしたと言うべきか。俺が伯爵を殺したことがきっかけになっただろ? あの夜の日の誓い」
「そうですね」
「それと俺の言葉だ。吊り橋効果、というのがある。要するに俺が気になりやすい環境ができあがったわけだ」
「んー、そう言われるとそうかもしれません。ですが、そう聞かされても気持ちがすぐに変わることはないと思います」
「本人にそう言ってもそうなる場合が多い。むしろ、ムキになって燃え上がる方が多いんだ」
「ユーフェ様は私が洗脳に近い状態にあると考えているのですか?」
「洗脳、まではいかないが縛り付けている自覚はある。俺ははっきりと俺の物にしたいと言ったからな。ユリアはそれを受け入れてくれたけど」
「それは杞憂ですよユーフェ様。私は確かに世話係はお母さんに言われてやるようになりましたがあの時のあの答えは私自身が出したものです」
「……何かユリアには勝てそうにないや。俺って結構自己評価が低いからそう思っちゃうのかもな」
「ユーフェ様はちゃんと私を大事にしてくれていますよ。私が幸せなのですから保証します」
「それならいいんだが。ありがとう、ユリア」
「どういたしまして」
昼ご飯を食べ終えて眠くなってきたので俺はユリアに一言言ってから眠ることにした。穏やかな日差し差す今日はぐっすりと眠れそうだと思いながら俺は目を瞑った。
※※※※
ユーフェ様が眠られてから私はその寝顔を飽きることなく見ていた。ユーフェ様は転生してきたとあの日言われた。生まれ変わる人がいるなんて私の小さな世界ではきっと知ることができなかったはずだ。それが例え、例外だとしても。ユーフェ様と出会ってからたくさんのことを教えてもらった。四則計算、雨や雪が降る現象のこと、日本語に魔術の使い方までそれはもう面白く感じた。
そう、毎日が輝いて見える。いつの間にか本当に惹かれて一緒にいるだけで幸せになれる存在になっているのを知った。改めて私はユーフェ様に感謝した。新しい世界をくれたのだから恩返しはしたい。ユーフェ様が言っていた吊り橋効果は確かにそうかもしれないと思わされた。だが、それでもなお、好きだという気持ちには変わりない。この気持ちは私が自分で決めて手にしたものだ。
「私は、幸せですよ。本当ならもうここにいなかったのですから」
あの日ユーフェ様が手を汚してまで手にした物が本当に私で良かったのか。そんなことを思うことがある。私は助けてもらった身であり、そんなことは考えなくてもいいかもしれない。私の身はもうユーフェ様のものであるのだから。けれど、考えてしまうのだ。私にそのような価値があるのか、と。私には父と母に褒められる容姿しか持つ物はないと思っている。それしかないのだ。容姿だけの私はきっといつか容姿とそれ以外を持つ物に取って変わられる程度の存在でしかない。不安は大きくなるばかりで心が休まらない。恋とは本当に難しい。好きな人に優しくされるだけで幸せになれるのだから自分は案外安い女、という奴かもしれない。だが、本当ならばもっと大変だったかもしれない。学園で出会っていればユーフェ様の周りにはたくさんの女の子がよってくることが想像できる。本人はそれ程容姿に自信はないようだけれど、そんなことはなく、それ以外もとても頼りになるお兄さんのような存在なのだ。
物思いに耽っていた私がふと、顔を上げるとお母さんの姿があった。いつからそこにいたのか、顔を上げるまで気付かなかった。気配すら感じさせないのは流石熟練の従者と言ったところか。一瞬、気まずそうにしたがすぐに笑顔を浮かべた。
「あなたはユーフェリウス様が好きなのね」
「はい。いつの間にかそうなっていました」
「そう……本当はあなたには生まれる前から許嫁がいたのよ。それなのにあなたがいきなり、あんなこと言うからびっくりしたわ」
「今ではいい思い出です。あの時の直感は間違っていませんでした。ユーフェ様は優しく、賢い方です。これからすごいことを成しますよ」
「後悔はしていないのね」
「はい。ユーフェ様といれば幸せになれます。その気になれば成り上がることができる方ですから」
私はそう母に言った。私しか知らない秘密があるのでこう言っても信じられないかもしれない。だが、それでもいい。何より信じるのが私であればそれでいいのだ。私だけが分かっていれば何も問題はない。ユーフェ様の優しさに触れながら生きるために私は私ができる努力をする。
母は何か悟ったのかそのまま部屋を出ていた。後には私と寝息を立てて眠るユーフェ様だけが残された。
あの日から四年、そして春の日のこと。平穏な日々はただなだらかに続いていく。私はユーフェ様の隣でそのぬくもりを感じながら眠りについたのだった。