祖巫女奪還
街へと無事に入ることはできた。伝令らしき者は来ていないことから一人残らず殲滅できたと見て間違いない。これは朗報であろうことだった。
そんな嬉しい出来事など、街の中を見た途端に吹き飛んだ。隣に並んでいたレティは身震いをしてるのを見て静かに俺の手を握ってきた。
「ぼくは幸運だったんだね」
「あれを見たら誰でもそう思うだろ」
目の前には奴隷がいた。いや、いるのはいい。だが、その有り様が酷かった。道行く奴隷は鞭を打たれている。体から血が飛び散り、苦痛に喘ぐ。荷物を落とせば蹴り飛ばされる。ただ悲惨としか言いようのない現実が広がっていた。
吐き気がした。でも、現実だ。目を反らす訳にはいかなかった。この世界は本当に愚か者しかいない。クレバスの奴隷などまだマシだ。色んな感想が溢れそうになったが俺は考えるのをやめた。
「行こう。気分が悪い。絡まれるのも嫌だな」
「うん。ぼくは隠れるよ」
奴隷の悲鳴が聞こえる中、平然として歩く人達を見て俺はこれが日常になれば反応すらしなくなるのかと思った。当たり前だからこそ、見向きもしないのだ。そして、自分の身に降りかかった時に嘆く。
宿のある通りを通る。そこからは少女らしい喘ぎ声が聞こえる。やめて。たった一言がやけに悲しく感じた。性奴隷というのは確かに存在する。クレハス王国では規定された年齢以下の人は性奴隷扱いはできないことになっている。この国はどうかしている。そう思わせる街だ。
宿の通りを抜けて、スラム街付近にやってきた。そして、襲われた。
「死ね!」
「レイジボール」
子供がナイフを持って突っ込んできたので吹き飛ばした。壁に激突してそのまま気絶した。周りから人の気配が消えた。
スラム街で舐められれば襲われる。人を見る目がなければこういう目に合う。そんな奴は死んでも仕方ないと放置される。少年は持っていたナイフを奪われ、そして捨て置かれた。
「酷いね。こんなことがあるなんて」
「どれも本当のことだ。俺には、救えない」
「ユーフェ兄……」
握られる手が強くなった。俺はこれだけ力を持っても赤の他人までは救えないのだ。俺の限界であり、俺はそれを越えようとはまだ思わない。周囲さえ守れれば充分だから。結局俺には破壊する力しかないのだ。
そうしてスラム街を抜けて、空白地帯がやってきた。いや、無法地帯と言うべきか。厳つい顔をした傭兵が戯れている。そこは命を奪い合う場所になっていた。傭兵は金を掛けて命を奪い合う。そして、新たなる人が来れば、これ幸いとたかりにくる。そういった感じだろうか。
目の前にやってくる傭兵は誰も彼もがギラついていて、尖っていた。剣を抜いて襲いかかってくる。体術でいなし、一人を気絶させる。剣を奪い、俺は傭兵達を二、三人斬り伏せた。それだけで傭兵達は引き下がっていった。傭兵は勝たない勝負はやらない主義だ。だから、負け戦には乗らないのだ。
「今度誰か一人でも襲いかかってこればこの場にいる全員を殺す」
俺の宣言に傭兵達は端によって俺から遠ざかっていった。後は、領主がいる屋敷のみだ。俺は堂々と歩き、屋敷へとたどり着いた。
屋敷は至って普通のどこにでもある貴族の屋敷だった。俺は剣を投げ捨ててから鐘を鳴らした。しばらくすると執事らしき人がやってきて扉を開けてくれた。
「ようこそ、クライセン邸へ。どのようなものをご所望で?」
何かここに来たことで交渉できるのだろうか。ならば、ここは素直に言えばもらえるのか。可能性はないが言うだけならただ言ってしまおう。
「銀狼族を」
「……畏まりました」
ピクリと眉を動かした執事らしき人物はそのまま着いてこいとばかりに歩き始めた。俺はその後に続く。レティの手を握っている感覚を確かめてから屋敷の入り口を跨いだ。
中も普通の貴族らしい権威を引き立てたものだった。これだけあくどい経営をしておいて、自分は普通に暮らしているとは思えない。俺の考えすぎなのかと疑問に思ったが口には出さなかった。
一つの部屋に案内され、中に入る。中には銀狼族が結界の中で眠り込んでいた。執事は一礼すると領主を呼んでくると言って出て行ってしまった。
「何というか拍子抜けだな」
「そうだね。でも、これで目的は達成できそうだけど」
「結界が解けるならな」
「ユーフェ兄はできないの?」
「術式が複雑すぎる。俺のイメージより複雑だから無理だ」
結界の術式は強固であり、とてもではないが人が生み出せる物ではない。ならば、祖巫女とやらは神の力を継いでいるのかと言われればそうではない。神の力を感じたことはないので一概には言えないが。
「ともかく、触らない方がいい。俺のように何かから魔力を受け継いだんだな」
「確か狐の記憶が手には入ったって言ってたよね」
「それと同じなんだろう。もしかしたら銀狼族には何かロックが掛かっているのかもしれないな。条件が満たせばそいつが祖巫女になるんだろう」
「よく分からないけど、持って帰れないんじゃ仕方ないよね」
俺とレティはどうしようもないと肩を竦めた。
それからしばらく悩んでいるとこんこんと扉を叩く音が鳴る。それから数秒してから扉が開いた。入ってきたのは俺より十程年上の男だった。
「やぁ初めまして皆さん」
「……領主じゃないだろ」
「何でそう思うんだい?」
「領主は癇癪持ちのクズ野郎と聞き及んでいる。お前ではイメージが違いすぎる。お前はさしずめ、爽やかイケメンクソ野郎だ」
「何か褒められてる気がしないけど、まぁいいや。正解だよ。僕は領主じゃない。領主代理かな。兄さんが領主なんだ」
「それで代わりに来たというのはどういうことなんだ?」
「できれば兄さんを殺して欲しくて」
「よし、連れてこい。殺してやる」
「即断即決! いや冗談で言ったんだけどね」
「冗談で済むか。この街の有り様はなんだ。悪魔の住む街でもああならないぞ」
「僕の兄さんは奴隷を虐めるのが趣味でね。だからああなったんだよ」
諫めても僕の言葉は聞いてくれなかった。領主の弟はそう言って諦めた表情を浮かべた。
それから兄の非業を語り始めた。初めは奴隷を鞭打つだけであった。それが陵辱に変わり、拷問になり、陵辱、拷問、鞭打ちの順にやるようになった。人が変わったように悪魔のようなことをするようになったと領主の弟は語った。聞いてて胸糞悪かった。俺はそんなことを聞きに来た訳ではないのだ。
だから、俺はキレ気味に言った。
「……自分の手でやったらどうだ?」
「できるんなら人に頼んだりしないよ」
じゃあ頼んだよ。そう言って部屋を出て行った。領主の弟という男は諦めた表情をしていた。一度実行に移したができなかったということか。
世の中には人を殺せない人もいる。それが領主の弟だったのだろう。家族だから殺せなかったのかもしれない。
人を殺すのも楽ではない。というより殺したくは無いんだがどうしてこうもこの世界はクソ野郎が多いのか。俺には理解できない。そうでなければ兵士達を殲滅なんてしなかったのだ。
未だ眠りについたままの祖巫女を眺めながら俺はその男を殺すための罠を屋敷に配置する為に魔力を放出する。
その途中でレティの声が上がった。
「ユーフェ兄、見て」
「なんだ?」
レティが指差す先を見ると結界が壊れかけていた。だが、まだ何か足りないのか完全に壊れる様子はない。俺は何か見落としている気がした。俺が魔術を設置して初めてからこの現象は起こった。ということは魔力が原因か?ならば、これならどうだ。
俺はありったけの魔力をその場で解放した。結界が音を立てて壊れる。中から祖巫女が出てきて、むくりと起き上がって一言呟いた。
「……ん、おはよう」
「おはよう。突然だが一緒に来てくれるか。ユウリさんが待ってるんでな」
「うん。お母さんのところ帰る」
寝ぼけているのか俺の腰に捕まってすぐさま眠ってしまった。
「どうしよう?」
「さぁ?」
それから二時間後に街を出ることになった。




