街の中の出来事
酷く苦しい。その感じがだんだんと強くなっていく。周りには誰もおらず、ただ一人俺だけがうずくまっていた。景色はなく、黒一面の世界で俺は胸を抑えて、助けを求めていた。声を上げて叫ぶが誰も反応してくれず、誰も来てはくれない。孤独が心に押し寄せ、俺の心を蝕んでいく。
「はは、寂しいな」
ふと、声を上げるとようやく外からの声が聞こえるようになってきた。誰かが呼ぶ声、自分を慕ってくれている人の声が聞こえる。この黒の世界では己の名前すら忘れ、またその声の主の名前すらも忘れている。だが、心に暖かいものが流れ、感じるのだ。それは俺の隣にいてくれる存在であり、唯一孤独を癒してくれる存在なのだと。
光が溢れ、体が浮上していくのが分かる。それと同時にこれが夢なのだと理解できた。俺は浮上するのに任せてそのまま目を開いた。
目を開くとまずユリアと目があった。それはもう長至近距離である。小さく小刻みに震えながら、顔をだんだん赤くしていき、涙目になりそれでもまだ俺はユリアを見つめていた。
「お、おはよう、ユリア」
「お、おはようございます、ユーフェ様」
遂に涙がこぼれ落ち、ユリアはそのまま泣き崩れてしまった。いや、流石にそれはないだろうと思いつつも、ユリアもついに年頃になったのかなと思った。
暫くしてようやく立ち直ったユリアはまだ恥ずかしいのかそのまま部屋を出て行ってしまった。後でうまくフォローできればいいが。
しかし、状況から見て俺にキスでもしようとしたのは分かるが果たして本人が話してくれるかどうか。ここは敢えて知らぬふりをするべきだろうか。それがユリアの為になる気がするが俺も理由だけは気になる。結局、話してくれるのを待つしかないんだよな。
「何か俺が配慮できてなかったか?」
俺の精神年齢は前世を合わせると二十一歳だ。だが、恋愛経験はない。だからこそ、分からないことがあるのかもしれない。それならば、早々に解決してやりたい所だが原因が分からないのであればやりようがない。時が解決する類であればいいのだが。
考えていても仕方ないので着替えることにした。今日は父様と共にお出かけだ。前回はあれだったが今回は最後まで付き合おうと思う。俺が何かできるわけではないが偶には父親に付き合うのもいいだろう。と、言ってもただ街に向かって買い物するだけなのだが。
部屋から出るとユリアが入ろうか入るまいかで悩んでいたようで扉の前にいた。俺を見た瞬間にあたふたし出してとても面白い状態になった。だから、俺はおもいっきり笑ってしまった。
「あははははは。ユリア、何してんだ?」
「む、むぅ。ユーフェ様は酷いです。いたいけな少女を見て笑うなんて」
「自分でいたいけなとか言うなよな。ほら、行くぞ。今日は街に向かう日だからな」
「は、はい!」
しかし、今日は余程慌てていたのかユリアは髪を下ろしたままだ。いつもはツインテールにしているのだが髪を下ろしているのもいい。銀色の髪が光に反射してキラキラと光るのは幻想的で俺はとても気に入っている。ハスターもサラミナも銀髪ではないのだが先祖還りって奴なのかね。綺麗なのだから文句は一つも無い。暫くは何も言わずにおこう。その方が長く楽しめそうだ。
外では既に父様が馬車を用意して待っていた。楽しみが過ぎたのかそわそわしている。この父様も息子好きで仕方がない人なのだ。
「父様、お待たせしました」
「おう、ユーフェ。それじゃあ行くか」
「はい。では、母様行ってきます」
屋敷から出てきた母様に頭を下げる。
「ユーフェちゃん、気を付けてね。何かあったらカナルに言うのよ」
「大丈夫ですよ母様。ユリアが守ってくれますから」
「はい!命に代えてもお守りします!」
「母様、前言撤回するよ。このままじゃユリアが死にそうだ」
母様は俺の言葉に笑って頭を撫でてくれた。ユリアは不満そうだったが死なれては困るので置いておく。俺が守った命は俺のために捨てられるほど軽いものじゃない。幸せになってもらわないと困る。それが何よりも俺が決めた大前提なのだから。
そして馬車に乗り、手を振って数日の別れとなった。馬車に乗った余分な荷物に気付くのは街まで後少しのことだった。
検問が見えてきた頃、もぞもぞと荷物が動くのが見えた。俺は何か嫌な予感がしたので魔術でユリアの周りに壁を張っておいた。透明なのでユリアにも分からない。これで何かあっても大丈夫だろうと俺は前を向いた。案の定、というべか後ろからきゅべっという何かにぶつかって潰れる音とユリアが驚いてその人の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「サリオ!」
「よ、よう!ユリア、会いに来たぜ」
俺は少し気障なセリフにいらっとしたので壁に帯電効果を付与しておいた。そして、ものの見事にユリアに触ろうとしたので電流が流れてサリオはそのまま後ろへと倒れ伏した。ざまぁみろと心の中で罵りながら溜め息を吐いて振り向いた。……割と俺も傲慢な部分が表に出てきている気がする。
「ユリア、ほうっておけ」
「大丈夫でしょうか?」
「男はそう簡単に死なないものなんだよ」
嘘だけどな。そんな言葉を胸にしまい、俺はユリアの膝に頭を置く。ぐぬぬとかいう声が聞こえるが気にしない。感電しまくっている男がいるが気にしない。気にしないったら気にしないのだ。
その後、検問を通り抜けてようやく父様もサリオの存在に気付いたようで困った顔をしていた。一応日帰りできる場所なので一緒に来ることになった。
「ユーフェ、サリオくんとは仲が悪いのか?」
「まさか。一方的に目の敵にされているだけだよ。ほら、生前に決められた婚約の話、ユリアがああ言ったから齟齬になっちゃったからさ」
「あ、ああ。そうか。まぁあまり喧嘩はするなよ。父さんも昔、ミナのことで色々あったからな」
そう呟く父様は疲れた表情をして遠くを眺めていた。美しい妻を娶るにはそれ相応の苦労が必要なのだろうか。俺にはよく分からない世界なので聞かなかったことにしよう。そもそも俺は恵まれすぎているからそんなことにはならないはずだ。
ユリアの方を見るとサリオが必死に話しかけているのを無難に流している姿が見えた。こう見えると意外とお似合いなのかもなとか思ってしまうのは俺が自己評価が低いこともあるのだろう。俺が魔術を無詠唱でできるのも前世の記憶があるからで何も俺が賢い訳ではない。まぁ関係ない可能性もあるわけかもしれないが。確かにこの世界の学習レベルからすると天才なのだろうがそれも前世の記憶があるからだ。それがなければただの平凡な男だ。
ラノベには生まれ変わり、チートを駆使して生きていくなんてものがあったが俺にはそれらしいものはない。魔力も自分で上げているし、チートもない。唯一得している点といば生まれながらに理解者兼婚約者ができたことだろうか。
ふと、ユリアと視線があった。銀色の長い髪は綺麗でその身に包むメイド服はちゃんと着込まれている。目がうるっとしていて甘えてくるようなその瞳は男を誑し込むには充分な効果がある。そして、顔立ちもよく、微笑まれたら一目惚れ間違いなしだ。完璧な可愛い子という俺のイメージは間違っていないだろう。その上、頭もよく、どこに出てもそつなくこなして行くこと間違いない。ユリアは引く手数多な存在であるのだ。
「ユーフェ様、行きましょう」
「まぁお前がいいなら行こうか」
「おい、無視するなよ」
「父様、帰ってきてください。今日は何を買いに行くのですか?」
「ん? あ、ああ。済まない。今日はお前に社会勉強をと思ってな。お前は賢いから理解できるだろう。着いてこい」
父様は急にきりっとしたイケメン顔で歩き始めた。実際道行く人が振り返る程度には父様はイケメンだ。誇らしいかどうかはご想像にお任せしよう。
街の中は至って普通であった。店が並ぶ商店街、冒険者ギルド、魔術師ギルドがあり、所々に屋台が並び美味しそうな匂いをたてている。サリオはそれを時折、羨ましそうにみながら後を着いた来ていた。ユリアは従者の鑑と言っても過言ではないほど、従者らしく、俺の後ろに控えていた。こうして歩いていると俺は一応貴族の息子なのだなと思うことができる。貴族は貴族でも名誉貴族の小領主の息子なのだが。
そうして連れられ歩いてきてたどり着いたのは如何にもな雰囲気がたつ店だった。ソナーを発動してみると人がたくさんいる。そう、ここは。
「ここは奴隷商だ。今日は奴隷を一人買いにきた。お前に一人付けてやろうと思ってな。冒険者には危険が付き物だ。一人でも信用できる人間で固めた方が安全なんだ」
「それで奴隷ですか。俺はあまり好きでは無いのですが」
「そうか。だが、あるものは無いものとしては扱えない。受け入れるしかない。変えたいならお前が変えろ」
「父様、急激な変革は波乱を産むものと本にありました。魔王が倒れた後、軍人が割を食うように奴隷を解放しても働き口がないのですよ」
「そうだな。この世界の賢い生き方は流れに身を任せることだ。力こそが正義な部分が多いからな」
父様はまた遠い目をしてそれからすぐに現実に戻ってきた。
「ともかく、奴隷を買う。お前の今後のためにな」
「ありがとうございます。では、入りましょう」
奴隷は物と同じだ。それは人が物として扱われるその商いはとても人がやっていい商売とは思えない。悪魔がやるべき職業だろう。だが、人は欲のためならばその程度のことは平気で行う。それが現実であり、それが真実だ。
俺が奴隷を嫌うのは人を物として扱うからだ。別に今更倫理観を問いたい訳ではない。俺はもうすでに人を殺していてそんなことを言えるものではないと思っている。だが、罪があるのならともかく、口減らしや借金で奴隷になった奴まで貶めるのは何か違うと思うのだ。所詮、俺の言い分であり、この世とは反対の意見だから受け入れられようもないのだが。
いずれ、少しでも解決できることができるならやってみてもいいかもしれない。せめて、種を撒くくらいはしてみたいものだ。……覚えていたらな。
父様が開けたドアに入ると目に入ったのは檻に入れられた人だった。綺麗にしていないのか襤褸布を纏ったまま汚れている。父様は奴隷商に話しかけた。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなものをお探しで?」
「この子の勉強のために一つ選ばせたいと思ってな。そうだな……同年代の子を連れてきてくれ」
「畏まりました。では、すぐに準備してまいります」
奴隷商はすぐの中に入っていった。サリオはすごくショックを受けたようで檻の中に入れられた人を見ている。
「なんで人が……」
「お前は人が中に入ってるのが不思議か?」
「あ、ああ。どうしてなんだ?」
「こいつらは様々な理由で檻の中に繋がれて商品として売られている。村からの口減らし、借金返済のため、犯罪を犯したから、人攫いに売られてなど様々だ」
「お前は何で平気なんだ? 人が閉じこめられているのに」
俺は黙ったまま、檻に入れられている人々を見た。その目には絶望が灯っているし、中には色目を使って買われようとする人もいる。そして、中には憎悪を向けてくる人も。
奴隷とは確かに悪い制度かもしれない。だが、それで世の中が回っているのだから仕方がない。奴隷がいるからこそこの国は成り立っているのだから。それを変えたいなら国を建てて戦争をして属国にするくらいしか俺の頭には思いつかない。それも所詮は浅知恵からくる考えなのだが。
俺はある意味でこの世界の人ではないのでサリオの言い分は分かるつもりだ。けれど、郷に入っては郷に従えという言葉がある通り、受け入れるしかないのだ。だからと言って素直にそのまま奴隷を本来通りに扱ってやる道理もないが。
「お前は奴隷がなくなることで起こりうるデメリットを考えたことがあるか?」
「でめりっと?」
「ああ、悪い。不利益なことという意味だ」
「悪いことなんかないだろ。奴隷がなくなるんだから」
「奴隷が解放されるデメリットはいくつもある。労働力の低下だ。今まで奴隷にやらせていたことが奴隷がいなくなることでできなくなる。次に治安の悪化。奴隷を解放したはいいが元奴隷というだけで雇ってくれる奴はいない。奴隷は人ではなくモノという認識だからな。いずれ、スラムにいきつく。そして、盗みや殺しを行うことになる。他にも色々ある。探したらきりがない」
「そんな……じゃあどうしたらいいんだよ」
「それは俺には答えられない。個人によって考えは変わる。ただ奴隷を解放しようなんて奇特な奴は真っ先に潰されるぞ。出る釘は打たれるんだ」
サリオはそれ以降喋らなかった。父様は何やら思うことがあるのか考え事をしている。ユリアは俺の後ろで何も言わない。俺のことを分かってくれているからだろうか。
俺は奴隷は嫌いだ。そもそも俺の考えの基本は日本にある。殺人こそ厭わなくなってきているがそれでも罪悪感は感じることがある。人を物のように扱うのに忌避感がある。ラノベにあるように奴隷ハーレムウハウハとは普通はならない。あれは本当に夢を描いた幻だ。現実の奴隷は大抵が死んだ目をしていて心が壊れ掛けている。ただの人形と言ってもいいかもしれない。
何かを変えようと思うならば自分から変わらなければならない。それがサリオにできるなら今後変わることだろう。世界が許容するかはサリオ次第だ。
「ユーフェ様はどんな人を買われるのですか?」
ユリアが声をあげたのでサリオも父様もこちらを向く。サリオは複雑そうな顔で俺を見ている。俺が望む奴隷、か。確かに今まで考えたことはなかった。欲を言うなら戦える奴隷だが俺と同年代ならいないだろう。だとするならば一から鍛えるしかない。そして、鍛えるならどんな能力が必要になるのか。普通なら前衛と言いたい所だがそれはいずれ俺がやるので却下だ。ならば、斥候はどうだろうか。偵察、情報収集何でもござれ。要するに裏方だ。俺には常識がない。ユリアも俺に毒されているので疎い。ということは物覚えがよく、身軽な奴がいい。それならば、街中に自然と溶け込める事だろう。
「まぁ内緒だ。いずれ分かる」
「お待たせしました。こちらになります」
出てきたのは3人。男、男、女だ。一人目は片腕がない。死んだ目はもう絶望に溢れかえり、もはや戻ることはない気がする。二人目はそれなりに健康そうな少年だ。こちらも目が死んでおり、反応がない。三人目は少女だ。特に何かあるわけではなく、見た感じ魔力が子供にしては多い位が特徴だろう。
奴隷商は手を擦りながらこちらに笑みを向ける。
「男二人は農民の出、少女の方は騎士の子供です。お勧めは騎士の子供ですね。三万コルでいかがでしょうか」
白金貨三枚か。俺は少し眺めてから奴隷商に聞いた。
「騎士の子供というが騎士は有名だったのか?」
「いえ、無名ですよ。名前は確かフィアー・ハイドですね。本人から聞いたので間違いありませんよ」
ここまで露骨に聞こえるのはおかしくなってきて俺はつい笑いそうになるのを堪える。怖い影とはこの世界には名前に意味を持たせることがあるのだろうか。いや、そんなことはまずないはずだ。気に入った名前を付けるというのが多い世界なのだから。
俺が求める斥候役に適した奴だと名前だけで決めるのは安直だがこういうのはあまり期待せずに買う方がいい。別に外れても世話係にすればいいだけの話だ。
「言い値で買おう。騎士の娘だ。名前はなんと言うんだ?」
「レティですよ。毎度ありがとうございます」
そうして手続きをして奴隷商を後にした。首輪で繋ぎ止められた人はただ絶望するのみだ。それは売られる過程で大抵が絶望しているからだ。レティという名の少女はあまり絶望している風には見えなかったが何かあるのだろうか。いや、考えでも仕方ない。父様は他にも買い物があるようで先に馬車で待っているようにと言われたので馬車の中で待つことにした。
サリオは何も言わず、ユリアもまた何も言わない。レティと呼ばれる少女は何も話さない。奴隷だから当たり前か。そんなことを思っていたらレティに話しかけてきた。
「ご主人様は何故ぼくを買ったの?」
「お前の親の名前に意味を見たからだ」
「名前の意味?」
「恐れられる影。それがフィアー・ハイドの意味だ。まぁ意訳だがな」
「それが父さんの名前?」
「そうだ。俺はお前に影になることを期待している。どんな形でもいい、なってみろ」
「……よく分からないけどご主人様がそう言うのだったら」
今はまだ斥候云々は話さなくていいだろう。いずれ話す機会がくれば話すことにしよう。早く帰って体を綺麗にしてやらないと。
父様の用事が終わり、馬車に乗って街を出る。サリオは何やら思うことがあるのか終始黙したままだった。対して俺はユリアと魔術について話していた。実践はできなかったがこうして話すだけでも想像力が膨らむ。イメージが大事なのは魔術でも物事を考える事においても同じであるからな。
日が暮れる頃にはオイスター領に辿り着くことができた。サリオはこっぴどく叱られているのを見て、ざまぁと笑ってやったら顔を真っ赤にしていた。ユリアには大人気ないと言われた。だって、俺は子供だもんと言い訳したら頭を撫でられた。ユリアに頭を撫でられるのはいいかもしれない。是非、また今度頼むとしよう。
いや、これは子供扱いされてるのでは? 今更何も言えない俺だった。




