01-oppression
平和などありはしない。真実の正義などありはしない。親切など所詮見せかけだ。善など偽善に過ぎない。正しい事などない。模範が本当に模範になるとは限らない。
世の中に平和が存在すると思うのなら、続きを読む事は勧められない。単純な事だ。この世界に平和などないんだから―――たとえそれが学校だったとしても、ね。
×××
「月羽、オイお前! なんだよ聞いてんのかよ? こっち向けやオイ」
赤髪の少年が黒髪の少年の頭を叩いた。学生寮の一室で、二人の生徒は向かい合うようにしてテーブルをはさんで座っているが、黒髪の少年は赤髪の少年ではなく、彼の後ろの壁を眺めるような目をしていた。
「聞いてる聞いてる。頭叩かないでよ」
どうも眠そうな声で月羽と呼ばれた黒髪少年は返す。焦点が合っているのか合っていないのかまるでわからない真っ黒い瞳を赤髪少年へ向けると、月羽はへらりと笑う。
「――で、なんだっけ?」
「やっぱ聞いてなかったんだな!?」
赤髪少年はバンッとテーブルを叩いて抗議する。月羽はへらへらした笑顔を崩す事なく、赤髪少年を眺めていた。
「なんだっけ、君の想い人の榊沙希ちゃんの話だっけ? あの子可愛いよね、目ぇ大きいし髪はいい匂いするし」
「んなっ……違ぇよ!」
「顔赤くしちゃってもう~、好きなんだろ、好きなんでしょ?」
「違うっつってんだろ、違う」
首を振って赤髪少年が否定すると、月羽は可愛らしく小首をかしげて見せると自分の顔を指さす。
「じゃあ僕? ほらほら、カツラつけると女の子だよ?」
「俺はゲイじゃねぇっつーの! 秋原のことだよ」
話が切り替わり、月羽は「んー?」と首を傾げる。
「校則違反やっちゃったんだっけ? そういえば最近見てないねぇ~」
暢気極まる口調で、月羽は返した。ぼんやりと天井を見やり、彼は顎に手をやる。
「戻ってこないとかないよな……?」
赤髪少年の言葉に、月羽はきょとんとする。何度か目を瞬かせ、やがて納得したように指を鳴らす。
「秋原君と君は仲良かったもんねぇ。しかも最近は校則違反者が増えて、学園の人数どんどん減っていくし? そりゃー不安にもなるよねぇ」
月羽が思い出すのは、クラスメイトの秋原という少年だった。ややヤンチャが過ぎるが、その明るい性格でクラスメイトからの人気は高かった。――その秋原少年は、この一週間近く学級に顔を出していなかった。彼は目立つので、学園に顔を出しただけでも軽い噂となって月羽や赤髪少年の耳に入ってくるのだが、それが全くなかった。
停学処分を受けているだけならば寮に居る筈だ、と赤髪少年は秋原少年の部屋に足を運んだらしいが、其処に彼の姿はなかったのだという。ルームメイトに話を訊いても、知らないと首を振られてしまったらしい。
「停学になってるなら、理事長と話してるってこともありえるし? 学園から居なくなったと考えるのはちょーっとだけ早とちりが過ぎるんじゃないかな、進藤君」
「進藤じゃねえって何回言えば……だーかーらー、俺は佐々木だ。わざとだろ、覚える気ねぇだろお前」
「あると言えば嘘になっちゃうね~。あはは、いいじゃないか。進藤君でもさ。――秋原君だって面白がって進藤って呼んでたじゃないか」
月羽が何の気なしに言った言葉に、進藤――否、佐々木は顔を伏せた。それにトドメを射すように、月羽は続ける。
「校則を破った人が悪いんだ――君が気に病む事じゃあないんだよ」
「なんなんだよ……! 俺が何したからこんなトコに入れらんなきゃなんねぇんだよ!? なあ、月羽ぇ!!」
「うっせぇんだよさっきからよぉ。てめぇが校則破ったのが悪いんだろうがよ、ぎゃあぎゃあ喚いてんじゃねぇ」
暗い部屋のなか、少年が二人。叫ぶ少年は壁に鎖で張り付けにされているが、もう一人の少年は暢気にゲームに勤しんでいた。
「たった一回だろうが!? それになんなんだよてめぇ――クラスメイトだろ!? なんでンな事――――ッ!?」
「黙れ煩い声帯を震わせるな唇を動かすな音を発するな俺の鼓膜を振動させるな衝撃を発するな空気を揺らすな鎖を動かすな――静かにしてくれよ、秋原」
「…………なんなんだよ、お前……ッ! お前にこんなことされる言われはねぇよ……」
微かに震える拳を握りしめ、目の前の少年――月羽に訴える。だが月羽は聞く耳など持っていないようで、彼の言葉に耳も貸さず、目の前の携帯ゲームに熱中している。――ふざけるな、と秋原が呟くと、彼の頬を掠めてナイフが壁に突き刺さる。
「なぁ、俺はお前に黙れと言ったんだが。……お前に耳はついてねぇのか?」
「……!」
秋原の頬を冷や汗と血が伝う。蒼白になってしまった彼は、目でナイフを月羽を交互に見やった。張り付けにされている彼に動く術はない。両腕は壁に固定され、足には鎖に繋がれた鉄球。動きようがなく、動こうものなら今度こそナイフが自分に突き刺さるかもしれない――秋原はそこまで思考を巡らせて、顔を伏せた。
「進藤――いや、佐々木登也からの伝言を預かってるが――まあ独りごとだし、貴様が聞く必要もぶっちゃけないし、軽く聞き流しゃいい――」
佐々木登也、その名前に秋原は顔を上げた。親友と言っても差し支えない存在に、一週間近く会っていない秋原は、人に餓えているといっても良かった。
そんな秋原の様子を知ってか知らずか、月羽はゲームから顔を上げて彼を景色でも眺めるような焦点の定まらない目で眺めた。
「また遊べねぇかな、だとよ――とはいえ、校則違反者の末路は既に決定しているがな。……なぁ、わかるだろう? これからどうなっちまうかくらい、予想できるよな?」
ほんの数メートルしかない月羽と秋原の距離は、月羽の一歩によって劇的に縮まる。ほんの数十センチとなった距離に、思わず秋原は喉を詰まらせた。彼の顔はところどころ掠り傷や切り傷がみられ、赤黒く汚れている。すっかり恐怖に染まった彼の表情を見た月羽は、愉快だとばかりに哄笑をあげた。
「――くはっ! まあ、何も俺は選択肢は一つだけ、なんて言ってねぇさ。ちゃーんと二つあるんだ。選択の余地はあるぜ?」
秋原の前でピースサインを作った月羽は、「二つ、な」と口の端を歪める。
「とはいえ、どっちも碌でもない選択肢には変わりないな」
「……なんだよ」
「一つは、校則違反者として今此処で俺に殺されて、無残な死体となり果てる。どんな死体になるかは、今のところまだ考え中だから死んでみてからのお楽しみ――で、もう一つ、は――」
一度言葉を切って、数歩ふらふらと歩く。もったいぶってから、月羽は無邪気に笑ってみせた。
「俺が所属する組織に加入して、五つの学科に分かれる広大なこの翠彩学園の校則違反者をぶっ殺す。場合によっては仲間を殺す事になるかな。そう――例えば、佐々木登也とか!」
「…………最悪だぜ、てめぇ」
「よく言われるぜ」
にこにこと他人の良さそうな笑顔を見せる月羽だが、その脳は碌な事を考えていなかった。一週間ほどこの暗い部屋で“処罰”を受けていた秋原の感覚は鈍りつつあるのか、殺されないで済むのなら月羽と共に行くのも悪くないかと考え始めていた。
(……碌でも、ねぇよ)
秋原は笑い、月羽を睨みつける。
「もしも俺が、『お前と行く』っつったらどうする?」
「その時はあっさり受け入れるよ。来る者拒まずだ。まあ、去る者追って殺すが」
「……そうか」
頷く。それから、薄汚い床へ視線を落とした。
「なら――」
「なんだなんだ?」
楽しそうな月羽の表情に、釣られるようにして秋原も笑みを張り付ける。微かに覗いた白い歯が、鈍く光を反射した。
「――殺せ」