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ポーロ

作者: 笹舟

 彼はとりわけ変わっていた。円形のその広場の中にいる他の誰よりも、醜かった。そして彼はそれを自覚していた。

 教師は彼とコミュニケーションを取ろうとして、様々な方法を取った。だが彼は不釣合いに大きな顔を歪めて笑うばかりで、それに応えようとはしなかった。

 彼は時々、内側に丸まった細く小さな手からは想像もできないような力で暴れた。非生物的なまでに大きく見開かれた眼で宙をにらみ、発作的に暴れた。一度そうなるとなかなか止めるのは難しかった。教師は落ち着くようにそっと呼びかけたり、大声で叫んだりした。でも彼はそれにも応えなかった。それで殆どの場合、教師は業を煮やしてその頭を引っぱたき、乱暴に取り押さえるのだった。


 ある日彼の暴れた後で、ついに教師は彼を捨てた。

 彼は、僕の所に来た。彼は何となく僕を気に入ってくれたようだったので、僕は心底ほっとした。僕も彼のことを気に入っていたからだ。

「もし良かったら君の名前を教えてくれないか。僕はヨウって言うんだ」

彼は顔を上げた。眼と眼が合った。だが彼はそのままずっと黙っていた。だから僕もずっと黙って彼の眼を見ていた。

「ポ、ポーロ」

遂に彼は言った。歯の間から息を漏らすような声だった。

「ポーロ? いい名前じゃないか」

彼のコンクリート色の顔に細かい皺が集まった。犬歯が口の端からのぞいた。

「教師は君がポーロだって知らなかったみたいだけど、どうしてだい? 」

「きかなかった」

教師だからかな、と思った。 

 

 ポーロはボール遊びが好きだった。何故か彼のボールは歪な形をしていて、どうしてもまっすぐ跳ねてはくれなかった。あっちへ行ったりこっちへ行ったり。だが彼はめげなかった。おぼつかない足取りで、忍耐強く追い続ける。終いには見ているこちらが疲れてしまうのだった。


そこの広場は砂で覆われていた。周りには高いススキの生えた草原があって、その向こうは森だった。だけど僕は、自分たちが決してそこまで行けないことを知っていた。

 ポーロがススキを指差した。目を向けるとそこから一羽の大きな鳥が飛び立った。羽は秋の光の色。長い尾が日を透かして尚、輝いた。一瞬の後、鳥は森の木々の間に消えていった。

 大きく息を吸った。視線を落とすと、あの残照を含んだポーロの瞳があった。

ポーロは軽く首を傾げた。二三の鳥を思い浮かべたが、そのどれともまったく違っていた。全く見たことがなかった。僕はポーロに首を傾げ返した。

 ポーロは笑った。

 

 夜は白い壁に囲まれた白いシーツに寝た。病棟のように見えたし、実際病棟であるのかもしれなかった。隣にあるベッドでポーロが頭を抱えるようにして眠っている姿は、何だか痛々しい印象を僕に与えた。彼があまりにも小さく見えたからだ。空調のせいか部屋はいつも肌寒かった。僕はポーロに毛布を掛け、自分もそれを頭まで被った。閉じた目蓋の裏まで白さが染みて、落ち着かなかった。

 

 踏み鳴らす足音に眼が覚めた。ポーロの発作だった。その眼は焦点を結んでいない。掛時計が落ちて大きな音を立てた。彼は狭い部屋の中をぐるぐると駆け回った。裸足なのに、やたら大きな足音。僕は部屋を走り出ようとするポーロに跳び付いた。ポーロは信じられないような力で僕を引きずった。石質の床が大きな音をたてる。ともすると緩みそうになる腕に、僕は精一杯力を込めた。

 腕が痺れ始めた頃、ポーロから力が抜けるのが分かった。

 耳元で荒い息遣いが聞こえていた。だがそれもすぐに小さくなった。

 僕はポーロの目を覗いた。それは力を宿し、僕を見返していた。ポーロは僕を指差しながら言った。

「い、言う。分かる」

「言えば分かるって? 」

「うん」

彼は深く頷いた。

 生意気に。僕は苦笑いしながら、ポーロの額を軽くこずいた。

 

 あの秋色の鳥は度々姿を見せた。ススキの原っぱは特に気に入っているようだった。そして僕はその歩くのを、ずっと飽きずに眺めた。そしてそんな僕をポーロは飽きずに眺めていた。

「欲しい?」

ポーロは僕を見上げて問う。

「いや。欲しくは無い」

僕は考える。僕は何であの鳥にこだわるのだろう。

「憧れ、かな。自分に無いものを持ってるから」

ポーロは首を振った。答えになってない。無言の抗議だった。

 僕はそれを自分にもうまく説明できていなかった。視界に再びあの鳥を探す。

 もう、どこにも見当たらなかった。

 

 夜半、ざわめきが聞こえた。それは大勢のヒトの気配だった。僕は部屋を仕切るカーテンの隙間から外を覗った。

「ここは何?」

「ああ、そこは気違いの部屋だ。放っておいた方が良い」

冷たい教師の声。気違い?気違いですって。軽いどよめきが広がった。

 僕は息を呑み、後ずさった。

 カーテンの外にいるヒトには、目も口も無かった。ただ白いその顔の中央には鼻のような膨らみがあり、ざわめきはそこから反響する。

 僕は忍び足でベッドに戻った。毛布を頭から被り、頭蓋を掻き毟る。だがそれでも脳裏に浮かぶ平らな群像は僕を脅かしつづけた。


 中天の太陽。

 その分け前を持つ鳥。

 飛ぶ。

 高すぎる青空。

 そのさらに上を目指し

 やがて空に溶ける。

 ただ残ったのは、裏切られた憧憬――

 

 叫び声。僕は必死でその小さな背中を追いかけた。行き先には森。

 そっちは危ない。入ったらもう戻れなくなる。だがポーロは躊躇わなかった。時折奇声を上げながら、走る。腕を伸ばしたが、彼はその間をすり抜けていった。

 僕は跳び付いた。しかと抱きとめた。引きずられて足を擦り剥いた。

「行かないで!ここにいて!」

思わず叫んでいた。

タノム、イカナイデ。イカナイデ。イカナイデ。

「ポーロ!」

 ポーロ、ポーロ、ポーロ、ポーロ!

 ついに足が止まった。

有難う。僕は泣きそうになっていた。息が苦しい。

放心した彼の頭を撫でる。


「いつまでこんな気違い飼ってるんだ。捨てろ」

いつの間にか教師が背後に立っていた。

「訂正して下さい!」

即座に叫んだ。

「この子は僕の言葉を聞いてくれました。分かったんです。こんな賢いやつは居ません。この子は――」

この子?僕は彼の名前を思い出せずにいた。

ポ、ポ……。

だが頭の中は絶望的に白かった。

 振り返った。

 小さくて醜い、顔。

 泣きそうに心細い。

 増殖する頭の中の白。

 意識が遠のく。


 蝉の煩い声。上体を起こした。Tシャツの背中がべったりと張り付いていた。いつもと変わらない自分の部屋。

 僕は彼の名前をまだ思い出そうとしていた。だがそれも、こちらの世界では難しかった。

 懐にあの秋色の羽が一枚、落ちていた。窓辺からの西日に淡く光る。

 そう、ポーロ。

 ポーロが近いかもしれない。

 羽がうなずくように風にふわりと浮かんだ。




最後の部分は申し訳ありませんが、この通りの夢をぼくはみたのです。

5年ほど経ちますが、まだ覚えています。

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