黄金の人〜エルドラド
「これでよしっ!」竹本 秋恵はピカピカにトイレを掃除してから、小窓に黄色いバナナの置物を満足げに飾った。
西向きのトイレには黄色い小物がいい、と聞いたので、スリッパもタオルも黄色に変えた。
最近秋恵は家中のあちこちに黄色、金色、白、オレンジの小物を置いている。
玄関の左側には財運アップするように鏡を置いて、それはもちろんピカピカに磨き上げている。
寝室は北向きなので、さらによし。北枕で寝ても気にしない。
そう、秋恵は金運上昇の運気を家に呼び込む事に執念を燃やしているのだ。
最初は半信半疑の秋恵だったが、ナンバーズが当たり、さらに懸賞も次々と当たる様になってからはますます夢中になっていった。
今までは家の家具や雑貨にだけだった秋恵のこだわりは なんだか最近とみに強くなってきており、いいと言われるものは何でも家族にまで強要するようになっていった。
まず、嫌がる夫をなんだかんだと説き伏せて、眼鏡を金縁に替えさせた。
ネクタイや靴下も金色や黄色の入ったものを揃えた。
息子たちのお弁当は黄色い模様の入った布でしっかり包み、黄金色に輝く卵焼きも毎日入れた。
本当は息子たちの部屋も改造したい秋恵だったが 反発が強くてさすがに手出しが出来なかった。
ただ、そこに手を付けていないから願いが半ば成就出来ないんだと、すきあらば黄色の小物を飾ろうと躍起になっていた。
黄色のジャージをこっそりタンスに入れておいた時は、もののみごとに捨てられてしまったが...
掃除機のお掃除の最後に粗塩をまいて厄を落とす。
家から出る時の足は右から。爪切りは曜日を決めて。
玄関には靴を置きっぱなしにしない。
不要なものはどんどん捨てる。
洗面所使用の後は乾いた布で拭いておく。濡れたままにしない。
決まり事がどんどん増えて行った。
そしてその決まりが破られた時には 秋恵のとんでもないヒステリーが待っているのだから、家族はたまったものではない。
常に家の中は床や家具はピカピカに磨き上げられて整然としており、体に良いという食材を使い何通りものレシピで食膳を整えられ、着るものは清潔にクリーニングして一糸乱れる事なくタンスに収納されているので、完璧すぎる程完璧な秋恵に何を言っても聞く耳持たないと諦念した家族はげんなりしながらも、事を荒立てる事無くおとなしく秋恵に従っている。
秋恵は今日もラッキーカラーの白とオレンジのワンピースを着てお掃除に励んでいた。
ピンポ~ン♪
インターホンを見ると若いサラリーマン風の男が心もとなげに立っている。
「また、投資の勧誘かしら?」断るつもりで、しかしまだ若いその男の営業態度が気になって玄関に出てみた。
この春社会人になったばかりの一番上の息子の面影が 同じ歳くらいのその男と重なって親心をくすぐられた。
「あんな臆病な勧誘はないわ。もっとがっしり踏み込まなくちゃダメよ...」
「何のご用件でしょう?」秋恵はつとめて優しい笑顔でドアを開けた。
男は 勢い良くしかもにこやかに迎えられたので面食らった風に目を見開いていたが、やがてもじもじはにかみながら、持っていた鞄の中から金色に光り輝くワニを取り出した。
片手にすっぽりと収まる位の太ったざらざらしたワニだった。
「奥さん、金運アップに興味ありませんか?」
秋恵は営業心得のお説教をする事も忘れ そのキラキラ輝く金色のワニに目が釘付けになった。
「そのワニ、随分金色なのね、まるで本物の金みたい...」秋恵の頭の中にはトイレの小窓に黄色のバナナと並んでいる太った金色のワニの姿が浮かんでいた。
「このワニ お浄美堂様のお清めをいただいてます。1体1000円でご希望の方に福分けしてるのですが、如何ですか?金運上昇、財運上昇のご利益がありますよ。トイレに置くのが一番効果があるようです。」と若い男は急に饒舌になって言った。
1000円...と聞いて、秋恵はすぐさま財布を取り出しその金色のワニを買い求めた。
『この子、このワニの本当の価値を知らないんだわ。こんな素晴らしいワニが1000円だなんて!』
男からワニを受け取ると思いの外ずっしり重く、あやうく取り落としそうになった。
「ありがとうございました。Good Luckです!」男は訳のわからない事を言って満面の笑みで帰って行った。
秋恵は早速トイレにワニを飾った。黄色のバナナの横に。
トイレに入る度、秋恵はうっとりしてワニをなでた。
「これで金運上昇間違いなしだわ!大金が入ったらまず、離婚してマンションを買うのよ。それから旅行三昧だわ!!」
家族はワニを不気味そうに見ていた。
「なんでお母さんはこんな気味の悪いワニを大事にするんだろう?それに安っぽいメッキのワニなのに。」
秋恵にはワニが笑っている様に見えていたが 家族には苦悶の表情にしか見えなかった。
その日から宝くじや賭け事が嘘の様に大当たりする様になった。
秋恵はトイレに居る時間が長くなった事に気が付かなくなった。
金色のワニをなでまわし独り言を言う様になった。
「もっともっとお金持ちになって人生をやり直すのよ。金運上昇万歳!」
ある日 懸賞で旅行が当たった。
黄金の夕日を浴びながら黄金の象に乗って黄金の寺を見るプレミアムツアーと書かれてあった。
いつ応募したのかも憶えていなかったが 秋恵はすべてをキャンセルしてもこのツアーには参加したかった。
家族はもうどうでもよかった。早く黄金の象に乗りたかった。
早速パスポートを取りツアーに参加した。
そのツアーに参加しているのは25名で全て女性だった。
チャーター便で南国へ飛び珍しい建物を見て、おいしい食べ物を食べ、楽しくおしゃべりし、メインイベントの黄金の夕日を見るのを皆心待ちにしていた。
みんな金運上昇を夢見ていた。
いよいよ黄金色に着飾った象に乗り 皆で列をなして黄金の寺に向かった。
大きな川を渡っている途中、突然象が足を滑らせて川の中で転んだ。
ドミノ倒しの様に次々と象が川に倒れて行く。
象たちがやっと立ち上がった時、その背中には誰も乗っていなかった。もちろん満面の笑みの秋恵の姿もなかった...
留守を守っていた家族のもとに書類が届いた。
旅行保険金1億円 旅行会社からの見舞い金1億円 そして秋恵の加入していた生命保険3000万円の入金のお知らせ。
竹本家は金色に染まった。財運アップだ。
ピンポ~ン♪
いつかの若者がやって来た。
「お望みは叶いましたね。 ワニを返していただきましょう。」
秋恵の夫がトイレからワニを持ち上げた時 そのワニの瞳の中に秋恵の苦しげな顔が映っているのに気が付いたが 彼は何食わぬ顔をして 若い男にワニを返した。
ワニを受け取った男は丁寧にお辞儀をして帰って行った。
「またひとつ 生魂が貯まった。」
男はさらにずっしりと重くなった黄金のワニを古びた鞄に大事にしまい込んだ...