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嘘が苦手なアンナは無事任務を遂行できるのか

作者: 小林すずり
掲載日:2026/06/29

初投稿です。よろしくお願いします。



ターゲット  エヴァンス伯爵家当主 リオン・エヴァンス


内容  メイドとして潜入し、ターゲットの恋人になれ。婚約、婚姻等交わすことは禁止。あくまで恋人関係で止めること。任務完了後、姿を隠してもらいターゲットに心の傷を負ってもらうのが目的。


推奨する潜入方法

①ケリー子爵を経由する

 やり方 数日に一度行っている炊き出しに並び……――――







「ケリー子爵様から紹介のアンナですね。ようこそいらっしゃいました」



 渡した紹介状を読みながら話す女性を前に、返事をしながら震える手と足にぎゅっと強く力を入れる。


「メイド長のマーサです。まずはこれからあなたが過ごす部屋に案内しますのでついてきてください」

「はい」


 くるりと振り返り歩き出したマーサに間隔を空けてついていく。黒髪に黒い眼、前髪も含めひっつめた髪型に眼鏡をかけたいかにも厳しそうな風貌に加え、歩き方も無駄がないマーサはさすがメイド長といったところだろう。


(怖気付いちゃダメ! ようやくここまでこれたんだから!)


 実践こそないものの、母親、施設の人、ケリー子爵にいた人と色んな方々から学んできたからある程度は戦力なるはずだ。なると思いたい。


 裏口からすぐある階段を下り地下にある部屋に荷物を置く。ルームメイトは部屋を整えてくれた後仕事に向かったそうだ。

 部屋の鍵を受け取りそのまま地下の案内へと続く。


 地下とは言ったが所々に灯りがついておりあまり暗さを感じないのはさすが伯爵家といったところなのか。

 使用人の部屋、ランドリールーム、厨房を通り再び階段まで辿り着いてそのまま上へ行き一階の案内を受ける。

 大広間まで来たところで二階へと続く階段の前で足を止め、くるりと振り返り向かい合う。


「二階は限られた人以外立ち入り禁止ですので案内致しません」

「かしこまりました」


 再び背を向け歩き出したマーサに続けて足を動かしながら思考を巡らせる。

 古くから仕えてる人は屋根裏の部屋を使ってるらしいから、その人たち以外禁止してるんだろう。だとすると当主である伯爵様に近付く手段を考えなければならない。

 よくある当主が一方的に気に入り手を出す愛人関係なんてのもあるがそんなのを期待するのは難しいだろう。理想なのは着実に関係値を結び恋人になることだけど、そもそも……


(初恋もまだなのに恋人になんてなれるのかな……)

 

 好きな人に対する態度なんてものわからないし、所謂ハニートラップなんてものの講習を施設で受けたわけじゃないから誘惑の仕方もわからない。なんで施設の長である当主様は私に任務を受けさせるようにしたんだろう……。






「こちらが一階で案内する最後の部屋です」


 その言葉と共にノックをし、返事を待つ。すぐさま「はい」という複数人の声が聞こえてきた為、他の部屋同様に作業中の使用人がいるのかと思ったのだけど……


「おつかれさまです」

「おつかれさまでーす」

(これは……)


 光を取り入れるための大きな窓、丸いテーブルとイスなど部屋の内装とまだ案内されてない場所を考えるに、おそらくここは居間だと推測される。

 ここまでの案内では作業中の使用人がいた場合、案内のついでに挨拶をしていた。


(でもここはなんかちがう)


「アンナ、ここは居間です。ですが今は使用人の休憩室として使われています」

「え!? きゅ、休憩室ですか?」


 思わずギョッとした反応をしてしまう。たしかにここにいる使用人は皆イスやソファーに座り談笑しているが、貴族が使う部屋を使用人に使わせるなんて聞いたことがない!


「裏口から近いですし、二階にある方を主に使いますので、使用人休憩室にしようとリオン様が決められました」

「な、なるほど……」

「リオン様が持って帰ってきたお土産もここに置いてありますのでアンナもぜひ遠慮せずに利用してください」

「かしこまりました」

「ではここにいる人達にも挨拶しましょうか」


 そう言って部屋にいた人達に声をかけ召集する。夜ごはんの時にまた改めてみんなの前で挨拶させてくれるらしいのでちょっとホッとする。大事なことではあるけど初めましての挨拶はやっぱり緊張してしまうから。


「マーガレット・ターナーです。よろしくね」

「よろしくお願いします」

「アンナ、マーガレットはあなたのルームメイトになる人です。部屋でのことは彼女に聞くといいでしょう」

「あ、ご、ご不便をおかけいたしますがよろしくお願いいたします」

「ヤダかたいよ。ターナー家は男爵だし、私は養子だから元平民なの。だから気軽に話しかけてくれると嬉しいわ! それに私も一ヶ月前に入ったばっかだからそんな変わらないよ!」

「は、はい」


 ケラケラと笑い握手をしてくれる彼女に優しそうな人だと安心する。ルームメイトの運にいつも恵まれているみたい。


「アンナ、最後の部屋に案内します。行きましょうか」

「はい」

「アンナ、またね」

「はっ、はい! また」


 手を振りマーガレット達から離れる。可愛らしい人だったな。オレンジの髪はお団子で結ばれており、お団子の大きさ的にそれなりに髪は長そうだった。グリーンの眼はパッチリと開いていてややつり目気味。ハキハキと喋る姿は嫌いな人いるのかなってくらい好印象を周りに与えそうだ。――明るい髪っていいな。


 視界に映る自分の髪をチラッと見る。こげ茶の髪に薄い茶色の眼にコンプレックスを持ったことはないけど、明るい髪を見たら羨ましくなってきちゃった。

 かといってマーサの綺麗な黒髪もまた素敵で、なんだかないものねだりをしてるだけな気もしてきたな。


「こちらです」


 地下への階段を降りてすぐ、厨房の目の前が最後の部屋らしい。開けてすぐは両側に壁が有るためわからなかった全貌も一歩進めばすぐにわかった。

 全体的に狭い部屋だ。左側は壁になっており、右側すぐにやや小さめのテーブルと丸イスが二脚。片方のイスの後ろは壁でもう片方のイスの後ろには小さめのキッチンがある。


「そちらにかけて少しお待ちください」


 壁側のイスを指定されたのでそこに腰掛けマーサの行動を観察する。キッチンに立ちやかんに水を入れて火にかけているみたいだ。戸棚にある二つあるティーセットのうち一つを取り出して作業スペースに置いている。


「作業しながらで申し訳ありませんが説明させていただきます。察しがついているかもしれませんがこの部屋が本来の使用人休憩室になっております」

「はい」


 なんとなくそうかなとは思った。地下にあるイスとテーブルがある部屋なんて使用人以外使わなそうだから。


「休憩は勤務中一回取っていただくようにしています。上の部屋とこの部屋どちらも好きに利用していただいてかまいません。飲食もしていただいてよろしいです。ただし、朝と夜のご飯は必ず厨房でとるようにしてください」

「かしこまりました」

「それと、こちらをご覧ください」


 ことり、と目の前に置かれた瓶を見つめる。中には茶葉が入っておりどんな種類かまではわからない。


「こちらは当主であるリオン様が普段から愛用されている紅茶の茶葉でございます」

「はい……」

「現在こちらを使用人の皆さんには週に一、二回程飲んでいただくのをお願いしております」

「えっ」


 貴族の方が飲むようなお茶を使用人が……?

 居間を休憩室にしたりとこの屋敷のルールが特殊で戸惑ってしまう。


「理由をご説明いたします」


 そう言うとマーサは茶葉の入った瓶を回収し作業スペースに置いて再び作業に戻りながら説明を始める。それに対しアンナは、理由はわからないけどポットやカップにお湯を入れた後再びやかんに水をそそぎ沸かしているマーサの作業を見つめながら話を聞く。


「当主であるリオン様のご両親、つまり先代当主夫妻は今から約一年半前に馬車の事故により突然この世を去りました」


 マーサは言葉を続ける


「リオン様は現在二十歳。後継者教育も完了してないうちに後を継ぐことになりましたのでまだ仕事が安定しておりません。そしてその若き当主を利用しようとする者や亡き者にしようと企む者が政界にはおります」

「…………」


 まさに自分も利用しようと企む者の一人ですなんて言えない。


「そんなリオン様を守るために我々が行っている対策のひとつがこれです」

「紅茶……ですか?」

「そうです。紅茶の味を覚えていただきます」

「こうちゃのあじ……」

「ええ。毒味をした時にすぐ気付けるようにです」

「どく――――」


 日常では聞かないであろう言葉に息を呑む。

 つまり、使用人全員が毒味係になる可能性があるということだ。死にたくなければ必死に紅茶の味を覚え、少量で毒かどうかを見極められるようになれということだろう。


(それくらい――伯爵様の周りは悪意で満ちているんだ)


 きっと自分以外にも潜入している人はいるんだろう。その人達全員に向けての警告の一種だ。


「さて、話を変えます」


 一段落ついたのか、砂時計をテーブルの上に置いたところで向かいのイスに座りはじめた。


「アンナ、あなたについて少し質問させていただきます」

「はい――」

(でたっ!!)


 おそらくケリー子爵より前にいた所について聞きたいんだろう。施設からの工作員だってバレないようにしないと……、しないとなんだけど!


 アンナには工作員になるには致命的な欠点がある。

それは――――――――


(嘘をつくのが、苦手なのにー!)


 嘘をついた途端に罪悪感で頭がいっぱいになり、背中に冷や汗が流れる。おそらく顔もこわばっていることだろう。

 いかに嘘をつかずにこの場をやり過ごすか。今日一番の頑張りどころだ。


「ある程度のことは先ほどの紹介状や事前にケリー子爵様が手紙を送ってくださいましたので把握しております」

「あ、はい」


 子爵様がわざわざ送ってくれたってことかな。私に対しての気遣いなのか伯爵家に対しての気遣いなのかがわからない……。どっちもってことかな。


「アンナ、あなたは施設から追い出されその後ケリー子爵様に保護されたということで合っていますか?」

「あ、はい、そうです。炊き出しをもらった後に声かけていただきまして、それから保護していただきました」


 これはほぼ嘘じゃない。突然任務を言い渡されてあれよあれよと市街地に放り出されたから。大丈夫。嘘じゃない。


「施設からは何故追い出されたのでしょう?」

「それは……わかりません。たぶん十六歳になったからだと思います」


 表情を見られないようにうつむく。心臓の音がやばい。


「たしかに、一般的な孤児院や保護施設は十六歳くらいで出ていってますね」


 表面上は納得したらしい。でもホッとした顔を出したらダメだ。まだ難所は終わってない。下唇を噛み表情を変えないようにする。


「施設はどこにあるんですか?」

「えっと、山の中にあること以外はわかりません」

「あぁ――そういえば地図が読めないそうですね。施設の方達とは仲良かったですか?」

「あ、な、仲良かったです。山の中ですから、自給自足のためにみんなで野菜つくったりしてましたし、ルームメイトとは夜にこっそり抜け出して流星群を見に行ったこともあります」

「素敵な思い出ですね」


 本当は必要なこと以外会話禁止だったし、名前を知るのも禁止だった。

 地図が読めないことを子爵様は覚えていたらしい。昔、子爵様に話したこととこれから話すことに齟齬がないようにしないと。


「施設にはいつごろから入られたんですか?」

「十歳の頃です。だから、七年くらい前ですね」

「七年前……もしかしてその時に親を?」

「はい。母を亡くしました」

「そうですか――」


 母を亡くした理由を察したのだろう――何も言うことはなく立ち上がって紅茶を入れる作業に戻っていく。見れば砂時計の砂が全部落ちていた。


「どうぞ。熱いので気をつけてください」


 コトリ、とかすかな音を立てて目の前に置かれた紅茶。

 その濃い赤橙色の物を見つめ、マーサにお礼を言いおそるおそる口をつける。

 こくりひとくち。


「あ、お、おいしいです」


 ハッキリ言って茶葉の風味とかは全然わからない。良い匂いとなんとなくおいしいなってことくらいしか今のところ表現できる術がない。

 そんなことはマーサもお見通しなのだろう。ニコリと微笑み「ありがとうございます」とお礼を返してくれた。


「紅茶の淹れ方は後日お教えしますね」

「はい!」


 今日初めての無表情以外の表情、それも笑顔に思わず強張った身体の力が抜けるのを感じる。

 マーサは再びイスに座り同じように紅茶を飲みはじめる。ちょっとしたティータイムみたいだ。


「これもケリー子爵様からのお手紙にありましたがアンナは文字が読めるそうですね」

「あ、そうです」

「どれくらい読めるんですか?」

「大体読めると思います」

「すごいですね。理由をお伺いしても?」

「えっと——」


 過去の大切な思い出だ。懐かしく思う気持ちのまま言葉を紡ぐ。


「母と二人で暮らしていた時に、面倒を見てくれる老父婦がいたんです。その人達の家には絵本がありまして、母の帰りを待ってる時にいつも読んでもらっていたら覚えるようになりました」

「なるほど」

「それから、子爵様にお世話になっているときに本とか新聞とか読んでさらに覚えていきました」

「以前いた施設では読んでなかったんですか?」

「そうですね。図書室がありませんでしたし、読めることも知らなかったと思いますから」

「知らなかった?」

「はい。聞かれませんでしたから」


 平民は文字を読み書きすることができないのが国民全体の共通認識だ。むしろ聞いてきたケリー子爵のほうが珍しいだろう。


「文字を書く練習はされましたか?」

「したんですけど——私には難しくてすぐやめました」

「自分の名前は書けた方がいいでしょう。今度一緒に練習しましょう」

「え、ありがとうございます」


 後から考えてみれば本当に文字が書けないのか確認したかったんだろう。そんなことも露知らずこの時の私は面倒見がいい人だなと感動してしまっていた。








(つかれた……)


 あの後仕事の流れを説明してもらい、夕食の時間になったらあらためて挨拶をさせてもらった。

 そしてマーガレットと合流し就寝までの流れを説明と共に一緒に行い。現在部屋でまったりしているところである。

 マーガレットはどこかに行ってるのか部屋にはいない。

 荷物の整理が終わりあらためて部屋の中を見渡す。

 ドアの両側にそれぞれクローゼット、ベッド、鍵付きチェストと一体になってるナイトテーブルがあり、チェストの中には貴重品等を入れるらしい。アンナはとりあえずサイフとケリー子爵様からもらった栞を入れておいた。


 布団に入り目をつぶる。考えるのはこれからのことだ。

 まずは仕事に慣れないと。仕事もできないやつが伯爵様に好かれることはまずないだろう。それから——


(紅茶……紅茶を極めてみようかな)


 使用人たちが飲んで良い紅茶は伯爵様も飲んでるのと同じと言っていた。それなら、上手に淹れられるようになればいずれ何らかの偶然で伯爵様に振る舞う機会が出来るかもしれない。そこから名前と顔を覚えてもらって距離を縮められたら……!


(お母さん……応援してて……)



 物心ついた時から母と二人暮らしだった。それが崩れたのがアンナが十歳の時。

 冬から春に向けて季節が動き始めていた時、国全体を襲った流行病。大人が罹りやすく死亡率も高いそれに母と気にかけてくれていた老夫婦は病に侵されあっという間に命を散らしてしまった。

 途方にくれたアンナを拾い、母と老夫婦の亡骸を弔ってくれた当主様には途方もない感謝がある。

 だからその恩に報いるためにこの任務を頑張りたい。


 寝よう——そう思った途端に疲れた身体はあっという間に眠りに落ちていった————






「ねぇ、君がアンナ?」


 メイドとして入って二ヶ月程経ったころ。

 茶葉の量を確認していたところにかかってきた声に顔を上げて入口に目を向ける。

 濃紺混じりの黒髪で、耳くらいまである長い前髪を軽くサイドに分けた従者の格好をした男性が、淡い光の色した眼を鋭く睨ませて壁に寄りかかりながらこちらを見ていた。


「ねぇ」

「あ、そうです。アンナです」

「なにしてんの?」

「紅茶を、淹れてます」

「そんなの見ればわかるよ」

(えぇ……)


 何が言いたいんだろう……。困惑しながら相手を見つめていくうちに、男性の正体に気付く。


(この人……ライト様だ。伯爵様の乳兄弟の)


 伯爵家当主リオンの幼馴染で乳兄弟で従者のライト。現在は執事になるべく修行していると聞いたことがある。常にリオンについている為、顔を合わせる機会がなく遠くから見つめるだけだったけど——なんでそんな人がここに?



「それ何人分?」

「あ、えっと、五人分です」

「キミ含めて?」

「そうです」

「ふーん」


 顎に手をかけ熟考するライトにどうすればいいかわからず立ち止まる。


「それ——えーと、四人分に……いや」

「?」

「それ僕が準備するから、キミは別で二人分用意してくれない?」

「え」


 どういうことだ? 困惑している間もライトは休憩室の中を進んでいきテキパキと準備しはじめる。


「あ、あの」

「なんか上にいる使用人たちとやることあった?」

「いえ、とくには……」

「じゃあいいよね。ちょっと話付き合って」

「…………」

「はやく準備して」

「は、はい!」


 なになになに!? なにもわからないままとりあえずお湯を沸かしはじめる。あっという間にライトは準備が終わりティーセットが入ったトレーを持ち上げ部屋を出ていった。

 二人分のティーセットを棚から下ろし、お湯が沸くのをやかんを見つめながら待つ。

 なぜライトが来たか。理由を考えていくうちに心臓がどんどん嫌な音を立てはじめる。もしかしたら、バレたのかもしれない。バレてなくても、疑っている可能性がある。


(何聞かれるんだろう……)


ある程度予想して、答えを用意しておかないと。咄嗟の判断で嘘ついたら態度でバレてしまうかもしれない。



 沸けたお湯をティーポットとカップを温めるために使用し、再びお湯を沸くのを待ち始めた時に、ライトは帰ってきた。


「さっきは自己紹介してなくてごめん。ライトと言います」

「あっ、アンナです。よろしくお願いします」

「よろしく」


 謝れるんだ。

 自分勝手な人のイメージをこの数分間で抱いたけど、少しだけ考えを改めてもいいかもしれない。


「これ、おみやげくすねてきたから食べよ」


 上の階にある伯爵様が買ってきたおみやげを持ってきてくれたらしい。お菓子をテーブルの上に置き、壁側の椅子に座りはじめる。


「作業してるところ悪いけど質問していい?」

「あ、ど、どうぞ……」

「なんでここに来たの?」


 こことはどこだ? 伯爵家? この休憩室? 伯爵家だと仮定して質問に答えてみよう。


「たまたまです。子爵様のところで、お世話になって一年経ちましたし、そろそろ独り立ちしないとなって思っていたところ、相談したらここを紹介されたんです」

「ふーーん」


 伯爵家のことで合ってたみたい。

 ほぼ嘘だからたどたどしい発言になってしまった。本当は新聞で募集を始めたのを見たタイミングで子爵様に相談し、ここを紹介してもらうように仕向けていたから。


「掃除が上手らしいね。マーサが褒めてた」

「え、あ、ありがとうございます……幼いころから母に教わっておりましたので」

「母親もメイドだったの?」

「昔メイドだったと聞いてます」


 いつ辞めたかまでは教えてくれなかったけど、なんとなく察しはついている。でもそれをここで言う必要はないだろう。


「今はどうしてるの?」

「亡くなりました。その、流行病で」

「あー、そうなんだ。それから施設?」

「はい」

「施設から追い出されたって聞いたけど、恨んでないわけ?」

「まさか! 当主様にはご恩がありますから! 恨むわけがありません」

「当主様? 施設長のことそう呼んでるんだ」

「あっ……——そうです」


 冷や汗が背中をたらりと通ってるのを感じる。これはマズイことをしてしまった気がする。


「その当主様の名前は?」

「わかりません。みんながそう呼んでいるのを真似しただけなので」


 これは本当。当主様どころか施設にいた人達の名前をほぼ知らない。


「どんなご恩があるの?」

「母を亡くし、どうすれば良いかわからなかった私を拾い、母のことも弔ってくれたんです」

「なるほどね」


 とりあえず納得してくれたみたいだ。肘をつき、手のひらに顎を乗せて考え始めたライトを横目に最後の仕上げをする。

 カップに茶漉しを乗せ、紅茶を注ぐ。ライトの前に置いたところで彼が口を開いた。


「その——僕も一緒だよ」

「え?」

「両親、流行病で亡くした」

「あ、そうなんでね」

「あの流行病の後、ケリー子爵みたいに孤児になった子を保護する所が増えたのは知ってたけど、どこか他人事みたいに思ってた」

「…………」

「色々ズカズカ聞いてごめん」

「いえ」


 無理もないだろう。乳兄弟ということは生まれたときからこの伯爵邸にいたということだ。それに両親を亡くした心の傷が癒えるまで周りのことなど気にしてられるわけがない。


 お互い紅茶を一口飲む。


「あの、味……どうですか?」

「微妙」

「えっ」

「淹れるの頑張ってるって聞いたけどこんなもんかって感じ」

「…………」


 なんだこの人。優しいのか優しくないのかどっちなんだ。


「じゃあ!」

「な、なに」

「次はライト様が淹れてください!」

「えっ」

「あと私に紅茶の淹れ方教えてください!」

「えぇっ」


 ギョッとして引いてるライトとは対象に私は衝動に任せて言ったにしてはなんて良いアイデアなんだと感動していた。

 伯爵様の乳兄弟であるライトと仲良くなれば伯爵様を紹介してくれる時がくるかもしれない。なかったとしても近付ける可能性が増える。そして紅茶もうまく淹れられるようになる!



「い、いいけど……」


 呆然としながらも了承してくれた彼はやっぱり口が悪いだけで自分勝手ではないのかもしれない。

 それを更に感じさせる出来事がライトと別れたあと、マーガレットと合流したときに起きた。


「アンナ! おつかれ! 休憩中なにしてたの?」

「あ、マーガレット。おつかれさまです。その、ライト様とお話をしていました」

「あ! ライトさんね、あの人が紅茶持ってきたときに叱られちゃったわ」

「え! どうしてですか?」

「お願いするのは良いけど運ぶ手伝いはしろ。女性一人に重いもの運ばせようとするなって。まぁ私っていうよりボーイとか男性の方に向けて言ってたわね」

「————」


 言葉が出ない。もしかして最初会った時考え込んでいたのはそれが理由?


「ライトさんって恐いけど紳士なのね。どんな話したの?」

「えっとーたいしたことは話してません。あ、でも紅茶の淹れ方を教えてくれるようになりました」

「ライトさんに? すごいね。なんかあったら話してね」

「はい。ありがとうございます」


 マーガレットと離れ、自分の持ち場を掃除しながら考える。紳士で悪いと思ったことはすぐ謝罪ができて口が悪い人。


(仲良くなれるかな……)







 ライトと始まった教えてもらうという名のお茶会は週に一度。交代で淹れる、片付けはその日淹れなかった人。

 そんな約束で始まったお茶会もいつのにか結構月日が経っていて————




 涼しくなった頸を覆うように何回も手をやる姿にニヤニヤしながら淹れてくれた紅茶を飲む。おいしい。


「ちょっと、ニヤニヤしすぎでしょ」

「だって、何回やるんですかそれ……ふふ」

「うるさい」


 ムスッとした顔しながら紅茶を喫するも片手の位置は首のままな姿にニコニコしてしまう。


「私が初めてライト様に会った時はそのくらいの長さだと思ったんですが……」

「マーサにも同じようなこと言われた。『いつも私が切るときと同じくらいです』って」

「やっぱり。そうですよね」

「…………アンナは結ぶと全然わからないね」

「そうですよ! だから言ったじゃないですか。もっとザックリ切っていいですよって」

「うるさいばか。あの時はあれが僕の限界だったの」

「私はライト様の髪ザックリ切っちゃいましたよ」

「あれは思い切りがよすぎ」


 事の発端は数日前。いつもライトの髪を切ってくれているマーサもマーサの旦那のダミアンも忙しく切ってくれる時間がないらしい。それを紅茶を飲みながら愚痴を聞いていた時、なんの流れかアンナが髪を切ることになり、やいのやいの言い合ううちにアンナの髪はライトが切ることになったのだ。

 そして二日前、お互い休みを取り、切り合いっこをした後の現在の会話である。


 それにしても——


「ふ、ふふふ。今でも私の髪をライト様が切ってる時のことを思い出すと笑っちゃいます」

「……うるさい」


 『やっぱ切れない』『手が震えてきた』『もう無理』

 背後から聞こえる普段は聞けない情けない声に笑いながらなんとか宥め、少し切ってもらったところで終わりにしてあげたのだ。

 その時の情けない自分に自覚があるんだろう。なんとも言えない顔をしながらクッキーもむしゃむしゃ食べている。


「次はうまくやるから任せて」

「え! 次も切ってくれるんですか?」

「当たり前でしょ。僕以外に切らせちゃダメだよ」


 独占欲ともとれる言葉にドキリと心臓がちょっとうるさい音を奏でているが、それを悟らせないように自分では到底出すことのできない馨しい香りの紅茶を飲む。

 当の本人はとくになにも考えてないんだろうな。その証拠に前回からの期間を踏まえて次切るのはこの月くらいかな等計画をたてている。


「それまでなにかで練習するんですか?」

「いや、本読む。切るのはキミだけ」

「あっ、はは……ありがとうございます」

「なに」

「イエ」


 目の前にいる人みたく、「ばか」って言いたくなったけど、やめておこう。




「じゃあ先行くね。片付けよろしく」

「はい。ありがとうございました。今日もおいしかったです」

「当然でしょ。あ、これあげる」

「え、これ二日前ももらいましたよ」

「何回もらってもいいでしょ。じゃあね」

「ありがとうございます。また……」


 もらったキャンディの包み紙を開き口に入れて、食器を洗って片付けをする。

 この数ヶ月でライトとは驚くほど仲良くなった。週に一回のお茶会とは別に買い出しの際には毎回声をかけてくれて連れて行ってくれるし、偶然会った際には今みたいにキャンディもくれる。

 毎日が、すごく楽しい。ライトとお茶会する日がいつも楽しみだし、偶然会えると嬉しいし、会えなくても何してるのかなって気になる。

 例えるなら——夢みたいだ。楽しいことしか起きなくて、毎日楽しくて、ずっとこれがこのまま続けばいいのに——




 でも————覚めるのはいつだって突然だ


「ねぇ、アンナとライトさんって付き合ってどれくらいなの?」


 それは、前回の髪切り合いっこしてからまた数ヶ月後、マーガレットや他のみんなと夜ごはんを食べている時に起こった。


「え」

「マーガレットってばそれ聞くの? みんなで温かく見守ってたじゃん」

「でもあたしもそれ気になってた。半年くらい?」

「え、え、え、」

「さすがにそれはないんじゃない? 三ヶ月くらいかなって思ってるんだけど」

「わたしもそのくらいかなって思ってたー!」

「え、いや、いやいやいや・・・・・・付き合ってないです」

「いやいや、隠さなくたっていいのよ」

「いえ、本当に」


 私の反応にみんな懐疑心を持った反応をしている。と、思いきや顔を寄せ合ってコソコソ話をし出したので、ご飯の残りを食べることにする。でも、心臓は段々と嫌な音を立て始めていた。


「ねぇ、でもさアンナはライトさんのこと好きだよね?」

「えっ……」

「髪もそんな短くなって! 切ってもらったんでしょ!」

「あ! そういえばライトさんも短くなってた! 切り合ったってこと?」


 思わず首元を触る。背中の真ん中まであった髪は今は肩より少し上くらいに切り揃えられている。


「た、たしかに切ってもらいました」

「ほらー! やっぱり! で、どうなの?」

「え?」

「ん?」

「……」

「……」

「……」

「お先に、失礼します……」

「あ! 逃げた!」

「今まで通り見守ってあげよ。かわいいし」

「そうだねー」



 手早く自分の食器を片付け、急ぎ足で厨房を抜けて裏口から外へ出ていく。そのまま裏庭へと行き、適当な木の下で立ち止まる。

 心臓がうるさい。呼吸も少し苦しい。

 見ないようにしたこと。気付かないフリしたこと。全部のしかかってきた。


(任務…………できるのかな)


 『伯爵家当主リオンを口説き恋人になる』という任務を施設から下され、リオンに近付くためにまず乳兄弟であるライトに近付いた。

 けれど、気付いたら周りに恋人と勘違いされるくらいライトと仲良くなりすぎたらしい。

 これでは今更リオンに近付いたところで、周りに怪しまれてしまうだろう。

 それに——————



(私……ライト様のことが……好きなんだ)


 お茶会をする日が楽しみなのも、偶然会えると嬉しいのも、会えないと何してるのか気になるのも、全部ライトが好きだから生まれた感情だったんだ。

 好きな人の近くにいる人を口説く行為がはたして私にでるのだろうか……。


 でもやらなければならないんだ。当主様の為に。だからここからなんとかするための方法を考えないと——

 





 そう思って色々考えたけれど、『本当は伯爵様が好きでライトとは友達』なんて言ってみたところで周りが納得するだろうか……。

 伯爵様となんてマーサ付き添いのもと一回ご挨拶したくらいでその後会話なんてしたことないのに。

 どこが好きなの? って聞かれてもライトの方はスラスラ言えるけど伯爵様の方は言える気がしない。

 休憩室で一人唸っているところへ背後にある入り口を軽くノックする音が響く。


「失礼、今時間大丈夫かな?」


 どこかで聞いたことあるような若い男性の声に返事をして、キッチンへと向けていた身体を入り口へと向ける。

 輝くような金髪、澄んだ青い瞳をしたこの伯爵家当主、リオンの姿を視界に入れた瞬間にヒュッと息を詰め頭を下げる。


「は、は、はい! なんのご用でございましょうか!」

「あなたはメイドのアンナで合ってる?」

「はい! メイドのアンナでございます!」

「良かった。ちょっとお話いいかな?」

「はい! どうぞ!」


 ああ、楽にしていいよ。そう言われたので恐る恐る頭を上げる。

 壁際のイスに優雅に腰掛けニコニコとこちらを見る姿は何を考えているのかまったく読めない。恐い。


「ライトと仲良くしてるよね?」

「はっはい。仲良くさせていただいております」

「なんで仲良くなったの? どういう目的?」

「えっ……」

「紅茶を教えてもらってるんだよね? なんで教えてもらおうと思ったの?」

「う、上手く淹れられるようになりたくて……」


 矢継ぎ早に質問をしてくるリオンに頭がこんがらがってくる。


「ライトを利用してる目的はなに? ライトを誘惑して情報でも抜き取ろうと思った?」

「っ……利用なんて、そんな、……」

「してない? まぁしてたとしてもそこはお互い様か」


 お互い様。その言葉を息を呑む。

 変わらず微笑みを浮かべているリオンは表情を硬くしたアンナを見て軽く声に出して笑ったあと音もなく立ち上がる。


「お話ありがとう。ところでなにしていたの?」

「紅茶を、淹れようと、してました」

「あぁ……一人の時でも練習してるんだね」

「……」

「じゃあ、失礼するよ。仕事頑張って」

「ありがとうございました」


 頭を下げリオンが颯爽と出ていくのを見送る。

 バタンと扉が閉まる音の後、カツカツと階段を上がっていく音が聞こえてやっとおもむろに顔を上げる

 作業を再開しようとして、カタカタ震える手に気付き、やめる。今日はもう飲まない方がいいだろう。


 わかってる。彼がやってることはハッタリだ。


 アンナの正体は知るはずがない。あくまでちょっと所在不明な施設から来たちょっと怪しい人止まりなはず。ライトに教えてもらう前から紅茶の練習をしていたし、最初に近付いてきたのはライトの方だ。

 そう、ライトの方……。


(お互い様って言ってた……)


 確かに初めて会ったときのライトは少し警戒したような顔をしていた気がする。マーサに色々聞いたあと何か思うところがあって近付いてきたんだろう。

 それからこれまでの日々のライトを見て、今度はリオンが何か思うところがあって私に近付いてきたんだ。


(なんていうか、八方塞がりな気がする)


 ライトのことを好きになり、周囲にはライトと恋人だと勘違いされ、最初からライトとおそらくマーサにも怪しまれており、ターゲットであるリオンにはもはやあの態度は嫌われている。


 逃げたい。今すぐ逃げたい。


 でも母を弔ってくれた恩が施設にはある。どうしたらいいんだろう。









 それからの毎日はハッキリ言って疑心暗鬼だ。

 いつもあれほど楽しみにしていたライトとのお茶会も何回か中止にしてもらい、会ったとしても以前のように軽口は叩けなくなっている。

 これまでの日々が嘘だとは思っていない。アンナがリオンを口説けと命令されたように、ライトがアンナを口説いてたんだとしても、一緒に過ごした日々はすごく楽しかった。

 ライトが好きだと最初気付きたときはやってしまったと思ったけど、今は後悔してない。


 ただ、今は八方塞がりな状況にどうしたら良いかわからず迷子なだけだ。

 任務はもうできない。あんな状態のリオンに近付くなんて無理だ。でも、当主様を裏切ることもできない。


「アンナ」


 呼ばれた声にハッとなり掃除の手を止め、声をかけてきた人物を見る。


「ライト様……おつかれさまです」

「おつかれ。あのさ、今少しだけ時間良い?」

「え、あ、はい」

「そのー、あのさ、今夜……時間ある?」

「……えっ」

「いや! ちがう! いや、ちがくないんだけど!」

「落ち着いてください。まだ何も言ってないです」

「ごめん」


 かわいい。

 いつも昼間しか会わないから突然の夜にびっくりしただけで何も考えてないのに。


「その、さ、今夜流星群が見られるらしいんだ。だから一緒にどうかなって思って」

「い……行きたいです」

「——良かった。じゃあ準備は僕がするから、キミは暖かい格好をして裏口で待ってて」

「わかりました」

「あ、マーサには僕から言っておくし、今日は他にも見る人がいるだろうから消灯時間は気にしなくていいよ。あぁでも遅くなる前にちゃんと部屋まで送り届けるから!」

「ふふ。かしこまりました」

「……えっと、それじゃあまた。あとこれあげる」

「ありがとうございます」


 カサリ、とチェック模様の薄い紙に包まれたキャンディを受け取った後、ライトはその場を離れていく。

 流星群……前にマーサに言ったことを聞いたのかな。

 包みを開けてキャンディを口に入れて掃除を再開する。

 コロリ、と転がし甘い味が広がるのを感じながら、久々の流星群に思いを馳せていた。




 大事な大事な人と行った、大事な大事な思い出。



 前に行ったのは施設にいた頃、その時いたルームメイトの二人とだ。一人は白髪に夜空を思わせる深い青い眼の女の子。戦闘系の訓練担当らしくいつも怪我をしていた。もう一人は暗緑色の髪に深紅の眼の女の子。医療系の訓練担当らしくいつももう一人の女の子の手当をしていた。


 きっかけは何だったか覚えてないけれども、夜に流星群が見られると聞いて、どうしても見たくて、無理だと思いながら二人を誘った。ダメだったら部屋を抜け出すのを見て見ぬ振りしてほしいとお願いするつもりで。

 でも予想と違い二人は二つ返事で誘いに乗ってくれて、むしろ確実に見るために計画を立ててくれた。

 この時にした会話は出会ってからその日までにした会話の量を圧倒的に超えるくらいだったのを覚えてる。


 迎えた深夜、戦闘系の白髪の子に先導してもらい進んでいく。普段から見張りなどもいないのだろう。誰にも見つかることなく外に行き、鬱蒼とした暗い森の中を気をつけて歩く。開けた所に行くと見つかる可能性があるため、木々の間を寝っ転がって見ることを事前に決めていた。

 適当なところで三人並んで寝っ転がり夜空を見る。タイミングが良かったみたいで草木の間から真っ直ぐに流れる星がいくつも見えた。


「きれい……」

「うん——」

「……」


 コソコソと言い合う。二人をチラリと見れば気付いた二人が目を合わせてくれる。そんな何気ないやりとりが嬉しくて。その瞬間からアンナにとって二人は大事な人になったのだ——。






 マーガレットからのからかいを流しつつ部屋を出て裏口へ着く。暖かい格好をしてと言われたからメイド服の上に以前ライトから誕生日プレゼントでもらったケープを羽織ってみた。

 ——好きな人からもらった服を着て好きな人と星を見に行くなんて、たしかに揶揄われても仕方ないかも。

 裏口から外に出て、すれ違う人をびっくりさせるといけないから少し離れたところで待つことにする。


「はぁ……」


 流星群を見に行くからだろう。何もやることがなくなると浮かんでくるのは二人のことばかりだ。


「ミカ……サーシャ……」


 二人と流星群を見てから数日後、真っ暗な部屋の中、真ん中のベッドにいる暗緑色の髪の女の子が「ねぇ」と口を開く。


「あのね、二人の名前……知りたいな」

「! ……アンナです」


 名前を知るのは禁止されてるから断られると思いつつ聞いてきたとわかる。アンナも二人を誘う時そうだったから。だからこそ、二つ返事で了承してくれたことに応えるためにアンナもすぐさま返事をした。


「ありがとう。私はミカっていうの」

「…………サーシャ」

「ありがとう……アンナ、サーシャ——」


 宝物のように名前を呼んでくれるミカに、大事な人だと思っているのはアンナだけじゃないと思って心が温かくなる。


「あのね、私……また二人と流星群を見に行きたいな」

「!! 行きましょう! 今度はもっと開けた場所で見たいです!」

「行こう」


 三人で約束し合った翌日、二人はいなくなった。悲しかったし、置いてかれたって思った時もあった。

 でも今ならわかる。今のアンナみたいに二人は当主様から任務を命じられたんだ。


(どこに行ったかわからないけど、おそらく二人はもう……)

「アンナ、お待たせ」


 ハッと思い出の中にいたところを呼び起こされる。

 どこかほっとしたような顔をしたライトが、バスケットとランタンを持ってやってきてた。


「ライト様、こんばんは」

「結構待った?」

「いえ、全然待ってないです」

「良かった。行こう。暗いから気をつけて着いてきて」

「はい」


 ランタンを持ったライトを先頭についていく。裏庭へ進み、林の中を歩く。木々の間を歩くとまた二人を思い出してしまいそうだ。


(前の時はランタンなんて持てなかったから三人手を繋いで歩いてたなー)


 そこまで思い出したところでライトが進むのを止めたのでアンナも現実に帰る。いつのまにか林の中から抜けて開けた場所に立っており、持ってて、と渡されたランタンを持ちながらテキパキとライトが準備するのを見守る。


「はい、ここ座って、そしたらこれ膝にかけて。お茶もあるから」

「ありがとうございます。すごい、こんな準備してくれたんですね」

「別に。たいした手間じゃないから」


 シートの上に座り、膝掛けをもらい、ライトと二人横並びになる。夜空を見上げるがまだ星は降ってないみたいだ。真っ暗な空にポツリと月だけが淡く浮かび上がっている。


「これ、熱いから気をつけてね」

「ありがとうございます。まだ流星群はきてないみたいですね」

「そうだね。アンナは見たことある?」

「はい。昔、ルームメイトと見に行きました」

「そうなんだ」


 あれ、マーサから聞いたわけではなかったのか。

 色々考えすぎなのかもしれない。


「……あのさ。その——、リオンから、話したって聞いた」

「——はい、少し、お話しました」

「内容は教えてくれなくてさ」

「あ、そうなんですね」


 なんでも報告されていると思っていた。顔にも出てたのだろう、アンナの顔を見て複雑そうな顔をしている。

 気まずいとは違う、言葉を選ぶようにぽつぽつ話し出すのを静かに聞く。


「リオンが言ったかもしれないんだけど、最初はアンナのこと怪しいと思って近付いた。でも話してすぐ違うなって思ったよ」

「え」

「嘘ついてる時あきらか気まずそうな顔をしてるし、なんていうか、敵だとしても言葉悪く言うと雑魚みたいな。たいしたことないやつみたいな」

「……」


 事実なだけになんともいえない。

 今度は複雑そうな顔をしているアンナを見て、咳払いをして話を続ける。


「——ごめん、えっとだから、警戒していたのは最初だけ。その後キミと過ごした日々は全部その、僕がキミといたかったから」

「————」

「キミがさ、最近ずっと思い悩んでるから。だからーーその——……!」

「ぁっ!」


 続きの言葉がうまく出てこなかったのか、無言になった時、空にはしる光が見える。

 ポツポツと見えたそれは瞬く間に空一面いっぱいになる。


「きれい……」

「……」


 昔見た、草木の隙間から見たのとは違う。まるで星の世界に入ったかのような景色に魅入られる。

 ——二人といつか見ようと話した景色に今、いる。


「アンナ、ごめん」

「えっ?」


 頬に当てられるハンカチ、それを受け取ってから気付くまだ頬を伝う涙。


「あっ! ごめんなさい」

「ううん」


 自覚しても尚、いや自覚したからこそ余計に涙は止まらずポロポロと流れていく。


「二人に……会いたいっ!」


 さっきのライトの話を信じたい気持ちはある。でもまだ信用できない自分もいる。リオンも恐いし、当主様への恩を返したいとも思っているし、正直もうどうすればいいかわからない。無条件で信頼できる二人に会いたくなってきてしまった。


「二人? さっき言ってたルームメイト?」


 コクリと頷く。


「その、二人はどこにいるかわかる?」


 ブンブンと首を振る。


「そうなんだ……」

「わからないけど……もう会えないと思います」

「え?」


 困惑しているのが声でわかる。それはそうだろう。

 どこにいるのかわからないけどもう会えない。私でも言われたら困ってしまう。でも本当のことなのだ。


 ここにくる前のケリー子爵にお世話になっていた時、練習のために読んでいた過去の新聞を読んでいたときだった。

 それは当時隣国との小競り合いの時に起きた事件。休息中の騎士団長を襲い争った末かすり傷を負わせた兵士、その後手当てすると見せかけて毒を塗り込もうとした医療班。計二人による犯行。

 あらかじめ自殺用の毒を用意していたらしく捕まったころには亡くなっており首謀者はわからず仕舞い。そのまま未解決へとなった事件。

 名前こそ載ってなかったものの、兵士と医療班、そして性別、髪の色などが書いておりどれも二人と一致していた。

 その時悟った、二人はこの任務を受けて、死んだんだと。

 確証となる顔と名前がないからわからない。でもきっとそうだ。だから、どこにいるかわからないけどもう会えない。


 ある程度涙が収まったところで、顔を上げてライトの方を見る。


「ごめんなさい。取り乱しました。あの、ハンカチ……洗ってお返しします」

「いいよ。そのままもらって」

「でも……」

「もらって」


 少しの押し問答の末、受け取ることにした。後日新しいものを贈るとしよう。


「アンナ、僕の話を聞いてほしい」

「……はい」

「僕にとってアンナは、とても素直で、誠実な人。だから僕もそうでいようって思ったんだ。だから僕はアンナの前で嘘をついたことない」

「そんな……」


 買いかぶりすぎだ。私はそんな褒められるような人じゃない。


「いいよ。本当のアンナは違くても。全部受け止める」

「ライト様……」

「あ、あの、バカとかうるさいとかは、その、ごめん。あれは嘘だ」

「ふ、ふふふ」


 真面目な顔から一変して気まずそうな顔をしてるライトに笑みが溢れる。なんか、吹っ切れてきたかも。

 信用できるできないとかどうでもいい。今目の前にいるライトを信じよう。


「ありがとうございます。私は、最初にあった時に一回嘘をつきました。でも、それからは嘘をついてません」

「うん、信じるよ」

「ありがとうございます」

「キミの秘密も……話したいと思ったら話してほしい。力になりたいし、助けたい」

「……はい」


 正直、アンナの今の状況は八方塞がりだ。ならアンナの生きる方法としては施設を裏切り、ライトに助けを求めることだろう。

 でも、どうしても当主様への恩を捨てきれない自分もいる。ここの気持ちを整理できない限り、自分はずっとこのままだ。


「ちょっとだけ、時間をください」

「うん。わかった」




 少しの沈黙の後、二人は再び視線を夜空に向けて星を眺める。さっきよりも少し近い距離で。


「アンナはさ、なんかやってみたいこととかある?」

「やってみたいこと——あ、字を書けるようになりたいです」

「字? マーサに一回教わってやめてなかったっけ?」

「自分の名前の書き方だけ教わりました」


 すごい歪な文字で書かれた『アンナ』のカードは大切にチェストの中にしまってある。


「僕が教えてあげるよ」

「え? お忙しいのにいいんですか?」

「いいよ。あれだったらマーサも呼んで三人でやろう」

「ふふ、贅沢な先生達です」



「ねぇライト様」

「なに?」

「私……ライト様に呼ばれる自分の名前が好きです」

「は!? なに、よくそんな恥ずかしいこと言えるね!?」

「えぇぇぇ……」


 アンナからしてみればライトの方がよっぽど恥ずかしいこと言っているのに、価値観はそれぞれ違うらしい。




 それからもポツポツと他愛もないことを話しながら星を眺めた後、帰路につき部屋へと送ってもらい解散をした。

 中に入るとマーガレットはおらず、たぶん友達と星を眺めているんだろう。


 寝る準備をして、布団に入り目をつぶる。

 自分の正直な気持ちを考える。


 母と老夫婦が亡くなり、何日もまともに食事をしていなかったため空腹で、いよいよ盗みをしなければいけないと思っていたところを当主様に拾っていただいた。

 当主様がいなければ自分はあの時に死んでいただろう。


 でも、大事な存在であるミカとサーシャに任務を下し、(おそらく)死に追いやったのも当主様だ。

 今こうしている間にも、アンナ達みたいに任務受け、行動し命を落とす人がいるかもしれない。


(言い方は悪いけど、亡くなった人より生きてる人を優先させた方がいいかもしれない……)


 ガバッと起き上がる。よし、決めた。

 当主様を止めてもらおう。明日ライトに知っていることを全部話し、当主様のことを調べてもらおう。



 ガチャ

「あら? アンナ帰ってたのね」

「あ、マーガレットおかえり」

「ただいま。ねぇねぇデートどうだった?」

「どうだったって……別になにもないですよ」

「なーんだー。次はいつデートするのー?」

「デートはしないけど……明日お茶会誘おうかなって思ってます」

「明日? ふーんいいじゃーん。あ! それなら試してみてほしいことあるんだよね」


 寝る準備をしているマーガレットの方にからだを向けて話を聞く。わくわくしながら話すマーガレットは楽しそうだ。


「アンナは濃く入れた紅茶飲んだことある?」

「濃いのですか? いえ、ないですね」

「じゃあ飲んでみてほしいんだよねー! 苦いけどさ、ライトさんもアンナとなら笑い合えるでしょ」

「それはどうでしょうか……」

「苦い味も覚えてた方が後々役に立つでしょ。飲んだら感想聞かせてね!」

「わかりました」






「アンナちゃーん、休憩行く?」

「あ、はい。いただきます」

「いってらっしゃーい」


 もうそんな時間だったのか。そう思ったら逸る気持ちのまま地下の休憩室へと向かう。

 しかしライトは遅れてくるらしい。約束を取り付けた時にそう言われた。本当はお茶会自体難しかったんじゃないかなとは思う。

 でも、誘った時のアンナの顔を見て言いたいことがわかったのだろう、至極真面目な顔で少し遅れるけど絶対行くから待っててと言ってくれた。


「あら? ひとつ洗われてない」


 二つあるティーポットのうち一つがシンクの中に取り残されている。急いでいて忘れたのかな。

 やかんでお湯を沸かし、棚にあるティーポットを取り出す。待ってる間にシンクにある方を洗い、お湯が沸けたらポットとカップに入れて温める。

 新しいお湯を沸けたのを確認したらポットのお湯を捨て、新しいお湯を入れて茶葉を入れる。砂時計をひっくり返したところでイスに座って一息つく。


「なんてライト様に説明しようかな・・・・・・」


 まずは自分が当主様に下された任務の内容かな。

 でもそうすると伯爵様に近付くためにライト様を利用しようとしたことを話さなければならない。

 大丈夫だと思うけど、傷付かないかな。伯爵様にだけ説明したらいいかな。でもライト様に隠しごとはしたくないし……。


 はっ!

 うーんうーんと唸っていて紅茶のことを忘れてしまっていた!

 バッと砂時計を見ればとっくに下まで落ちている。どのくらい放置してしまっていたんだろう。慌ててカップのお湯を捨て、茶漉しをセットし紅茶をそそぐ。


「濃い……」


 見るからに濃いのがわかる。

 これをライトに出すわけにはいかない。とりあえず新しく淹れるためのお湯を沸かそう。そして一滴でも飲ませないように証拠を隠滅しないと!


 お湯を沸かし、ポットに入っているのを捨てて丁寧に洗う。カップの方に視線を向けたところで昨夜マーガレットと話したことを思い出した。


「飲んでみようかな」


 ライトと飲んでみてって言われたけど、それはまたの機会にして一人で飲んでみることにする。

 カップに手をかけおそるおそる一口飲み——


「っ! にっがっ……!」


 こんなに苦いんだ!マーガレットが試してみてって言ったのもちょっとわかるかも。蒸らし時間が違うだけでこんなに違うなんて!

 ライトが来る前に飲み切ろうと気持ち早めに飲んでいく。


「はー苦かったー」

「なにが?」

「はっ! ライト様。おつかれさまです」

「おつかれ」


 ちょうど飲みきったところでライトがやってきた。カップはシンクの中に置き、笑顔で出迎える。


「なに? 一人で先楽しんでたの?」

「い、いえ……そういうわけではないんですけど〜」


 気まずそうにしながら説明していく。考えごとをしていたら蒸らし時間が長くなってしまったこと。マーガレットに薦められてたのでせっかくだから飲んでみたこと。思ったより苦くて大変だったこと。


「どうせ無駄なこと考えてたんでしょ。バカだね」

「うっ……」

「僕が準備するからキミは座ってなよ」

「ハイ……」


 キッチン側のイスを引き座るよう促されたので大人しく席につき、キッチン立ったライトとは背中合わせになる。


「そんなに苦かった?」

「すごく苦かったです」

「そんなに苦くなるとは思えないけど、味覚バカになった?」

「なってませんー」

「ははっ」


 距離が近いから、笑った時の振動もこっちに伝わってきそうだ。普段だったら落ち着くのに、なんだか心臓がうるさいのは大事な話をするからかな。

 それになんだか呼吸もうまくできなくなってきた。


「あのさ、ここに来る前にリオンと話したんだ」

「……はい」

「多少怪しんでたけど、まぁ大丈夫でしょ。マーサもキミの味方っぽかったよ」

「……」

「何を考えてたのか知らないけど、溜め込むよりは話してくれた方が嬉しいよ」

「…………」

「アンナ?」


 ガハッ

 胃の中から込み上げてくるものが抑えられず何かを吐き出す。気持ちが悪く、頭もガンガンする。吐き気も止まることを知らず何度も吐いていくうちに、自分が口が出していたものが赤黒い血なことを知った。


「アンナっ!!」


 背もたれのないイスでは身体を支えられず横から倒れ込もうとした時すかさずライトが身体をかかえそっと地面に降ろしてくれた。身体を抱きしめるように支えられたまま横向きにされ、助けを求めるライトの声を聞きながらぼーっと考える。


(これで任務完了なんだ……)


 『姿を隠してもらいターゲットに心の傷を負わせる』

 相手がリオンからライトに変わっただけ。

 きっとどこかにいる別の仲間がそう結論付けたんだ。


「ライト……さま」

「アンナっ! 大丈夫……大丈夫だからっ!」


 ライト様……好き……好きです。アナタに出会えて、恋をして、毎日アンナは幸せでした。

 もう助からないだろうから、最期に、伝えたい。この気持ちを。

 ぱくぱくと口を動かすのを見て何か伝えたいことがあると悟ったのだろう、顔を近付けてくれる


「ぁっ……」



 ——————言い方は悪いけど、亡くなった人より生きてる人を優先させた方がいいかもしれない……



 そうだ……昨日そう思ってたんだった……


 ダメだ。気持ちなんて伝えてる場合じゃない。

 少しでも情報を伝えて私みたいな人を減らしてもらわないと……!

 何か、何か伝えられることはないかな。簡潔に、ライト様にまだ伝えてない、新しい情報を!


 ————————————


「しっかり! しっかりして!」

「っ……」

「なにっ?」


「……ぃか……っーしゃ」

「え?」


 視界も霞み、もう指一本も動かせないがライトが何かを言っているのだけかすかに聞こえる。

 伝わったかな。ごめんなさい。

 これがアンナが伝えられるさいごの情報です。

 こんなことになってごめんなさい。

 どうか、ライト様がこれからも幸せでありますように——






 眩しく感じる太陽の光も地下に入れば関係がなくなる。

 ほろ暗く、湿っぽい空気を肌に感じながら、うちの地下の雰囲気との違いにうちは随分頑張っているんだなと部下達の頑張りを実感する。


 案内の下、目的地へと辿り着く。重厚な扉が取り調べ室、隣の木の扉が見学室だそうだ。


「お前はこっち」

「は?」


 見学室を指差したところで側近であり従者であり乳兄弟の男は上司に対してとは思えぬ反応をする。

 まぁ予想できてたけど。


「なんで?」

「冷静に聞けると思えないから。念の為」

「……」


 否定できないところがあるのだろう、苦虫を噛み潰したような顔をしながらも無言で隣の部屋へと消えていく。

 嘆息し、騎士に開けてもらいながら取り調べ室へと入室する。

 中にいる人物は四名。記録する為の道具を手に持ち角に立っている男。イスに座っている女性。その女性の左右後方に警察官らしき男女。


「アナタは……」


 イスに座っている女性が目を見開きこちらを見つめて来た。近付いてわかったが後ろ手に手錠をされてイスに括り付けられているみたいだ。


「やぁ」

「なんでアンタがここに……」

「なんで? 我が屋敷で起きた事件の犯人を見にくるのは当然じゃないか?」

「——っ!」

「マーガレット・ターナー。いや、今は除籍されたからただのマーガレットだっけ?」

「リオン・エヴァンス……!」


 憎々しげに見つめてくる彼女に見せつけるかのようにゆったりと目の前のイスに座る。

 足を組み、上の膝に両手を乗せて彼女を見つめる。


「ライトは?」

「彼はお留守番」


 こちらからは黒く覆われたガラスの向こう側で大人しく鑑賞していることだろう。


「はっ! やっぱ好きな子を殺したやつのこと許せないから連れてこなかったんだ」

「そりゃあそうだろう。人を一人殺しておきながら情報全部伝える代わりに自分の保護を要求するような奴には合わせられないさ」

「っ……! なによ! 元はと言えばあの二人が悪いのよ!!」


 煽りに弱いのか、はたまた燻っていたものを吐き出したかったのか、捲し立てるように喋り出す。


「せっかく濃い味を二人で飲むように薦めたのに! ライトは後から来て、アンナは一人で先に飲んで! おかげで任務失敗で見放されたのよ!」

「——!」

「せっかく新たな毒作ったから試して欲しいって言われてたってのに」

「ちょっ! ちょっと待ってください!」


 自分が声もなく驚いてる間に、マーガレットの後ろにいた女性が声をかけ止める。

 記録係も聞き逃さないよう耳を欹てているようだ。


「あなたはアンナとライト二人を殺すよう命令されたのですか?」

「そうよ! なのにこういう時に限ってアンナはアタシの言うこと聞かないで一人で飲むんだから!」

「命令は下した人物は? 男爵からの手紙ですか?」

「……手紙はアンナとか、伯爵家のこととかを送るよう言われてただけよ。命令は別の人。名前は知らないけど、通いの庭師」

「——なるほど」


 顎に手をかける。うちは随分敵に侵入されてたみたいだな。

 警官もとりあえずすぐに聞きたかった質問を終えたらしい。どうぞ、目で促している。


「捜査もやる気なかったようだから枕の下に遺書を用意してあげたのに、捕まるなんて意味わからない」

「——はっ」

「なによ!」

「いやいやすまない。遺書ね、くく」


 遺書。その単語を聞くと笑ってしまう。まさにその存在が、ライトの目を覚まさせたのだから。


「マーガレット、あなたは元平民なんだろ? 平民は文字の読み書きができないのが共通認識なんじゃないのか?」

「————は」

「それとも施設では全員に文字の読み書きを習わしてたのかな?」

「……まさか」

「そう、アンナは文字を書くことが出来なかったらしいよ。ライトとマーサが証言している」

「……でっでも! たまに休憩室にいてあった新聞を読んでるのを見たことあるわ!」

「あーそうそう。文字は読めるらしいよ。それも二人が証言していた」

「嘘でしょ」

「一応証拠もチェストの中にあってね。マーサが教えながら書いた歪な文字のカードと、栞が入っていたよ」


 あとはキレイにしたキャンディの包み紙を紐でまとめた物が入っていたが、それは言う必要ないだろう。

 男爵に養子入りさせるために文字の読み書きを教えられたのだろう。それを彼女は勘違いして施設にいる人はみんな教えられるものだと思ったに違いない。

 まっすぐ前を睨みつけていた彼女もうつむき始め表情が見えない。


「施設でアンナに会ったことは?」

「ない。そもそも私語禁止だったし、名前も知っちゃいけなかったから、頻繁に会う人じゃないと覚えてない」

「……なるほど、ははっ。マーガレット、あなたは詰め甘いね」

「——なに」

「そうだろう? どうせ捕まらないだろうからと上から見放されても辞めることはなかった。でも結局見つかったのはやること全部詰めが甘かったからさ」

「——るさい」

「捕まってくれてありがとう。おかげでこちらも怪しい人を一掃できそうでなによりだ」

「うるさい! うるさい!」


 ガシャガシャと手錠を鳴らす音を響かせ、肩の上で切り揃えられたオレンジの髪を振り回す。さすがの暴れ様に警察官二人が止めに入り、退室して欲しそうな視線をよこしてくる。

 ちょっと遊びすぎたな。肩をすくめ立ち上がり出口へと足を向ける。


「あ、これだけは言おう。マーガレット」

「なによ!!」

「あなたは舐めすぎてたんだよ。アンナとライトをね」

「——!!」

(私も人のことを言えないけれどね)


 またなにか喚き始めた彼女に背を向け、再び騎士に開けてもらい部屋を出る。

 すでにライトは待機しており。最近見ることの増えた無表情でこちらを見ていた。


「行くか」

「はい」

「出口までご案内いたします」

「ありがとう。あぁ——第二王子はいらっしゃるかな?」

「殿下は現在所用で王都から離れております。ですがアナタたちに感謝しておりました」

「いやいや、私は何もしてないからね」


 チラッと背後にいるライトを見る。

 そう、被害者が平民、それも貴族を狙った可能性もない事件にやる気のない地方の捜査官達から、王家直属の捜査官に代わるようになったのはこのライトが頑張ったからに他ならない。


 偽の遺書が出てからすぐ、アンナが最後に残した言葉の意味を調べたいと長期休暇の申請をしてきた。

 掠れた声、なんとなくの雰囲気でしか伝わってない言葉に正直調べられるはずがないと思ってはいたが、まぁ気が済むまでやれという気持ちで許可を出した。


 それから周りへの聞き込み、ケリー子爵や新聞社へ訪問。そしてまさかの王都へ赴き王家直属の警察署へ訪問し、答えがわかったと戻ってきた時には目玉が飛び出るかと思った。

 王家直属の捜査官が秘密裏に来た際にはもう、さっさと事件現場を改装したいと思っていた私をマーサが止めてくれたことに感謝していたところだ。


 詳しい話は機密事項なので聞いていない。ただ、アンナが最後に残した言葉は人名で、とある未解決事件の実行犯の名前だということらしい。

 世間に知られてないはずの二人の名前を知っており、なにか任務を下されていたアンナ。おそらくアンナを殺した人物も同じ組織の者だと仮定し、未解決事件の手掛かりを掴むための犯人協力に第二王子が躍り出たというわけだ。


 なんでわかったんだ。そう聞いた時にライトはポツリと言っていた。


「これまでアンナが言ってくれてことを全部信じただけです」


 二人の大事なルームメイトがいたこと。どこにいるかわからないけどもう会えないこと。新聞を読んでいた時にこのことを思い出し、とある事件の犯人の名前を聞きに行ったらしい。

 アンナが最期に残した言葉を伝え、説得したところ犯人の名前を教えてもらい、ライトの長い旅は終わった。

 犯人も捕まり、とりあえずは一区切りだろう。


 なぁアンナ、とんでもないことしてくれたね。

 アイツはすっかりキャラが変わったし、夜空を見上げることも増えた。マーサも歪な文字のカードを形見としてもらったらしい。

 私の周りの環境は良くなりそうだが、悪くもなりそうだ。


 再び見えた太陽の光に目を細め、案内人と別れを告げた。

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