5話目 「またお前かよ、アルスラーン」
十字軍は一つ学んだ。
「アレクシオスは、息を吸うように嘘をつく」
それでも、道案内と補給のために、今はまだ皇帝と手を切るわけにはいかない。
「……我慢だ。今はな」
彼らは二隊に分かれ、荒野を進んだ。
前軍を率いるのは、南イタリアのモテ男、ボエモンド。
次の目的地は、ドリュラエウム。
1097年7月。
ドリュラエウム近郊。照りつける日差しが、体力を削っていく。
谷に差しかかったところで、ボエモンドは野営準備のため
隊を止め、陣形を整えさせた。
だが、ここには、待ち伏せがあった。
両側の丘に、静かに潜む影。
その中心にいたのは、再び現れたあの男、アルスラーン。
「今度こそだ!突撃!」
合図と同時に、谷の両側から矢が降り注ぐ。
雨のように。いや、嵐のように。
「妻を返せー!」
叫んだかどうかは分からない、だが、その怒りは本物だった。
奇襲。
普通なら崩れる。
だが、ボエモンドは違った。
戦場で生きてきた男は、一瞬で状況を理解する。
「まず、守れ! 非戦闘員を中央へ!」
巡礼者、聖職者、病人、負傷者を守ように騎士たちは馬を降り、盾を並べて「壁」になった。
降り注ぐ矢の雨の中で、キャンプの女性たちは必死に水を運び、男たちを励まし続けた「天国行きたい」と言っていた彼女たちも、今は生きるために必死です。
ボエモンドは軍を三つに分け、各方面で陣形を維持し、持ちこたえる。
そして、矢の雨の中でアルスラーンに向かって
「お前の妻と子どもは、アレクシオスのところだぞー!俺たちは関係ねー!」って力いっぱい叫んだかもしれない。
だが現実は厳しい。
矢が突き刺さり、軽装の歩兵たちが次々と地面に倒れていく。
矢は馬にも突き刺さり、「ヒヒーン!」という悲鳴とともに、馬が崩れ落ちる。
乗っていた騎士たちは勢いよく宙に投げ出され、地面に叩きつけられた。
そこへ、トルコ軍の騎馬隊がなだれ込む。
重装の騎士たちも、身動きが取れなくなる。
兵士たちは混乱する。
「やばい……俺たちこのまま死んだら、天国行けないぞ!」
ボエモンドは顔色が変わる。
「……これは、本気でやばい」
ボエモンド軍がもう崩壊しようとした、その時。
「もう大丈夫だ!なぜなら、私が来た!」
……という声が聞こえたかどうかは別として。
現れたのは、ロレーヌ公ゴドフロア。
ボエモンド、大歓喜。
「ゴドフロア!来てくれたか! 今日から兄弟だ!」
「……って、お前、その人数だけなん?!」
そう。ゴドフロア、友軍の危機に駆けつけたが、連れてきたのは、わずか50騎前後(諸説あり)。
...いやまじで何しに来た?
谷の上から下へ攻撃するトルコ軍。
谷の底から、必死に耐える十字軍。
次々と兵を投入するトルコ軍。
「もうすぐ終わりだ!」
実はトルコ軍、十字軍がこの軍隊だけだと思い込み、後を残さず全軍突入。
これが、致命的な誤算だった。
「ドドドッ」と背後から、地響きのような音。
サン=ジル率いる第二軍、到着。
「ワシの仲間は、絶対に殺させない!」
重装歩兵が前に出る。
鎖かたびらの上に鉄製の兜、分厚い盾。手には長槍、あるいは長剣。
防御も、攻撃も、全振り。
まるで人間戦車。
彼らが、軽装歩兵を囲むように前進する。
矢は、弾かれる。近づけば、串刺し。
機動力と弓矢が主力のトルコ軍では、この壁を突破できない。
トルコ軍が「正面の敵」に気を取られている隙に、山の裏側を迂回して現れた影があった。
戦える聖職者アデマール司教であった。
彼が誰だって?今は戦える坊さんとだけ覚えてください。
片手に十字架、片手に槍。この坊さん、誰よりも好戦的にアルスラーンの本陣を背後から強襲しました。
動揺したトルコ兵は、崩れ、逃げ出す。
アルスラーンは、歯を食いしばりながら、またしても敗走。。
「妻よ……すまん。待っててくれ!」
背後から、ボエモンドの声が飛ぶ。
「だからお前の嫁、アレクシオスのとこだって!」
逃げたトルコ軍を追い、十字軍は敵の本営へ入った。
そこで目にした光景に、誰もが息をのむ。
金、銀、財宝。ザックザク!
馬車に山積みの物資、食料も、わんさか。
遠征開始以来、初めての大収穫。
兵士たちは、ようやく笑った。
「……来てよかったな」
この一戦で、トルコ軍ははっきり悟った。
正面衝突は、無理だ。
西ヨーロッパの重装備軍は鎧に身を包み、正面から押し潰してくる力バカな連中。
あれに真正面から当たるのは、自殺行為。
「正面衝突はNG...勝てない戦いは、しない」
彼らは、戦い方を変えた。
やることは、単純。
徹底的な嫌がらせ。
進軍する十字軍に対し、「スッ」と現れて、矢を一、二発。
反撃される前に「サッ」と消える。
追えば、いない。止まれば、また出てくる。
これを、何日も、何週間も、繰り返す。徹底的なゲリラ戦略であった。
そして、本命は焦土作戦。
井戸という井戸を、埋める。
貯水槽には、毒を入れる。
村に着けば、誰もいない。
家もあるし畑もある。
でも、人も、食料も、何もない。
完全なゴーストタウン。
十字軍に、一滴の水も、一粒の穀物も残さない。
進軍中の十字軍、最初は、気づかない。
「まあ、次の村があるだろう」
だが、それが続く。
水がない。食料がない。
勝ったはずの軍が、剣でも、矢でもなく喉の渇きと、空腹でじわじわ削られていく。
この戦法は、確実に、効き始めていた。
つづく。




