プロローグ·前半 「カノッサの屈辱」
時は、十字軍が出来る20年ほど前の時代。
当時の神聖ローマ、キリスト教世界では、ガチの覇権争いが起きていました。
ローマ皇帝 VS ローマ教皇
争点は、シンプル。
「聖職者を誰が任命するか?」
いわゆる、叙任権問題です。
皇帝側は、こんな感じ。
「今日から君が司教ね。はい、任命」
一方、教会側は、こう反発。
「いやいや、神に仕える人事に、俗世の皇帝が口出しするな!聖職者のことは、神聖なる我々が決める」
完全に、正面衝突。
このときの教皇が、グレゴリウス7世。
この人、かなりの“鷹派”。
主張はド直球。
「教皇は、神の代弁者であり、俗世の皇帝より上」
「皇帝は、教皇に従え!」
今の日本で言うなら、天皇陛下が総理大臣に、
「私は神の血筋。お前、私の言うこと聞け」
と言ってる感じ。
そりゃ、揉めます。
当然、皇帝側もイラッときます。
相手は、若い皇帝、ハインリヒ4世。
ハインリヒ4世、彼が打ち出した策は「スキャンダル攻撃」。
そう、あの芸能人たちが週刊文春によく載せられるやつ。
そして、SNSなどで広がると、失脚しかねないような話を、
ハインリヒ皇帝は広めました。
「あのさ、みんな聞いて。グレゴリウス、マチルダとデキてるらしいぞ」
「聖職者として、アウトじゃね?」
週刊誌+SNS炎上コンボで教皇の信用を落として、辞めさせようとしたわけです。
これに対して、教皇は必殺技を繰り出します。
教皇
「ハインリヒ、今日から破門な」
「もう、キリスト信者じゃないから」
この破門攻撃、当時は効果超·抜群です。
なぜなら、キリスト教社会で、「破門=社会的死亡」。
即、超がつく腫れ物扱いです。
ハインリヒ4世の周囲はこうなります。
「あれ?あの人、信者じゃないよね?」
「じゃあ命令、聞かなくてよくね?」
だんだん言うことを聞かなくなる臣下たち。
皇帝の周囲から支持者が離れ、国内では、反乱の気配が強まっていきます
追い詰められたハインリヒ4世は、ついに折れて謝罪すます。
1077年。教皇の滞在するカノッサ城を訪れ、雪の中で、許しを乞う。
「ごめんなさい!デマ、流しました」
「許してください!」
三日三晩、雪の中、裸足での謝罪。
こうして、ようやく破門は解かれました。
これが後に、カノッサの屈辱と呼ばれる出来事です。
めでたし、めでたし〜。
……と、一見、教皇グレゴリウス7世の完全勝利。
ですが、この後のストーリーは、あまり知られていません。
屈辱を受けた皇帝による、大復讐劇が始まります。
破門は解かれ、皇帝の地位は守られ、
国内の反乱も鎮圧できた。
準備が整ったところで
「グレゴリウス、今度は俺の番な!」
屈辱を晴らすためにローマに軍隊を率いて進撃。
進撃の皇帝」ですね、はい。
グレゴリウス7世を追い出し、自分に都合のいい人物を
「教皇です!」
と、勝手に即位させる。
これが、「対立教皇」の誕生です。
結果として、グレゴリウス7世はローマを追われ、南イタリアへ逃亡。
流刑生活の末、1085年に、その生涯を終えました。
グレゴリウス7世の最期は、とても象徴的で、哲学的でもありました。
「我は正義を愛し、不義を憎んだゆえに、流刑の地で死ぬ」
(教皇が皇帝より偉い、それを信じてたから、流刑の地で死ぬ)
グリゴリウス7世は政治的敗北したものの、「教皇は皇帝より上」という考え方は、その後の中世ヨーロッパに深く定着する。
短期的には皇帝の勝利、長期的には教皇権の思想的勝利。
これが叙任権闘争の本質であります。
そして最後に、一つだけ。
物語の舞台、カノッサ城。
ここは、トスカーナ女伯、マチルダの城です。
んん?
なぜ教皇は、「不倫相手だと噂された女性の城」に、都合よく滞在していたのか?
この点について、史料は多くを語りません。
その理由は、読者の想像にお任せします。




