第61話 番外編 止まってもいい
※本編完結後の番外編です。村がひと通りできあがった、ある日の話。外の世界から一人の旅人が通りかかる——それだけの一日です。結末や設定には触れていません。
旅人が村の入り口に立ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
背には、大きな荷。
肩で息をして、額に汗を浮かべている。
急いで歩いてきた者の顔だった。
最初に気づいたのは、森の縁にいたミルナだった。
「……人」
短くそう言って、村の方を見る。
畑にいたエリナが、顔を上げた。
ロウが、手を拭きながら歩いてくる。
「こんにちは。旅の方ですか」
「あ、ああ」
旅人は、少し戸惑ったように頷いた。
「すまない、急いでいるんだ。ここは……村、でいいのか? 地図には、何も載っていなかったが」
「村です」
ロウは、穏やかに答える。
「名前は、まだありませんが」
旅人は、荷を下ろさないまま早口で言った。
「なら話が早い。通行の手続きはどこでする? 誰に許可を取ればいい。金はいくらだ。……あと、いつまでに出ればいい」
一拍。
ロウは、少し考えるような顔をした。
「手続きは、ありません」
「は?」
「許可も、いりません。お金も」
旅人の眉が寄る。
「……何を言っている。どこの村にも、規則はあるだろう。滞在は何日までとか、働けとか、余所者は隅にいろとか」
「ありませんね」
ロウは笑った。
「削らないので」
旅人は、その言葉の意味が分からず、黙った。
入れ替わるように、ユウトがやってくる。
「どうかしましたか」
「……ここの、村長か」
「いえ」
ユウトは首を振る。
「整えただけの人間です」
旅人は、いよいよ困った顔になった。
「じゃあ、誰に聞けばいい。俺は、次の町までに着かなきゃならない。ここで何時間使えるのか、それだけ分かればいいんだ」
「好きなだけどうぞ」
「……好きなだけ?」
「はい」
ユウトは、当たり前のように言った。
「急かす者は、ここにはいません」
その一言に、旅人の動きが、ほんの少し止まった。
リオルが、紙を手に近づいてくる。
「見ますか」
差し出された紙には、短い文字が並んでいた。
――削るな
――止まれ
――囲うな
旅人は、それを読んで、眉をひそめる。
「……止まれ?」
一拍。
「進め、じゃなくて?」
「止まれ、です」
リオルは静かに頷いた。
「止まれない村は、いずれ誰かを削るので」
旅人は、言葉を返せなかった。
彼の知っている場所は、いつもそうではなかった。
早く。もっと早く。止まる者は、置いていかれる。
それが当たり前で、疑うことすら、忘れていた。
やがて、日が傾いてくる。
焚き火に、火が入る。
旅人は、まだ入り口のあたりに立っていた。
荷は、いつのまにか足元に下りている。
「……座っても、いいのか」
「いいですよ」
ロウが、火のそばを空ける。
旅人は、迷いながら腰を下ろした。
硬い地面。
だが、不思議と、悪くない。
エリナが、鍋から汁をよそって渡す。
「冷めるよ」
旅人は受け取り、口をつける。
温かかった。
ただ、それだけのことが、やけに沁みた。
焚き火のそばには、セイが座っていた。
旅人の様子を、少し眺めてから、ぽつりと言う。
「あのさ」
「……なんだ」
「出ていってもいいし」
一拍。
「残ってもいいよ」
旅人は、汁の椀を持ったまま、セイを見た。
「……怒られないのか」
ロウが笑う。
「削れば怒られます」
セイも、少し笑った。
旅人は、しばらく火を見ていた。
肩に入っていた力が、ゆっくりと抜けていく。
どこから来たのか分からない、ずっと入りっぱなしだった力が。
「……本当に、止まっていいのか」
ユウトは、火の向こうで頷いた。
「止まれる村です」
旅人は、それ以上、何も言わなかった。
ただ、椀の温かさを、両手で包んでいた。
夜が更ける。
誰も、彼に何も命じなかった。
働けとも、出ていけとも、残れとも。
ただ、火が燃えていた。
囲いではない光として。
――翌朝。
旅人は、荷を背負い直していた。
昨日より、その手つきは、少しだけ遅い。
「行くのか」
ミルナが、森の縁から言う。
「ああ」
旅人は頷いた。
「次の町に、用がある。……それは、変わらない」
一拍。
「でも」
彼は、村を振り返った。
「急がなくても、いい気がしてきた」
エリナが、畑から手を振る。
「それでいい」
リオルは、紙に何かを書き足していた。
旅人は、それを覗き込む。
――通り過ぎる者にも、余白はある
一拍。
さらに一行。
――止まった場所は、消えない
旅人は、少しだけ笑った。
「……いい村だな」
「名前は、まだありませんが」
ロウが、また同じことを言う。
旅人は歩き出す。
来たときより、ゆっくりと。
村は、彼を引き止めなかった。
見送りもしなかった。
ただ、そこにあり続けた。
選べる場所として。
止まってもいい場所として。
その背中が、道の向こうに小さくなる。
火は、今日も静かに燃えている。
本編完結後の番外編でした。
「削らない・止まれる・囲わない」村に、外の世界から急ぎ足の旅人が一人。第1話でユウトが辺境の静けさに感じた「もう、急かされなくていい」を、今度は通りすがりの誰かの側から書いてみたかった、という一話です。本編の結末には、何も足していません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




