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春の嵐と名無しの愛  作者: 青桐鳳梨


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9/18

春原さえる①

 放課後、青次を初めとするクラスメイトたちは早々と部活動見学に出向いて行った。入学して二週間ぐらいしか経っていないのに、皆、高校生という身分に馴染んでいるように見えた。部活に入るかどうか、という些細なことに足を引っ張られているのはたぶん、僕ぐらいだ。


 来週までには、部活に入るかどうかを決めなければならない。これから三年間を過ごす場所を決めるための時間が、たったの一週間ぐらいしかないなんて、あまりにひどいシステムではないだろうか。


 僕の勝手なイメージなのだが、部活に一度入部したら、三年間をその部活に費やさなければいけない。辞めることはすなわち、転落を意味している。退部は一つの失敗で、挫折なのだ。もっと気軽に部活を辞めたり、変えられたりできたらいいと思う。そうすれば僕はもっと気軽にチャレンジできるのに。しかしそういうシステムでもチャレンジをしている人間がいることは事実で、結局、僕がチャレンジしないのは僕の問題であるに過ぎないのだろう。


「……帰ろう」


 文芸部は、今日は正式に休みのはずだ。もちろん、活動日といったって、現在部員は一人もいないのだ。活動日も休みの日もあったものじゃない。

 活動日は、あの祝井先生が一人で部室に待機しているのだろうか。その光景は少し、気の毒に思わなくもない。ただ、やはりあの先生の癖のある人格というか、嘘つきの一面が、生徒を遠ざけているような気もする。要するに、部員が集まらないのもあの人の自業自得に過ぎないのかもしれないのだ。

 廊下は活気に満ちていて、部活動見学に行かずに帰ろうとする僕は、周りの雰囲気から浮いているような気がする。


 空には雲が多い。今にも雨が降りそうだけど、雲の亀裂から黄色い太陽光が差し込んでいて明るかった。週末は天気が荒れると言っていたし、近いうちに雨が降るかもしれない。そうすれば周囲に植わっている桜の花も見納めだ。低いところにはもう、緑の葉っぱが芽吹いていた。

 屋根付きの駐輪場に止めてあった自転車を押して校門を出る。校内と校門付近は自転車に乗ってはいけない、というルールがあって、それは混雑する校門の周囲の安全を確保するためらしい。


「あのー」


 銀色のママチャリを押して校門を出たところで、話しかけられる。

 制服姿の女の子だった。緑北高校の制服ではない。

 中学生、に見えた。


「春原そよぐを知っていますか?」


 その名前を聞いた時、ほんの少しの動揺が僕を襲ったのは言うまでもない。


「知っているんですね」


 会話のわずかな間から、その女の子は僕が春原そよぐを知っていることを悟ったらしい。


「あの……確かに知っているけど、君は?」

「これは失礼」


 とその子は言って、深々と頭を下げた。丸々とした黒髪の毛先が地面を向く。


「私は春原さえる。春原そよぐの妹です」

「妹……」


 頭の中で、彼女の顔をぼんやり思い浮かべる。目の前にいる女の子と、頭の中の彼女の像を比較した。


「似てない、かも」

「む、失礼ですね」


 春原さえるは口元に余裕そうな笑みを浮かべて言った。


「実に失礼ですよ、お兄さん。私たちが連れ子の姉妹や、異母兄弟だったりしたらどうするんですか?」

「え、そうなの? ごめん、配慮が足りなかった……」

「いえ、今のは単なるものの喩えに過ぎません。私たちは同じ父親と母親を持つ姉妹です。命拾いしましたね」

「…………」


 発言は子どもっぽいが、表情は大人びている。落ち着いた表情は、確かに少し似ているかもしれない。


「あ、今あなた、めんどくさいと思いましたね? よくないですよ、そういうの。もっと私を大切にしてください。ここで私とあなたが出会ったのも何かの縁です。そういった出会いの一つ一つを尊重したほうが、もっと人生豊かになりますよ」

「……やっぱり、似てない」


 たくさん喋るところが。しかし「縁」という言葉のチョイスは「運命」を彷彿とさせる。ワードセンスは多少似通っているかもしれない。


「それで、さえるさんは何をしに来たの? お姉さんに会いに来たのかな」

「あ、そうでしたそうでした。姉に会うためにここまで来たんですよ。でも姉のクラスがわからなくて、ここで姉のことを知っていそうな人を待ち構えていた、というわけです」

「……お姉さんを知っていそうな人? どうやってそれを見分けるの?」

「単純な話です」


 と言って春原さえるは右手の人差し指を立てた。


「まず一年生を捜します。一年生かどうかは、校章の色を見ればすぐにわかります」


 緑北高校の生徒は、制服の襟に校章を着けることが義務付けられている。一年生は青色、二年生は緑色で、三年生は赤色だった。


「もちろん、学年だけわかってもどうしようもありません。高校の一学年には三六〇人いると聞きました。一年生を闇雲に当たっても、姉を知っている人物に当たるのは少し難しそうです。そこで手がかり二つ目」


 今度は中指を立てる。


「自転車、です。ご存じかもしれませんが、私たちの家はここから歩いて二十分程度のところにあります。自転車通学している高校生も、近場の区域に自宅がある可能性が高い。つまり、姉と同じ中学に通っていた可能性が高いことを意味します」

「……なるほど」


 大した推察力だと思うと同時に、僕にとって新しい事実が会話の中にあったことに気が付く。


「春原さんの家って、ここから近いんだ……」

「あ、そうですよ。知らなかったんですか? 私が通っている中学も、この近くなんですよ」


 春原さえるは、近隣の中学校の名前を挙げた。青次や神野さんの母校だった。


「あなたはそこの学校の卒業生ではないんですか? 姉を知っているから、同じ学校の出身者かと思いましたが。もしかして、姉と同じクラスですか?」

「いや、ちょっと違うんだけど……」


 お姉さんに告白されました、と言ったら彼女は驚くだろうか。


「まあ、いいです。姉のことを知っていればそれで。姉は何組ですか?」

「三組だよ」


 僕は校舎を指さして、三組の教室までの道筋を教える。僕の曖昧な教え方で理解できるかはわからないが、春原さえるは頷きつつ話を聞いてくれた。


「なるほど。よくわかりました。校内で、また誰かに一年三組までの道順を訊きたいと思います」

「わかりにくい説明で申し訳ない……」

「いえ、いいんです。クラスがわかっただけで、私の目的は達せられたみたいなものです」

「……ちょっと気になったんだけど、別に学校まで来なくても、スマホとかで連絡を取り合えばよかったんじゃない?」

「それができればよかったんですけど、あいにく、私が家の鍵を忘れてしまったんです。だから、家にスマホがあったとしても、家の中にすら入れないためスマホで連絡を取ることは不可能です」

「ああ、そういうことか」


 家の鍵を姉から借りるために、彼女はわざわざここまで来たのだろう。


「……ん、家の中にスマホがあったとして?」


 ちょっと引っかかる言い方だった。


「あ、気が付きましたか。さすが、姉と同じ高校に合格しただけありますね。馬鹿ではないみたいです」


 少し失礼な物言いを挟んで、彼女は言葉を続ける。


「私、スマホを持っていないんです。姉も同様です。スマホを持っていません。ですから連絡を取り合うのは、私が鍵を持っていたとしてもできません」

「え、スマホ、持ってないの?」


 中学生が持っていない、というのは、まだありえるかもしれない。でも、高校生である姉も持っていないのか?


「それって、学生生活やっていけるの?」

「やっていけますよ、たぶん」

 そういえばさっき、自動販売機の前で会ったとき、スマホの連絡先の交換を僕が提案したら、彼女は難色を示していた。それもそのはずだ。彼女はスマホを持っていないのだから。皆が皆、スマホを持っていることを当然だと考えていた自分の視野が狭かった。


「スマホなんて、持ってても持ってなくてもあまり変わりませんよ。スマホなんて道具に過ぎませんし、人間関係は、そんな板切れ一つに左右されません。魅力的な人間はスマホがあろうがなかろうが魅力的です」


 そうなのだろうか。僕はもう、スマホを使った生活に浸かりきっていて、スマホがない生活はいまいち想像ができなくなっていた。


「姉は、スマホに頼らなくてもうまくやれていると思います。この上なく社交的ですし、誰しもがあの人のことを好きになるような、そんな魅力を持っていますから」


 社交的? どうやら、僕から見た彼女と、さえるから見た姉の間には乖離があるらしい。


「君から見たお姉さんって、どういう人なの?」

「どういう人、ですか。そうですね……」

この章から、本文が長い章をいくつかのページに分けています。

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