校舎裏、盗み聞き
春原そよぐが所属するクラスを探し出すのは、さほど難しいことではなかった。
休み時間、僕は活気ある生徒の群れに紛れ、ほかのクラスの様子を伺った。小学校、中学校と違ってほかの組の教室に入れるのが新鮮だった。なんだかいけないことをしているみたいでどきどきする。そういった感覚も高校生活を送っていくうちに薄れていくのだろうけど。
目的の人物はすぐに見つかった。彼女は三組に所属していた。彼女に呼び止められたらどうしよう、などと心配していたのだが、その心配は杞憂に終わった。彼女はスマホをいじっていて、離れたところから様子を伺う僕には気が付きもしなかった。
僕のクラスは一組だった。彼女の呼び出しは下駄箱の手紙という古典的手法で行われたので、彼女は僕のクラスも出席番号もすでに把握済みということになる。調べようと思えば、それぐらいはいともたやすく把握できるみたいだ。
遠くから彼女のことを観察しようとも思ったのだが、教室の出入り口付近から観察していると怪しい人物だとみなされかねない。実際、僕のやっていることはストーカーに近いものであり、怪しい人物であることには相違ないのだが。
少し長めの髪の女子生徒が、スマホをいじっている彼女に近づいて話しかける。話の内容はここからじゃ聞こえない。話しかけたほうの生徒が何かを言って、それに対して簡単な返答をしている。
教室から出ていく生徒の流れに沿って、僕はその場を離れる。
大したことはわからなかったが、クラスがわかったという収穫はあった。今まで何も知らなかったのだから、その状態に比べたら大きな一歩だと言える。
彼女のクラスでの振る舞いを見ていると、あまり社交的なタイプには見えなかった。彼女に話しかけたのは、あの女子生徒一人だけ。いつも複数人で行動するような生徒ではないのかもしれない。もちろん、たった数分の観察で彼女の交友関係を把握できたとは言えないけれど。
しかし仮に、友人の輪がそこまで大きくないのであれば、一昨日の告白が虚偽である確率は減るのではないだろうか? そういうくだらないいたずらは、集団の無自覚な、あるいは自覚的な暴力性から生まれるものだ。退屈だから、おもしろそうだから。そういった軽薄な理由で他人の心を揺さぶろうとする、というのが僕の嘘の告白に対するイメージであり、そういったくだらない、ちゃちな暴力はたぶん存在している。でも彼女はそれに加担してはいないようだった。
彼女の人間関係が垣間見えたのは大きい。気が合って仲を深められるのはやはり同じような感覚を持った人間だろうから、彼女に話しかけたあの女子生徒を調べれば、彼女がどのような人間なのかを知ることができるかもしれない。
と思ったところで、ふと仮説が生じた。
僕が彼女の友達に注目したのと同じように、彼女も僕の友人を気にかけているということはないだろうか?
すなわち、檜山青次を。
青次は人気がある。下卑た言い方をするなら、モテる。人気がある人間は、人気がある、という評価でさらに他人からの好意を集める。
あいつに近づくために、その友人である僕に近づいたという可能性はないか。
こういう言い方はあまり好ましくないが、青次の特別な人間になることは、倍率が高い。彼のことを狙っている生徒は多いだろうが、恋人になれるのはそのうちのたった一人だ。真っ向勝負をかけても届かないと考えた彼女は、青次の横にいる僕を足掛かりに攻めを試みる作戦を考えた。
「ってことはないかな」
と僕は当の青次に相談する。
「いや、ってことはないかなと言われてもわからんし、そもそもそれ、俺に言う?」
「だって相談できるような友達、ほかにいないし」
告白されたときの立ち回りについて、青次は僕よりも詳しいはずだ。
「尊敬するよ。そこまでの素直さがあるなら、その女の子と直接話してくればいいんじゃねえの?」
と青次は呆れた口調で言った。
「僕がそれをしないのは、やっぱりなんか裏があるんじゃないかって思うからだよ。直接訊いたって教えてくれない裏が。それを探るにはやっぱり、遠くから眺めるしかない」
「遠くから眺めていたって、内面までは見通せない」
という青次の言葉に、正しい、と僕は思った。けれど内面が全てではないとも思う。その行動からうかがい知れるものだってきっとある。
「でも、そういう作戦で告白までするってのは、少し違うんじゃないか。告白して、もしもお前がイエスを言ったら、お前と付き合わなければいけない」
「そのときは、青次との関わりが持てた時点で僕を振ればいい。それで人間関係は元通り。彼女は念願の青次の連絡先がゲットできる」
「……自分で言っていて、悲しくないのか」
悲しいか悲しくないかで言えば、もちろん悲しい。僕だってそういうことにしっかりを悲しみを覚える人間なのだ。
人から好きだと言われればもちろん嬉しいし、人から好意を不意にされるようなことを言われたら相応に悲しい。
「仮にそいつがそういう、他人を踏み台にする人間だったら、俺は嫌だな。そういう人間は、捨てる時も早い。大げさな表現かもしれないが、一度裏切った人間は二度目も裏切るもんだよ」
「そういうダーティな手段を取りたくなるぐらい、青次のことが好きだって解釈もできる」
「嫌な解釈だ」
と青次は笑う。
「死ぬほど想われているというのはそこまで嫌じゃないが、そこに誠意が伴うかっていうポイントは、俺にとっては重要に思えるよ。手段を選ばないっていうのは、そんなに好きじゃない」
「過程が大事ってこと?」
「過程も大事ってことさ」
と決めたような顔で言う青次に少しムカつく。でもやっぱり様になっていて、やはりこいつはモテるだろうな、という感想を抱く。
昼休み。僕は登校中にコンビニで買ったコッペパンと五百ミリリットルのミネラルウォ―ターを持って、春原そよぐの教室へ向かう。一緒に食事でも取ろうという魂胆があるわけではもちろんない。昼休みの彼女の様子を探るためだ。
僕が三組の教室に向かっている途中、彼女が教室のドアから廊下に出てくるのが見えた。学食で買えるパックの丼ものを持っていた。隣にいるのは、先ほどの休み時間、彼女に話しかけたあの女子生徒だった。
二人は僕と彼女らの間にあった廊下を曲がっていく。僕はその後を少し離れてついていった。ストーカー、というより探偵気分になっていたのは否めない。やっていることは同じだったが、名称の違いというのは案外大きいものだ。
二人は校舎裏の小さな階段スペースに陣取る。右手にはテニスコート、左手には校庭があり、その二つを繋げる狭いスペースが目の前にある。この時間帯はあまり人が通らないらしく、遠くから昼休みのざわめきが聞こえてくるだけで、辺りは比較的静かだ。
僕は地上階にいる二人の真上、二階の廊下に腰を下ろす。耳を澄ませば、開いた窓から二人の会話を聞くことができた。
「ねえねえ、部活どうする? 入るかどうか決めた?」
もう一人の女子生徒が訊く。部活? と僕に告白してきた女の子が訊き返した。
「どうしようかな、三年間ずっと一つの部活に拘束されるって考えると、どうしても億劫になっちゃう」
「無気力だね。そんなんじゃ友達は私一人だけになっちゃうよ? 一人でお弁当を食べることになっちゃうよ?」
「それならそれで、別にいい。最近は部活に入らない人も増えているって聞くよ。部活に入って目標に向かって頑張るっている価値観自体、一つ前の世代のものなんじゃないかな。皆でわいわい楽しみたいって人だけ、部活に入ればいい。ま、入るとしたら楽な部活かな」
部活加入に消極的、というところで、僕と彼女は共通しているらしい。僕よりも彼女のほうがドライな考えを持っているみたいだが。
「確かに、無理して部活に入る必要はないけど、でもどうせなら、何かしら入っておきたいなあ。もし合わなかったら辞めればいいんだし。あ、でも、努力が必要な部活だけは嫌だな」
「努力しても続かないから?」
「正解。よくわかってるねえ」
と、髪の長い女子生徒が嬉しそうに言う。彼女らはお互いのことを深く理解し合っているようだ。僕と青次みたいな関係性なのかもしれない。
「そもそも私、努力って大っ嫌い」
と、もう一人の女子生徒は続けて言う。その言い方が少し攻撃的なものに聞こえて、直接言われていないのに、少しどきっとしてしまう。
「小学校の先生が言っていたんだけどさ、努力の努って、もともとは奴隷の奴だったんだってさ。つまり他人からの強制が、努力っていう言葉の根っこ部分にあるんだよ。そのことを教えてもらったとき、私は努力って言葉の本質を理解した気がした。だって、何かを頑張ることは他人より自分が上に立ちたいって行為なわけじゃん。自分のためにやってるんです、なんてのたまう人だって、他人と自分を比べて、その他人に合わせて自分を上げようと必死になっている。他人との比較の上でしか成立しない価値観なんて、意味がないでしょう」
話を聞いていた彼女が何かしら返答する。しかし声が小さかったので、内容は聞き取れない。
「努力は必ず報われるって言うじゃん。それも嘘だ」
とその女の子は断定的な口調で言う。
「努力をしたって報われないこともある。そんなの誰だってわかることじゃん。才能や環境で、そもそものスタートラインが人によってバラバラなんだよ。それらの差が努力で埋め合わされるという発想が、気に入らない。努力で全部どーにかなるって考えが、世界を少しずつダメにしているんだ」
「……大げさ」
と僕は小さく呟いた。言わんとしていることはわからなくもない。努力は必ず報われる、という言葉は、必ずしも真ではないと僕も思う。
「入るなら、やっぱ暇そうな部活がいいなあ。私も文芸部とかにしようかな」
そこで文芸部の名前が出たことに、ぎょっとする。なんとなくだが、今話している生徒と、あの祝井先生はそりが合わなそうだ。
「ま、そもそも部活に入れるかどうか、まだわかんないだけどね」
と言ったところで、黙って話を聞いていた女の子が、また小さな声で返答した。
不意に、廊下の向こうから人が歩いてくるのが見えた。白衣を着た教師だった。名前はわからない。
こんなところに座り込んでいたら怪しまれると思い、立ち上がる。それでスマホをなんとなく見て、待ち合わせでもしているかのような感じで、少し歩いた。
僕の演技が功を奏したのか、はたまた向こうが僕に何の関心も抱かなかったのか、先生は僕に何も声をかけることなく通り過ぎる。
先生が廊下の向こうに見えなくなった後、僕は再び先ほどの位置に腰を下ろして、二人の会話に耳を澄ませる。
「そういえば、告白のことなんだけどさ」
と髪の長い女の子が言う。
告白?
「もうそろそろ返事があってもよくない? こんなに待っているんだからさ」
背中が冷える感覚。今すぐ、この場所から逃げ出したい衝動に駆られる。
そりゃそうだ。僕が青次に相談したように、向こうだって、友人に相談したっておかしくはない。髪の長い女の子は、話を聞いている限り、自分の意見をまっすぐに言ってくれる人間のようだ。相談役にはぴったりだろう。
「向こうには向こうのテンポがあるんだよ」
きっと、と彼女は穏当なことを言ってくれる。
「テンポ、ね。優柔不断なだけじゃないといいけど。私、優柔不断な人間も嫌い。悩めば全てが解決すると思ってる感じがするし」
と、もう一人は厳しいことを言う。こんなにも考えが違うのに、どうして二人はうまくやっていけているのだろう。少し不思議だ。
「大体、相手を待たせるのはちょっと失礼じゃない? まったくの他人から好意を向けられるなんて、滅多にない経験だよ? それなのに、その愛を保留してほかのことにかまけているなんて不誠実だ」
その考えはわからなくもない。確かに他人から好きだと言われるのは滅多にあることではない。でも、だからこそ慎重になりたいのだ。すぐに好意を受け入れることは、必ずしも誠実を意味しない、はずだ。
「本当に相手が好きなら、保留なんてしないかもね」
と僕に告白した彼女が言う。解釈によっては、すぐに返事を返さない僕への非難にも聞こえた。
「ま、例えフラれたとしてももっといい人はいるからね。あんなパッとしない見た目の奴なんかより、かっちょいい人間は山のようにいるから」
と髪の長い女の子が言う。
悪かったな、パッとしない見た目で。
というか、女の子はそんなすぐにほかの誰かのことを好きになれるのだろうか? あの春原そよぐと名乗った子は、僕との出会いを運命とまで言った。もし僕が彼女の告白を断ったとして、そして彼女がまたほかの誰かのことを好きになり、告白したとして、その時も「運命」という言葉を使うのだろうか?
もしそうだったら、「運命」という言葉も安っぽい。
「人間、見た目じゃないよ」
とフォローにもなっていないことを彼女が言う。
やっぱり、彼女は僕の見た目に惹かれたわけではないらしい。となると、彼女は僕の内面に惹かれた、ということになる。話すこともなく、彼女は僕の内面を理解したのだろうか。そんなこと、ありえるだろうか?
それとも、本当に運命的な何かが、僕と彼女の間に働いていて、彼女はそれを感じ取ったのだろうか?
「その言葉はもう古いよ。その人の内面はある程度見た目に反映される。自分を大切にできない人の身なりは整っていないし、見た目に頓着しない人の内面はあまり綺麗じゃない。外見と心の裡を分けて考えることはできないよ」
その女の子はさらに喋りつづける。
「それにやっぱり、無意識のバイアスもある。見た目がいいと、その人の心根もいいものだと錯覚してしまう。結局、その人の内面なんてわからないから、目に見える要素から判断するしかないんだ」
「悲観的だね」
と話を聞いていた彼女が感想を言う。
「リアリストなだけだよ。自分で言うのもあれだけど。それに、向こうだってどうせ、私たちを顔で選んでいると思うよ」
「……それは、違うかも」
と小声で否定してみる。もしも僕が見た目で告白を受け入れるか否かを判断するような人間なら、判断を保留なんかにしないし、今こうして冷たい廊下に腰を下ろして二人の会話に耳を傾けることもしない。
もちろん、僕だって顔に印象を左右されることはある。だけど……顔だけじゃないだろう? 人間って。それ以上に豊かな内面が、たぶん人それぞれの心の中にあるはず、と僕はぼんやりと思っているのだが、そう反論してもあの女の子は納得しないだろう。
「じゃ、どうやって人を好きになればいいと思うの?」
と僕に告白してきた女の子が、反論らしきものを試みた。そりゃ、せっかく他人に告白したのに、その好意に否定的なことを言われたら、ちょっとは言い返したくなる。
少し考える時間が空いて、もう一人の女の子が答える。
「勘だね」
「……それって、結局は見た目に惹かれた一目惚れと同じじゃない?」
「いや、違うよ」
と彼女は即座に否定する。
「相手と話し合って、触れ合って、本質を理解するんだ。人間の本質は理論や論理で理解できない。言葉なんかじゃ記述できない、もっと感覚的なものなんだ。直観でしか見通すことができない。そういう点で恋愛は痛みと一緒だね」
痛み、と話を聞いている彼女と僕が繰り返す。
「慣れることはある程度できるけど、コントロールは難しい。共感もできなくもないけど、結局は自分で引き受けるしかない。痛みを言葉で言い表したとしても、実際にその痛みを感じることは他人には不可能だ。自分の感覚でしか解釈できない。そういうものだよ、恋心って」
なんて、よくわからないことをその女の子は言う。
間違っている、とも思えないのだが、肯定できるとも思えなかった。それは僕の恋愛経験が乏しいからなのだろうか?
わからない。
わかろうとすること自体、間違っているのだろうか。つまり、論理的に理解しようとするのではなく、もっと感覚的に相手のことを捉える必要があるのかもしれない。
感覚的。まず、大前提に「好き」か「嫌い」で相手を判断する、ということだろうか。
僕に告白してきた、春原そよぐ。
理屈はともかく別として、僕はあの子が好きだろうか?
瞬間、頭上の窓ガラスがガタガタと揺れる。
桜の花びらが開いた窓から一枚、二枚、廊下へと流れ込んでくる。強い風が、廊下に貼ってある掲示物を乱暴にめくった。空になったミネラルウォーターのペットボトルが音を立てて廊下に転がった。
「何、風?」
とさっきまで恋愛観を話していた女の子が言った。見ていないからわからないが、たぶん二人は校舎の窓を注目している。
「そろそろ戻ろうよ」
と言ったところで、昼休みがあと十分で終わることを知らせる予鈴が鳴った。




