春原そよぐ
空は薄い雲で覆われていて、ところどころ青空が覗いている。週末は大荒れと天気予報が言っているので、ここから天気は下り坂になっていくのだろう。近辺に生えている桜も、土日で全て散ってしまうのかもしれない。
放課後、僕は校舎裏で人を待っていた。
こうして一人で佇んでいると、待つという行為がいかに相手に依存しているかが浮き彫りになる感じがする。来るか来ないかは相手の意志にかかっていて、相手の意志決定がなされるまで僕にできることは何一つない。
しかし、この呼び出しに相手は応えるだろうという自信があった。自信に根拠はなかったが、確信めいたものが僕の中にあった。
そしてやはり彼女は来る。僕の不安と期待を他所に涼しい表情で、彼女は校舎裏へやって来た。
「やあ、お待たせ」
春原そよぐは、ラフな感じでそう言った。僕は今、こうして他人を呼び出して、一対一で向き合っていることに緊張しているのに、彼女は微塵も堅苦しさを見せない。
「最近よく会うね。これも運命かな?」
「思ってもないことを言うなよ」
と僕が言い返すと、彼女はふふふ、と笑う。
「確かに運命じゃないかもね。君はただのストーカーだ」
「それもちょっと違うけど」
と否定したところで、話は進まない。
「今日は何のようなのかな。告白? 結論を先に言っておくと、お断りだよ」
「いや違う。ちょっと話……というか確認したいことがあって呼んだんだ」
「確認、ね」
「そう。青次のことで」
やや間が空いて、彼女は、ああ、と言う。
「檜山青次のことね。君は、どこまで知っているのかな?」
「どこまで? 僕が知っているのは、君が青次に告白して、フラれた。それだけだよ」
「そう。それだけ知っていれば充分な気がするけど。それが私と檜山くんの間に起こった全てのことだよ。私は告白して、フラれた。それだけ」
と事の顛末を語る彼女の口調は軽々しい。諦めている、という見方もできなくはないのだが、何かが少しおかしい気がする。
「実は一昨日の昼休み、君と君の友達が話しているところに通りかかったんだ。君らは少し気になる話をしていた」
「一昨日の昼休み? ……ああ、校舎裏の階段の。やっぱり君、ストーカーじゃない? 偶然通りかかったみたいな口調だけど、あんな所、偶然でも通りかからないでしょう。何もないんだし」
その指摘は正しい。が、スルーして話を進める。
「告白の話を春原さんたちはしていたんだけど、君は青次の顔を評して、パッとしない見た目の奴って言っていた」
「うん、言ったよ」
と彼女はノータイムで肯定する。
「それが、何?」
「……少し不思議だったんだ。好きな人に対して、そういうことを躊躇なく言えることが」
その言葉を聞いた時は、特に違和感を覚えなかった。なぜなら、彼女が貶しているのは僕のことだと思っていたからだ。しかし、今は状況が違う。春原さんは青次に告白していて、見た目の批評をしていたのも青次に対してのことだと知っている。
「もしかして、だけどさ。春原さん、別に青次のことを好きじゃないんじゃないでしょ」
「……へえ」
ふふ、と彼女は微笑を洩らして、口元を右手で覆った。どこか楽しそうな、嬉しそうな目で僕を見る。
「君、なかなかやるじゃん。そう、そうだよ。わざわざ言葉にするまでもなく、私はさしてあの人のことを好いてはいない。感情的な問題だから確実なことは言えないけど、もし私が彼のことを好きだったとしたら、私から見た檜山くんはもっと魅力的な人間に見えているはず。欠点なんて見えなくなるぐらい、カッコよくね」
恋は盲目、なんて言葉がある。好きな人に対しては、悪い部分も魅力的に映ってしまうことがあるらしい。
春原さんは青次のことを、もっと冷静な目で、言い換えれば醒めた目で評価していた。違和感、とまではいかないけど、春原さんから青次へと向かう行為を疑うには十分だった。
「好きでもないのに、告白したんだ?」
「うん。そうだね、そういうことになる。でもさ、恋愛って必ずしもお互いに想いあっているというところからスタートするものじゃないでしょ? 触れあって、心を通わせあって、それでお互いのことを好きになるっていう将来への可能性を信じて交際を始めるという恋の形も、たぶん、世の中にありふれているよ」
春原さんの言っていることは間違っていないのだろう。世の中には、好きでもない人と付き合える人間がいる。好きになってから付き合うのではなく、付き合ったから好きになる人が存在する。
「でも、春原さんは違うよね。君は別に青次と将来的に心を通わせ合うことなんて期待していなかった」
「……そういえば、一昨日さえるちゃんに会ったんだっけ」
と、唐突に彼女は話題を変える。
「……そうだけど」
「そのことについて、少しさえるちゃんとお話ししたんだ。私がどういう人間なのか訊かれたって言ってた。ということはつまり、私の内面、考え、思想信条を君は既に知っているというわけだ」
「少しの話だけで理解しきれるような人間ではない、ということは妹さんから教えてもらったよ」
「違いない」
と言って彼女はまた楽しそうに笑う。表情や雰囲気は爽やかなのに、なぜかその表情の裏に不穏な空気が溜まっているような気がしてならない。
「春原さんは、嫌いな人間を徹底的に攻撃してしまう人だって言っていた」
正確に言えば、そう判断するに足るエピソードを聞いた、というのだが、具体的なところは省略する。相手にも意図がうまく伝わったようで、彼女は、ああ、と言って頷く。
「そういえば、その話もしたんだっけ。さえるちゃん、おしゃべりだなあ。……そうだね、否定はしないよ。別に誇ることでもなければ、反省もしていないんだけどね」
「考えたんだ。どうして春原さんは好きでもない青次に告白したんだろうって。考えた時に、君の攻撃的な部分に連想が及んだ。もしかしたら君は、誰かに攻撃をするために青次に告白したんじゃないか」
春原そよぐは、おそらくそういうことができる人間だ。誰かを傷つけるために、誰かに好きと言える人間だ。敵意を満足に発揮するために、好意を利用できるような人間だ。
「仮にそうだとして」
と彼女はよく通る声で言う。
「君の言っていることが正しいとして、私は誰を攻撃したかったと君は思うのかな?」
「青次に告白することでダメージを与えられるのは、青次のことを好きだった人間に限られる。君と青次が付き合えば、その人は失恋の痛みに呻くわけだから」
それがどれほどの痛みなのか、僕は想像することしかできない。けれど失恋は今現在に至るまで多くの創作の中で取り扱われてきた。失恋の痛みから自ら命を絶つ、という作品も探せばどこかに存在するだろう。
「一昨日の昼休み、春原さんと君の友人が部活の話をしていた時に、君は部活に入るなら努力をしない部活に入りたいって言っていた。君は努力が嫌いだと、努力は必ず報われるって考えが世界を少しずつ駄目にしているんだと。……僕は一人、君とは真逆の考えの女の子を知っている。努力をすることで自分を肯定してきた女の子を知っている」
「へえ、知り合いなんだね。神野さんと」
そう、神野早紀。彼女は青次のことが好きだった。
「君は自分とは真逆の考えを持つ神野さんを害するために、神野さんが好きだった青次に告白したんだ」
そう結論付ける僕の声は少し震えていたかもしれない。自分で出した結論なのに、違っていてほしいという願望がわずかに僕の中にはあった。
が、彼女はあっけなく僕の言葉を肯定する。
「そう。そうだよ。よく気が付いたね。探偵みたい」
と、彼女は犯人みたいなセリフを吐いて、そこに風が強く吹き付ける。
やはりそうだったのだ。春原さんは好意で青次に告白したのではない。告白の根底にあったのは単なる敵愾心に過ぎなかった。
「どうしてそんなに、好きでもない人に告白できるほど神野さんを嫌ってるんだ」
「恵まれた環境にいるくせして、成果を努力だと思い込んでいるからだよ」
恵まれた環境。自動販売機前でのやり取りを思い出す。確かに神野さんは、金銭的に恵まれた環境にいるのかもしれない。
「さえると会ったってことはもう察しているんじゃない? 私たちはスマホを持っていない。金銭的に持てないんだ。家庭の事情ってやつかな」
そう言う彼女の口調には、屈託などは微塵も見られない。
「部活に入るのにもお金はいる。塾に通うのにもお金がいる。私は別に、自分の生まれた環境だとか境遇はなんとも思っていない。私は生まれた頃から比較的貧しい環境に身を置いていたし、それが当然のものだと思っているから。魚が魚であることを絶望しないように、私は私であることを悲観しない。自分のことを可哀そうだと思わないし、そう思ってしまうとたぶん幸せになれない」
ふっと、短く息を吐く。
「でもさ、それはそれとして、他人の考えが受け入れられるわけじゃない。努力は必ず報われるっていう考えは私の生き方を否定している。努力が報われないことはあるし、そもそも努力ができない人間だって存在する。スタートラインが大きく違う人だっている」
春原さんの言うことは正しい。努力じゃどうにもできないことも存在する。残念なことだけど、努力が報われないことだってあるのだ。
「生存者バイアスだよ。努力をして何かしらの結果を残した人間が、努力は必ず報われるなんて能天気な言葉を残したんだ。私たちみたいな、努力以前に舞台に立つことすらできない人間たちの言葉は後世に残らない。戦争で負けた国の言葉がなくなってしまうのと同様にね」
「思想が相いれないから、神野さんを傷つけようとした?」
「あえて言葉にするなら、そうなるね」
おかしい。目の前の彼女は、明らかに何かがおかしい。
普通、何か受け入れられない思想や信条があったとしても、それを理由に誰かを傷つけようとはならない。確かに他人に嫌悪感を抱くことはあるだろうが、それを理由に相手を害することなど、あってはならない。
相対する春原さんは、清々しいまでに凛とした表情でそこに立っている。正しいとか、間違っているとか、そんな価値観など超越したような存在感を放っている。彼女の言動一つ一つに正当性があるのではないかとまで思わせるような、そんな強さが滲み出ている。
「春原さんは、これからもそうやって生きていくの? 気に入らない人間を攻撃して、叩き潰して、敵意を振りまいて生きていくの?」
「さあね。君には関係ないことだ」
なんて平易なことを春原さんは言った。それも正しい。彼女の生き方は、どう解釈しようとやっぱり僕には関係のないことだった。
少し寂しいことだけど。
「そもそも、君は誰だい? 私は君の名前すら知らないよ。他人の生き方に文句をつけて、素姓を根掘り葉掘り問いただす以前に、君はもっと自分のことを話さなければいけないんじゃないの?」
ま、どうでもいいんだけどね、と春原さんは突き放したことを言う。
「ああ、そう。私の自己紹介がまだだった。もう知っているみたいだから必要ないかもしれないけど、礼儀として一応名乗っておくよ。私の名前は春原そよぐ。縁があったらまた会うかもね。それじゃ」
くるりと背を向けて彼女は校舎裏から去っていき、後には僕だけが残される。
「……嵐みたいな奴だ」
春原そよぐ。いい名前だと思った。本当にそう思っていたのだ。
風が強く吹き付けて、桜の花びらを一層散らした。




