姉
その後、青次と告白の話をすることはない。青次は先ほどまでの真剣な内容は全て忘れてしまったかのように、昨日見た動画の感想とか、週末の雨がかったるいとか、そんなどうでもいいことばかり口にした。青次が進んで話さないのであれば、僕も問い詰めることはしない。
告白を断ったほうがいい。僕はその言葉の意味について、授業中、ろくに先生の話も聞かずに考えた。何度も何度も受けなければいけない授業よりも、一度きりしかないかもしれない機会について考えを巡らせることのほうが、はるかに重要に思われた。
青次が僕に忠告してきた理由の一つとして考え得るのは、青次が春原そよぐに好意を寄せていて、僕に告白を受け入れてほしくない、という可能性だ。
青次が春原そよぐを好きだという考え自体に矛盾はない。同じ中学で彼らがどのような生活を送ってきたのか僕は知らないが、それなりに同じ時間を共有してきたはずで、好意が芽生えても不思議はない。僕には見えない春原そよぐの魅力を青次は知っているはずだし、僕が知らないような青次の一面を彼女が知っているということもあるだろう。
ただ、もし仮に青次が春原そよぐに好意を寄せているのだとしたら、青次はそのことを言ってくれるのではないか、という期待みたいなものが僕の中にはあった。告白を断ったほうがいい、と言うのではなく、自分は彼女のことが好きだから、できれば告白を受け入れないでほしい、みたいなことを青次は正直に言うのではないだろうか。
そもそも、自分が好きだから告白を断れ、と発言すること自体、僕の中の青次のイメージとは齟齬がある。彼女が僕に告白してきたのは、あくまでも彼女が僕に好意を寄せているからで、それを他人の意図で受け入れるか、断るかを決めるのは少しおかしい。青次は、自分の意図で他人の告白を左右するような言動を取らない、はずだ。
もっとも、僕の中のその青次のイメージ自体間違っている可能性も十分にある。僕は青次の中学三年間を知らないのだから。僕の知らない青次の暗黒面みたいなものがあって、裏では僕に対する憎しみを募らせている、という可能性もゼロではない。
考えている間にも時間は進み、昼休みになる。答えは一向に出てこなかった。そもそも答えがあるのかわからないし、問いの形すら曖昧に感じられた。自分が今、何を考えるべきなのかすら不確かだった。
僕は春原そよぐのことを全く知らない。言葉を多少交わしたけれど、彼女の本質みたいなものには少しも触れられていない。「好きだ」と打ち明けてくれたのは彼女にとっても重たいイベントだったはずだ。告白、というのはその人の深いところを相手にも分け与える行為のはずで、どんな理由があろうと彼女の告白が軽いはずはない。
でもそういったやり取りを経れば相手のことが理解できるか、といったらそうではない。僕が彼女の考えを読めないのと同じく、彼女も僕の考えを全て理解しているわけではないはずだ。
相手のことを知るためには、自分のことを知ってもらうためには、そのための努力を重ねなければいけない。
僕は教室を出て、三組へ向かう。もう一度、彼女と話をしようと思ったのだ。それ以外の選択肢はないように思われた。
教室で出入りする男子生徒の一人を捕まえて、春原そよぐを呼んでくれないかな、と頼む。男子生徒はやや困った表情を浮かべたが、承諾してくれた。
壁にもたれて彼女が出てくるのを待つ。節電のため廊下の電気は点いておらず、空も曇っているから辺りは薄暗い。それでも活気に満ちた高校生の集団がひっきりなしに左右へ行き交っている。
「……あ」
ふと、昨日の彼女との会話を思い出した。そういえば、学校内では会おうとしないでほしい、と言っていた。人前で会うのは恥ずかしいから、会うなら外で、呼び出すなら手紙を使ってくれと言われていたのだった。
完全に忘れていた。怒られるだろうか。
「あ、私を呼び出したの、君?」
そこに立っていたのは、僕に告白してきた女の子……ではなく、昨日の昼食時に彼女と一緒にいた、長めの髪の女の子だった。
「あれ……春原そよぐ、さんは?」
「んん?」
彼女は首を横に捻った。
「目の前にいるじゃん」
「……は」
「私が春原そよぐその人だよ。え、知ってて呼んだんじゃないの?」
……いやいやいやいや。それはおかしい。
「いや、だって……は?」
「ふっ、君、なんか変わってるね。いきなりやってきてなんか知らないけれど戸惑っている。笑えるね」
不審な僕に対して彼女は愉快さを含んだ視線を向けてくる。
「……似ている」
「え?」
ややあって彼女は、ああ、と言う。
「もしかして昨日、さえると話してくれた? 私のクラスを教えてくれたのかな? それはどうもありがとうございました」
恭しく頭を下げる彼女。視線で彼女の頭を追っていると、足元の彼女の上履きが目に入った。そこには「春原」と確かに書いてあった。
「さて、私は君のことを一切知らないけれど、君はどうして私のことを知っているのかな? もしかして、君、私のファンだったりして」
と薄く微笑む彼女の顔は、確かに昨日会った春原さえると似ていた。そっくり、とまではいかないまでも、輪郭や雰囲気には共通するところがあった。姉妹らしさがさえると目の前の彼女の間で働いていた。
「春原そよぐって、君、なのか」
「だから、そうだって言ってんじゃん」
「中学の時、数学の教師とやりあったのも、君か?」
「ああ、うん、そうだよ? ほかの中学でも有名になってるの? ちょっと恥ずかしいかも」
口元を手で覆う彼女。指の隙間から綺麗に歪んだ唇が見えた。
「僕とは会ったことが、ないよね」
「え、何? 新しい口説き文句? 会ったことはないと思うけど。私、記憶力は結構いいんだ。一度会った人の顔も名前も、覚えたなら誕生日も忘れない。絶対にね」
それは誇張だろう、とも思ったのだが、なぜか否定しきれないような迫力が、彼女の言葉から感じられた。
「君とは一度も会ったことはない。断言できるよ。もちろん、君が私のストーカーで、私を一方的に付け回していたのなら、君は私のことを知っているだろうけどね」
「……いや、そんなことはしてない」
目の前の女の子を付け回してはいなかった。僕が追いかけまわしていたのは、違う人だ。
「それで、私に何の用なのかな? まさか、本当に口説きに来たわけじゃないでしょう?」
「いや、申し訳ない。用はもう済んだんだ」
「へえ、そっか」
と彼女は納得した口ぶりで言う。不可解な来訪者であるはずの僕に対して、特に何の疑いも抱いていないような様子だった。
「私は君が何を期待してここに来たのかは知らないけど、君の人生に何らかの役に立ったのであればよかったよ」
「……大げさな物言いだね。人生とか、そういう次元の話ではないと思うけど」
「そうかな。君はもうすでに私の人生に関わっている。多かれ少なかれね。さっきも言ったけど、私は一度会った人物のことは決して忘れない。私は今日のこの出来事を決して忘れないし、ふとした人生の節目節目に、君のことを想起する」
言っていることはかなり仰々しく感じたが、しかしなぜか、彼女ならそれが可能だという気になってしまうのが不思議だ。春原そよぐは、今日、この瞬間をきっと忘れない。
「じゃあ、さよなら」
と言って彼女は教室へ戻っていく。その後ろ姿は軽やかで、なるほど、確かに風のようだとふと思った。




