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吾妻薬肆堂

作者: 星賀勇一郎






「悩み相談……。何でもお話下さい……」


鈴奈は店先に貼られたその手書きの紙を見て、足を止めた。


「吾妻薬肆堂……薬屋か……」


騙されて高い漢方薬でも買わされるのだろうか。


鈴奈はそう考え、頬を緩めたが、その古い店の戸を開けた。


それでも良い。

今の状況から救ってもらえるのなら……。

そう考えたのだった。


狭い店の中には誰も居らず、漢方薬独特の臭いだけが漂っていた。


「すみま……せん」


鈴奈は蚊の鳴く様な声を発したが、勿論返事はない。

そして意を決してもう一度声を出すと、店の奥から一人の女性が白衣を着て出て来た。


「はい。あ、すみません……。気が付きませんで……」


そう言うとガラスケースの向こう側に立ち、鈴奈に微笑んだ。


「もうお決まりのお薬はございますか」


そう訊いた。

鈴奈は自分を見て満面の笑みで微笑むその女性が徐々に涙で滲んで来るのがわかった。


「もう、私……、どうすれば良いのか……」


鈴奈はそう口に出すとその場にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。


「お客様……」


店員の女性は慌ててカウンターを出て、鈴奈に手を添えた。


「先生、先生」


その女性が大声で店の奥に叫ぶと、髪の毛もボサボサのままの丸眼鏡の男がやって来た。


「うるさいな、聞こえてるよ……」


そう言うと店の隅にある椅子に座っている女性を見る。


「お客さんか……」


その男は客の女性の横に座り、


「馨君、お茶を淹れて下さい」


と言った。







「すみません。何か私、場違いでしたね……」


と鈴奈は手に持った湯飲みを置いて立ち上がろうとした。


「まあまあ、そんなに慌てて帰る事も無いでしょう……」


と店主の京極は鈴奈の肩に手を添えた。


「そうですよ。泣いている女性を放り出すなんてとても出来ませんし……」


と馨は彼女の湯飲みにまたお茶を注いだ。


「落ち着いたら何があったのか話して下さい。力になれるかどうかわかりませんが、少しは気が晴れるかもしれませんよ」


鈴奈はコクリと頷いた。


二杯目のお茶を飲み干し、少し落ち着いた鈴奈は話しを始める。


鈴奈は女子高の教師だと言う。

そして彼女の受け持つクラスは学級崩壊していて、誰一人彼女の言う事を聞かない。

そして徐々に彼女は精神的に病んでしまい、毎晩自分のクラスの生徒に殺される夢を見るらしい。


京極と馨はそんな鈴奈の話を聞きながら眉を寄せていた。


「それは酷いな……」


京極は自分のお茶を飲み、


「私にも高校生の娘が居るんですけどね、そりゃもう悪態の凄さと言えばワールドカップ級でして」


そう言い始める京極を馨が肘で突いた。


「学校にも相談したのですが、せめて三学期が終わるまでは辞めないで欲しいと言われまして……」


鈴奈は俯いたまま言った。


京極はそれを聞いて小さく頷いた。


「せめて、悪夢を見なくなる様な薬でもあればと思って」


鈴奈は虚ろな目をしたまま、京極を見た。

その京極を覗き込む様に馨は見ていた。


「馨君。例の薬を……」


「先生……。あれは……」


馨がそう言い始めるのを手で制した。


「わかりました」


馨はそう言うとカウンターの中に入った。

そして油紙に包まれた薬を一つ持って鈴奈の前に戻って来た。

京極はその薬を受け取ると、鈴奈に見せた。


「とりあえず試しにこれを飲んでみて下さい。副反応が出なければお売りします」


京極はそう言うとその薬を鈴奈の手に握らせた。


「でも……」


「夢と言うモノは意外に厄介なモノでしてね。その原因を断たないと払い去る事は出来ないと言われているのです。お役に立てないお薬はお売りできませんので……」


京極は鈴奈の空になった湯飲みを取り、馨にもう一杯お茶を淹れる様に指示した。

馨の淹れたお茶で、鈴奈はその薬を飲んだ。

酷く苦い、そして青臭い薬だった。


「獏飲蕩と言いましてね、もしこれで悪夢を見なくなれば、お売りしますので、また来てください」


京極は優しく鈴奈に微笑んだ。






翌日、鈴奈は昨日と同じ様な時間にやって来た。


「嘘の様に……。あの薬、頂けますか」


鈴奈は嬉しそうに言った。

すると木箱を抱えた京極が店の奥から出て来て、それをカウンターの上に置くと、


「その表情からすると夢は見なかったんですね」


鈴奈は嬉しそうに微笑みながら頷いた。


「では、約束通り、お売りしますが……。一つ約束してください」


京極は身を乗り出す様にして言う。


「はあ、何でしょうか」


「週に二回は薬を飲まない日を作って下さい」


京極はそう言うと棚から「獏飲蕩」を取り出して袋に詰めた。


「良いですか、それだけはちゃんと守って下さいね」


鈴奈はよくわからないまま、コクリと頷いた。







「麗陽高校で起こった殺傷事件は、被疑者死亡のまま書類送検される事となりました」


アナウンサーは神妙な声でそう言った。


「やっぱり、そうなったか」


京極は立ち上がりテレビを消した。


教師の山下鈴奈は女子生徒数名をナイフで刺し、そのまま屋上から飛び降りたらしい。


「獏が食ってくれる夢なんてほんの一握りなんだな……」


馨は口元を歪めて頷いた。








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