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9.顔合わせ

(ま、眩しい……)


 部屋に入ってきた男性の後ろからは後光が差している、ように見えて思わず目を細めてしまった。


「初めまして。バセット伯爵令嬢。お待たせして申し訳なかった。私のことは気軽にヴァンスと呼んでほしい」


 ヴァンスの声は抑揚のない低い声で感情を感じさせない。それなのに不思議と耳当たりがよく感じる。

 私は改めて目の前に現れた男性に視線を向けた。背は高く見上げるほど。漆黒の長いまつ毛にくっきりとした二重の目で、スッと通った鼻筋に形のいい唇、すべてのパーツが絶妙に配置されている。肌も艶々で透き通っていて同じ人間とは思えない。

 至近距離で見ると噂以上の美麗さに感嘆せずにはいられない。

 もはやあまりの美の迫力に羨ましいという感情を抱くことはない。ただ感心するばかり。


(本当にどうして私に話が来たのかしら。ヴァンス様の隣に立ったらきっと女性たちの羨望と嫉妬を浴びることになる……)


 幸せよりも苦労の方が勝りそうな予感にごくりと喉を鳴らす。鋼の心がないと耐えられないような……これはもしかして早まったかも。婚約者はほしいけれど、自分に釣り合った人を探すべきなのでは? でもそれが難しいからここにいるのだ。


 それにしても『難攻不落の貴公子』との渾名は伊達じゃないと思う。

 ヴァンスから漂う空気はひんやりと冷たく感じる。はっきり言って近寄りがたい。とはいえ顔合わせだけで怖気づいては先に進まない。私はお腹にぐっと力を入れると、スカートを摘まみ緊張で引き攣りそうな顔に無理やり笑みを貼り付けて挨拶をした。


「初めまして。ヴァンス様。バセット伯爵の娘セシルと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。それと時間なら私は大丈夫です。ヴァンス様こそお仕事は大丈夫ですか?」

「ありがとう。私の方は片付いた」


 ヴァンスは私に座るように目で促した。私は会釈をしてソファーに腰を下ろす。ヴァンスが対面に座ると侍女はすぐにお茶を入れなおした。ヴァンスは侍女が後ろに下がると口を開いた。


「セシル嬢。今回のこと、急な申し出で戸惑うと思うが、できれば前向きに考えてほしい。私はぜひあなたを伴侶に迎えたいと思っている」


 乗り気そうな言葉とは裏腹に無表情で声は平坦、これではヴァンスの気持ちが見えない。私は慎重に返事をした。


「大変ありがたいお話だと思っております。ですが、正式にお返事をする前にお伺いしたいことがございます。よろしいでしょうか?」


 ヴァンスは黒髪をさらりと揺らすと鷹揚に頷いた。


「もちろんだ。何でも聞いてくれ」

「ありがとうございます。どうして私に婚約を申し込んでくださったのか、その理由を教えていただけますか?」


 偽りのない言葉が聞きたいので直球で質問をした。私はまっすぐにヴァンスの漆黒の瞳を見つめる。高位貴族であれば嘘を吐くのも適当に誤魔化すのもお手のものだろう。見破れる自信はないが、それでも自分の目で見極めたい。 

 私の緊張とは対照的にヴァンスはあっさりといった。


「理由か。それは妹があなたを勧めてきたからだ」


 その答えは意外すぎた。思わず困惑する。


「ええっと……アイリーン様が?」

「ああ。あなたの婚約が破談になったと聞いて、今すぐに申し込めとせっつかれた。失礼ながら私は帰国したばかりで、あなたのことをよく知らない。だがアイリーンが認める女性ならば、信頼できると判断した」


 予想外の理由にポカンと口を開けた。ヴァンスの瞳には感情がなく、彼の中ではこの婚約の申し込みに特別な想いはないことが窺える。建前も嘘もない言葉にすっきりしたけど正直なところ喜べない……というか実はちょっとがっかりした。

 もしかしたら「セシル嬢が好きだから申し込んだ」と言われたかったのかもしれない。もっともスコットのせいで絶対に信じないと思うけど、好かれて申し込まれたのではないと知るとちょっと悲しい。自分でも勝手な言い分だけど乙女心は複雑なもの。戸惑いながらさらに尋ねる。


「あの、私、アイリーン様とそれほど懇意にしておりませんでした。なぜアイリーン様が勧めてくださったのか分かりません。本当に私でよろしいのでしょうか? あの、もっと慎重に相手を選んだ方がよろしいのではないのですか?」


 暗に「私で後悔しませんか?」と滲ませる。一生を共にする相手なのだから、もっと美女とか家格が高い令嬢とか理想があってしかるべきだと思う。ヴァンスなら選びたい放題なのだから。それがまさか妹が勧めたから即決したとは安易すぎるのでは? オルブライト公爵ご夫妻もそれでいいの? 

 当然私の身辺調査はして、私自身や家に問題ないと判断の上だと思うが、それだけの理由で結婚するのは不安でしかない。ただ誰かと間違えての求婚ではないことがはっきりして、そこは安心した。(これは重要なことなのよ。一度あることは二度あるというけど、大丈夫そうでよかった)


「問題ない。アイリーンはちょっとそそっかしい……いや、何でもない。とにかく人を見る目はある。だから妹の勧める女性なら間違いないだろう」


 ヴァンスは無表情のまま、どこか誇らしげに胸を張る。アイリーンのせいで私のハードルが上がっている。飛び越えられるかしら?


「はあ……」


 ヴァンスはアイリーンをそそっかしいと言おうとしたようだが、私の中のアイリーンはしっかり者の淑女の鑑的存在なので意外だった。それは家族だけに見せる一面なのかもしれない。

 ヴァンスの言葉からお二人は信頼し合う仲の良いご兄妹だと分かる。だけど妹に勧められたからって、会ったことも話したこともない女に即決で求婚してしまうのはちょっと変だと思う。


 そこで私は自分とレックスで想像してみた。もしもレックスに釣書の中から『この人が素敵だと思います!』と勧められたら? 

 うん! 私は絶対にその男性とお見合いすると思う。愛する弟の勘は頼りになるもの。家族の言葉は指針にもなるし、迷ったときには背中を押してくれる。失敗したときに守り励ましてくれるのも家族だし!

 そう思い至り、すっと腑に落ちた。

 アイリーンもちゃんと考えた末に私の名前を出したはず。アイリーンとは学園時代にクラスが一緒になったことはないが、何度か話をしたことがある。可愛くて優しくて、でも公爵令嬢らしく毅然としていた。そのアイリーンに好印象を抱かれていたと知って嬉しくなる。そこまで考えてふと気付いた。オルブライト公爵家にとって、私との結婚には政略的な意味を持たない。旨味はないのだ。


(そうか! だからこそ、選ばれたのかもしれない)


 アイリーンは王太子殿下の婚約者で次期王妃になる。さらにヴァンスが身分の高い家からお嫁さんをもらうと、オルブライト公爵家の権力が大きくなりすぎる。貴族内の力関係のバランスを考えて私が選ばれたに違いない。アイリーンは聡明だからその辺りを重要視したのだろう。それなら納得できる。頭の中が整理できて「うん、うん」と頷いていると、その様子にヴァンスは満足したようだ。


「他に質問はあるだろうか?」


 私は後々後悔しないために遠慮なく追加質問をすることにした。実は婚約を申し込んだ理由よりもこっちの質問の方が大切だ。不躾を承知で問いかけた。


「ではお伺します。ヴァンス様には忘れられない初恋の人や今現在愛している人、たとえば恋人や愛人などはいらっしゃいますか? もしくは私と仮面夫婦をご希望ですか? 覚悟が必要なことなので嘘偽りなく教えてください。教えていただければ善処します!」


 最初から仮面夫婦になる、または愛人を囲いたいと望んでいるのなら、要検討……できれば避けたい。でも貴族であれば珍しいことではない。私の立場と権利、そして生活を保証してくれるのなら考える余地はある。私の中の幸せの定義を拡大すれば対応可能だ。

 ヴァンスは虚を衝かれきょとんとした。漆黒の瞳が物珍しそうにまじまじと私を眺める。その目が綺麗でつい私も見つめてしまう。


(えっと、私、珍獣ではありませんが……)


 でもヴァンスのその顔が可愛く見える。難攻不落の貴公子が不意に見せた表情に少しだけ鼓動が早くなる。見つめられると呼吸の仕方がわからなくなりそう。

 するとヴァンスは口を開けて笑い出した。


「ははは! セシル嬢ははっきり言うのだな。そういうところを好ましく思う。それに私としては率直に話してもらえるのはありがたい。駆け引きはできればしたくないのでね。それで質問の答えだが、私には記憶に残るような熱烈な初恋はない。もちろん恋人も愛人もいない。私は婚約を申し込んだ以上、あなたに対して不誠実なことをしないと約束する」


(ヴァンス様が笑った!!)


 ヴァンスの無表情な顔が大きく変化した! 笑うと違う美しさが現れて、つい見惚れてしまう。


「そうですか! ありがとうございます」


 言質を取った。浮気もなし、愛人もいない。それならもういい。あとはお互いに歩み寄り、関係性を築いていくだけ。


「私は結婚するならセシル嬢と良い関係を築きたいと思っている」

「嬉しいです」


 ヴァンスはきっと信じられる人。だからこの婚約は上手くいきそうな予感がした。我ながら安易だろうか?


「ただ――」

「ただ?」


 ヴァンスの低くなった声に、緊張しながら次の言葉を待つ。


「アイリーンはワイアット殿下と結婚し王太子妃になる。すなわち我が家は王太子妃の実家となる。だからあなたには自分の立場を理解し、アイリーンの足を引っ張るような言動にくれぐれも注意してほしい」


 キリリとした表情、そして強めの語気に、ヴァンスの本気度が伝わってくる。高位貴族の覚悟と責任を感じた。


「はい! お任せください」

 

 私は居住まいを正すと任せてくれとばかりに力強く頷く。婚約する以上、アイリーンやオルブライト公爵家に迷惑をかけないように全力で頑張る。

 決意をしながら私は……はっと気付いた。


(ヴァンス様は『シスコン』!! そうか、だから今まで婚約者が決まらなかったのね)


 ヴァンスはオルブライト公爵家に迷惑をかけるなと言わなかった。アイリーンに迷惑をかけるなと言った。これは家よりも妹が大切だという証拠。なるほどー。


(納得、納得。でもシスコンは悪いことではないと思う)


 女性は誰だって自分を最優先に考えてほしいもの。それも伴侶になる男性ならばなおさらだ。でもヴァンスにとってはアイリーンが最優先なのだろう。一般的な女性はそれを忌避する。

 でも私はそれを嫌だとは思わない。私もヴァンスよりレックスが大切だしお互い様よね。ヴァンスの家族を大切に思う心に、むしろ好感度が増した。

 残る懸念はヴァンスへ好意を持つ女性からの嫌がらせと、私がヴァンスの美貌に慣れるかどうか。嫌がらせは考えても仕方がないので、その時になったら考えよう。美貌については……美人は三日で飽きるというから大丈夫かな。まあ、飽きるとは思えないけどきっと慣れるわよね。


 美貌のヴァンスの婚約者の不在の謎が解けると、私の心は決まったのだった。






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