4.気持ちを切り替えて
――どこかでスコットに好かれていないと気付ける場面はなかったかしら?
私は目を閉じて告白された時のことを思い出してみる。
返事をした時のスコットの様子はどんなだった?
確か……『はい。お受けします!』と私が返事をして振り向くと、スコットは目を真ん丸に大きく見開いてびっくりしていた。でもあれは私が告白を受け入れたことに驚いて感激しているのだと思った。
あの後は……焦った表情で何かを言っていた……。
そうだ! 『本当にいいのですか? よく考えた方が……返事は後日で……今すぐでなくても……』としどろもどろにしていた。
あの言葉は彼の配慮で、一生の決断だから慎重に返事をして欲しいとの意味だと受け止めた。目を泳がせていたのは照れているのだと思ったけど、それも違ったのだ。焦って困っていたのだ。それを自分に都合よく解釈をしていた。
私は体を起こすと羞恥に居た堪れなくなり頭を抱えた。全部を自分のいいように解釈していた。
(ああ!! 私ったらとんでもなく自惚れ女だった! でも人生で初めての告白に浮かれるのって仕方ないわよね?)
花なんか眺めて背中を向けていなければ、スコットが私とエイダを間違えることもなかったのに、運が悪すぎる。時間を戻せるものなら戻したい。せめて告白の時に『レディ』とか気障なことを言わないで名前を呼んでくれれば『人違いですよ』と言えたのに……。まさか告白する相手の名前も分かっていなかったとか? スコットならあり得るかも。愚かにもこの二年、私は自分がスコットに好かれていると信じて疑うこともしなかった。
失恋したことも婚約を解消されたことも辛いが、それ以上に私と過ごした二年間がスコットにとって意味のないものだったことが一番堪えた。スコットが私を好きにならなかったことがその証拠。しかも婚約解消の相談さえしてもらえなかった……。
今日のスコットの態度は私に対し、申し訳なさそうでも悲しそうでもなく、非難されることを逃れたい、それだけ。一片の情すら存在しなかった。
あなたから告白しておいて、最初から好きじゃなかったなんて酷い。
思い返せばスコットが私に好きと言ったのは告白した時だけだった。てっきり照れ屋なんだと思っていた。
「私……本当は……チーズケーキよりも……スコットのこと、好きだったのに――」
振られて泣くくらいには好きだった。
窓の外を見れば丸い月が歪んでいた。月はそのまま溶けてしまいそうに揺れている。泣きたくない。だけど私の瞳からは勝手に涙が溢れてきて、止めることができなかった。
♢♢♢
どんなに辛いことがあっても朝は来る。
さすがに目覚めはよくなかった。泣きながらいつの間にか眠っていたのだから当然だ。
侍女が渡してくれた濡れたタオルで目元を冷やす。侍女がさっぱりとしたお茶を出してくれた。一口飲むと喉がすごく渇いていたことに気付いて、ごくごくと飲み干した。
家族は私が自分から部屋を出るまでそっとしてくれるようなので、朝食はいらないと伝言をすると昼頃まで部屋に閉じこもった。
昨夜は一人反省会をしたけれど、どう考えても私だけが悪いわけじゃない! スコットだって悪い。最終的に行き着いたのは怒りだった。
ここまでコケにされれば誰だって怒ると思う。私は怒っていいはず! 何なら涙がもったいなかった。だからって怒ってばかりいたくない。私は考え方を変えることにした。
「結婚式直前ではあったけど、結婚する前でよかったわよね?」
もし結婚後だったら修羅場になる。スコットが想い人を愛人として屋敷に連れ込んでも受け入れられない。貴族の別居はありがちだけど離婚はほとんどしない。危うく地獄の夫婦生活を送ることになっていた。
(そうよ。不幸な未来を回避できたのだから、これでよかった!)
ようやく自分を納得させることができると、途端にお腹が鳴った。自分でも驚いたがあんなことがあってもお腹は空く。
「ふふふ」
思わず笑ってしまう。私は食事をするために食堂に向かった。すると両親と弟が昼食を一緒に摂るために私を待っていてくれた。
「みんな……」
「セシル。一緒に食べましょう」
「はい。お母様」
お父様と弟が心配げに私を見ている。私も何を言えばいいのか分からずそのまま席に着く。そして昼食が始まった。
(き、気まずい)
食堂を沈黙が支配している。黙々とみんなが食事を進める。私はカトラリーを動かしながら、こそっと家族の様子を窺った。全員厳しい表情をしている。
大好きな自慢のお父様、ロナルド・バセットは切れ長の緑色の瞳に金色の髪を持つ。男らしく凛々しい顔は年相応の渋さが滲んでいて魅力的だ。私の切れ長の目はお父様譲りなのだ。
お父様は愛妻家で家族思い。仕事ができると評判だと自分で言っているが本当だと思う。とにかく数字に強く財務官としてバリバリ働いている。
私の目標であるお母様、ダリア・バセットは明るいオレンジ色の髪に碧色の瞳を持つ。髪は緩い癖がありふんわりとしたカールがかかっている。大きな瞳は可憐さを感じさせ外見は年齢よりずっと若い。ポヤポヤとした見かけに反し、しっかり者で言いたいことははっきり口にする。格上のコリンソン侯爵家から嫁いできたので淑女教育は完璧で、淑女の鑑としての姿は私の憧れでもある。
そして十二歳になったばかりの大切な弟レックス。お母様と同じオレンジ色の髪に碧色の瞳。顔もお母様にそっくりで可愛い。成長期前のせいか、女の子に間違えられることがあり、本人はご立腹だ。お父様のように男らしくなりたいと毎日牛乳を飲んでいる。そんなところも可愛い。
黙々と全員が食べ終わるとお父様が重い口を開いた。
「セシル。今回のことは残念だったな。私としては到底納得できる話ではなかった。もちろんベイリー侯爵には強く抗議をしたが、婚約解消の意思を覆すことはできなかった。だが無理に結婚してもセシルが幸せになれるとも思えない。私がもっとよく調べて婚約を決めればよかったのだ。すまなかった」
私はぶんぶんと首を横に振った。お父様のせいではない。私がお父様に調べさせる隙を与えなかった。スコットから告白された日に「婚約者が決まりました!」と有無を言わせない勢いで婚約したいとお父様に頼んだのだ。それこそ体全体で喜びを溢れさせニコニコと嬉しそうにしていた娘に、駄目だとは言えなかったと思う。戻れるものならあの時に戻って自分を羽交い絞めにしてでも止めたい。
「いいえ。この婚約は私がお願いしたものですから私の責任です。それにあちらの方の身分が高いのですから婚約解消を拒否することはできないでしょう」
お父様の辛そうな表情に私の方が申し訳なくなる。スコットとの婚約は一応恋愛ということになっていて、政略的な意味合いはない。なくなっても家には影響はない。もしも野心がある父親なら高位貴族との破談に腹を立てると思うがお父様は怒ったりしない。
「とにかくセシルに非はない。それだけは書類に明記してもらった。それと慰謝料はしっかりと受け取ってある。それが慰めになるとは思えないが誠意は示してもらってある。侯爵は何度も頭を下げたよ」
ベイリー侯爵がきちんと謝ってくれたのは自分の息子が悪いと理解している証拠だ。
(ほら! 慰謝料であっているじゃないの!)
スコットは意地でも婚約解消のための慰労金と言い張ったが、ベイリー侯爵はちゃんと慰謝料と認識していた。形式として婚約解消でも破棄の意味合いを含めてスコットの有責を認めている。それはせめてもの救いに思えた。
「そのお金は家のために使ってください。私のせいで迷惑をかけてしまったのですから」
「迷惑ではないし、慰謝料はセシルのものだ。好きなように使いなさい」
お父様が有無を言わせない顔で私を見ている。困ってお母様に視線で助けを求めた。お母様は意味ありげににっこりと笑った。
「ベイリー侯爵様からはしっかりと誠意を示してもらいました。ええ、ええ、最大限の額をむしり取ったからもらっておきなさい」
(む、むしり取る? 金額を知るのが怖いわ)
この様子ならベイリー侯爵の提示額で納得せずに交渉に持ち込んだのだろう。お母様なら実家の侯爵家の権力を匂わせた上で有利に交渉を進めそう。お母様の実家のコリンソン侯爵家の伯父様も伯母様も私を可愛がってくれている。何かあればいつでも味方になる、力になると言ってくれていたのを思い出した。
「ではそうします。ありがとうございます。お父様、お母様。ですが今は欲しいものもありませんし、すぐには使い道が思いつかないのでお父様に管理して欲しいです」
もしこのまま婚約者が見つからなかった時の生活資金に充てよう。いずれ家を継ぐレックスのお荷物になりたくない。
「分かった。まかせなさい」
「ありがとうございます」
「セシルは少しゆっくりしなさいな。侯爵家の勉強で遊ぶ暇もなかったでしょう? あんな礼儀知らずのお馬鹿なボンボンのことなどさっさと忘れた方がいいのよ。そうだわ。一緒に旅行にでも行く?」
ノリノリのお母様の提案はとても魅力的だけど、今旅行に行くと逃げるようで悔しい。世間がこの婚約解消をどう受け止めようとも私は悪くないのだから堂々としていたい。それに泣いたらだいぶすっきりしたので傷心旅行という気分でもない。
「いえ。旅行はまた別の機会にお願いします。それよりもお願いがあります」
お父様が安心させるように優しく微笑んだ。
「なんでも言ってくれ。できることはしよう」
「今すぐ新しい婚約者を探して下さい」
「えっ!」
「えっ!」
両親が目を丸くして驚いている。傷心の娘がすぐに新しい婚約者を探してくれと頼めば驚くのかもしれないが、現実逃避をしている暇はない。そう、一分一秒を無駄にできない。
私としてはいずれレックスがバセット伯爵家を継いだ時に力になってくれるような人と結婚したいと思っている。スコットとの婚約がなくなったからといって結婚を諦めるにはまだ早い。素敵な人、とまでは言わないがそれなりの人を見つけたいと思う。男子が少ないのだから、少しでもいい人を見つけるためにはのんびりしているわけにはいかない。