29.元婚約者の勝手な言い分
このお店は細長い作りになっていて窓側の席が多く作られている。しかも衝立があり半個室的になっているので落ち着いて過ごせそう。
窓の外には色とりどりの綺麗な花が植えられている花壇もあり目を楽しませてくれる。デートに最適だし女性同士で周りを気にしないでおしゃべりをするのにもいいと思う。花壇から少し距離を置いて公道があり通行人が見える。
とはいえしっかりと距離があるので窓を開けていてもこちらの会話は聞こえないし、向こうからは遠目で誰が中にいるかまではわからないだろう。これなら人目を気にせずに花を楽しみながら食事ができそうだ。
「素敵なお店ですね」
「ああ、人気があるらしい。ワイアットとアイリーンが来てよかったと言っていた」
「ええっ! 王太子殿下がこのお店に来たのですか? もしかしてお忍び……?」
「そうだ。近衛がブツブツ文句を言っていた。留学する前はワイアットとアイリーンは二人でよく出かけていた。基本的に言い出すのはアイリーンだ」
以前ならおっとりお淑やかなアイリーンがお忍びを提案? と疑問に思うけれど、アイリーンと親しく話をするようになって何となく納得できる。
「アイリーン様が?」
「そうだ。ちゃんと毎回変装しているぞ。むしろ変装したくてお忍びをしているような気もするな。段々変装が凝り出していたから」
どんな変装か興味がある。想像できるのは商家のお嬢様とかかしら?
「お忍びはやはり民の暮らしぶりを知るためでしょうか?」
「一番の目的はそうだが、息抜きのためでもあると思う。ワイアットが王に即位すれば二人ともさすがに街へ降りることはできなくなる。それまでは少しくらい自由がほしいのだろう。普段は品行方正な王太子殿下と公爵令嬢でいるから、宰相たちも大目に見てくれている」
するべきことをしてこその束の間の自由。ワイアット殿下とアイリーンは臣下からの信頼が篤いことが分かる。
「護衛の騎士様も変装するのですか?」
ふと気になって聞いてみた。近衛隊は顔が整った人が多いが、隊長だけはちょっと厳つい。いかにも武人の風貌だ。近衛隊は王族の側で常に御身を守るので、他国の要人の目にも入る。だから見栄えも重視されているが、基本は実力主義だ。もっとも隊長の厳つさは不審者を威嚇するのにちょうどよさそう。
「ああ、している。やりたくないといつも近衛隊長が頭を抱えている。ふっ、近衛の変装のテーマはアイリーンが決めている」
ヴァンスが何かを思い出し笑いをこらえている。
「テーマですか?」
「そう、たとえばワイアットたちが商家の息子と恋人に扮して街歩きをするなら、近衛騎士は商人の主人や旅人に変装させられていた。お忍び場所はさすがに予定を立ててある。先回りした屈強な騎士がウエイターに変装して食堂に紛れている姿は異質過ぎて馴染めていなかった。筋肉隆々のウエイターに客が怯えていたな。もちろん店にはあらかじめ了承をもらっている。毒見も必要だからね」
なるほど。お忍びでも食事の毒見は必要になる。万が一のことがあってはならない。近衛騎士の困惑と苦労がしのばれる。そしてお客さんの驚きも……。
「アイリーン様は面白い提案をするのですね」
「近衛にとっては迷惑だろうな」
ヴァンスは黒髪を手で掻きあげると口元を綻ばせた。だが急に真面目な顔になった。私もつられて神妙な表情になる。
「セシル」
「はい」
「ずっと伝えたいことがあった。学園でアイリーンを助けてくれてありがとう」
「いえ、私はお礼を言ってもらえるほどのたいしたことはしていません」
「でもアイリーンは感謝しているし、私も両親もそして使用人もみんなあなたに感謝している。そして私と婚約してくれてありがとう」
改めて言われた言葉にジーンとした。私のほうこそ救ってもらった。
「どういたしまして。ですが感謝するのは私のほうです。ヴァンス様が婚約を申し込んでくださらなかったら、私結婚相手が見つからずずっとレックスのお荷物になってしまうところでした。ありがとうございました」
ヴァンスが苦笑いを浮かべた。
「セシルは自分をもっと評価した方がいい。私以外にもあなたに求婚しようとした男はいるはずだ。あなたは美しく素晴らしい才女だ。人気があるのは当然だろう?」
私は頬に手を当てて考えた。うーーん。全然思い当たることがない。その人気は幻ですよ。でも誉めてくれたのだから一応お礼を伝える。
「ありがとうございます?」
疑問形でお礼を言うとヴァンスがくすりと笑う。どこか仕方がないなあという雰囲気だった。
しばらくするとランチが出てきた。お昼は混むのでランチメニューは二種類。メインの魚かお肉を選べる。私はお肉をヴァンスは魚を頼んだ。
お肉は小さめのステーキでサラダとパンとスープがついてくる。デザートにプティングもあるので楽しみだ。ヴァンスの魚を見ると大きな鯛一匹のオーブン焼きが出てきた。魚の周りには野菜が一緒に山ほど載っている。それとは別にサラダとスープとパンがつく。もちろんデザートのプティングも。
注文をした時にヴァンスが魚を頼んだので不思議に思った。男性はお肉を頼むと思い込んでのだが、なるほど。魚は肉よりボリュームがあったのだ。
魚が美味しそう。ヴァンスは器用に魚を切り分け口に運ぶ。食事の作法が本当に綺麗だと思う。見惚れてしまいそうだが、目の前のお肉が気になるので私もせっせと食べる。
お肉は柔らかくソースが絡んでいて美味しい。口に中であっという間に溶けていく。カジュアルな店構えでも料理は本格的なものだった。だけどついヴァンスの魚にも目が行く。
お肉を咀嚼しながらも、つい魚を目で追ってしまう。はしたないと思い目を逸らすとそれに気付いたヴァンスが笑いながら言った。
「魚をセシルに分けてもいいのだが、できれば今日は肉を満喫してほしい。どうしても魚が気になるならまた来よう」
「また連れて来てくれるのですか?」
「もちろん。他にもセシルを連れていきたい店がある。楽しみにしていてくれ」
「嬉しいです!」
デザートのプティングを食べながらヴァンスが留学先での出来事やワイアット殿下の失敗談を面白おかしく話してくれる。ヴァンスと過ごして分かったのは、ヴァンスは無口ではなく饒舌だ。特別アイリーンの話だけに饒舌になるわけではなかったのだ。ヴァンスの話は押し付けるようなものではなく、私を楽しませてくれる内容で彼の気遣いを知る。
食後のお茶を飲んでいると、ヴァンスが席を立った。
「セシル。少し外すが待っていてくれ。一人でどこかに行っては駄目だぞ」
「まあ、ふふ。はい、待っていますね」
まるで小さな子供に注意するみたいでおかしかった。ヴァンスは意外と心配性なのかもしれない。言いつけ通りにお茶を飲みながらまったりとしていると、突然後ろから声をかけられた。
「セシル」
聞き覚えのある声に警戒心を抱きながら振り返った。
「スコ……ベイリー侯爵子息。何かご用ですか?」
スコットは沈痛な面持ちで私をじっと見る。
私との接触禁止を我が家とオルブライト公爵家から言い渡されているはずなのに、声をかけてくるなんてそれほど大切な用があるのだろうか?
「セシル。どうして来てくれなかったんだ? ずっと待っていたのに」
私の頭の中が疑問符だらけになった。スコットとどこかで待ち合わせをした覚えはない。
「意味が分からないのですが」
「結婚式だ。僕の結婚式に来て助けてくれる約束をしただろう?」
「していませんよ」
まさかスコットは今も私が彼のことを好いていると思っているのだろうか? いくらなんでも自惚れすぎだ。それよりも本気であの提案をしていたことに驚愕する。
「セシルがこなかったから私とエイダの結婚が成立してしまった。結婚式のエイダは綺麗でよかったけれど、でも結婚してからのエイダはさらに口煩くなった。両親はエイダを信頼しているから僕の意見よりエイダを優先する。こんな窮屈な生活を望んでいたんじゃない!」
呆れて開いた口がふさがらない。スコットがエイダを選んだのに責められる筋合いはない。結婚をやめたいのなら私を当てにしないで自分で両親とエイダを説得すればよかったのに。
エイダが口煩いから嫌なんて子供の言い訳でしかないし、エイダの言葉はスコットやベイリー侯爵家のことを考えての発言なはず。それを理解しようとしないで楽な方へ逃げようとする。スコットはいつも誰かが自分のために解決してくれていたからそれに慣れてしまっている。甘ったれなだけなのだ。
「私には関係ありません」
「そんなことを言わないで助けてくれ!」
スコットは私の腕を掴むと外へ連れ出そうとした。
「何をするのですか!」
「両親やエイダを説得してほしい。両親はセシルを信頼していたし、エイダもセシルに罪悪感があるからきっと聞き入れるはずだ。頼むよ」
(説得くらい自分でしなさいよ)
今になって分かる。私はスコットの婚約者ではなく子守りだった。
スコットは無我夢中で私の手首を掴み引っ張る。手首が痛い。振り解こうとしてもそれができない。発言は子供みたいでひ弱そうなのに男の人の力は強かった。私は悔しくて強く唇を噛んだ。




