25.噂の出所
ヴァンスが無表情に戻ると、会場にいる人たちも冷静さを取り戻したようで静かになった。ヴァンス本人はまったく気にしていない。
ワイアット殿下が話を締めくくり、ダンスや歓談の時間になる。殿下とアイリーンはダンスを踊るためにダンスホールへ移動した。
私とヴァンスの周りには貴族たちが集まり改めて婚約を祝われた。次期オルブライト公爵になるヴァンスと繋がりを持ちたいのが透けて見えた。
それが一通り終わるとヴァンスとはいったん別行動になる。といってもヴァンスは私の位置から歩幅の五歩くらいの距離に留まっている(ヴァンスは足が長いので普通の人の八歩くらい)私が完全に一人にならないように目を光らせつつも、自分は懇意にしている人と歓談をしている。
私は学生時代の友人数人に声をかけられた。
「セシル様。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「最初に婚約の話を聞いたときには大変驚きましたけれど、やはり心根の優しい人には自然と幸せが訪れるものだと思いましたわ。エイダ様を救いご自身も素敵な人に巡り会われて本当によかったですね」
エイダを救った? 何のことを言っているのか分からない。でも問いたださない方がいいと判断して、私は含みを持たせるように曖昧に微笑んだ。すると彼女たちが詳しい話をし始めた。
「最初はエイダ様の略奪かスコット様の心変わりかと、はしたない噂が飛び交いましたものね」
「でもエイダ様の窮地を救うために自らスコット様と婚約解消するなんて、自分の幸せを犠牲にする姿に感動しました!」
「その話を聞いてヴァンス様が心優しいセシル様に興味を抱いてお見合いをしたのでしょう? そのまま婚約までいってしまうなんてまさに運命ですわ!」
話を総合するとエイダが義母に虐げられ高齢の商人と結婚させられそうになった。それを知った私がエイダを助けるためにスコットに相談した。バートン伯爵の意向を変えるためには伯爵以上の身分の婚約者が必要だから、私は自らスコットと婚約解消してスコットにエイダを託した。
私とスコットは親友のような関係で恋愛感情はなかったので、こじれることはなかったらしい……。
(私の自己犠牲でスコットとエイダが婚約し、私はその美談を聞きつけたヴァンスに求婚された……設定が強引すぎる。それなのにみんな信じちゃったの?)
私は相槌を打ちながら、彼女たちの目をキラキラと輝かせる羨望の眼差しに心の中で困惑する。女性はロマンティックな話や運命が好きだから受け入れたのかもしれない。いやいや、それでも突っ込みどころが多い。
「エイダ様はお茶会でセシル様の優しさを涙ながらに語っておりました。私も一緒に泣いてしまいましたわ」
(エイダが!? 街で会ったエイダはそんなことを言いそうな殊勝な態度ではなかったけど?)
でも話を聞く限りエイダが噂を流したようだ。自己保身の意味もあると思うが、私の名誉を守ろうとしているとも受け取れる。きっとエイダは私の知っている昔のエイダと変わっていない。
(私たち……もう一度昔みたいに仲良くなれるかな。ああ、でもお父様あたりには甘いとか言われそう)
しばらくするとヴァンスが戻って来た。
「セシル。踊ろうか」
「はい」
ヴァンスの手を取りホールへと移動した。音楽に合わせて踊り出す。初めてヴァンスと踊るが、リードが上手なので違和感なく軽やかに踊れる。曲に乗れて動きやすい。この一週間、みっちり練習しておいてよかった。
ヴァンスを見上げると瞳が弧を描く。急な微笑み攻撃に心臓がドキドキと暴れ出した。密着する体を意識してしまい体が熱い。動揺して足がぐらつくとすかさず大きな手が腰をしっかりと支えてくれた。転ばないで済んで安心したけれど、ヴァンスとの距離が近すぎて全然安心できない!
「大丈夫か?」
「は、はい。ごめんなさい。まだ会場の雰囲気に緊張しているみたいです」
咄嗟に誤魔化したがヴァンスは疑うことなく頷いてくれた。
「そうだな。ずっと注目の的では落ち着かないだろう? この曲が終わったら少し休もう」
曲が終わるとヴァンスは華麗に人込みを縫ってホールから連れ出してくれた。そのまま比較的人の少ない場所に移動する。ヴァンスに勧められて椅子に座ると同時に、タイミングよく飲み物が届いた。ヴァンスは移動中に給仕に声をかけていたのだ。段取りが完璧!
(ヴァンス様は何をしてもスマートね)
ヴァンスは私の隣に座ると、給仕から受け取ったグラスを渡してくれた。
「ジュースでよかったかな?」
「はい。ありがとうございます」
一口飲むとやや酸味のあるリンゴジュースだった。疲れているので体に染みわたって元気になれそう。
「酒は飲めるのか?」
「少しだけなら。最近、両親と夕食時に嗜むようになりました。私は甘いお酒が好きです」
「酔うまで飲んだことはあるか?」
「いいえ。そこまでは」
「そうか。それならまだ人が多いところでは酒は控えておいたほうがいいな。今度、一緒に飲もう」
「はい。楽しみにしています」
ちなみにヴァンスはワインを飲んでいる。グラスを持つ指は節くれ立って男らしいのに綺麗だった。ヴァンスは全身どこを切り取っても美人だなあと感心してしまう。
「どうした?」
「あ、いいえ。あのそういえばヴァンス様は私たちの噂をご存じですか?」
見惚れていたことを悟られないように話題を変えた。
「ああ、以前から流れていたのは知っていた。その噂のことなのだが、実は……先日バートン伯爵令嬢がその噂の件で私を訪ねてきた。セシルが知ったら不快になるかと黙っていたが、アイリーンに隠している方が不安になると怒られた。あの日、セシルは何か気にしているようだったから、黙っているべきではなかったと反省したよ。今後、隠し事はしないと誓う」
ヴァンスはまっすぐな瞳を私に向けて言った。やっぱりあれはエイダだったのだ。でも疚しくて黙っていたわけじゃないと知ってホッとした。そしてヴァンスが噂を容認していたと知って納得した。オルブライト公爵家が噂を否定しなければ、それは真実ということになる。疑う人もいるだろうが公爵家に楯突いてまで問い詰めないだろう。
「そうだったのですね。あの日、近くを通ったエイダを見たのです。それで気になってしまって。私も素直に聞けばよかったですね。私もヴァンス様には隠し事をしないと誓います」
ヴァンスはワインを飲み干すとグラスを側にいた給仕に渡たした。
「ありがとう。それで噂の件だが、噂を流したのはバートン伯爵令嬢だ。お互いにとって不利な内容ではないから、できれば肯定して欲しいと頼まれた。勝手な言い分に呆れたが、まあ悪い話ではないので否定はしないとだけ返事をしておいた。やっぱりセシルには話しておくべきだったな」
「そう……だったのですね」
「もしあの噂が不快なら別の噂を流して払拭させることもできるがどうする?」
にやりと不敵な笑みを浮かべるヴァンスを見て、これは頷かないほうが賢明だと判断した。私は平和主義なのよ。
「えっ! 大丈夫です。不快ではないですから」
「わかった。ではこのままにしておこう」
「はい」
慌てて言うとヴァンスがふわりと顔を綻ばせた。その顔はいつもアイリーンの話をするときのような、いやそれ以上に優しく温かい表情に見えてドキリと胸が鳴る。
(私、ヴァンス様が好きなのだわ……)
これという決定打があるわけじゃない。一緒にいられる時間は短かった。その中で彼の誠実さを知った。優しさを知った。
ヴァンスは嫌なことがあって笑えなくなっても誰かを恨んだりせずに乗り越えた強い人。尊敬し信頼できる人。
ヴァンスの優しさが心の中にゆっくりと染み込んで、その結晶が「好き」という想いなのだと思う。
私は自分の恋心を自覚したのだった。




