2.決定事項だった……
私は断頭台の上にいるような気がしてきた。これは貴族令嬢にとって死の宣告に等しいといっても過言ではない……過言ではあるがそのくらい辛い。
自分が被害者のような苦しげな表情を浮かべるスコットに、私は言葉もなく呆然とするしかなかった。ここまでひどいことを言われてはもう説得できるか気がしない。
でもこのまま婚約解消を受け入れたら家族に迷惑をかけてしまう。両親や弟の顔が頭の中に浮かぶ。私が恥をかくだけではなく、みんなを悲しませてしまう。どうにかスコットを思い留まらせないと。
「た、確かに好きな人を忘れられないのは仕方がないですよね。人の気持ちは理屈ではありませんし。でも私たちもうすぐ結婚するのですよ。婚約を解消できるような時期ではありませんよね? だからもう一度、お互いに好意を抱けるように頑張ってみませんか?」
下手に出て必死になっている自分が惨めだけど、なり振り構っていられない。
「いや、もういいんだ。頑張る必要はない。だって婚約はすでに解消したからね。最初にそう言っただろう?」
「え……」
最初? えっと、スコットは何て言ったっけ? 『セシルと婚約解消した…………僕は精一杯努力した。だけど、とうとう君のことを好きになれなかった……』と言っていた……。ごにょごにょ聞き取りにくかったから婚約解消したいと発言したと思い込んだ。そもそも相談もなく解消する人とかいるの? これでは事後報告になる。ありえない。まずは話し合いでしょう?
「い、い、いつ解消したのですか?」
「今日セシルが屋敷に来るのと入れ違いに、両親がバセット伯爵家にお詫びに行っている。婚約解消の書類は弁護士が準備してくれたから、セシルの両親からサインをもらいそのまま王宮へ提出すれば成立する。さっき早馬で受理されたと報告が来たんだよ」
完全に騙し打ち。スコットはすっきりした顔をしている。
「もう……婚約解消済み……」
呆然と呟く。さっき部屋に入るなり従者がスコットに耳打ちをしていたのを思い出した。残酷な計画的犯行に意識が遠くなりそうになる。
「ベイリー侯爵様はそれを本当に認めたのですか?」
最後の砦だった侯爵様が砦の役割を放棄したことが信じられない。
「父上を説得するのは大変だったよ。すごく叱られたし。それにセシルは優秀だからこのまま結婚するべきだと説得もされた。だけど……」
「だけど?」
「一生、自分の心を偽って生きたくない。本当に愛する人と生きたいことを一生懸命伝えたら理解してくれたんだ」
さっきから私を好きじゃないことを繰り返し言われているみたいで心がボロボロになる。そして侯爵様が外聞よりも息子の気持ちを優先してしまう、際限のない親馬鹿だったことが確定した。
「どうして解消する前にひとこと相談してくれなかったのですか?」
思わず責める口調になると、スコットは再び机の角を見つめ、もごもごと言い訳をする。
「それは……相談したら反対するだろう?」
「まあ、しますね」
当然です。結婚式は三か月後で手配も全部終わって……楽しみにしていたのに。
「それでも手紙ではなく直接セシルに言うのは僕なりの誠意だ。分かってくれ」
相談もなく一方的な言い分ばかりなのに、これが誠意と言われても納得できない。
「……どうして今なのですか?」
よりによって結婚式目前なのに。そんなに嫌ならせめてもっと早く言って欲しかった。私の二年という時間を返して欲しい。
「好きになった女性が……どうしても諦めきれなくて、でも諦めなくてはいけないとすごく悩んだ。そんな時に偶然会って、彼女に告白したんだ。振られればすっきりしてセシルと結婚するつもりだった。でも彼女も僕のことを好きだと言ってくれて……両想いだと知ってしまったら、もうセシルとは結婚できなくなった。婚約は解消するしかなかったんだ。これは運命だと思わないかい?」
それって……ずるい。本命に告白してOKもらったから、私とはさようならってことでしょう。断られたら我慢して結婚した? あまりにも私を馬鹿にしている。悔しくて声が震える。
「スコット様、あまりにも身勝手です。それにこれは婚約解消ではなく、スコット様有責の婚約破棄に当たりますよね?」
スコットは婚約解消といったが、明らかに一方的な婚約破棄になる。これは大事なことなので確認を取る。私の最後の抵抗だ。私にとっては婚約解消も婚約破棄も結婚がなくなったという結果に変わりはなく、世間では捨てられた女として嘲笑われる。それでも私は自分に落ち度があったと思いたくない。あくまでもスコットの我儘だと自分の心を慰めたい。するとスコットは慌て出した。
「それだと僕が浮気をしたことになり外聞が悪いじゃないか。初めからセシルを好きじゃなかったのだから、浮気も心変わりもしていない。そうだろう? セシルにとっても破棄よりも円満な婚約解消の方がいいはずだ。それに両親が婚約解消に伴う慰労金を多く用意したからバセット伯爵も納得してくれたと思う」
(……私の人生で初めて聞いたケド『婚約解消に伴う慰労金』って何ですか? 言い方を変えてもこれは慰謝料……)
「それは婚約破棄に伴う慰謝料のことですよね?」
「いいや、婚約解消のための慰労金だよ。婚約破棄ではない。従って断じて慰謝料ではない。慰労金はこの家に嫁ぐために費やした時間の弁済というか、労わる的なものだ」
それを慰謝料と呼ぶのですよ。でもスコットは絶対に慰謝料と認めたくないらしい。自分が悪者になりたくないのだ。
(ああ、もう、いいや。諦めた。馬鹿馬鹿しい)
私が何を訴えてもすでに手続きも終わって婚約は解消されている。無駄な抵抗なのだ。それに貴族社会は身分が絶対だ。彼は侯爵子息で私は伯爵令嬢。ベイリー侯爵当主が決定したのなら逆らえない。
「わかりました。それでは最後に教えてください。スコット様の好きな人はどなたなのですか?」
誰と間違えたのか知っておきたい。いずれ社交界で顔を合わせることになると思うと憂鬱になる。だからと言ってそれを避けるために私が修道院に入る選択はない。
人生、いいことの後には悪いことが、悪いことの後にはいいことがある。だから絶対に幸せを諦めない。
スコットはその女性を思い浮かべたのか、急にほんのり頬を染めながら顔を綻ばせた。婚約して二年間一緒に過ごした中で、一度も見たことがないほどの幸せそうな顔を見て虚しさが滲む。
「知っているかな? バートン伯爵家のエイダ嬢だよ。彼女は可愛い女性だよね!」
「エイダ?」
知っているも何も、エイダは私のはとこにあたる。祖母同士が姉妹なのだ。幼い頃に何度か一緒に遊んだことがあるが、お互いの祖母が亡くなって以降は交流が減り、エイダのお母様が病気で亡くなって以降は完全に接触がなくなった。
遠縁とはいえ血の繋がりはあるので、後姿が似ている可能性はあるのかもしれない。でも間違えるほど似ているとは思えない。
「そうだ。セシル。もしよかったら僕たちの結婚式に招待するから参列してくれないか?」
非情で無神経な提案を満面の笑みを浮かべて口にする。これではっきりした。スコットは私に対して罪悪感すら抱いていない。そう認識すると心の底に黒く澱んだものが湧き出てくる。
「せっかくですが、お断りさせていただきます!」
間髪入れずに返事をすると、スコットは「そう、残念だな」と肩を竦めた。
こうして私の婚約は、呆気ない幕切れを迎えた。