14.情報不足
翌日、ヴァンスから万年筆のお礼状と小ぶりな包装された箱が届いた。いつも何かしらの贈り物をもらっていて申し訳なくもありがたい。
手紙には私が贈った万年筆をさっそく使てみた感想が書かれていた。握りやすくて手が疲れにくいと好評でホッとした。そしてターコイズブルーの色も気に入ってもらえたみたいだ。執務机には書類が散乱していて万年筆が埋もれがちだが、目立つ色で見つけやすいとのこと。万年筆の思わぬ活躍に私は嬉しくてガッツポーズをした。
そしてアイリーンの近況も記されている。公務直前にワイアット殿下と大喧嘩して大変だったらしい。
(殿下とアイリーン様が喧嘩をするの? それだけお二人は気安い関係なのね。でもそれ以上にアイリーン様が怒る姿が想像できない。ふふ、きっと怒っても可愛らしくて殿下はダメージを負わなさそうね)
結局二人は公務が終わる頃に、自然と仲直りをしたらしい。人のことながらホッと胸を撫で下ろす。思い返せば私は誰かと喧嘩をしたことがない。両親に注意を受けてもそれは喧嘩ではないし、レックスは可愛すぎて喧嘩する理由が存在しない。
私もいつかヴァンスと喧嘩をする日が来るのだろうか? う~ん。想像できない。
ヴァンスの手紙にはいつもアイリーンが登場する。だからアイリーンと直接会わなくても彼女について詳しくなり、まるで親友のような気持になっている。
アイリーンは刺繍が好きでクッキーが大好物。乗馬が得意で遠乗りを楽しみにしているなど。私は乗馬が苦手なので羨ましい。
(ん? あれ?)
ヴァンスは意外と筆まめで会えない分手紙をくれる。でも肝心のヴァンスの情報を私は知らない!
手紙でも会った時でもヴァンスから質問をされているが、その逆に私がヴァンスに質問をしたことがなかった。私は彼と親しくなりたいといいながら、会話はヴァンス任せで彼のことを知ろうとしていなかった。
(うっかり! 反省、反省。今度会ったらヴァンス様に色々質問してみよう)
ヴァンスともっとたくさんの話をしたい。それにはまずヴァンスについての情報を集めなきゃ。フローレンスから話は聞いているけれど、ヴァンス自身の口から色々教えてほしい。好きな物や嫌いな物を知るのは贈り物をする時の参考にもなる。婚約者の基本中の基本の情報収集を疎かにしすぎた。
私は読み終わった手紙をしまうと、一緒に届いた箱を手に取った。
箱を開けるとそこには木製の筆入れが入っていた。蓋には椿の花が大きく彫られていて、中には仕切りがついていて小分けにしまえるようになっている。
(素敵! 機能重視で使いやすそう)
これなら小物がごちゃごちゃしないで済む。私はこの筆入れが一目で気に入った。じっくりと観察するととても丁寧に作られているのがわかる。私はそこに自分の万年筆やお気に入りのペーパーウエイトを入れた。
「しまいやすいわ。お礼の手紙を出さなくちゃね。ふふふ……」
私は便箋を取り出しお礼の手紙をしたためた。
♢♢♢
今日、私とヴァンスの婚約が公示された。すると付き合いのある貴族たちからお祝いが届いた。中にはオルブライト公爵家と懇意にしたいと下心のある人もいる。その辺りはお父様が上手く対応してくれているので安心だ。
私はクローゼットを開けて一着のドレスを取り出し、姿見の前で体に当ててみた。このドレスもヴァンスから贈られた物。ベージュ色でスカートには赤い花の刺繍が全面に施されている。ウエストリボンはワイン色のベルベッド生地が使われていて、可愛いのにシックな印象がある。
最初に見たときは自分に似合うか不安だった。でもいざ着てみると不思議なほどしっくりきた。レックスが「お姫様みたいです」と喜んでいた。誉めすぎだと思ったけれど、誇らしそうなレックスの笑顔を見ていたら自信がついた。
ドレスをデザインしたのはヴァンスが依頼した、アイリーン専属のデザイナー。私は以前アイリーンがお茶会で着ていたドレスを思い出した。溜息が出るほど素敵だった。その才能のあるデザイナーに作ってもらえて光栄だ。
このドレスを着てヴァンスと夜会に出ることになっている。婚約者としてヴァンスの隣に立つことは緊張するしプレッシャーもあるが、それ以上に楽しみでつい取り出して眺めてしまう。
相変わらずヴァンスは忙しく会える日は少ないが、それとは関係なく私は毎日オルブライト公爵邸に通っている。公爵家に嫁ぐための教育を受けているが、これは通常の学問ではなく領地経営、公爵家の事業についての詳細な知識を得るためだ。社交で話を振られて「わかりません」では恥をかく。
「セシル様は飲み込みが早いですね。とても優秀です」
「そうでしょうか? それならいいのですが」
家庭教師は毎日絶賛してくれる。誉めて伸ばすタイプらしい。ただ領地経営にかかわる帳簿付けについてはお父様から教えてもらっていたし、ベイリー侯爵家でも学んだので自信はある。
「特に計算能力が高いしミスもない。私は優秀な婚約者を得て鼻が高い。自慢して歩きたいほどだ」
「ヴァンス様!」
後ろからヴァンスの声が聞こえてビックリしていると、彼が私のノートを見て感心していた。
「今日はお城に行かれていたのではないのですか?」
「そうなのだが、大事な用があって抜けてきた」
「それなら急いで用を済ませて戻らないと!」
「そうだな。セシル、これに目を通しておいてくれ」
ヴァンスは私に書類ケースを渡した。中を見ると紙がたくさん入っている。
「これは?」
「ウエディングドレスのデザイン候補だ。聞いていると思うが、明日は工房からデザイナーが来ることになっている。今朝、デザイン画ができたと連絡があったから受け取りに行ってきた。セシルに早く見せてやりたくて。あとすまないが明日私は同席できるか分からない。母上が同席すると張り切っていたが、気にせず自分の希望を伝えてくれ。一生に一度のことなのだから、自分の思う通りに注文してほしい」
私はポカンとした。わざわざデザイン画を自分で工房まで受け取りに行ってくれたらしい。多忙なのだから使用人に任せればいいのに。
「もしかして用とはこれのことですか?」
他にも用があって、デザイン画はついでかも知れないと聞いたのだが、そうではなかった。
「ああ、そうだ。それとセシルの顔を見たかったのもある。最近会えていなかったから。それでデザイン画なのだが、私の意見で描いてもらったのが五枚、デザイナーの考えたのが二十枚くらいある。今日のうちに目星をつけておいた方が希望を出しやすいだろう。気に入ったものがなければ、最初からやり直せばいい」
さらりと会いたかったと言われて嬉しい。どうしよう。でもそれだけじゃない。デザインにはヴァンスの意見も取り入れられている?
「え? ヴァンス様も考えてくださったのですか?」
「当然だ。ただセシルの好みでなければ弾いて構わない。でも前に贈ったブルーのドレスも似合っていたから、私の趣味もなかなかだと思う」
ヴァンスと初めてお茶会をした時に着たドレス、あのデザインをヴァンスが考えてくれていたなんて! 気に入っていたドレスがもっと大切な物になった。
「あのドレス、デザイナーさん任せではなかったのですか?」
ヴァンスは照れ臭ささを誤魔化かのように髪をかきあげた。
「私にはドレスの知識はないので、基本はデザイナーが考えたものだ。出来上がったデザインに、セシルの似合いそうな装飾などの意見を取り入れてもらった」
「っ! ありがとうございます。嬉しいです」
私が感動に打ち震えているとヴァンスは再び手元のノートを覗き込んだ。
「セシルは計算だけでなく文章も分かりやすく字も綺麗で読みやすい。そういえばバセット伯爵は財務部の『冷酷無慈悲な監査官殿』だったな。セシルの能力の高さは父親譲りなのだろう。どうやって学んだんだ?」
お父様が冷酷無慈悲? 私は首を傾げた。私のお父様はお母様の尻に敷かれている優しく穏やかな人だ。もしかして仕事中は人が変わるとか?
「学んだといいますか……私が子供の頃、父に遊んでとせがむと計算用紙を渡されるのです。そしてこれを早く正しく出来たら肩車をしてやると言われて一生懸命解いていました。他にも色々していましたが楽しかったですよ。そのおかげかもしれません」
「遊びの中に取り入れるとはさすがだ」
「あ、でも父に面と向かって誉めないでくださいね。調子に乗りますから」
「あはは。冷酷無慈悲な監査官殿も愛娘の前ではただの父親か。さて、そろそろ戻らないと。そうだ。今度の休みは外出でもしよう」
「嬉しいですが無理をなさらないでくださいね。あ、ヴァンス様。先日は筆入れをありがとうございました。可愛くて使いやすいです」
「それはよかった。あれは留学先で知り合った指物職人の見習いの作品なのだが、なかなかセンスがあると我が領地に招いて支援している」
「あれだけ素敵な作品を見習いの方が作られたのですね!」
「出来のいいものは商品としてすでに販売している」
嬉しそうに目を細める姿に、職人さんを高く評価しているのが窺える。
ヴァンスはアイリーンには人を見る目があると言っていたが、ヴァンスこそ人を見る目があると思う。筆入れを作ったのが見習いと聞いて驚いた。特に椿の彫刻はとても美しくプロの職人さんが彫ったとしか思えない。さすが兄妹!
私は城に戻るヴァンスを玄関で見送ったあと、勉強を再開しようとした。ところが家庭教師に予定の変更を告げられた。
「勉強のスケジュールは早めに進んでいますので、急がなくても大丈夫です。今日の勉強は終わりにしてご実家でそのデザイン画の確認をしてください」
「いいのですか? ありがとうございます!」
実はデザイン画が気になって勉強に集中できるか自信がなかった。ヴァンスが私のために考えてくれたデザインを見たくて仕方がなかったのだ。
私は家庭教師にお礼を告げると、デザイン画を大事に抱えありがたく帰宅することにした。




