13.婚約者と私の弟
「ようこそ、ヴァンス様」
先触れを受けてお父様たちがヴァンスを出迎えた。お父様の隣でお母様がにこにこしている。さらにその隣には緊張しているレックスが固い表情で立っている。ややヴァンスを睨んでいるような? 警戒心満載のレックスも可愛いが、ヴァンスが不快にならないか心配でもある。
「バセット伯爵。急に訪ねて申し訳ない」
「我が家はいつでも歓迎しますよ」
「ありがとう」
そのまま、全員で客間に向かう。ヴァンスはソファーに座る前にレックスに声をかけた。
「レックス、挨拶が遅くなって済まない。オルブライト公爵家のヴァンスだ。これからよろしく頼む。できれば遠慮などせずに、私のことは本当の兄だと思ってほしい」
レックスはごくりと唾を呑むと背筋を伸ばして堂々と挨拶をした。
「僕……私はバセット伯爵家嫡男レックスと申します。こちらこそ、どうぞよろしくおねがいします」
素晴らしい挨拶をしたレックスを抱きしめたいのをぐっと我慢した。レックスは最近「僕」から「私」と言い換えるようになったばかりで、まだ馴染んでいない。でもよくできました!
レックスは挨拶を終えると手をぐっと握りこんだ。そしてどこか挑むようにヴァンスに対して口を開いた。ヴァンスは頷くと続きを促す。
「あの、僕、いえ私からヴァンス様にお願いがあります。いえ、約束して欲しいことがあります」
「何かな?」
「姉上を絶対に悲しませることをしないと約束してください。もしもヴァンス様が姉上を泣かせたら許しません。僕……私はヴァンス様を殴ります!」
「レ、レックス!!」
「レックス!!」
トンデモナイ宣言に焦った両親と私がレックスを止めようと呼んだ声が重なった。婚約を結び家族になると言っても、ヴァンスは公爵家の人間であり身分が上なのは変わらない。超えることのできない壁は存在する。
レックスの気持ちは嬉しいがこの発言は不敬になる。さらにまだ私たちはそこまで打ち解けていないのでヒヤッとした。ところがヴァンスは口元を綻ばせ問題ないと私たちに手を振った。そして屈んでレックスに目線を合わせると真剣な声で言った。
「セシルを泣かせないと約束しよう。そして全力で幸せにする努力をする」
「!! ありがとうございます」
まっすぐなヴァンスの言葉は力強い。レックスは一瞬驚いたように目を丸くしたが、次に破顔した。そして……私の心にも響いた。胸の奥が熱くなる。
「レックスはいい子だな。セシルから聞いた通りだ」
「姉上が僕……私のことを?」
「ああ、自慢の弟だと言っていた」
レックスが照れ臭そうに私を見た。私は大きく頷いた。だって嘘偽りなく自慢の弟なのだから。
「さあ、ヴァンス様、どうぞお座りになってくださいませ。すぐにお茶を用意いたします」
お母様が立たせたままではよろしくないと、タイミングを図ってヴァンスをソファーへ促す。全員が座るとヴァンスはレックスに向かって話しかけた。
「レックスには力を貸してほしい」
「? 何をすればいいのですか?」
「セシルについて教えてくれるか? 好みや苦手なものだ。セシルは私に遠慮するからレックスから教えてほしいな」
「はい! それならお任せください」
レックスは意気揚々と私のことを話し出した。ケーキに目がなくて、でも太るのを気にして料理長に小さめのケーキを作るようにお願いしていること。ピーマンが苦手で難しい顔をしながら食べること。虫は平気なのに犬が怖いこと。
ケーキの話でヴァンスが大きく同意していたので、公爵邸で出してもらったケーキを私が食べる姿を思い出したのかもしれない。だって公爵邸のケーキは本当に美味しいのだ。
虫は蜂とか私に襲いかからないものなら平気だ。犬は子供の頃に、ワンワンと吠えながら追いかけまわされたことがあって怖くなった。あの時はエイダが一緒にいて助けてくれた。エイダは犬が好きで、私を助けた後に犬と追いかけっこをしていた。
当時、犬が怒って私に吠えているのだと思っていたが、あれは遊んでほしくてじゃれていたらしい。言われてみれば尻尾がぶんぶんしていた。そうとわかっても吠えられるのはちょっぴり怖い。
「あとドレスは何でも似合うのですが、可愛らしいものよりも大人っぽいほうが姉上の素晴らしさが引き出せると思います」
「確かに。私もそう思う。レックス、とても参考になった。ありがとう。これからも相談していいか?」
「はい! 義兄上」
えっ? もう『義兄上』と呼んじゃうの。でもレックスはヴァンスを信頼できると思ったらしい。ずっと笑顔で楽しそうに話している。ヴァンスはいつもの無表情ではなく時折口角を上げる。そして終始穏やかな空気を醸していた。正直なところレックスがヴァンスにこんなに早く打ち解けるとは思っていなかった。私よりも気安く話をしている。レックスはヴァンスの美貌や無表情なところにまったく怯んでいない。子供だからかしら?
そういえばスコットの時は一度も「義兄上」とは呼ばなかったし、いつもピリピリと警戒していた。てっきり大好きな姉上を奪う男を警戒しているのかと思っていたが、単にスコットを警戒していたということになる。
その後もレックスはずっとヴァンスに話しかけていて、両親や私は二人の会話を見守っているだけだった。ヴァンスをレックスに取られてしまったのに、幸せなひとときだった。あっという間に時間が過ぎ、窓の外が暗くなってきた。ヴァンスが暇を告げる。
「レックス。今度は我が家に遊びに来てくれるか?」
「はい。ぜひお伺います。姉上と一緒に」
ヴァンスを見送りに出たが、私はヴァンスに万年筆を渡していなかったことを思い出した。
「あ、ヴァンス様。少し待っていてくれますか?」
「ああ」
私はヴァンスを引き留めると慌てて部屋に行った。引き出しから綺麗に包装されている万年筆の箱を取り出し、ヴァンスのもとに戻った。
「お待たせしました。ヴァンス様。これをどうぞ。ドレスのお礼としてはささやかですが、使っていただけると嬉しいです。とても使いやすい万年筆です」
「ありがとう。大切に使うよ」
ヴァンスは受け取ると微笑んで馬車に乗った。私はその笑顔をじっと見た。今日のヴァンスは表情が豊かで、どれも見逃したくなくて目が離せなかった。
私は小さく手を振って馬車を見送ったが、レックスは名残惜しそうに「義兄上~!」と呼びかけながら大きく手を振り続けた。
(ふふ、どっちが婚約者なのかわからなくなりそう)
「レックスとセシルのどちらが婚約者なのか分からないな」
お父様もそう感じたらしい。からかい交じりに呟いた。お母様は苦笑いを浮かべた。
「レックスはヴァンス様とすっかり仲良くなったわね」
両親もヴァンスに対して終始和やかにしていたので心証はよさそうだ。自分の家族とヴァンスが仲良くなってくれて嬉しかった。
「僕、義兄上が大好きです。でも義兄上はすごく綺麗でびっくりしました。姉上とお似合いです」
「えっと、ありがとう」
私は平凡顔なのでヴァンスとお似合いと認めるのは図々しいと思うが、レックスの気持ちを否定したくなくて頷いておいた。
「義兄上は僕に対等に接してくれました……スコット様は僕のことをいつも子ども扱いして、悔しかったです」
「そうだったのね……」
そういえばスコットが我が家に来てもレックスとはほとんど会話をしていなかった。
「僕が姉上にはこういうドレスが似合うと思いますって提案したら、レックスにはまだ大人のセンスが理解できていないと笑われました」
「そう……」
頬を膨らませぷりぷりと怒るレックスが可愛い。でも知らなかった。レックスがスコットに意見を言ってくれていたことを。そしてスコットが聞く耳を持たなかったことを。私は本当に周りが見えていなかったようだ。
「それに比べて義兄上が姉上に贈ってくれたドレスは、姉上にとっても似合っていますよね」
「ありがとう」
レックスはヴァンスがドレスを選んでくれていると思っているが、たぶんそれは無理だ。ヴァンスはドレスの注文をしただけで、デザインについてはデザイナーに一任していると思う。あれだけ多忙ならばそこまで意見を挟む暇はないはず。
でもそれをレックスに伝えるとがっかりしてしまうので、黙っていることにした。
「だから義兄上が姉上の婚約者でよかったです」
「そうね。私もヴァンス様と婚約できて嬉しいわ」
スコットとヴァンスを比べるのはよくないと思うが、知れば知るほどヴァンスとの巡り会いに感謝したい。
ふと思った。私とオルブライト公爵夫妻、そして私の家族とヴァンスとは、すっかり打ち解けた。それはいいことだけど――。
(当人同士が打ち解けるほうが後って……私も、もっとヴァンス様と気兼ねなく話せるようにならなくちゃ!)
私は心の中で強く決意をした。




