11.偶然
私は帰りの馬車の中で、一人なのをいいことにニマニマしていた。だって勝手に頬が緩んじゃう!
その理由は帰り際にオルブライト公爵家の侍女がこっそりあることを耳打ちしてくれたからだ。
「あのクッキーはヴァンス様がセシル様に食べさせたいと、朝早く出かけてご自身で購入されたものです」と。そのせいで戻る馬車の中で眠ってしまったらしい。
忙しい身なのだから使用人に頼めばいいのに、それでは誠意がないと自分で行かれたそうだ。それを知り私は幸せな気持ちで帰宅した。
お茶会をした翌日に、ヴァンスからたくさんの宝飾品が届いた。さらに追加でドレスも仕立てていると聞いて、あわあわした。「お針子さんたちが過労死してしまう!」と訴えると、おつかい人が「たくさんいるので大丈夫ですよ」とクスリと笑った。どうやら特別手当がかなり奮発されるらしく、工房では嬉しい悲鳴が上がっているそうな。
私がヴァンスの婚約者として社交場に出席するのは当分先になる。それなのに続々と贈り物が届けられて、嬉しさよりも戸惑いが大きい。
とにかくお礼をと思うが直接会うことができない。ヴァンスの予定が空かないのだ。朝は早くから夜遅い時間まで王太子殿下と仕事をしている。
仕方なく手紙をオルブライト公爵家の執事に預けた。文面には「ありがとうございます。ですが私には過分に存じます」と書いた。「多すぎますよー、もっと少なくて大丈夫ですよー」との意味を込めたのだが、ヴァンスからの返事には「婚約者として当然だ。受け取ってほしい。それにアイリーンが持っている数に比べれば全然少ないから気にするな」と書かれていた。
アイリーンは公爵令嬢だし、王太子殿下の婚約者なのだからたくさん持っているのは当然。それを基準にされては困る。悩んでお母様に相談したら受け取ることは義務だと思いなさいと言われた。贈り物は面子を保つことになるらしい。
スコットからは必要に応じて受け取っていた。夜会があるからドレスとネックレスを、という感じ。理由のない贈り物はなかったのでそれが普通だと思っていた。
私はヴァンスからもらったネックレスを首元に当てて鏡を覗き込む。大粒のダイヤがキラキラと眩しい。
「綺麗……」
立派なアクセサリーを着けると、自分が宝石に見劣りしないように頑張ろうと心が引き締まる。
(もらってばかりでは申し訳ないわ。私も彼に何か贈ろう!)
何がいいか悩んだが無難に万年筆に決めた。実は私が愛用している万年筆があってぜひヴァンスにも使ってほしいと思ったのだ。この万年筆はお父様から教えてもらったもので長時間使っても手が疲れにくい優れ物だ。
王都にある専門店で販売されているこの万年筆は、色の種類が豊富で私はヴァンスに合う色を自分で決めようと直接お店に向かった。この万年筆だけでは忙しいヴァンスの負担を減らすことはできないが、少しでも役に立ちたかった。
店主は全種類を見せてくれたので、一本ずつ吟味してようやく決めた。ヴァンスに贈る色はターコイズグリーンにした。鮮やかな色が冷静沈着なヴァンスのイメージにぴったりだと思った。滲みにくいと評判のインクも一緒に包んでもらう。
喜んでもらえるといいなと思いながら、綺麗にラッピングされた箱を抱え馬車に戻ろうとした時だった。
「セシル。こんにちは。お買い物?」
声をかけてきたのはエイダだった。今までなら見かけても声をかけたりしなかったのにとむっとした。無視したいがかろうじて顔を顰めずに口角を上げた。
「こんにちは。エイダもお買い物?」
「ええ、そうなの。私、ベイリー侯爵家で暮らしているのだけど、足りないものを見に来たのよ」
「そう」
エイダがベイリー侯爵家で暮らしていると聞いて驚いたが、結婚式まで日数が短いことを考えれば頷ける。色々準備が大変だろう。
お父様から教えてもらったのだけど、スコットは私と結婚するはずだった日にエイダと結婚式を挙げるらしい。花嫁が変更になるのに式を延期しないことに驚いた。変更すると手間もお金もかかるけど、仕切り直すのが普通なのでは? まさかウエディングドレスも私が着るはずだった物を着るのかしら? さすがにそれは……でも今から作るのでは間に合わない。それとも既製品? 一生に一度のことなのにエイダはそれでいいのかな。
エイダは着ているドレスのスカートを摘まむと問うように首を傾げた。
「ねえ、どうかしら?」
そのドレスを知っている。ピンクの小花柄の生地で背中にはレースの大きなリボンが着いている。以前私も着ていた。すなわちスコットからの贈り物だったドレスだ。
でもさすがにそのままでは着なかったようで、スカートにレースが足されて、デコルテのデザインも変わっている。上手なアレンジで持っていた本人である私以外は気付かないと思う。そもそもエイダが私のお下がりのドレスを着ると知っていなければ、似たドレスだったかもくらいの認識になる。着ている人間の雰囲気が真逆なことが大きく影響しているのだろう
こうやって見るとスコットがエイダを想って作ったというのは本当だったと実感する。
童顔のエイダによく似合っている。すなわち私には似合っていなかったということだ。実はスコットから贈られたときにちょっと私の雰囲気と違うのではと思ったのだが、それを言ってしまうと贈り物に文句をつけていると思われそうで黙っていた。うん。ドレスもエイダに着てもらえて本望だろう。
(ドレスを見ても特に腹は立たないし悲しくもない。それよりも私が着ていたドレスを着て堂々と歩き回ることができるエイダがすごいと思う)
女性はドレスで競い合うところがある。流行を取り入れつつも自分だけのデザインにこだわる人も多い。でもエイダにはそのこだわりはなさそうだ。
「似合っているわよ」
エイダは嬉しそうくるりと一回転して見せた。スカートがふわりと浮いて花が咲いたように広がった。
「ありがとう」
「素敵なアレンジね」
腕利きのお針子さんが相当頑張ったに違いない。
「ええ、数日徹夜したわ」
「え!? 自分で直したの?」
「そうよ。早く着たかったから頑張ったのよ」
私は目を丸くし、そして感心した。工房に頼まず自分の手で直せるのは知識と技術があるということ。エイダがそれほど器用だとは知らなかった。あっ、でもエイダは子供の頃から器用だったかも。一緒に花冠を作ったことがあって、私は上手く輪にできず変な形になったが、エイダはまるで王冠のように見事な花冠を作っていた。
(あの頃は無邪気に仲よく遊んだのだったわね)
「エイダは器用ね」
「ええ、大抵のことは自分でできるわ。ところでセシルの新しい婚約者は決まりそう?」
心配げな表情をされても嫌味なのか本心なのか測りかねる。だって誰のせいで婚約者がいなくなったと思っているのか。もっとも運よく新しい婚約者は決まっているが、まだ公にしていないので誤魔化した。
「ご心配ありがとう。大丈夫よ。それよりもエイダだって大変でしょう? ベイリー侯爵家のお嫁入り教育は厳しいものね」
エイダが学園で優秀だった記憶はない。テスト結果は上位の五十人が張り出されるが名前を見たことがなかった。
ベイリー侯爵家の家庭教師はスコットをあらゆる面で支えられるだけの能力を身に付けることを要求した。社交に必要な情報は片っ端から暗記させられる。貴族名鑑然り、それ以外にも淑女としての振る舞いに領地経営の補佐をするための勉強などなどを叩き込まれた。あれを短期間で習得するのは難しいと思う。
もっともそのおかげで私のオルブライト公爵家での勉強はおさらい程度になった。だから今は勉強する時間より休憩する時間の方が多いかもしれない。
「そうね。確かに家庭教師は厳しいわ。でも学ぶのは楽しいから気にならないし、ちゃんと覚えて家庭教師の鼻を明かしてやるわ」
にやりと不敵に笑う姿におやっと思った。嫌がることなく前向きに受け止めている。しかもへこたれていない。
「そう。頑張ってね」
「ありがとう。ではまたね」
「ええ」
何だか憎めない。本来なら婚約者を奪った相手で憎んで許せないはずなのにその清々しさに笑ってしまった。
でも私がエイダに対して怒りが湧かないのはヴァンスのおかげだと思う。新しい婚約者の存在が私の心に余裕をくれる。しかもスコットよりもずっと素敵な人。
エイダの後姿を眺めていると中年の女性がエイダに声をかけた。
「こんにちは。エイダさん。今日はお買い物? お時間があるのなら我が屋が経営しているお店にも来てくださいな」
「ええ……」
エイダが振り返り会釈をしている。
(あの女性はヒース伯爵夫人マチルダ様。声が大きいのですぐに分かるわね)
エイダは戸惑いを誤魔化すように笑っているが、あの様子だと話しかけてきた相手が誰だかわかっていない。まだ貴族の名前が覚えきれていないのだろう。
「あら! もしかして私のこと覚えていないのかしら? 先日のお茶会でちゃんとご挨拶したわよね?」
マチルダがエイダに詰め寄っている。これはちょっとまずいかも。
ヒース伯爵家は靴屋を経営している。高級なものではなく平民や使用人が使う安価な物を取り扱っていて、マチルダは貴族によく声をかけて売り込んでいる。
マチルダはおしゃべりが大好き。とくにゴシップは見逃せない人なので対応を間違えると悪評を流される。仕入れた情報を自分の考察を混ぜて取引先やお客様にしゃべるのだ。悪意を含ませているほうが、みんな面白がるのでマチルダははりきって広める。
マチルダの人柄はともかく、いい職人を抱えているので品物がよく我が家でも使用人の仕事用の靴を購入している。
マチルダはきっとスコットの新しい婚約者になったエイダが格好のネタになると話しかけたのだろう。このままだとエイダのことを「きちんと挨拶したのに自分のことを覚えていない。失礼だ!」とか「結婚前から侯爵家の人間になったような尊大な振る舞いをする」とか言いふらしそう。
私は躊躇することなく二人のところに行きマチルダに声をかけた。
「ヒース伯爵夫人。こんにちは。先日は使用人の靴を届けてくださりありがとうございました。履き心地がいいとみんな喜んでいますわ」
マチルダは振り返って私を見るなり目を丸くした。でもすぐに獲物を狙う猫のように目が鋭くなる。私とエイダが罵り合うことを期待していそう。残念ながらそうはならないけど。
「こんにちは。セシルさん。こちらこそお買い上げありがとう。我が家で作っている靴は機能を重視しているの。満足していただけて嬉しいわ」
私はエイダに対し親しい友人のように声をかけた。
「エイダも今度ヒース靴店を訪ねてみるといいわ。用途に合わせた靴がたくさんあって品揃えが素晴らしいのよ。結婚後はベイリー侯爵家で使ってみたら?」
エイダは一瞬だけ瞳を揺らしたが、すぐににこりと応じた。
「そうなのね。セシル、教えてくれてありがとう。ヒース伯爵夫人、私はまだ未熟で靴店について存じ上げておらず、大変失礼いたしました。これもご縁、セシルが勧めてくれたのですもの。今度お店に行ってみますね」
「ええ……」
マチルダは私とエイダを交互に見て詰まらなさそうな表情をすると気のない返事をした。
「……お二人は仲がよろしいのね。社交界ではベイリー侯爵子息の婚約者変更のニュースは衝撃的で、色々な憶測が飛び交っていましたけど、どうやら噂通り円満なもののようね。さて! 私は次の用があるので失礼するわ。ごきげんよう」
(噂? 何のことだろう)
マチルダは私たちに興味を失くしたようで踵を返し、さっさとどこかへ行ってしまった。私はそれを見届けるとエイダを見る。エイダは気まずそうに目を逸らした。
「……助けてなんて頼んでないわ」
感謝されたかったわけではないが、エイダの悪態に思わず肩を竦めた。
「そうね。私がヒース伯爵夫人にお礼を伝えたかっただけだから、気にしないでちょうだい。私も帰るわ。じゃあね」
私はくるりと向きを変え歩き出した。
「あ……ありがとう」
背中越しにエイダの小さな呟きが聞こえたが振り返らなかった。
待たせていた馬車に乗るときにエイダの方をちらりと見たら、エイダは別れた場所で佇んでしゅんとしているように見えた。私は複雑な気持ちになって溜息を吐く。
(せっかくヴァンスへの贈り物を買って、ウキウキした気分だったのになあ)




