10.初お茶会
私はその場で婚約了承の返事をして帰宅した。
ヴァンスに笑顔はなく「受けてくれて感謝する」と淡々としていた。本当かな? と思わなくもないが、まだ初対面だし大げさに喜ばれたらむしろ戸惑う。この反応くらいでちょうどよかったと思う。それにヴァンスは無表情がデフォルトだと知っているので問題なし。
ヴァンスは不誠実な真似をしないと約束してくれた。それで十分じゃないか。結婚生活に過剰な期待をしなければ傷つくことはない。彼の伴侶として分をわきまえつつ、公爵家に貢献できるように努力すれば、まあまあ幸せになれる。幸せの高望みは禁物だと心を戒めた。
とにかく肩の荷が下りた。貴族令嬢にとって嫁入り先が決まることは大切なことなのだ。この婚姻は将来レックスにとっても利になる。そう思うと自分の決断が正しかったと満足できた。
ヴァンスは私が帰宅した後、再び城に戻るらしい。帰国したばかりで事後処理が忙しいそうだ。二週間くらいで落ち着きそうなので、それからゆっくり親交を温めることになった。もろもろのことは後日決めることにしたが、半年後にアイリーンと殿下の結婚式があるので私たちはそのあとになる。準備期間も含めて結婚式はたぶん一年後くらいになりそうだ。
(ヴァンス様はシスコンだった。そうなると会うたびにアイリーン様の自慢話を聞くことになりそう。アイリーン様は完璧な淑女だから比較されると辛いかも……)
帰宅すると私は意気揚々とお父様とお母様に報告した。すると二人とも「はあ~」と深い溜息を吐いた。えっ……どうして? お父様が呆れ顔で言った。
「セシルの思い切りのいいところは長所だと思っている。顔合わせまでに私もヴァンス様について詳しく調べて問題ないことは確認していた。だからこそ今日は一人で送り出したが、まさかその場で返事をするとはな。もちろん即断で返事をしても問題はない。だができれば一度持ち帰ってからにしてほしかった」
「あ……」
うっかり! そうだった。今日は会うだけのつもりで行ったのにーー!! これではスコットの二の舞……。確かにお父様やお母様に相談するべきだった。私は勢いで物事を決めてしまう癖がある。反省し項垂れながら謝った。
「ごめんなさい」
「いいじゃないの。あなた。セシルはヴァンス様がいいと思ったのでしょう? 私たちはその判断を応援しましょう」
「そうだな」
お母様の言葉にお父様は苦笑いを浮かべた。
でも言い訳をするならスコットの時は浮かれていたけど、ヴァンスに対しては冷静な気持ちでいたから大丈夫。たぶん……。
翌日にはお父様とオルブライト公爵とで婚約の手続きを済ませてくれた。仕事が早い。ただ私とスコットの婚約が解消されたばかりなので、公示はしばらく時間を置くことになった。それでも秘密にしているわけではないので耳聡い貴族には伝わる。口さがなく言われても、疚しいことはないのだから堂々としていればいい。俯けば付け入れられる。
当面は私がオルブライト公爵家に通い、公爵家のことを学ぶことを優先することになった。
さっそく翌日からオルブライト公爵家に行ったがヴァンスは仕事で不在だった。会えなくて残念……ではなく少しだけホッとした。やっぱりヴァンスと話すのは緊張するから。
その代わりに昨日挨拶できなかった公爵夫妻と正式に挨拶をした。二人とも私がヴァンスとの婚約を受け入れたことをすごく感謝してくれた。
「アイリーンを王家に取られちゃうけど、セシルさんが来てくれるなら寂しくないわね。もう一人娘ができて嬉しいわ」
「ああ、そうだな」
オルブライト公爵当主であるローマンは金色の髪に翡翠色の瞳をしている。顔は絶世の美男子、いや美ダンディ。ヴァンスの顔はローマンにそっくりだ。
公爵夫人であるフローレンスは艶やかな黒髪に漆黒の瞳をしている。ヴァンスの髪と瞳の色はフローレンス譲りだ。フローレンスはスタイル抜群で雰囲気のある妖艶美女。二人とも種類の違う絶世の美形で最強だ。
アイリーンも黒髪に黒い瞳を持っているが、顔は柔らかな可憐系の美人で顔はご両親のどちらとも似ていない。アイリーンはお祖母様であるフローレンス様のお母様にそっくりだ。お祖母様は他国に嫁がれているので会う機会は今のところない。でも屋敷にある肖像画を見せてもらった。
私が公爵邸に行く日にローマンとフローレンスが在宅していると、必ず昼食に誘われ一緒に摂る。それ以外にもフローレンスはこまめに休憩にしようとお茶に誘ってくれた。お茶の時には主に社交界の人間関係について教えてくれる。またどこの家とどこの家が懇意にしているとか、仲が悪いとか。これは重要なので頭にしっかりと叩き込んだ。
最初はローマンとフローレンスの美人の迫力に腰が引けていたが、時間とともに慣れた。きっと気さくに話してくださるからだと思う。ヴァンスとはあれから会えていないが、ご家族から先に親交を温めるのもいいと思う。
そして二週間後、ようやくヴァンスとお茶を一緒にできることになった。
当日私は真新しいブルーのドレスを着た。なんと前日に二着のドレスがヴァンスから届けられたのだ。しかも既製品ではなくデザインから起こしたもの。お母様が私のサイズを伝えていたらしいが、たった二週間で二着のドレスを誂えてしまう公爵家の力、恐るべしと慄いた。きっとドレス工房の人たちは不眠不休でお仕事をしたに違いない。大変申し訳ない。でも洗練されたドレスに腕を通すのは心が躍った。
両親とレックスに似合うと大絶賛されてまんざらでもない。
支度が終わると玄関にはすでにオルブライト公爵家の馬車が待機していた。実は公爵家は毎回私を送り迎えするために馬車を出してくれている。しかも四頭立ての黒塗りの立派な馬車に護衛騎士が四人も付いてまるで王女様か! という扱い。ただの伯爵令嬢にここまでしなくていいのにと最初は遠慮したが、「これはヴァンス様の指示なので遠慮は無用です」と騎士に押し切られた。我が家にだってもちろん馬車はあるし、遠慮というか身分不相応な気がして断りたかっただけなのだが上手くいかなかった。
「どうせ公爵家に嫁げばこの待遇で暮らすのだから、今のうちに慣れておきなさい」
「お母様。この生活、慣れますか?」
「大丈夫よ。何とかなるものよ」
お母様は侯爵家から伯爵家に嫁いできて、色々戸惑ったと言っていた。身分の差で常識が変わるのだ。それでも愛する人といられる幸せのおかげで乗り越えられたと言っていた。
私もヴァンスと愛を育めるといいのだが、今のところ想像できない。
「姉上。もしもヴァンス様が姉上に意地悪をしたら僕に言ってくださいね。次期バセット伯爵として決闘を申し込みます!」
ヴァンスが意地悪? 想像つかないけど、その発想が可愛い。レックスは両手をぐっと握ると私の目を見ながら力強く頷いた。王女様待遇に困惑気味の私が不安がっていると思ったらしく、安心させるために勇ましいことを言ったようだ。最近、熱心に剣術を習っているというから、本当に決闘を申し込みかねない。
(私の弟、最高過ぎる)
「ありがとう。心強いわ」
レックスに元気をもらい私は勇んで馬車に乗り込んでオルブライト公爵家に向かった。
「ようこそ。セシル嬢」
馬車が着いて扉が開くと、そこにはヴァンスが立っていた。会うのは二度目だけど、今日も今日とて美しい。ため息が出そう。
ヴァンスは無表情でそこには歓迎の雰囲気はあまり感じない。私としては過度な期待はしていないので思うところはないが、でもわざわざ出迎えてくれた誠実さが嬉しい。先日の笑顔の破壊力を思えば無表情の方が私の心の平穏が保てるのでありがたい。
「お招きありがとうございます」
「今日は庭で茶にしよう。庭師が張り切って手入れをしてくれた」
「それは楽しみです」
「それとそのドレス、よく似合っている。綺麗だ」
「っ! ありがとうございます」
えっと、ドレスが綺麗? それともドレスを着た私が綺麗? いやいや、ここは素直に私を誉めてくれたと受け止めよう。つい美人に綺麗だと言われて疑ってしまった。
ヴァンスの先導でゆっくりと庭に移動すると、そこには真っ白な丸テーブルと椅子が用意されていた。目の前には色とりどりのチューリップが綺麗に咲いている。手入れが行き届いているのがよく分かる。素晴らしい腕の庭師さんにお礼を言いたいほど。
椅子に座ると侍女が流れるような動作でお菓子とお茶を置く。オルブライト公爵家はいくつかの事業を行っているが、その一つに紅茶専門店の経営がある。外国からも有名な茶葉を仕入れ販売している。いつもフローレンスが出してくれるお茶もとても美味しい。今日は別の茶葉を淹れてくれたようだ。さっそく口を潤す。鼻を抜ける香は爽やかで甘みのある紅茶だった。
「美味しいです」
「それはよかった。菓子も遠慮なく食べてくれ」
お皿の上には動物の形をしたクッキーが並んでいる。特徴が捉えられていて可愛く表現されている。小さな子が喜びそう。これもオルブライト公爵家の料理長が焼いたのかしら?
「クッキー、可愛いですね」
「ああ、王都の外れにある小さな菓子店で売っている。この店のクッキーはアイリーンが子供の頃から好きで、我が家ではよく買う物だ。他にも花や果物の形もあったな。アイリーンはうさぎの形がお気に入りで、そればかりを食べていた。うさぎの形がなくなると半べそをかくほどだったな。だからうさぎの形を多く買っていた」
急に饒舌になったのでびっくりした。ヴァンスは無表情なままだけど目が優しく感じた。
(さすがシスコン! これぞシスコン!)
ヴァンスが小さなアイリーンを喜ばせるために、これを買い求める姿を想像したらほのぼのした気持ちになった。
私は手を伸ばしアイリーンのお気に入りといううさぎのクッキーを食べた。やや硬めのクッキーはサクサクとしていて食べ応えがある。しかもお茶と合っている。最初に来た時に食べたケーキも美味しかったけれど、このクッキーも美味しい。
「クッキー美味しいです。ヴァンス様。よかったらお店の場所を教えていただけますか? 弟のお土産にしたいので」
美味しいものは家族にも食べさせたくなる。喜びを共有したい。レックスは動物の形を見て「僕はもう子供じゃありませんよ」と抗議しそうだけど、でもきっと喜んでくれる。
「分かった。そういえばセシル嬢には弟がいたな。仲が良いのか?」
「はい。とても仲良しです。弟のレックスは利発で努力家で可愛いのです。そして私をとても慕ってくれていて自慢の弟です!」
私が意気込んでレックスの話をすると、ヴァンスはふっと口元を綻ばせた。その瞬間胸がきゅっと締め付けられドキッと鼓動が跳ねる。
(心臓が苦しい……きっと無表情の美人が笑った衝撃ね。これ続いたら私の寿命が縮みそう)
「先日、バセット伯爵夫妻には挨拶させてもらったが、レックス殿にはまだ会えていなかった。申し訳ない。なるべく早く伺うようにしよう。姉想いならセシル嬢の婚約者がどんな男か気を揉んでいるだろう」
ヴァンスは王太子殿下の公務の補佐や殿下とアイリーンの結婚式の準備にも駆り出されているので相当忙しい。だから二人で過ごすお茶の時間もやっと絞り出してくれていた。レックスはヴァンスの言葉通りに「ヴァンス様が姉上に相応しいか僕が見極めます!」と意気込んでいて早く会いたいと言っていた。
でもヴァンスが置かれている状況を理解しているので聞き分けてくれている。姉想いの上に、十二歳にして分別もある。最高の弟なのだ。
「お気になさらないでください。お仕事が一段落した時にでもお時間をいただければそれでいいのです」
「ありがとう」
ヴァンスが微笑んだ……気がした。目をぱちぱちと瞬くと、やはり無表情。見間違いだったようだ。私たちは一緒に過ごす時間が少ない。それを補うためにある提案をした。
「ヴァンス様。お願いがあります。これからは私のことをセシルとお呼びください」
呼び方を気安くすることで心の距離を縮める作戦。ヴァンスは察してくれてなるほどと頷いた。
「それはいいな。それならセシルも私のことをヴァンスと呼んでくれ」
「え、それは無理です」
提案しておいてなんだけど私には無理。自分が敬称を外してもらうのは気にならないが、ヴァンスの敬称を外すのはまだハードルが高い。ヴァンスは納得できないと眉を寄せた。
「どうして?」
「恐れ多くて……」
「婚約者に遠慮は不要だろう?」
「でも……まだお会いして二回目です。もう少し慣れてからにさせてください」
「そうか、分かった」
ヴァンスはちょっと残念そうにしたが受け入れてくれた。公爵夫妻には緊張しなくなったけど、ヴァンスだとどうしても緊張してしまう。でも緊張してても普通の会話ができているから、私の適応能力が高いということだ。まずは初お茶会を穏やかに過ごせたことを喜ぼう。
こうして私たちの一度目のお茶会は和やかに終了した。




