屍食鬼 Ⅴ
鬱蒼とした森の中、傭兵カージスは幾つもの枯れ枝を小脇に抱えて歩く。
森に入る時点で中天はとうに過ぎていた為、既に日暮れが近づいてきている。
入口付近は軽く調べたものの、捜索対象に繋がるような痕跡は無し。
本格的な調査は明日からということで、早々に野営の準備を始めた訳だ。
湿地帯という環境もあって薪用の乾燥した枯れ木や枝を見つけるのに少々手間取ったが、大雑把にでも地域の植生を把握しておけば適した枝や樹々を見つけるのはそう難しくない。
一晩の野営を行うのに十分な量の薪を確保した彼は、念の為に周囲に魔獣の気配が無いかを確認しつつ、今晩の寝床を目指す。
数分ほど歩いただろうか? 行く道の樹々につけておいた目印もあって帰り道で迷うということもなく、あっさりと野営地は見えて来た。
中々良い場所だ。川が近く、森の中では比較的開けている。
位置的にはまだまだ浅い場所なのでエルシェルが今回野営に使った形跡はなかったが、何度か使用してはいるのか、焚火用の石が組まれていた。
焚火から少し離れた位置には半ばから焦げてへし折れた巨木――おそらくは落雷によるものだろう。根元にはぽっかりと空いた大きなうろがある。
人間一人二人程度は余裕をもって寝転がれそうな樹洞の縁に手をかけ、中を覗き込もうとして……ふと思いついた顔で踏み止まった。
「おい、戻ったぞ。生きてるか?」
「……生きてるわよ」
平常のトーンでうろの中へと言葉をかけた彼に対し、返って来た力無い声はイオのものだ。
声の調子は落ち込んだ辛気臭いものではあったが、彼が薪拾いに出ている間、森の獣に喰われていた、という事態にはならなかったようだ。
勿論この周辺に獣避けは使っている。が、今回の屍喰達の異常行動を見るにアテにし過ぎるのはよろしくない。こういった同行者の安否と状況の安全確認はいつもより意識して行うべきだろう。
そのような事を考えつつ、カージスは組み石の脇へと薪の束を置いた。
樹の枝に引っかける形で干してある水洗いしたズボンに眼を向け、ついでにその持ち主が居るうろへと視線を移す。
「火を熾すから、洗濯物は近くに寄せろ。そこから出たくないなら俺がやっちまうが」
「……自分でやる……」
川で洗濯したとはいえ、自身の小便で汚れたズボンを男に触らせるのは抵抗があるらしい。
勝ち気を通り越してクソ生意気、そんな態度がすっかり鎮火した少女は、雨天用の円套を羽織り、前をきっちり閉じた状態でのろのろと樹洞から這い出て来る。
下半身は下着と革長靴のみ、円套の裾を引っ張って、下の露出を誤魔化しているという、その手の性癖を持つ者を刺激しそうな格好のイオ。
まだ成人前の少女とはいえ、発育の良さも相まって中々に目の毒な姿なのだが……さっさと火起こしして薪を組み始めた傭兵は、ズボンを火の傍で干しなおしている彼女に目もくれずに忠告した。
「今はいいが、夜になって冷え込むようなら濡れたまんまの下着は脱いどけ。腹冷やして体調を崩したらここに置いていくぞ」
「……ッ! あんたねぇ……っ!」
デリカシー? そこに無ければ無いですね。
そう言わんばかりに淡々と告げられる言葉に、しょぼくれていた少女の顔に羞恥と怒りが混じり合った朱が差す。
だが、文句なり罵倒なりを吐き出す前にその口元が歪み、苦虫を噛み潰す形で沈黙へと変わった。
あのとき、屍喰の群れと遭遇して、イオが何も出来ずに気を失った後。
すぐに叩き起こされて言われた「今からでも村に帰れ」という言葉に、首を横に振ったのは彼女自身だ。
眼前の男の口から出る言葉は容赦にもデリカシーにも欠けるが……失禁までして意識を失った自分に何かすることもなかった。これが村の男連中なら、どうなっていたか分かったものではない。
結局はついて来ることを認め、さっさと川のそばで野営をする、という判断を下したのもありがたかったのが本音である。
不本意極まりないとはいえ、こんな格好となったイオを見ても眉一筋動かさない――どころか、警戒する素振りを見せた彼女を鼻で笑って肩を竦める始末だった。
色々と、細かなところで腹の立つ男だ。
けれど、その言動の殆どは"依頼達成の為に行う、足手まといへの助言"である、というのはこの段階になれば流石に察することが出来た。
襲い掛かって来た魔獣を容易く蹴散らした手腕から見ても、高ランクの傭兵と言う看板に偽りは無い。
腕はたつ。依頼に対しては仕事人気質であり――何より、イオを徹頭徹尾ただの見習い扱いしてくる。他の認識は一切含んでいなかった。
村の連中みたいに、都合の良いときは持ち上げながら師や自分を陰で化け物呼ばわりしない、自分を嫌な目で見てこない。
(ムカつく……ムカつく奴だけど……こいつは、村の男達とは、違う)
そんな風に思うイオである。
それでもムカつく奴だという認識は変わらないのか、少女はジロリとカージスをひと睨みすると、彼に背を向ける形で焚火の傍に座り込んだ。
同行者からの評価が地味に改まっている傭兵であるが、その評価通り、彼女に対して配慮するような行動はその実、余計なリスクを潰す為のものであった。
この地域一帯に生息する魔獣は、屍喰や山精といった最下級の小型ばかり――組合の情報ではそう判断されているが……辺境における野生動物の生息域情報は、更新間隔が長い。
事実、今回の依頼にはそれ以外の"何か"が関わっている可能性がある。そうでなくとも、深い森の奥や山中には例外が棲んでいる可能性があった。
単純に脅威度が高い魔獣だった場合も厄介だが、性質の悪いものだと他種族の雌を使った繁殖を行う種もいるのだ。
そういった類を引き寄せる危険も考えれば、文字通り小便臭い小娘を連れ歩くなど論外である。早めに野営をしてでも装備を洗浄させるのは、当然の選択だった。
(――だが、まぁ)
こちらに背を向けてはいるものの、火の傍に素直に座った少女を横目で見ながら、カージスは集めた木枝をへし折って焚火の中へと放り込む。
態度の割に屍喰相手に散々な醜態を晒したイオだが……あそこまでビビり散らかしていながら、『帰れ』という言葉に頑として首を縦に振らなかった根性は、中々に評価できる。
ただの精神論というなかれ。魔力に適合した生物――即ち魔獣は、ソレを扱えぬ生物とは脅威度が違う。種によって差は激しいが、本能レベルで魔力による身体強化を行使しているも同然なのだ。
その上、敵対者を害する意思……攻撃性を宿した魔力は物理的脅威は勿論のこと、相対する者に独特な精神的圧力を与える。
順調に下積みを経て、野盗や大型の獣を退治した経験のある冒険者や傭兵が、初の魔獣狩りで心折られて引退、最悪は死亡、というのは幾らでも転がっている話だった。
行方不明の師を探す為、というのっぴきならない事情があるとはいえ、魔獣と単独で遭遇すれば何も出来ずに死ぬ、という結果を明確に叩きつけられ――それでも、その死の象徴が跋扈する森へと足を踏み入れる道を選ぶ。選べる。
単なる考え無し、向こう見ずであればこの選択肢は取れない。ごく一部の例外を除き、本来魔獣相手の初陣とは、それ程に精神を試されるのだ。
技術や知識、気構えはまだまだ問題・課題が山積みである。
が、少女の折れない精神だけは、冒険者の"三級の壁"を乗り越える要素の一つを満たしてる。カージスはそう判断していた。
互いに同行者の評価を多少上方修正している両者であるが、口には出していないので表面的な態度は変わっていない。
火を囲んで仲良くお喋りなど始まる筈もなく、しばしの間、野営地に焚火に放り込まれた薪がちいさく爆ぜる音だけが響く。
そろそろ晩飯の準備をするか、とカージスが腰を上げようとしたとき、イオが背をむけたまま小さく呟いた。
「……みっともないのは、自分でも分かってるわ」
「屍喰相手にチビって失神したことか?」
「ハッキリ言うなっ!」
相も変わらずの身も蓋も無い言葉に、反射的に振り向いて声を荒げる少女。
声の調子が少しだけ上向いた彼女に、傭兵は幾度目になるのか鼻を鳴らして肩を竦めて見せた。
「そう気にするモンでもない。採点するなら確かに減点部分は山ほど……というか減点箇所しかないが、それでも失格じゃないしな」
「……アレのどこに合格要素があったのよ。嫌味のつもり?」
「生きてるだろ、お前」
ごくあっさりと告げられた言葉に、イオはわずかに目を見開き、反発の言葉を飲み込んだ。
彼女の反応には頓着せず、傭兵は立ち上がって荷物の中から干し肉や水、携帯食料のセットを取り出すと再び焚火の前に腰を下ろす。
「どれだけ注意してようが、恵まれた万全の環境だろうが、死ぬ奴は死ぬ。逆に、たとえ0点でも生きてれば再挑戦の芽はあるぞ、少なくとも俺はそうだった」
携帯用の小鍋を焚火の上に乗せ、その中に水と干し肉、薪拾いのついでに摘んで来た食用の野草を放り込みながら、言葉は続けられる。
「冒険者にせよ、傭兵にせよ、普通の職と比べれば生命の安い職業だ――それだけに、生きてさえいれば成功に向けた挑戦の機会は必ずやってくる。当然、個々に難易度の差はあるだろうがな」
そんな風に締めくくられる言葉を前に、イオは気になった点があったのか身体ごと振り返った。
「……アンタもきつい失敗とかしてるの? ……二級になるような才能があるのに?」
「アホか。ノーミスのままで上り詰めるなぞ、どこの絵物語の英雄様だ。一級だろうが特級だろうが、土を舐める経験のひとつやふたつはあるもんだ。普通はな」
ゲロと小便ぶちまけて這いずりながら逃げ出した事だってある、と。
あっさり語られる傭兵の声色は、屈辱や敗北感を一切感じさせない、平然としたものであるが……何故か奇妙な程に説得力があった。本人が心底『当たり前の経験談』として口にしているからだろうか?
それを聞いて、なにやら感じるものがあったのか。
考え込む様子で俯いた少女を見て、カージスは少しばかり喋り過ぎたと自省する。
イオの師は捜索対象の女であり、自分はあくまで余所者、仕事上関わるだけの行きずりの傭兵だ。
早めに野営に入ったせいで時間を持て余しているとはいえ、偉そうにアレコレと語るのはお門違いというものだろう。ついでに言うなら、他所の師弟の育成に嘴を突っ込むほど上出来な身の上でも無い。
(こっちに隔意を抱いている小娘相手に、何をやってるんだかな)
語る方も聞く方も、お互いに良い気分にはならないであろう自身の迂闊に、片頬を歪ませて苦笑いを浮かべる。
話は終わりだとばかりに木匙を手に取り、火にかけた鍋の中身をかき混ぜていると、考え込んでいたイオがポツリと零した。
「……先生も」
「うん?」
「先生も、そうだったのかな?」
三角座りで俯きがちなまま、彷徨う視線はカージスを――というか目の前の景色を見ていない。過去を、師との思い出を反芻しているのだろう。
それは彼女にとって大事な記憶なのだろうが、決して良い思い出だけでは無いのは、その複雑そうな表情を見れば容易に察せられた。
話題から派生して別種の疑問を投げて来るのを見るに、どうやらイオにとって先程の話は聞いていて不快なものではなかったらしい。
(てっきり無駄口が過ぎたかと思ったが……そういうことであれば、おしゃべりに付き合うのもアリか)
なにせ夜まで時間がある。暇潰しがあるのならそれに越した事は無い。
傭兵は鍋に塩を一つまみ足しながら、そんな風に考えを廻らせる。
そうして、当たり障りのない答えを脳裏で組み立てて――やめた。
色々と考えはしたものの、少女が求めているのはそんな返答ではないだろうし、結局のところ、自分達は今回限りの付き合いだ。
説教・忠告の類ではなく、あくまで喋るだけ。
それならば、いちいち気を廻す必要もないだろう。要は最終的に互いに嫌な気分で終わらなければ良いのである。
やや雑な結論ではあるが、ここに至るまでの精神的な疲労も手伝って、傭兵は遠慮なく自身の意見を語ることを選択した。
「知らん、と言いたいところだが……お前達の村は悪い意味で辺境の寒村らしい。あの村の出身で三級冒険者となると、舐めた苦渋という点では他の同業より多そうではある」
「……なんでアンタにそこまで分かるのよ」
「分かるさ。この際だからハッキリ言うが……表向きは便利屋扱いで、実際はところは持て余されてるだろう。お前も、お前の師匠も」
実にあっさりとした指摘に、少女の反応は劇的であった。
勢いよく跳ね上がった顔には、驚きと怒り、行き場のない不満、苦痛がとぐろを巻く様に渦巻いている。
触れられたくない話だったのか、今にも激発しそうな表情で勢いよく立ち上がるイオ。
「~~~~ッ! アンタみたいな余所者に――っ!!」
「余所者だからだ。辺境の村であっても、普通なら高魔力持ちを冷遇するなぞあり得ん。それこそ、よほど平和ボケした閉鎖的なクソ田舎でもない限りはな」
日暮れも間近の危険な森である事も忘れ、力いっぱい吐き出そうとした少女の怒号は、面白くもなさそうな傭兵の台詞を聞いて急速に萎む。
「……そ、そうなの?」
「当人がその認識な時点であの村がクソったれの類なのは確定だ、お前の師匠は三級だぞ。本来なら諸手を挙げて歓迎からの、あの手この手で根付きのままで居てもらえるように延々工作される立場なんだが?」
自身の持つ知識と大陸の一般常識に基づき、淡々と事実を述べる傭兵の言葉に、イオは呆けた顔で立ち尽くす。
数秒ほど経つとその表情はみるみるうちに明るくなり、興奮した様子で詰め寄ってきた。
「……そう! そうなのよ! ずっとおかしいって思ってた!! 先生は凄い人なのに、何であんな眼で見られなきゃいけないのよ!」
頬を染め、胸元で拳を握って上下に振りながらはしゃぐその姿は、年齢より幾分幼く見える。
あるいはそれは、ずっと欲しくて堪らなかった言葉をもらった幼子のようであった。
(いや……実際、誰かに言って欲しかったのかもな)
村長や酒場の店主は言葉にしてやらなかったのだろうか? そんな益体も無い考えが、カージスの脳裏を掠める。
とにかく、ご機嫌なのは結構なことだが興奮して大声をだすのはいただけない。浅い場所とはいえ、ここは三級冒険者が行方不明となった森の中なのである。
「いけ好かない奴だと思ってたけど、良いことも言うじゃない! 男でも高位の冒険者なら全然マシな奴もいるってことなのかも――」
「分かった分かった、取り敢えず落ち着け。見えてるぞ」
鼻息も荒く『我が意を得たり!』と言わんばかりに捲し立てていたイオだが、敢えて水を差す為に告げられた指摘に、虚を突かれた表情となった。
次の瞬間にはハッとした顔になり、自身の身体を見下ろして――勢い付けて立ち上がったせいで円套の裾がすっかり捲れ上がっていることに気が付く。
「――――○%×$☆♭#▲※!?」
意味の分からない寄声をあげて飛び退き、しゃがみ込むその姿を尻目に、傭兵は機嫌が良くても悪くても喧しい娘だ、などと考えながら鍋に干し肉を追加した。
「こ、ここここの覗き魔! 変態! これだから男は!」
「なんでもいいから声量を落とせ。肉食獣やら魔獣が寄ってきたら、その格好で相手をするつもりか?」
「――! ~~~~ッ!!」
見直した、的な台詞を秒で翻した発言はもはやスルーされ、鍋を見つめたまま注意が飛ぶ。
羞恥で再び顔を真っ赤にしたイオはありったけの憤懣を込めて傭兵を睨み付けるものの、相手にされていないことを理解すると、機嫌の悪さを主張するが如く再び背を向けて座り込んだ。
二人の間に再び沈黙が訪れ、薪の弾ける音と鍋がふつふつと沸く音だけが野営地に響く。
それから数分程経っただろうか?
「……ねぇ」
カージスが指先に付着した鍋の中身を口に含み、奮発して胡椒でも加えるべきか、と考え始めたあたりで再び少女が口を開いた。
「先生は……無事だと思う?」
「思わないな。元より、俺はこの依頼を要救助者の捜索だとは思ってない」
探すべきはエルシェルの亡骸。
後はその原因の究明と……可能ならそれを排除する事である。
それが自分の仕事である、と。エルシェルが死んでいると断言するカージスの台詞に、イオの表情が何かを堪えるように歪む。
「……アンタさぁ、冷たい奴だって言われない?」
「自分で思ってもいない、気休め以下の慰めなんぞ口にしても、言う方も聞く方もロクな結果にならねぇよ」
返される言葉は負けず劣らず、顔を顰めて嫌そうに吐き捨てられた。
何を言ってもどこか泰然とした雰囲気のあった男が、露骨に感情を出して反応した事にイオは意表を突かれたようだ。少なからず負の感情を湛えていた表情が、ちいさな驚きで上書きされる。
態度からして苦い過去があるのは明らかだったが、それをつつく前にカージスが言葉を続けた。
「エルシェルの生死に関しては、俺の考えにお前が追従する必要はない。どちらにせよやることはほぼ変わりないしな」
死んでいる可能性の方が遥かに高いが、生存していると判断出来るものが見つかれば、救助の方向に切り替えればよいだけ。
鍋の中身を木匙でゆっくりとかき混ぜながら、そのようなことを言う。
「まぁ……遺体の回収よりは、人命救助になった方が気分が良いってのも確かだ。もしエルシェルが生きていたら、そのときは俺をコケにして詰るでも指さして笑うでもすればいい――めでたいついでに、それくらいは甘受するさ」
慰めやフォローの類であるとすれば回りくどい処ではない男の台詞に、少女の表情がじわじわと呆れ一色に染まる。
「……アンタさぁ、面倒くさい奴って言われない?」
「無いが?」
「――あぁ。言ってくれる友達がいない……」
「村でつま弾きにされてる奴がいうのか、それ」
互いに皮肉と若干の憐憫が混ざった視線が交差し――ややあって、二人は同時に眼を逸らした。
「やめましょう、不毛だわ」
「同感だ」
そして、野営地に三度目の沈黙が下りる。
小鍋の中身を再び味見したカージスが結局は香辛料を加え、イオが薪を手に取って焚火に放り投げ。
――やがて長い沈黙を破り、静かに語り出したのはやはり少女の方である。
「……お察しの通りよ。アタシは村で久しぶりに生まれた、高い魔力持ち。父さんが死んでからは、露骨に怪物呼ばわりで距離をとられてたわ」
傭兵は黙したままであったが、話自体は聞いているのを分かっているのか、あるいは最初から相槌はアテにしてはいないのか。
まるで同じ焚火を囲む男の喋り方が移ったかのように、淡々と平坦なトーンで語り続ける少女だが……その双眸には激情に近い何かが燻っている。
「村長やポリーは庇ってくれたけど……アンタの言う通り、ド田舎の偏見って嫌になるほど根深いのよね。陰口なんてしょっちゅうだったし、酔っ払いに囲まれて物陰に引きずり込まれそうになった事もある」
子供の頃から村の空気を察し、身を縮めるようにして生きていたイオだが、そのときばかりは全力で抵抗したという。
流石に当時の年齢で複数の大人を蹴散らす、なんて真似は不可能であったが、酔漢共から伸ばされる手を振り払い、必死にはたきおとし、なんとか村長の家に逃げ込んで。
次の日、イオが男達を襲撃したことになっていると知り、唖然としたそうだ。
「さすがに村長も怒って、そのときそいつらは吊るし上げられたけど……今では普通に酒場でクダを巻いてるわ。アタシが襲った側扱いされたときは、すぐに村から追い出せ、森に捨ててこい、なんて話が出てきたんだけどね」
無意識の動作なのか、少女は何度も薪代わりの木枝を乱暴にへし折り、火へと放り込む。
小枝が音を立てて燃え上がる様をみて何かを……もしくは誰かを重ねているように思えるのは、カージスの気のせいではないのだろう。
「村長達の他にも味方がいない訳じゃなかったけど……結局は村全体の空気がそうだったのよ。異物を認めない。隙あらば、って感じ」
そこで一旦、彼女は言葉を切り。
過去を語り始めてから常に瞳に燻っていた暗い感情が薄れ、柔らかな光が灯る。
「こんな村、いつか出て行ってやる。ずっとそう思ってひたすら我慢してたときに、あの人が――先生が村に帰って来た」
「……お前の立場からすれば、そりゃ立派に見えただろうな」
「当然。初めて見たあの人は、綺麗で、凄く強そうで、格好良くて……村の嫌な連中なんて、ひと睨みで黙らせちゃったんだから」
イオは得意気に当時を振り返り、更にカージスの言葉を聞いて楽しそうに、僅かであるが笑みを浮かべた。
「村長がアタシを紹介してくれて……先生も笑って"村の男共なんてすぐにひと捻りに出来るようにしてやる"って」
そうして、二人は師弟になったらしい。
エルシェルに宛がわれた家に直ぐにイオも移り住む形となり、単なる見習い冒険者とその先生、というよりは家族にも近い関係だったそうだ。
「嬉しかったなぁ……」
そう昔の話でもないだろうに、その声には強い懐古の情がにじみ出ていた。
まるで、もう失くしてしまったものを惜しむかのように。
生きていて欲しいと、そう心から望んでいても……心のどこかでイオも覚悟しているのだろう。
「あー……こう言っちゃなんだが、ここでその話をして良かったのか?」
指先で自身の灰色の髪を掻き混ぜながら、カージスがどこか居心地悪そうに問うた。
彼の疑問はもっともだ。成り行きで同行してるが、自分達は半日前に出会ったばかりで……初対面での空気は険悪ですらあった。
どう考えても、イオにとって重要であろう過去を聞く程の仲では無い。
珍しく困惑した表情をみせる傭兵に対し、赤毛の少女は三角座りの膝の上に自身の頬を乗せ、同じく困った顔で、だが少しだけ笑ってみせた。
「……分かんないや。多分、誰かに聞いて欲しかったのかも――あの村の人間じゃない、別の誰かに」
「そうかい。それじゃ、精々忘れないようにしとくさ」
そんな風に敢えて軽い口調で応え、肩を竦めて。
会話を切り上げる意味も兼ねて、カージスは小鍋を持ち上げた。
「……そろそろ俺は飯にする。お前は?」
「……じゃ、アタシも食べる。パンと乾酪あるけど、どうする?」
「悪くない。それならこのスープと交換といこうか」
これまでの会話で、多少なりとも相互理解が為された御蔭だろうか。
晩飯を準備する両者の声は、幾分か隔意の取り払われた穏やかなものであった。
夕闇迫る深い森の中、傭兵と少女は明日に備えて英気を養う。
遠くに虫の音や梟の声も聞こえ始めた。夜が近いのだろう。
――夜明けはまだ遠く、目的である少女の師への手掛かりもまた、遠い。
それでも、その結末がより良いものであること願う者がいる。それもまた、事実であった。