屍食鬼 Ⅱ
屍喰に襲われていた若者を助けたカージスは、負傷した青年に最低限の応急処置を行い、きちんとした治療を行う為に急ぎ戻る彼に付き添う形で、無事に依頼のあった村へと辿り着いた。
イメージしていたよりは二周りほど大きな村である。点々と建った家屋の奥に小さく、古いながらも教会のものらしき屋根が見え、村の入口からほど近い場所には小さ目の酒場と思われる建物もあった。
「ありがとう、助かったよ傭兵さん……俺はこのまま神父様のとこにいって治療してもらうとするよ。アンタは?」
「依頼主……村長の家に行く。奥の方にある村で一番デカい家でいいんだな?」
村までの道すがら、聞いた話の再確認を行う傭兵に、青年も頷き返す。
「あぁ、俺の家もその近くなんだ。仕事が終わったら良ければ寄ってくれよ、礼くらいはしたい」
「そうかい、覚えとくよ……まぁ、今はとにかく怪我を診てもらうんだな。縫合にしろ、霊薬の治療にしろ、早い方が良い」
傷口を水と酒で洗って止血しただけの簡単な処置であったが、助けた後に手当までした事でそれなりに信用を抱いたのか、青年は痛みを堪えながらも微かに笑みを見せる。
傭兵の方も予想していたよりは大分まともな反応を返して来た青年に、多少は対応を丁寧なものに変えていた。実際、水だけでなく値の張る蒸留酒を使ってまで応急処置したのは、好意や謝意といったものに対する彼なりの返答である。
軽く手を挙げて二人は別れ、別々の方向へと歩き出す。
助けられた青年も運が良かったが、助けたカージス自身もこの状況は渡りに船と言えただろう。
村へと入った際、門番には相当に警戒されていた。
魔獣に襲われていたところを助けてもらった、という青年の口添えがなければ『怪しい余所者』扱いで村に入るのにもひと悶着あっただろう。
依頼主である村長に確認をとれば通る話ではあるが、やっと村に着いたと思ったら入口で長々と待たされるなぞ御免被る。余計な手間が省けたのは僥倖であった。
さて、青年と別れ、独り村の中を歩くカージスであるが。
最初に出会った――いわゆる第一村人である青年は良い意味で予想を裏切る反応をしてくれたが……どうやら彼が人当たりが良いだけであり、村の方はありふれた辺境の寒村だったらしい。
村を歩く武装した傭兵に声をかける者はない。
だが遠巻きに彼を眺め、小声でやり取りする様子を見るに注目されているのは確かだろう――無論、悪い意味で。
ヒソヒソと会話する村人達……そこには余所者に対する警戒と畏れ、薄っすらとした拒絶が滲み出ている。
「まぁ、こんなもんだよな」
分り易い排他的な空気だが、実害が無いのならかまう必要はない。
彼は軽く肩を竦めて見せると、あとは紛れ込んだ異物を見るような幾つもの視線を全て無視し、村の奥に見える一番大きな民家へと真っ直ぐに進んでいった。
幸いな事に、村長宅にはその当人が在宅中であった。
「おぉ、貴方が。お待ちしておりました」
杖を突いた禿頭の老人は、ようやっと現れた待ち人に深い皺の刻まれた顔に喜びの色を浮かべる。
村の住人達とは違い、村長は訪れた傭兵を丁寧に出迎えてくれた。依頼を出した本人なので当然といえば当然なのだが。
尤もこれは、カージスの持つ組合証を見たが事も関係あるのかもしれない。
冒険者、傭兵のどちらにせよ、二級という位は世間一般的には腕の良いベテランのものだ。
僻地の、まして難易度・危険度の低めだと判断された仕事は、五級や四級上がりたての新人に依頼が回されるのはよくある事。
村長がそういった組合の依頼割り振りの仕組みを理解しているのならば、二級がやって来るというのは望外の人選であると感じてもおかしくはない。
玄関口で軽く自己紹介を済ませるとそのまま家の奥へと通され、一階の客間へと通された。
流石に茶は出なかったが椅子を手振りで勧められ、客間の丸卓越しに向かい合う形で傭兵と依頼主は穏やかに対峙する。
椅子に腰かけ、カージスは早速仕事を進めるべく口を開いた。
「さて……組合に届いた文によると、依頼内容は人探し、らしいが」
「えぇ。丁度、ここに立ち寄る行商が村を出る、というときに慌てて渡したものでしてな。大急ぎで書き上げた為に省かれた部分も多く、申し訳ない」
村長の"仕事の内容によっては後で依頼料の追加・変更願いを組合経由で出してもらいたい"という非常に物分かりの良い言葉に、カージスとしても文句がある筈も無い。無言で頷いた。
そうして老人の口から"人探し"の内容と事の経緯が語られる。
まず、探し人はこの村の『根付き』である冒険者。名をエルシェルと言うらしい。
根付きとは、その地を永続的な拠点とした者達を指す。
冒険者になった後も故郷の村や街に留まり、自宅を拠点とした生活を続ける者を指す場合が多い。
彼女――捜索対象たる女冒険者も、一度は村を出たらしいが数年後に戻って来て『根付き』になった人物らしい。
田舎の小さな村では、早々大それた問題も起こらない。街に出て一人前の冒険者となって戻って来た『根付き』がいるならば、危険な獣や下級魔獣が絡む問題に対しては盤石と言って良いだろう。
実際ここ数年は、偶に現れるそういった対象も彼女の手によって問題無く処理されていたそうだ。
僻地における『根付き』は、村の何でも屋に近い立ち位置になりがちである。
多くの場合は故郷の為にと望んでそうなる為、村のためならば正規の手順を踏まないガバガバな依頼を受けるケースも多いらしい。
組合の規則上では褒められた行為では無いのだが……根本的に人口が少ないので、人材不足になりがちな辺境に点在する村々ではその方法でこそ上手く回っている。半ば暗黙の了解で目溢しされている形だ。
見たところ、村には組合絡みの施設は無さそうなので……まぁ、そういうことなのだろう。辺境ではよくある事なので、この点はカージスも敢えて突っ込んでは聞かなかった。
そうして豊かとまでは言えずとも、それなりの平穏を維持していた村だったが……つい最近になってその平穏を少なからず担っている女冒険者が行方不明になってしまった、という訳だ。
村の近くで魔獣らしき影を見た、という住民の言葉を受け、いつものようにそれを狩りにでかけ。
そのまま帰って来ることなく、行方知れずとなってしまったのだという。
それが今日から十日以上前の話だというので、カージスは淡々と指摘する。
「濁しても意味は無いからハッキリ言わせてもらうが……その冒険者、もう死んでると思うぞ」
「えぇ、分かっておりますわい……ですが、その原因や……可能ならば亡骸くらいは見つけて欲しいのです」
村長も既に覚悟はしていたのか、遠慮の無い傭兵の言葉にも動ずることなくゆっくりと頷き、項垂れた。
村の顔役としての立場や責務以外の感情を滲ませるその表情を肯定するように、村長はその女冒険者が彼の親戚筋――身内であると語る。
生きている可能性は低く……だが、手遅れだとしてもせめて村に連れ帰って弔ってやりたい、という事だろう。
文にあった仕事内容とは少々違ったものになりそうだが、依頼料の変更は村長自身から既に提示されている。内容的にも難易度的にも特に拒む理由は無い。
(まぁ人探し、というより遺体の捜索になるだろうな)
そんな風に、傭兵はぶっちゃけた思考を脳裏に巡らせる。
捜索対象の冒険者は、何か事故なりトラブルが発生して魔獣に殺されたと考えるのが妥当だろう。
――が、腑に落ちない点もあるのは確かだった。
村長の話によれば、彼女は三級冒険者――一人前であると冒険者組合から正式に認められた腕前だ。
そして、狩りの対象はおそらく屍喰。
植生やこの地方の魔力的な土地条件的に、何か他の強力な魔獣が生息しているとは考えづらい。いてもその近親種か、下位の山精が精々だろう。
だが、仮にも三級になるだけの腕があって屍喰や同程度の相手に返り討ちにされるものだろうか?
勿論、物事に絶対は無い。油断や不測の事態で状況がひっくり返ることなどいくらでもあり得る。
だが、不測の事態を齎した"何か"が、厄介なモノであったのなら?
その辺りも踏まえ、最終確認のつもりで傭兵は依頼人へと問い掛けた。
「……こう言っちゃなんだが、行方不明になった原因によっては相当に依頼料も吊り上がる可能性もあるが……」
「このままでは、先立ったあの娘の両親に顔向けが出来んのです。手紙で提示した依頼料の三倍までなら出せますとも――ですので、どうか」
打てば響くとばかりに即断で返し、頭を下げる村長だが、その表情は悲壮感の漂うものであった。
だが、それだけに懇願には真摯で切実な願いが込められいる。
不確定要素は少々多いが、依頼主は誠実な部類。報酬も悪くない。
よって、カージスの取る選択肢は一つだった。
「引き受けよう。依頼料の本決めは、解決後に組合を通して内容の査定をしてもらってから、だな」
「おぉ……感謝します、カージス殿」
力強く頷く傭兵を見て、眼前の老人は暗い表情を幾らかでも明るくする。
吹っ掛けても限度額までなら躊躇わず出しそうではあったが……まともな依頼人相手に阿漕な仕事をするのはカージスの流儀に沿わない。
後払いな上に少々時間もかかるが、組合に適正価格を出してもらうのが規則的にも心情的にも正解だろう。
互いに席を立ち、握手を交わす。
「さて、出発の前に聞き込みをしたいな……村長、捜索対象が村を出る直前に接触した村人は分かるか?」
「それでしたら、村の入口近くにある酒場に向かうのが良いでしょう。この村に組合関連の施設はありませんが……町の支部への提出用として、あそこに過去の依頼の台帳などを纏めて保管しておるのです」
そんな場所なので、ちょっとした依頼掲示板もどきが酒場内に作られているのだという。例の女冒険者も、そこから依頼を受け取る場合が多かったそうだ。
「なるほど、それじゃ早速……」
傭兵が傍らに置いた旅荷を持ち上げ、客間を出ようとした、そのときであった。
乱暴なノック――というより殴りつけるような音と共に、客間の扉が乱暴に開け放たれる。
「ちょっと爺ちゃん! 村に余所者の傭兵が来たって本当!? 必要ないってアレだけ言ったじゃない!」
甲高い声と共に飛び込んで来たのは、年若い娘だった。
後ろに束ねた癖っ毛の赤毛、釣り目がちだが大きな瞳。整った鼻筋。
辺境僻地の寒村には少しばかり不釣り合いな程度には、中々に見目の良い少女である。
動き易そうなシャツとズボンの上には、綺麗に手入れされた――或いは、大して使い込まれていない真新しい革の胸当てと革籠手、膝当てを身に着けている。
背には短弓、腰にはナイフ。
多少装備に金をかける事ができた駆け出し冒険者、といった風情の格好であった。
少女は客間に居る突っ立ったままの武装した男に気付くと、猫を思わせる瞳を見開き、眦を更に吊り上げる。
「アンタが町から来たっていう余所者ね! お呼びじゃないのよ、先生はあたしが見つけるんだから!」
ビシっと音が鳴りそうな勢いで指を突きつけられ。
仕事開始して一分と経たずに面倒そうな相手に絡まれた傭兵は、思わず遠い目付きとなって溜息を一つ漏らしたのである。