エピローグ:新たな決意と協力の兆し
奈々に自分の力を告白し、彼女の心を傷つけてしまった橘 樹は、放課後の教室に一人残っていた。窓の外では夕焼けが学校全体をオレンジ色に染めている。橘は机に座り、奈々が去っていったときのことを何度も頭の中で繰り返していた。
「俺のせいで……」
橘は拳を握りしめ、力なく呟いた。自分の力が人を救うどころか、逆に大切な人を傷つけてしまった現実を前に、彼はどうするべきか分からなくなっていた。神崎の「この力は呪いだ」という言葉が、再び頭の中で響く。奈々との出来事が、その言葉を証明するかのようだった。
「本当に、この力は……呪いなのか?」
橘は自分に問いかけるが、答えは出ない。奈々を救いたかった。その思いは偽りではない。しかし、結果は彼女を苦しめただけだった。橘は自分の行動が間違いだったのかどうかを深く考え込んでいた。
そのとき、教室のドアが静かに開いた。
「また一人で悩んでいるのか」
低く冷静な声が響いた。橘が顔を上げると、そこには神崎 零士が立っていた。彼は教室に入り、橘に向かってゆっくりと歩み寄ってくる。いつもの無表情のままだが、その眼差しは橘の内面を見透かしているかのようだった。
「……神崎」
橘は力なく呟く。今は彼に対して何を言えばいいのかさえ分からなかった。橘の心の中には、奈々を助けたいという思いと、それが裏目に出たことへの後悔が渦巻いていた。
「お前、奈々のことをどうするつもりだ?」
神崎が橘の前で立ち止まり、冷静に尋ねる。その質問に、橘は戸惑いながらも答えた。
「俺は……奈々を助けたかった。でも、結局……俺が彼女を傷つけてしまった。お前の言った通り、この力は……呪いなのかもしれない」
橘の言葉には、深い迷いと自嘲が混じっていた。神崎はそれをじっと聞きながら、少しの間沈黙していた。
「お前がこの力を使う理由は何だ?」
神崎の質問に、橘は一瞬言葉を失った。理由――それは、ずっと自分の中にあったが、今この瞬間に言葉にするのは難しかった。しかし、橘は少しずつ自分の思いを整理し始める。
「俺は……誰かを救いたいんだ。奈々が苦しんでいるのを知ってしまったから、何とかしたかった。それだけだ」
橘は自分の胸の内を吐露した。神崎の冷静な態度の前で、彼は自分の本当の思いを隠すことができなかった。
神崎は橘の言葉を静かに聞き、再び冷たい声で答えた。
「お前が誰かを救おうとするのは間違っていない。だが、この力は簡単に使うべきじゃない。俺はそれを経験してきたから言えるんだ。相手の記憶に触れることで、その人の傷を深くえぐることもある」
神崎の声には、かすかな哀しみが混じっていた。彼が過去に何を経験したのかは、橘にはまだ分からない。しかし、その経験が彼を孤立させ、この力を「呪い」と呼ばせるほどのものだったことは理解できた。
「でも……」
橘は口を開き、神崎に向かって顔を上げた。
「俺は、それでも奈々を救いたい。たとえこの力が危険だとしても、俺は彼女を放っておけないんだ。お前がどう思おうと、俺は彼女を助けたいんだ」
橘の声には決意が込められていた。自分の力を恐れる神崎とは違い、橘はその力を使ってでも誰かを救いたいという強い意志を持っていた。
神崎はその言葉をじっと聞いていた。そして、しばらくの沈黙の後、ゆっくりと息を吐いた。
「お前は……本当に馬鹿だな」
その言葉に、橘は一瞬戸惑った。だが、神崎の顔を見ると、彼はほんの少し微笑んでいるようにも見えた。
「馬鹿でも構わない。俺は、奈々を救うためにできることをする。それが俺の決意だ」
橘は神崎を見つめながら、さらに強い口調で答えた。
神崎は再び黙り込んだ。そして、ゆっくりと橘に向かって歩み寄り、その手を差し出した。
「なら、覚悟しろ。この力を使うということは、相応の代償を払うということだ。お前がその覚悟を持っているなら、俺も少しは協力してやる」
橘はその言葉に驚いた。神崎が「協力する」と言ったことが信じられなかったのだ。今まで彼は、自分の力を「呪い」として否定し、他人との関わりを避けてきた。それが、橘の決意に影響され、心を開くように見えたのだ。
「お前……本当にいいのか?」
橘は神崎の手を見つめながら問いかけた。神崎は軽く頷き、その手を少しだけ前に出した。
「お前がどれだけ馬鹿なことをするのか、見届けてやるさ」
神崎のその言葉には、わずかながらの皮肉が含まれていたが、橘にはそれが温かい励ましのように感じられた。橘はしっかりと神崎の手を握り返し、目を合わせた。
「ありがとう……神崎」
その瞬間、橘の心の中には強い確信が生まれた。彼は一人ではない。たとえ道のりが険しくても、神崎が側にいてくれる。二人でなら、この力の意味を乗り越えることができると感じた。
教室の窓から差し込む夕日の光が、二人の影を長く引き伸ばしていた。橘は奈々を救うための新たな一歩を踏み出し、神崎との協力が始まろうとしていた。
橘は心の中で誓った。この力を「呪い」ではなく「誰かを救う手段」として使うと。そして、神崎とともに、この力の本当の意味に向き合っていくのだと。