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第6章:真実の代償

橘 樹は、自分の決意を抱きしめるようにして奈々の元へ向かっていた。彼女の苦しみを知った今、何もしないで見過ごすことはできなかった。だが同時に、橘の胸には不安と恐怖が渦巻いていた。この力が本当に奈々を救えるのか、あるいは神崎の言った通りに、逆に彼女を傷つけてしまうのか――。


奈々は教室にいつも通り現れた。明るく元気な笑顔を浮かべているが、その裏に隠された悲しみや苦しみを橘はもう知ってしまっている。そのことが、彼の胸に重くのしかかる。


「橘、今日もなんか元気ないね? ちゃんと寝てる?」


奈々が明るく話しかけてくる声も、橘にはどこか空々しく感じられた。彼女の元気な振る舞いが、彼女の無理を隠そうとしているようにしか見えない。橘の胸に込み上げる罪悪感が大きくなっていく。


「……奈々、少し話があるんだ」


橘の声は、予想以上に重く響いた。自分でもそのトーンがどれほど沈んでいるかを感じ取っていた。奈々は一瞬戸惑い、驚いたように彼を見つめるが、やがてその真剣な表情に気づいたのか、軽く頷いた。


「……うん、わかった。どこか静かなところで話そう」


二人は放課後、学校の裏庭にある静かなベンチに座った。夕焼けが彼らの影を長く引き延ばし、周囲には誰もいない。橘は深呼吸をして覚悟を決め、奈々に向き直った。


「奈々……実は俺、君が家でどんなことに悩んでいるか、知ってる」


その一言を口にした瞬間、橘の心臓が早鐘のように打ち始めた。何かが崩れていく予感がしていた。奈々は顔を硬直させ、驚愕の表情を浮かべた。


「……どうして……?」


彼女の声は震えていた。いつもの明るさが消え、戸惑いと恐怖が混じっている。その姿に、橘は胸の奥が苦しくなる。


「ごめん……俺には、他人の記憶を見る力があるんだ。それで、君がどれだけ家で苦しんでいるのか、見てしまった」


言葉を絞り出すように告げた瞬間、橘は奈々の顔が変わるのを見た。彼女は立ち上がり、橘を睨みつける。その目には怒りが宿っていた。いつも優しい彼女が、こんなに強い感情を露わにするのは初めてだった。


「……なんで……なんでそんなことを勝手に知るのよ!」


彼女の声が鋭く響き、橘は思わず息を飲んだ。奈々がこんなにも感情的になるなんて、想像もしていなかった。彼女の怒りと悲しみが押し寄せてくるようで、橘は身動きが取れなくなった。


「奈々、俺は君を助けたくて――」


「助けたい? それで勝手に私の記憶を覗いたっていうの?」


奈々の声は大きくなり、感情が爆発したかのようだった。橘はその言葉に押され、何も返せずにいた。彼女の目には涙が浮かんでおり、その怒りと悲しみが混ざり合った姿が、橘の心をさらに締めつける。


「私は……誰にも頼らずにずっとやってきたの! 誰にも言いたくなかったのに、どうしてそんなこと、勝手に知るのよ!」


奈々の感情が溢れ出して止まらない。橘は言い返したかった。彼女を助けたかっただけだと。でも、今はその言葉がかえって彼女を傷つけるのではないかという恐れが頭をよぎる。


「奈々……俺は君のために――」


「それが、私のためだって言うの?」


奈々は声を張り上げ、手で顔を覆った。その肩は震え、涙がこぼれ落ちている。橘の胸には、言い表せないほどの痛みが広がっていく。奈々がこんなにも傷ついているのは、彼が知りすぎたからだ。


「私は……ずっと、誰にも知られたくなかったの。どれだけ苦しんでいるか、どれだけ辛いかなんて、誰にも知られたくなかったの……」


橘はその言葉に深い無力感を感じた。彼が知ったことで、奈々が感じていた孤独や苦しみは、さらに増幅されてしまった。助けたかったはずなのに、その思いは彼女を逆に追い詰めてしまったのだ。


「ごめん……奈々、俺は――」


「ごめんで済むなら、なんで最初から私のことなんか知らないでよ!」


奈々は感情を爆発させ、橘に背を向けた。その涙混じりの声に、橘は胸が張り裂けそうだった。何かを言いたかった。謝りたかった。でも、言葉が見つからない。


「……もう、橘とは話せない……。私のこと、知ってしまったんだもん……。こんなの、もう無理……」


彼女はそう言い残し、歩き去っていった。橘はその背中をただ見送るしかなかった。彼女の涙と怒りが胸に突き刺さり、何もできない自分が情けなくてたまらなかった。




その夜、橘はベッドに横たわり、天井を見つめていた。頭の中では、奈々との会話が何度も繰り返されていた。彼の心には、重い後悔と無力感が渦巻いていた。


「これが……神崎が言っていた『代償』なのか……」


神崎の言葉が蘇る。記憶を知ることで、助けるどころか、相手を傷つける。その現実が、橘の心に重くのしかかっていた。奈々を救いたいという思いが、彼女をさらに傷つけたのだ。


「……でも、それでも……」


橘は心の中で呟いた。彼女を傷つけたのは事実だ。それでも、彼は彼女を放っておけない。彼女の苦しみを知ってしまったからには、諦めるわけにはいかなかった。


「諦めたくない……俺は、奈々を救いたいんだ」


橘は自分に言い聞かせるように決意を固めた。たとえ彼女が拒絶しようとも、橘は彼女のためにできることを探し続ける覚悟を決めたのだった。

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