第4章:初めての事件
橘 樹が転校生・神崎 零士から「記憶を見る力」を持っていることを告げられてから数日が経った。しかし、その言葉は橘の胸に深く残っていた。神崎が言った「この力は呪いだ」という言葉――その意味が、今の橘には理解できなかった。
橘はこの力で奈々の苦しみを知り、彼女を助けたいと思っている。それが「呪い」だなんて、到底納得できるはずもなかった。だが、神崎のあの目の奥にある深い孤独を見たとき、橘はただそれを否定できずにいた。
「本当に……この力は、誰かを傷つけるものなのか?」
橘は自問し続けていた。そんな中、クラスでは一つの噂が広がっていた。最近、学校内で不審な窃盗事件が続いているというのだ。被害にあった生徒は、全員が「何も覚えていない」と口を揃えて言っている。その奇妙さが、クラス中の話題となっていた。
「どう思う、橘? 何も覚えてないなんて、まるで夢みたいじゃない?」
奈々が教室で話しかけてきた。彼女の声は普段と変わらず明るいが、橘にはその背後に隠れた苦しみを感じ取れるようになっていた。彼女の家での悩み、そしてそれを口に出さずに学校生活を送る奈々の強さ――橘はその姿を見て、自分の無力さを感じずにはいられなかった。
「……確かに、不思議な話だな」
橘は気のない返事をしながら、頭の中で考えを巡らせていた。学校内での窃盗事件。そして、その被害者たちが「何も覚えていない」と言う点。橘の心の奥で何かが引っかかる。
「記憶が消える……?」
彼の中で、そのキーワードが静かに響いた。もしかして、この事件に何かしら自分と神崎の力が関係しているのではないか――そう思わずにはいられなかった。
その日の放課後、橘は神崎を校庭で見つけた。彼はいつもの無表情でベンチに座り、本を読んでいる。橘は迷いながらも、彼の元へと足を運んだ。
「神崎……お前、最近の窃盗事件、どう思う?」
橘の問いに、神崎は一瞬だけ顔を上げ、興味なさそうに視線を返す。
「俺に関係ない」
その冷たい一言に、橘は少し苛立ちを覚えたが、何とか気持ちを抑えた。
「でも、被害者がみんな何も覚えていないって言ってるんだ。記憶を操作されたとか、そんなことはないのか?」
橘がそう言うと、神崎はしばらく無言で橘を見つめた。冷たい視線の奥に、何かを探るような鋭さがあった。
「……もし、それが俺たちの力と同じものだとしたら、どうする?」
神崎は静かに言った。その言葉に、橘の心臓が跳ね上がった。
「やっぱり、関係あるのか?」
「可能性はある。だが、俺はこれ以上この力に関わりたくない。お前も、深入りしない方がいい。結局、誰も救えないんだから」
神崎はそう言い残し、橘に背を向けて歩き去った。橘はその言葉に何も言い返せず、ただ神崎の背中を見つめるしかなかった。
次の日、橘が登校すると、クラスは一段と騒然としていた。昨晩、また新たな窃盗事件が起こったらしい。しかも、今度の被害者は橘のクラスメイトだった。教室の片隅で、怯えた表情を浮かべて座り込んでいる被害者――小林が、顔を青ざめて震えていた。
「小林、大丈夫か?」
クラスメイトたちが心配そうに声をかけるが、小林は「何も覚えていない」と繰り返すばかりだった。その言葉を聞いた瞬間、橘の胸に何かが引っかかった。
「何も覚えていない……」
橘は小林を見つめながら、自分の中で何かが動き出すのを感じた。もしかしたら、自分の力でこの謎を解明できるかもしれない――その考えが、橘の頭の中に浮かんできたのだ。
放課後、橘は一人で校内の事件現場へと向かった。そこで何か手がかりを探そうとしていたが、胸の中には不安が渦巻いていた。神崎が言った「誰も救えない」という言葉が、何度も頭の中で響いていたのだ。
「俺は、本当に誰も救えないのか……」
橘は自問しながら、事件現場を歩き回った。しかし、そこに特別な手がかりは何も見つからない。ただ、教室の隅に落ちていた小さなメモ帳が目に入った。
橘はそのメモ帳を拾い上げ、開いてみた。そこには、何か意味ありげな数字の羅列が書かれていた。何のことだろう――橘はそのまま考え込んでいると、突然、頭の中に鋭い痛みが走った。
「……っ!」
その瞬間、橘の視界が歪み、またもや他人の記憶が流れ込んできた。彼はその場で立ち尽くし、意識が遠のくのを感じた。そして次の瞬間、橘は見知らぬ場所に立っていた。
橘の目の前には、小林がいた。彼は何かを恐れているようで、汗をかきながら必死に何かを探していた。その背後には、黒い影のような存在が立っている。だが、橘はその影が誰なのか、はっきりと見ることができなかった。
「誰だ……?」
橘はそう呟くが、答えはない。ただ、小林の怯えた表情が、強烈に橘の心に焼き付いていた。
次の瞬間、橘は現実に引き戻された。息を荒げながら、教室の中に戻っていた。手には、あのメモ帳が握りしめられている。
「やっぱり……この事件には、記憶が関係している……」
橘はそう確信した。これが自分の力で解決できることなのか、それとも神崎の言う「呪い」がさらに広がっているのか――橘の心は、複雑な感情で満たされていた。